アニーの相談
アニーに相談があると言われて、軽い気持ちでアニーに殺された崖を指定してしまったのは、迂闊だったとしか言いようがない。だけど、誰にも聞かれたくないと頑なに言うアニーに提案できる場所は、ここしか思いつかなかったのだ。
シルと過ごしたときよりは、少し崖から距離をとって、シートの上に座ってみたものの落ち着かない。
「相談というのは、ですね」
アタシの死亡フラグなんて欠片も知らないアニーは、ちょっと照れくさそうに切り出した。
……この甘酸っぱい感じには覚えがある。前世の親友が好きな人を教えてくれた時だ。
「えぇ。なにかしら?」
今度は誰にも言わない! ましてや本人になんて口が裂けても言わない!
ここでアニーの好きな人が分かれば、死亡フラグ消滅の一歩に他ならない。これでもか! というくらい顔を近づけて、瞬きもしないでアニーを見つめる。そんなアタシに、少し引き気味でたどたどしくアニーが話す。
「その……わたくし……好きな人ができたの……」
よし、来たぁ! 全面的に協力するよ!
「それは素敵なことね」
「リュシーには好きな人がいる?」
「今はいないわ……。一瞬好きな人ができたかもと思ったのだけど……」
そう言うとアニーが「なにそれ」とクスリと笑った。初恋だと思った矢先に死亡フラグを知って、初恋相手から逃げるのに必死だったからね。こんな九死に一生な初恋の経験、アタシくらいだろう。
「本当に……おこがましい、厚かましい気持ちなんだけど……」
「あら。人を好きになるのに、おこがましいも厚かましいもないのではなくて? 恋とはするのではなくて落ちるものなんでしょ?」
「ふふっ。リュシーは曖昧な片思い経験しかないみたいなのに、よく知ってるのね」
うん! 少女漫画は愛読書だったからね! 憧れてはいたのよ。
「えぇ。憧れはあるからね。一昔前は政略結婚が当たり前だったみたいだけど、今は昔よりは自由恋愛ができるみたいだし」
アタシの言葉にアニーの目がカッと見開いた。
「本当に!? 貴族の中でも自由恋愛は認められてるの? 先々代の王からはそういう流れもあるみたいだけど、そうは言っても政略結婚する人の方が多いでしょう?」
「確かにそうだけど、昔ほどではないわよ。貴族でもその家格によっては平民と婚姻を結ぶ人もいると聞いているわ」
これは本当だ。家格と年齢が釣り合う縁がない場合、末の子になるほど陛下に媚びるように当家より下層の方との縁を結ばれる。なんなら陛下の身分階級廃止の意への貢献をしたとして、褒美をもらえるくらいだと聞いている。
実はアタシはそれが気に入らない。貴族階級は維持できるとはいえ、結婚相手が平民と貴族では得られる後ろ盾が全然違う。一時の褒美でそれをうやむやにして、自らの後ろ盾や生活はなんら変えない。下の者を顎で使っている感じがして許せない。
先々代の王が身分階級廃止の意志を表明してから、何十年経った? そろそろ王族自らが平民と結婚して、口先だけではないことを他に知らしめるくらいのことはしてほしい。口を動かせば手足を動かす使える駒が、いっぱいいてさぞかし王族は楽だろう。
王族に対してそんな風に思っていたから入学式での一目惚れは自分にとっても予想外だったのだ。まぁ、そのおかげもあってかサミュエルが死神に降格するのも早かったけど。
「そうなの?!」
……なんか、アニーの言葉の圧が強いな。ははぁん。片思いの相手は貴族なのね? シルかな?
「そんなに貴族の婚姻事情に興味を示すなんて、アニーの片思いの相手は貴族かしら?」
ポッと顔を赤らめて頬に手をあて、恥ずかしそうに俯くアニーは実に可憐だ。恋する女はきれいだとよく言うけど、今まで見たことのないくらいの可愛さと儚さがある。
「えぇ、えぇ! このようなことリュシーに相談するのもどうかと思ったのだけど、平民仲間はわたくし以外殿方ばかりでしょう? 他に相談できる方がいなくて。こういうのはやはり同性同士の方が話しやすいから……」
前置きはいいからさっさと答えプリーズ! 早く! 早く!
アタシの圧の強めの眼力に押されたのか、アニーは少し身を反らせて固まってしまった。口を開けたまま動きを止めたアニーの話の続きが聞きたいアタシは質問を重ねる。
「相談相手に選んでもらえて嬉しいわ。……それで誰なの?」
「……あ……うん。その……サミュエル……殿下なの」
きゃー。言ってしまったわーといった感じで、両手で顔を覆うアニーはとてもかわいいと思うけど、凄いとこ行くね! 勇者かよ! 第一王子って!
あれ? でも、サミュエルとアニーは結ばれてハッピーエンドだったよね? え? このままいけばアタシ労せず死亡フラグ回避じゃない?
アニーは両手の隙間から、その大きな瞳を覗かせる。間違いなくアタシの反応を窺っている。
アタシ、大っぴらでないとはいえ家格の釣り合いで王妃候補なんだけど、問題ないよね? 候補の一人ってだけだし。アタシにその気は全くないし。
「どう……思う? 自分でもおこがましいって、恥知らずって思っているの」
「そんな風に思う必要はないと思うわ」
「そうかな?」
アタシは、顔を覆っていた手を下ろしたアニーの両手ををすかさず捉えて強めに握った。
「そうよ! 応援するわ。だって、身分階級なくすって公言しているのは王族なのよ? 王族が身分で人を差別するなんて……」
あった……。そういえば、平民の仲間入りをしたいと言う前のサミュエルは、平民に対して下級の者として見ている節があった。だけど、仲良くなってからは華やかな王族スマイルで普通に接しているように見えるし、大丈夫。な、はず……。
逡巡するアタシの顔をアニーが不安そうな顔で覗き込む。
「差別するなんて……?」
「差別するなんてありえないわ!」
「でも、今何か考えていたんじゃない? 思い当たることがあったんじゃないの?」
「それは、サミュエル殿下とみんなとの会話を思い出していたのよ。いい加減なことは言えないもの。わたくしから見た限り、みんなのことを下に見ているような感じはないわ」
きっぱりと断言するとアニーはふわっと笑みを広げた。ぜひともこのまま、アタシの関わらないところでサミュエルとうまくいってほしい。
うん。恋する女子はかわいいね。
そして上目づかいでアタシを見る。
「協力してくれる……?」
おっふ。あざといお嬢さんだ。……そういえば、ここに通わせられている平民は、親から貴族との接触を期待されていると言っていた。アニーは本当にサミュエルのことが好きなようにしか見えないけど、こういうあざとさはちゃんと持ち合わせているんだ。
「あ、当たり前じゃない。応援するって言ったよ?」
確かにさっきアタシはそう言った。だって、せいぜい上級貴族のシルかと思ったんだもん。シルならなんとか口利きできるかなって。
……いや、シルを手中で転がす自分が想像できない。見事にシルの手中で転がってしまった自分だけに。
「だけど、わたくしにできることがあるかしら? 王族相手となるとさすがに……」
もうアタシが協力することは織り込み済みで嬉々として作戦を打ち明けられた。九割方アタシの仕事だった。
アニーのプランによると、それとなくアニーとサミュエルを二人にする。アタシを含めての三人でも可。これはやってやれないことはないからいいけど、問題はもう一つの方だった。アタシがダニエル・オンドリィと仲良くなって、アニーを紹介するというプラン。
別にいいんだけど、相手が問題だった。攻略対象の一人じゃん!! なんで自分から接近しないといけないの??
なんでもダニエルの父親が宮廷伯だから、紹介してもらうことでどうにか城に入り込んで長期戦で頑張りたいらしい。
「そんなうまくいくかしら?」
「わたくしがサミュエル殿下に恋すること自体が難易度高いんだから、それくらいしないと!」
うん、アタシがね。なぜアニーは自ら動かないのか。友達がいなかったから気付かなかったけど、アタシ押しに弱いみたい。前世ではもっと我儘に己の本能のままに行動していた気がするんだけど……。
はたと気付いた。そういえば、前世にアタシ以上に押しの強い人がいなかった。あの頃のアタシは怖いものなしだったから、なんでも強気でいけた。今は死亡フラグ故に本領を発揮できていない気がする。
命を握られるとはこういうことかもしれない。実際アニーの身の振り方によっては、と思うと協力を惜しんでいられない。もしうまく行かなかったとしても、敵認定されないように誠意を尽くさなければならない。
「なんとか……やってみるよ……」
「ごめんね。本当ならわたくしが動かないといけないんだけど、ダニエル様は平民を全く相手にしないらいしの。女好きって噂だし、リュシーは天使のような美しさだからイチコロよ」
そう言ってアタシの手を握り、ウインクまでしてくるアニーに勝てる気はしなかった。
ルネはこの平民の本気と対峙することで、よく回る舌を手に入れたのかもしれない。平民の無理難題から逃げるために。強くそう思った。
……まぁ、ルネが平民相手に押されている姿は想像つかないけどね。
アニーによるアニーのためのアタシの仕事を、その強い押しで受け入れてしまったことで、アニーの顔には安堵の笑みが広がった。そして、話は終わったとばかりに広げたお茶セットを片付けだす。
「そろそろ行こうか」
平民相手とはいえ、アニーだけに片付けさせるわけにもいかない。アニーがお茶セットが入った籠を腕に掛けて立ち上がったので、アタシも立ち上がり、シートを片付けようと、屈んでシートをとろうとした。
アタシたちという重石を失ったシートはあれよあれよと風に流され、あれよあれよとアタシはシートを追いかけてついて行く。
ここが崖だったと思い出したときには、崖のへりにある岩に掴みかかって命乞いをしていた。
顔を上げると顔面蒼白のアニーの顔が目に入り、アニーの絶叫がこだまする。視線を落とせば遥か彼方の下方に砂浜が見える。
「たす……けて……」
恐怖と緊張で声がうまく出ない。岩に掴みかかっている片方の手に、必死でもう片方の手を重ねる。
こんなところで死にたくない! 誰か助けてー!!




