楽しい時間
「最近は図書館にいらっしゃらないのですね」
移動教室の途中、サミュエルに話しかけられた。最近は平民のみんなと仲良く移動していた。トイレに寄るため集団を抜け出した隙のことだ。
「えぇ。素敵なお友達に恵まれて、とても楽しくしておりますのよ」
ニッコリと微笑めばサミュエルもニッコリと笑顔を返してくれた。そして笑顔のまま言葉を重ねる。
「僕の相手はしてくださらないのですね」
以前までのサミュエルなら、そういう言葉のときは迷子の子犬のようにしょんぼりしていたけど、なんだか様子が違う。目に力があってちょっと怖い。
「そんなことありませんわ。それに、王子さまの相手など恐れ多いことです」
「きっと、平民たちも貴方に対して同じように思っているのではないでしょうか? 平民から見れば貴方は公爵家の令嬢、雲の上の存在です」
随分と平民に対して見下した言い方をするサミュエルに思わず睨みを利かせてしまう。
そりゃあ、アタシも平民と関わるまでは、自分はそういう存在だと思っていたけど、みんなが温かい優しい人たちだと知ってしまったらサミュエルの言い分に黙ってはいられない。
「あら、身分階級をなくすと公言している王族の言葉とは思えませんわね」
サミュエルはうっとバツの悪そうな顔をする。
「……そうですね。王族としてあるまじき言動でした。ですが、分かっていただきたいのです。……僕にも貴方と過ごす時間をいただけませんか?」
「……サミュエル殿下は、その……わたくしのことを気に入ってくださっている……のですか?」
ずっと気になっていたことだ。アタシのどの態度が気に入ったのか、はっきり言ってちんぷんかんぷんだ。わりと好き勝手に振る舞っているはずなのに。
サミュエルはしどろもどろに答えた。
「そう……ですね……。今まで本音で話してくれていると感じることが、家族以外になかったものですから……。嬉しかったのです」
そう真剣な瞳で見つめられると照れてしまう。如何せん顔はすごく好みなのだ。
だけど、不思議。サミュエル殿下はアタシにグイグイ迫られてイヤイヤ婚約するのよね? 今のところそんな感じはしないけど、やっぱり真実の愛の力は偉大なのかしら。
不安はあるけど、とりあえず王子ルートを攻略した記憶からすると二学期から状況が一変するはずだから、今のところは仲良くしておいた方がいいのかもしれない。でもアタシがアニーと仲良くなったから、二人の距離が近付くイベントは前倒しになるかもしれない。図らずもアタシの行動によって。
でも、これ以上避けるのも……。アタシがみんなに避けられたらやっぱり悲しいもの……。
要は、サミュエル殿下にアタシが迫らなければいいのよね。よし! その方向で行こう。自分からは近付かないけどね!
「そのお気持ち、わたくしにも分かる気がします。わたくしもみんなと仲良くなれて本当に嬉しいのですもの。みなさん、ただの学友の一人として扱ってくださっている気がして……」
サミュエルが良策を思いついたように顔を上げた。
「僕もそのお仲間に入れてはもらえないでしょうか? 先ほどはあのような言い方をしてしまいましたが、身分階級をなくすと公言している王族たるもの、まずは接してみないと分からないこともあると思うのです」
なんてこった! 急ピッチに死亡フラグがやってきた!
ぜひともお断りしたい。
「それは……その……」
「サミュエル、平民と仲良くなりたいの? 僕仲介できるけど」
丁重にお断りをしようと思っていたアタシの頭の上から、聞き覚えのある声でサミュエルへの援護射撃が入った。ギギギと恐る恐る首を回すとやっぱりシルがいた。
タイミング合ってないよね? 絶対に合ってないよね?
シルは、嫌そうな顔をするアタシを面白がるように含み笑いで一瞥してサミュエルに視線を向けた。
「シル! 本当ですか?」
「あぁ。フロリアンとアニーはデュホォン公爵家が治める領地の領民だから、小さい頃から何度も父上について視察に行ってるし、仲は良い方だと思うよ」
アタシの憩いの安らぎの場が、秒で崩れていく。体感では瞬きの間に。
え? え? やめてよ! と、心の中で絶叫して、戸惑いながらシルとサミュエルの顔を交互に見ているうちに、シルの仲介でサミュエルが平民の仲間入りする算段がついていた……。
「フロリアン、アニー。みんなも知ってるよね? こちらはサミュエル殿下。みんなと仲良くしたいって」
シルが笑顔で緊張するサミュエルを紹介すれば、平民はアタシの時とは比べ物にならないほどの緊張感に包まれた。
まぁ、当然だよね。王子だもの。だけど、こうなったらもう仕方ない。要はアタシがサミュエルに迫らなければいいんだから。大切なお友達のみんなには、ぜひとも就職活動を頑張ってもらいたい。応援するよ!!
みんなが口々に自己紹介してサミュエルも自己紹介する中、アタシはこっそりとシルに話しかける。
「ねぇ『じゃあ、またいつかタイミングが合えば』って言ってたよね? 早くない? 再来早くない?」
「再来って! 俺そんな偉くないし……」
シルは照れたようにポリポリと頭を掻く。
……褒めてないし!
「なに照れてんの? 褒めてないんだけど。注目してほしい言葉はそこじゃないんだけど。なんでいきなりしゃしゃってんの?」
「しゃしゃる……?」
「なんで急に前に出てきたのかって聞いてんの。アタシの憩いの場に……。なに企んでんの?」
アタシがジト目で見つめるとシルは、他意はないと胸の前で手を振った。
「俺には俺で理由があるの」
「だからその理由を説明しなさいよ」
「俺は領主の子なの。自領の領民と王子の結びつきが強くなれば、支援も厚くなるかもしれないだろ」
確かに、納税するだけよりは、できるだけ細やかな援助をもらえた方が領主としても圧倒的にやりやすいに違いない。平民の農作業に費やす大変な労働時間を知れば、税収もその時々の収穫に合ったものにしてもらえるかもしれないし、あまつさえ資金援助もしてもらうことができたら、奪うだけの領主ではなくなり、平民とも良い関係を作れるだろう。
なるほど。デュホォン公爵家はなかなかに善良な領主のようだ。
それは納得できるが、アタシにさせた後ろ歩きと手作りお菓子については、どんな弁解をするのか。恨みつらみを込めて聞いてみた。傍から見ると一生懸命サミュエルにアピールしているようにしか見えなかったではないか。なんなら、シルと破廉恥な関係だとも言われたと。それなのに、シルは涼しい顔をしている。
「あー。サミュエル関連はただ面白かっただけ。でもなんかリュシーの圧が強すぎて面倒になってさ。……リュシーと破廉恥な関係? 僕が? それ笑えるな!」
そう言って口元に手をあててクスクスと笑って終わらせようとするのだから容赦できない。男のビッチと女のビッチでは将来の見通しが全く違うのだ。
「シルは男だからいいけど、アタシは女なのよ? 破廉恥呼ばわりされて、両親の耳にでも入ったらどうしてくれるのよ。その時は責任取ってくれるんでしょうね?」
もちろん責任など取ってもらう気はない。シルも攻略対象だ。必要以上の関係はごめんだ。これ以上アタシにかまうなというただの牽制。
「……責任はとりたくないな。そのときは責任をもってリュシーとは何でもないと言ってやるよ」
「その言葉の裏付けができるよう、今からなるべく関わらないでね」
「今話しかけてきたのはリュシーだけど?」
「あぁー。ああ言えばこう言う。うざっ。しっし。縁切った」
本音をぶちまければ、またクスクスと楽しそうに笑い「ガキかよ」と言う。だけど、もうアタシは答えない。気付けば訳の分からないことをさせられているのだから、シルとは関わらないにこしたことはない。言いたいことは言ったしね。
シルから視線を逸らして、みんなの方を向けば、サミュエルの不服そうな瞳と目があった。
「シルとずいぶん仲がよろしいんですね」
「そんなことありませんわ。……どのようなお話をしていらしたのですか?」
サミュエルも話のとっかかりに平民の生活について聞いて、アタシのときと同じような返事をもらったそうだ。思った以上に大変な平民たちの生活に舌を巻いているようだ。
「王族という立場でしかお助けできないこともあるかもしれません。そうできると素晴らしいと思いませんか? サミュエル殿下?」
瞳を爛々と輝かせた平民たちが、じっとアタシとサミュエルを見ているのが視界に入った。
「そうですね。ですが、僕が関われば国の規則になってしまうかもしれません。そうなると困る領主も出てくるでしょう」
「あら。そう思うのは領主に仕事を回そうと端から考えているからでしょう。国が責任をもって実行すれば良いだけのことです。そこに至るまでが大変なのでしたら、ボランティアという素敵な言葉もありますし」
サミュエルが片眉を上げて訝し気に問いかける。周りのみんなも初耳だと言わんばかりに首を傾げて耳を傾けている。
「与える側はなんの利益も求めず、ただ与えるのです。力のある者がない者を、なんの利益も求めず助けるのです。素敵だとお思いになりませんか?」
「ですが、それであってもそこに王族が関わると他の者たちには強制的に映ってしまうかもしれません。やはり僕には……」
「そうそう。リュシー。一国の王子なんだから、僕ら貴族とは背負うものが桁違いなんだよ。無理強いはよくない」
シルがそう言えば、困り切ってしょぼんとしていたサミュエルの顔は安堵に包まれて、周りのみんなも呼応したように気楽な空気が流れた。
確かに、サミュエルが関わると国家規模の政策に発展してしまうかもしれない。そうなると反乱分子にもなりかねない。世の中、得する者がいれば損する者もいるもんね。
「だけど」とシルが言う。
「そんな偉そうに抗弁たれておいて、なんの策も考えてないってことないよな?」
そんなどこぞのヤクザみたいな目でアタシを見ないでほしい。目がマジだ。それも領民を思ってのことだとは分かるけれども!
アタシはしっかりと「お力になれる策かは分かりませんけれど」と前置きをする。
「以前、農作物には天災による影響が著しいと教えていただいたでしょう? そこで思ったのですが、ビニールハウスを設置するのはいかがでしょう?」
サミュエルとシルは首を傾げて、みんな期待に満ちたキラキラとした瞳でアタシに視線を向ける。話の先を促すようにフロリアンが食いついてきた。
「ビニールハウスとは?」
「雨風を凌げるものです。先日、隣国に婿入りしている叔父に聞いたのですが、リンネルではビニールハウスがあるそうです。えっと、畑を区間ごとに大きな袋で包むイメージのものなのですが……」
フロリアンたちに農作物の収穫は一定しないと聞いて、早々に収穫物の輸出を諦めたアタシは、しっかりと他の留学動機を考えていたのだ。留学の動機は“リンネルの発展した農業を学び自国に還元したい”これだ。
「だけど、それだけでは洪水の被害からは逃れられない。雨水を吸って氾濫した土はどうにもならないんじゃない?」
「そう……です……ね……」
鼻息荒く自信満々に伝えたのにあっさりと……。アタシは役立たずだ。学校のお勉強ならできるのに、所詮教えられたことを覚えることには長けていても、それを発展させた考えに結びつけるだけの能力はない。その事実に悲しくなる。前世も含めてアタシは、なんて周りが見えていなかったんだろう。
しょんぼりと肩を落とすアタシの頭の上にぽんぽんと優しく手を置かれて、視線を上げるとフロリアンの困り顔の笑顔があった。
「ごめんごめん。せっかく考えてくれたのに」
「いえ……。お役に立てず……。所詮アタシは世間知らずのお子ちゃまです」
俯いて自分の不甲斐なさに落ち込んでいると、クスクスと笑い声が聞こえてきた。
「おいー。フロリアンが余計なこと言うから、またリュシーがいじけただろー」
「あーあ。さっきまであんなに得意気に自信満々に話してたのに、どうするよコレ。しょんぼり項垂れて」
カンタンとセヴランの囃し立てる声に今度は恥ずかしくなってしまう。みんなと同い年なのにすっかり子ども扱いだ。いや、お子ちゃまってのは自分で言ったんだけど。
「はははっ。ごめんごめん。でも、洪水とか台風になるとさすがに効果はないかもしれないけど、雨風凌げるのは画期的だよな。雨に弱い野菜もあるからなっ!」
フロリアンが頭を撫でたまま一生懸命言い繕ってくれる。言い繕ってくれているのは分かるけど、褒められているのもまた事実。嬉しい。つい調子に乗ってしまう。
「そうなの! 雨に弱い野菜もあるし。冬だと霜除けにもなるんだよ。みんなが一番気にしてる台風とか、洪水とかの影響を防ぐことはできないけど……」
おかしい。目を爛々とさせて勢いよく話していたはずが、また悲しくなってきた。
「いやいや、画期的だよ。本当に! そこは信じて!」
フロリアンが一生懸命励ましてくれているのが、なんだかくすぐったくなってきて、ずっといじけたフリをしたくなってくる。しょんぼりと伏せた視線を盗み見するためにチロリと視線を上げると、フロリアンと目が合い「なんだ、慌てさせて」とぺシッと頭を軽く叩かれてしまった。
そんなやりとりが嬉しい。フロリアンは優しく差し込む陽射しのような人だと思う。
叩かれた頭を押さえたまま、顔を上げてふふっと笑うと、やっぱり困ったような顔で笑ってくれた。




