素敵な休日
他人と暮らすというのは、どうにも気を遣ってやまない。それは私だけではなく、相手もそうだ。もしかしたら私よりも相手の方が窮屈さを感じているかもしれない。時折、人の気配が愛しくもあり、気ままな一人暮らしが恋しくもあり。
人間というのは我儘な生き物であると、つくづく実感させられる。
恋人との同棲において、食事当番はもっぱら私で、私の帰りの遅い日は恋人が用意してくれる。あとは片付けもよくしてくれるから、きっと恵まれている方なのだろう。結婚した友人たちの話を聞く限りはそのように思う。
とは言え、である。
毎日の暮らしの中で、多い日は三食、少なくとも二食は作らねばならないのは中々に骨が折れることでもある。
まず、メニューが決まらないのだ。
例えば「ねぇ今日の夕飯は何にしようか」と聞けば、彼は「うーん、何でもいいよ」と言う。だから私は冷蔵庫の中や戸棚の中をぱっと見て「じゃあパスタにしようか」と言う。赤ウインナーとピーマン、それから鷹の爪で、たっぷりとケチャップを使うナポリタンを作ろうと思ったのだ。
それだと言うのに「いや、パスタは違うんだよ」と言われてしまう。何が違うのと聞いても、違うのは違うんだよ、といまいち要領の得ないことを言われるのだ。これではやる気を無くしてしまう。
私という生き物は出鼻をくじかれるのを非常に嫌うのだ。もちろん、私でなくとも世のほとんどの人間はそうなのであろうが。
それじゃあ何が食べたいの、と聞いても「何でもいいよ、パスタ以外」である。だから「うどんやラーメンならいいの」と聞くと「だから、麺じゃないんだよ」と言われる。そんなの初耳である。
結局あーだこーだと会話して、もうなんでもいいよ、パスタでも、なんて言われると眉根がぐっと寄ってしまうのだ。私は自他共に認める気の強い女である。そういった物言いが一等、嫌いであった。
「パスタでも、って何」
「だって、パスタがいいんでしょう」
「でもあなたはパスタが嫌なんでしょう」
「嫌じゃないよ、気分じゃないだけで」
だったら最初からそう言っておいてくれればいいのに。私の不機嫌を覚った彼が「作ろうか」なんて言ってくる。私が欲しい言葉はそれではないのに。
「いい。もう適当に作るわ」
ふん、と可愛くなく、しかし分かりやすく拗ねて見せてから台所に立つ。あぁ、なんでこんなに腹立たしい生活を送っているのか。結婚なんてしたらもっともっと、腹立たしいことが増えるんだろうか。
なんだかやるせない気持ちまで混じってしまった。
結局お味噌汁に、ピーマンのおひたしに、冷凍していた豚を解凍して生姜焼きを作る。パスタでもうどんでもラーメンでもないのは、私の可愛くない意地であった。
本心なのか気を遣ってなのか、美味しいよありがとう、なんて殊勝なことを言ってくるから、それは良かったわと澄まして言う。私はパスタが食べたかったわ、とは言わない。そんなことを言えば喧嘩になるのはよく分かっているのだ。
そんな一幕の翌日、私は一人きりの休日だった。お互いに休みの日が土日ではないので、こういったことはよくあることだ。
お弁当に朝ごはんにと、慌ただしい朝が過ぎれば私は自由であった。彼の帰ってくる夕飯まで、何をしていてもいいし、何をしていなくてもいいし。
そうは言っても洗濯物が溜まっている。買い物もしておかないと食材が尽きかけている。掃除機をかけなければ埃っぽい。やっておかなければいけないことはいくらでもある。
もちろんサボったって、彼は咎めるようなことは言わないだろう。言わないだろうが、自分がしておくともならないだろう。私は知っているのだ。
だからさっと片付けて掃除機をあて、洗濯機を回している間に買い物に行き。帰ってきたらさっさと買ってきたものをしまって、洗いたてのシャツやタオルなんかを干していく。
洗濯は彼もしてくれないわけではないが、彼に任せるとシワを伸ばしてくれないのだ。毎度毎度言うのも申し訳なく、三回に一度「いつもありがとう。こうやってシワを伸ばして干してくれると助かるわ」と言うのだが、それが響いた様子はない。
きっといつもありがとう、までしか聞いていないのだ。現に彼は、申し訳程度に「うん気をつけるよ」と言った後、だいたいご機嫌で「洗濯物は僕の仕事だからね」と言うのだから。
ふぅ、と溜息をついたころには正午が近くなっていた。
お昼、どうしようかしら。
時計を見てげんなりとする。サボってしまおうか。でも、お腹は空いた気がする。
ご飯は夕飯の分しかない。私がお昼を食べると、夕飯は別に炊かないといけなくなる。それは大変に面倒だ。
どうしようかとしばらくぼんやり悩んで、それからあっと声を上げた。聞いている人なんて誰もいないのに。
「そうだ、パスタよ」
私はご機嫌でフライパンに水を張った。水を沸かして、パスタを半分に折って投げ入れる。それから赤ウインナーを冷蔵庫から出して輪切りにしてしまう。パスタが茹で上がる二分前に入れれば十分だ。
茹で上がった物はザルにとって、それから空になったフライパンにバターを入れて火にかける。温まりきってはいなかったけど、食べるのは私だからいいかと、ザルにとったパスタと赤ウインナーをフライパンに戻した。
少しのお水と、顆粒のコンソメ。それからたっぷりのケチャップと、隠し味のウスターソース。輪切りの鷹の爪を少し。全部目分量でフライパンに入れてしまう。
混ぜ合わせれば手抜きのナポリタンである。
カーテンを開け放した窓から入る陽射しを浴びて、爽やかに入り込む風に吹かれて。ソファにどっぷりと身を預けて、彼には食べさせたことの無い手抜きのナポリタンを食べる。
素敵な休日ではないか。
昨夜の腹立ちがすっと消えていく。誰かに向かって「ざまーみろ!」と言いたかった。なんだか贅沢をした気分だった。
食べ終わった私は食器を流しに持って行ってから、水につけると見ないふりをした。いいのだ。だって今日は素敵な休日だから。
薄い掛け布団を引っ張り出して、ソファに戻ってうつらうつらと微睡みを楽しむ。寝てもいいけど、でも起きていたいような。そんな気持ちを楽しむように、わざと瞼を閉じたり、押し上げたり。
そんな遊びは長くは続かなかったようで、気が付けば思いっきり熟睡していたようだった。ガチャガチャと鍵の開ける音が聞こえて、私はハッと飛び起きた。部屋はすっかり冷えているし、外はもう薄暗くなりはじめていた。
「ただいま」
彼はリビングに入って私を見るとぎょっとした顔をする。寝ていたの、と問われて頷けば、起こしてごめんねと言われる。
「あっ、洗濯物を取り入れないと」
慌てて立ち上がった私を、彼はいいからいいからと押しとどめた。洗濯は僕の仕事だからね、と付け足して。
「もう少し寝ているかい?」
「……起きる。だってご飯を作らないと」
私の言葉に、彼は洗濯物を取り入れながらくすくすと笑った。それから「とっても魅力的な提案があるんだけど」と言い始めた。
「君のご飯も魅力的だけど、君とご飯に食べに行くのもいいかなって思ってる」
「……それはすごく、魅力的ね」
私の言葉に彼はにんまりと、いたずらっ子のような顔をする。私はその顔が嫌いではない。
「何がいい?」
「何でもいいわ」
答えてから私は「あぁ、でも」と付け足す。とっても大切なことを言い忘れていた。
「パスタでもうどんでも、ラーメンでもだめよ。麺以外。そうじゃなきゃ嫌よ」