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「なんですかそれ」
笑い飛ばそうとした谷口君に強めの視線を送って黙らせる。ひくりと頬を引きつらせて黙った谷口君の顔をじっと見つめた。悪くない顔立ちだと思う。けど、仕事が忙しすぎるせいで恋人ができても長続きしないそうだ。
……という噂を今年入社の三好ちゃんが教えてくれた。それから、もう一つのことも。
あの時は聞き流していたけど、私にも思うところがあり、何とかしてやろうかという気分になったのだ。日曜日に買い物に出たついでに、柄にもないお節介のもとを用意してしまったくらいには、不憫に思っていたのだろう。
この話題は丁度いいのかもしれない。クリスマスイブに仕事漬けで、恋人もいない哀れな後輩にささやかな後押しをしてやるのに、この会話の流れはちょうどいい。
「だからね」
勿体ぶっていったん言葉を切る。少し目を伏せ、暫しの沈黙ののち、再度谷口君と視線を合わせる。
「私達、これから一生仕事に追われるしかないのよ。誰からも愛されず、孤独な夜を過ごすしかないの。信心を失った罰として」
ひたと谷口君を見つめて、谷口君の様子を窺う。
いつになく真剣な面持ちの私に、谷口君が生唾をごくりと飲みこんだ。
「じゃあ……どうすれば」
かすれた声が谷口君の動揺を正直に伝えてくる。
「僕はどうすればいいんですか。どうすれば……!」
「信じればいいのよ」
間髪入れずに断言する。
「信じる……? 信じるって何をですか」
「あなたが信じるべきだと思ったものを」
「信じるべきだと思ったもの?」
「ええ。たとえば……これ、なんだと思う?」
◇
「あんた、何してんの?」
「そうよ。綾子が不信心なのは仕方がないとしても、哀れな後輩に何を吹き込もうとしてんの?」
「やだー、新興宗教の勧誘? 綾子と友達でいるの、やめようかしら」
話の途中だというのに、横やりを入れてくる友人たち。私はギロッと睨みつけた。
「まだ話の途中でしょ。もう少し黙って聞いててよ」
不審人物を見るような目で見てくる(ただしこれはポーズだ。なので余計に腹立たしいのだけど)友人たちを黙らせると、私は続きを話しはじめた。
◇
谷口君と会話をしながら、こっそりとデスクの引き出しから出したクリーム色の封筒を人差し指と中指に挟んで、谷口君へと振るように見せた。左目でパチンとウインクを決めながら。
「ま、まさか、辞表、とか」
「んなわけ、あるかい!」
何故か顔色を悪くする谷口君の真面目なボケに、ついツッコんでしまった。せっかくお堅い雰囲気で『信じる者は救われる』をやろうと思ったのに。
というか、よく見ろ。辞表を入れた封筒がこんなかわいい花柄であるわけがないだろう!
というよりも、よくよく考えれば疲れている頭に駆け引きなんて意味がないと気がついた。私が疲れているのだから、谷口君も相当疲れているはずだ。私のことを見つめる谷口君の目の下には、立派な隈が出来上がっている。
私はそう結論づけて、封筒を谷口君へと差し出し……彼が受け取ろうと手を伸ばしたのを無視して彼のデスクの上へと落とした。
少し眉をしかめた谷口君は、すぐに封筒を拾い中身を出して確かめた。
「これって……」
戸惑った顔で私のことを見てくる谷口君。
「とりあえずこれを使えば、ぼっち脱却のきっかけにはなるんじゃない」
「えーと、でも……」
まだ戸惑った顔のままの谷口君に、もう一度ウインクをした。
「サンタさんじゃないけど、プレゼントよ。それで気になっている総務のあの子でも誘ってみたら? これ、今冬一押しの作品だっていうから、誘って断られることはないと思うわよ。だからこれを信じてみなさい」
三好ちゃん情報の総務のあの子……名前を思い出せないからあの子と言って誤魔化した。きっかけって大事だもんね。
それなのに、何故か谷口君はきゅっと口を引き結んだ。
これは余計なお世話をしちゃったかな。もしかしてこういうきっかけがないと誘えない男だと、私が思っているとおもって、プライドが傷つけられたとか?
様子を窺っていたけど彼から何も返ってこないので、私は仕事に戻ろうと画面に視線を向けた。キーボードに手を置いて明日の会議の作成書類の文面を読み直す。
「桜田さんは?」
呟くような谷口君の声に、怪訝な顔をして彼のことを見た。真っ直ぐに私のことを見てくるその眼差しに、心臓がどくんと音をたてたような気がした。
「桜田さんとじゃ駄目なの」
「はっ? えっと何が?」
言われた意味がわからずについ素で返してしまった。
谷口君はさっき私がしたみたいに人差し指と中指に、私が渡した映画のチケットを挟んで振った。
「一緒に行くのなら、桜田さんがいい」
「ええっ? いや、私の言葉を聞いてた? 気になる子を誘いなさいよ」
「僕が気になっているのは桜田さんです!」
「はあ?」
今度は私が呆気に取られて谷口君のことを見つめ返した。
どうもさっきから頭が回っていない気がする。別に感謝感激雨霰を期待していたわけではないけど、何か言葉に齟齬を感じる。
……というか、私を誘うって何?
これはあれか。仕事のし過ぎで脳のどっかが焼き切れたとか。
それともアラサーのカウントダウンが始まった私に、気を使ってくれているとか?
いかんなー。後輩の恋路を応援するつもりが、先輩(である私)の行く末を心配されるなんて。
働かない頭で考えていたら、谷口君が席を立った。そしてデスクを回って私のそばへと来た。
「桜田さん、好きです。僕と付き合ってください」