初日
アパートの周りは小雪が舞っている。
今年初の雪は積もるような、アスファルトに溶けていくのが早いような。とにかく朝方は凍てつく寒さで起きるのが辛い。
「べにちゃん。」
「……るいと先輩、それ……。」
大学が冬休みへと突入し、それは同時に私のゲーム沼の始まりである。
いつ使ったかわからない道具をまとめようとして自分のロッカーの前にいくと、黒い塊が足を折ってちょこんと座っている。
その名前は「るいと先輩」。いや、ふつうに大学の先輩なんだけれど。
黒づくめの細っこい体、髪も染めたことのないらしくサラサラとしている。あと童顔である。成人しているとは思えないが4年生だから23くらい。
無口でゲームオタクで、同じ学科の、ゲーム研究会の先輩。
そして
「んにやぁ。」
無類の猫好きでもある三宅るいと先輩。…とその膝には。
「……実家のねこ、にゃみ。」
「ん゛っ!!!!」
(にゃみって言っている先輩も可愛い)
にゃみはケージの中でおとなしくしている。よく見ると小さくなっている三宅先輩の周りには大きなボストンバッグ、ケージ、いつも持ってる黒いトートバッグがある。随分と大荷物である。
「……るいと先輩とに、にゃみは、なんでここに?」
膝を抱え(体育座り萌え)ケージを抱きしめている姿は家出美少年だ。場所が場所なら攫われているだろう。ここが私立大学のロッカーなのが救いである。そんな美少年をちらちら見ているお姉さんたちはおそらく母性本能くすぐられているに違いない。
男脳を他称される私でさえ可愛いと思う。心なしかにゃみとるいと先輩は似ている。真っ黒なところとか、小さな顔に大きな瞳とか、なんかふわふわしてそうなところとか。上目遣い最強なところとか。
「……正月、お世話になります。」
るいと先輩はぺこりとお辞儀をした。するとにゃみもごめん寝をした。似ているといかもはや生き写しかよ…。
「…………ん、?」
るいと先輩は寮から、にゃみはご家族が海外旅行とのことで一時的に住処を追われた様だった。リアル家出少年だ。(少し違う)
私はバイトしながら大学の近くで一人暮らしをしている。ゲームに全資金を費やす仲間たちはほとんど実家暮らしだ。るいと先輩の友人範囲で猫付きで正月を過ごせる人間は少ないかもしれない。
だからといって私の部屋に来るのも如何なものかと思うのだが。
「お邪魔します。」
「んみゃ。」
二人して玄関で一声かけるものだからクソ萌え……、まぁ、ホホエマシイなと思いながら暖房をつける。
るいと先輩は慣れた様にアウターを引っ掛けてコタツの一角に腰を下ろす。
慣れた様にというか慣れているのだ。ゲームしに何回も来ているから。研究会の中でも静かにゲームしたい人間たちが自然とるいと先輩の元に集まる。そしてそのるいと先輩のお眼鏡にかなった我が家はゲーム部屋のような扱いにされている。
「手洗ってから、です。」
「……あらって…」
寒さでこわばっていた表情がこたつの上でふやける瞬間はガン見して、しかし手洗いうがいは徹底させる。
風邪、インフルエンザウィルスが最もゲームにいらない要素だと思うのだよ、私は…!
「ほら、溶ける前に!」
洗面所から声をかけながら、てとてと拙い足取りの先輩に萌えを感じつつしっかり洗っているか監視。これだけは本気で監視、監督する。せっけんで爪まで洗えないのなら手洗いではない。そしてうがい薬でうがいしないのであればそれは(略)
「手首まで……オッケーです。」
「…うん。」
23の成人男性の「うん。」……はぁ(悶)。しかも先輩は手洗いを触って確認させる。曰く「分からないから、ちゃんと洗えているか確認してほしい。」とのこと。いや何回来てんだよ。と思いつつこのご褒美タイムが当たり前になってきた。
タオルで水気を拭き取りつつ(めっちゃ触らせてくれる)部屋を暖めゲームの準備に取り掛かる。るいと先輩はにゃみをケージから出している。
にゃみは物怖じせずに部屋をうろうろ。気高い黒猫である。
「そういえばなんで先輩実家帰らなかったんです?にゃみといればいいのに。」
「……忘れてた。」
寮が動物禁止なことを忘れていたということだろうか。
そんなとこが、もう。
「べにちゃん家猫大丈夫だから。忘れてた。」
「……コホン、まぁ、飼おうと思ってこんな家賃高いとこに住んでますからね。」
じっとこちらを見ている、コタツにほっぺたくっつけたままの成人男性の上目遣い。嗚呼その黒髪をわしゃわしゃさせていただきたく。
「ねこ、好きっていってたもんね。」
「実家にもいましたから、当たり前だったんです。こんなに生きるだけで大変だとは…!!」
大家さんがここら一帯の猫を掌握するほどのねこおばさんで、動物には寛容なのだ。だからうちのアパートには動物嫌いはいない。今はその大家さんの保護猫で癒される日々なのだ。
にゃみがコタツの上で私をスンスンと嗅いでいる。指を近づけて匂いを嗅がせると、なんところんとコタツの上で寝転ぶ。死ぬほど可愛い御御足が、すべて、私に捧げられている。
「死ぬ。」
「……にゃみ、居心地いいみたい。」
それは重畳だ。指を嗅がせてから、頭を撫でさせてもらう。黒猫の毛艶ナメてた。めっちゃ滑らか。ふへぇ。しゅげぇ。
「素晴らしい毛並み、至福。」
「べにちゃんに撫でてもらえていいなぁ、にゃみ。」
にゃみからの、るいと先輩。ほぼ表情一緒すぎる。撫で回したろか、こら。
イラムラしながらも私は思考をゲームへ移行していった。
ゲーム開始から2時間。先輩は小さいノートパソコンを操作したり、ぼーっと画面を見つめたり、にゃみと遊んだり、寝たり。
にゃみはみかんの代わりにカゴで丸まっていて、写真を撮られるのも慣れているのか堂々の寝姿である。お腹に手を挟んでいいですか、だめですか。
そして、夕飯時になった。にゃみのトイレとかご飯用のお皿はしっかり持ってきているのに、にゃみのご飯は忘れたというるいと先輩。コンビニでも買えるらしいので買ってくることに。
今いいとこなので先輩だけ行かせることになって、渋々先輩は寒空の中に消えていった。
「いやだ。さむい。」
「おこたあっためてまってますから」
動く気配はない。むしろコタツの中に沈んでいるとさえ思われる。目の端で先輩がじーっと半目でこちらをみている。
「……ひとりじゃあったかくない」
これは、わたしにも付いて来いと言っているのか。先輩だが、お断りだ。
「んー……?あったかくして、待ってますから。日が暮れる前に行ってきてください。ポイントカードのポイントでなんか買ってもいいですよ。」
「言ったね……。」
ポイントで何を買うのかわからないけれどとりあえず何かやる気が出たようなのでよし。ドアの音を耳の端で聴いて、私はまたゲーム画面に集中することになった。
暫くしてドアが開き、早足にコタツまでやってくるのがわかった。もそもそとコタツの布団の音。
「おかえりなさいー…。」
もそもそもそもそ、ボフン
冷気がふと私のすぐそばにあるのに気づいた。
「よいしょ。」
「ちょ、潜らないでください……。」
そしてその冷気は目の前まで来ていて、私の顔を凝視しているではないか。本来ならありえない距離感である。恥ずかしくも手が止まらないのは性なのか。セーブポイントまで。
「あー、まって、先輩。なんか下から覗いてますかね。」
「あったかい。」
ガン無視しつつ先輩は座布団を二つに折って枕にしてころんと寝転がっている。目の端でもわかる。可愛い。
しかしこたつの足一本が間にあるだけの超至近距離から眺められている。こんな時に限ってセーブポイントが異様に遠い。
「………。」
「え、何?どうしたんですか?」
あんなり人の目を見ないことで通っている先輩にこんなにガン見されるなんて、もしかしたら私を見ている様で向うの壁にいる“なにか”を見ているのかもしれない。猫あるあるだ。
「おなかすいた。」
「え。」
やっとセーブしてこたつの上のビニール袋を見るとにゃみのご飯しか入っていなかった。どうやらポイントで肉まんを買うという誘惑を振り切ってきた様だった。
「だってたこ焼きするでしょ。」
人が集まる時にたこ焼き機が便利すぎて一人でもそれしかしなくなったのが今年の冬である。
「せんぱい……」
「べにちゃんと食べるたこ焼き好き。」
「あ、でも手洗ってないでしょう。」
「………………。」
「洗ってきてください。用意してきますから。」
何故かるいと先輩の眉間のシワは私がたこ焼きを焼くまで続いた。
家の中が香ばしい匂いに包まれる。
とろけるチーズが多めの我が家のたこ焼き、タコは年始だからと奮発していつもより大きめだ。キャベツとチーズを最大限に入れて、つなぐか繋がないか程度のたこ焼き粉、卵。お好み焼きソースは白いふくよかな顔のあのひとので、青海苔、紅生姜、マヨネーズ、最後に鰹節。三が日これでいける。
「先輩、焼けましたよ〜」
なぜか機嫌が悪くなった先輩だが、このたこ焼きは先輩の猫舌も唸らせた我が家の最強料理。
「……」
「…えー、あまりみない眉間のしわですね?」
にゃみはカゴごとベットに避難させ、起きたらご飯だな。
そしてるいと先輩へ貢物を皿に盛っていく。
今日のたこ焼きは焦げ目から形まで完璧だ。最高に美味しいはずだ!
「あーん。」
「ん?」
……。
「……あーん。」
「えー。自分で食べてくださいよ。私今たこ焼き奉行なので。」
と言いつつも皿に並んだたこ焼きたちにソースをかけて箸でつまんで差し出す。言い訳ではないが、次々焼きあがってくるので出来れば美味しい状態で食べてほしい。
はむっ
綺麗に並んだ白い歯の奥はみちゃいけない気がした。唇を見ることにしたのだがそれもあまり平常心を戻してはくれなかった。
「うん。」
小さく膨らんだ頰をもちもちしてやりたい…!と思いつつせっせと先輩のご飯を転がす。
チーズのおこげを作るためにもやはり油を引くのを怠らない。大きなたこ焼きを作るために追いたこ焼きの素を入れたりする場合もあるけれど今回は小さめのをたくさん作る計画だ。手数が勝負なのだ。
「あ、にゃみ〜」
「ご飯あげてくださいね」
部屋がたこ焼き臭くなったころ少し遅れてにゃみのご飯タイム。二人(一人と一匹)のご飯タイム癒しかよ。心なしか目元が喜んでいる様な気がする。ふたりとも。
こたつに猫。たこやき。美男子。年末。なかなかに濃い正月休みになる予感である。