プリン温泉、プリン事件
軽いノックの音に、クリスは返事をする。ラベンダーの香りがした温泉のおかげで、身も心も温まった。エリーナもさぞ満足しただろうと、入って来たエリーナに視線を向ければ上気した頬が色っぽく美しい。新しい夜着はクリーム色で、焦げ茶色のレースがアクセントになっていた。ふわりと香る甘い匂いはまるで誘っているよう。
「もしかして、プリンの温泉だったの?」
クリスは甘い匂いは苦手だが、これぐらいほのかなら大丈夫だ。何よりエリーナが纏っているなら、プリンのように食べてしまいたくなる。
「うん、とてもよかったわ」
クリスはソファーに座っており、その隣にエリーナも腰を下ろした。しばらく他愛のない話をして、笑い合う。ずっと一緒にいるのに、話が尽きることはない。その間もクリスはずっとエリーナと手を繋いでおり、甘い視線を送っていたのだった。
そしていつも通りエリーナを抱きしめて眠りにつく。ほのかなプリンの香り。
「おやすみなさい、クリス」
「おやすみ、エリー」
頭にキスを落とし、意識がまどろみ始める。意識が沈んでいく中、誰かに呼ばれた気がした。
「クリス、起きて」
揺れ動かされ、クリスは目を開けた。目の前にエリーナの微笑みがあり、微笑を返す。目を開けて一番にエリーナが見れて幸せだ。
いつ眠ってしまったのか。クリスは屋敷の自室にあるソファーで横になっていた。欠伸をかみ殺して起き上がり、エリーナに顔を向ければクリーム色のワンピースを着ており、焦げ茶色のリボンを髪に結んでいた。いつでも可愛いエリーナだ。だが、その表情にはどこか陰りがあり、寂しそうな顔をしていた。
「どうしたの、エリー」
そう尋ねれば一瞬驚いた顔をしてから、目を伏せた。何か言いたいことがあるらしい。
「あのね、クリス。話があるの」
真剣なエリーナの顔を見て、クリスも表情を引き締める。エリーナは視線をさまよわせ、言いにくそうにしていた。
「安心して、何でも聞くから」
エリーナの不安を和らげようと優しく声をかけた。するとエリーナは小さく深呼吸をし、覚悟を決めた瞳をクリスに向ける。
「あのね、クリス。ずっと言えなかったことがあるの」
そう前置きをされ、クリスは話の内容を瞬時に予測する。クリスへの不満か、結婚生活のことか、ラルフレアで何かあったのか。心構えをしつつ、続く言葉を待った。
「実はね、私……プリン星から来たプリン姫なの」
「……ん?」
予想の斜め上を行く告白に、クリスは目を剥いて訊き返した。理解ができない。
「私はプリン星で罪を犯して、この世界に送られたの。この世界で一万のプリンを食べ、プリンのお湯で身を清めれば、プリン星へ帰れるのよ。今日食べたのが一万個目のプリンだったの」
エリーナの表情は悲痛なもので、嘘をついているようには見えない。そしてついっと窓の向こうに視線を飛ばしたエリーナの視線を追えば、今日は満月だった。
「プリンの底のように丸くて黄色い満月……今日、プリン星から迎えが来るの。だから、お別れなのよ」
「な、何を言ってるの!? 冗談だよね!」
クリスは顔を引きつらせ、泣きそうな顔でエリーナに駆け寄る。エリーナを抱きしめようとするが、嫌がって離れられてしまった。避けられたことで、心が張り裂けそうなほど痛い。
「どうしたの……?」
急にエリーナが遠い存在になり、わからなくなってしまった。いつも隣にいて、触れていたはずなのに。
「ごめんね、クリス。私はプリン姫。プリン星に帰らないといけないの。本当の姿で……プルプルプリン」
すると寂し気に呟いたエリーナの肌が変わり始めた。白くきめ細かな肌は、クリーム色の艶やかなものに。色が変わったと思えば、エリーナの輪郭が溶けて消えていく。
「エリー!」
消えてゆく腕に手を伸ばせば空をきり、宙に浮かぶ手が虚しく残る。エリーナの姿は消え、プリンが残った。少し細長いプリンは美しさと気品がある。棒のような手足が伸びており、身長はエリーナと同じだった。アメジストのうるんだ瞳がクリスを見上げており、焦げ茶色のリボンがプリンの上に乗っている。
「クリス、今までありがとう。本当は、プリン星に夫と子供がいるの。だから、クリスのことは大好きだけど戻らないと……」
「エリー、嘘だよね。やだよ、僕を置いて行かないで!」
声はエリーナそのものであり、クリスは絶望の底に突き落とされた。姿を変えてしまったエリーナにどこからか薄黄色の光が降り注ぐ。さらに太い光と細い光がエリーナプリンの両横に注がれ、ぽわんと何かが出てきた。クリスはぎょっとして身を引かせる。
「プリン姫、迎えに来たよ」
エリーナプリンの右に立ったのは、大きなプリン。その声は忌々しいもので。
「プリン、伯爵……」
低く怨念のこもった声がクリスから漏れた。
「お前が、エリーナを惑わしたのか。正体がプリンだったとは、どうりでプリンっぽいと思った」
プリン伯爵は憐れみのこもった瞳を投げかけ、わざとらしくため息をつく。
「お義兄さんは独占欲が強すぎるのです。プリン姫は皆に愛されるもの。それが分からぬようでは、まだまだです」
馬鹿にしたプリン伯爵の言い方に、カチンと来たクリスが言い返そうとした時、もう一つの光からもポヨンとプリンが生まれる。
「お母さま! お会いしたかったです!」
跳ねてエリーナプリンに抱き着いたのは、小さなプリン。
「あぁ、プッチーノ。大きくなったわね」
「まさか……子供?」
小さなプリンの頭を撫でていたエリーナが、こくりと小さく頷く。とはいっても、首は無いのでプリン全体が震えた。
「そう。だから、クリス。私のことは忘れて、クリスと一緒にいた時間は楽しかったわ。このスプーンを私だと思って、大切にしてね」
そう言ってエリーナプリンが手渡したのは、エリーナが愛用していたプリン専用木のスプーンだった。
「そんな、待って。そんなの許せない! 僕も一緒に行く!」
「無理よ……だって、クリスはプリンじゃないもの」
そう悲し気に言い残して、エリーナと二つのプリンは光に吸い込まれるように消えていった。
「エリー!」
目の前でエリーナが消え、絶望のあまり喉がきれるほど叫んだ。エリーナが消えた事実に体震えてくる。その震えはどんどん大きくなり、揺さぶられているのだと理解した。
「クリス、ちょっと、クリス」
心配そうな声が聞こえ、クリスはハッと意識を上昇させる。視界に心配そうなエリーナの顔が飛び込んできて、はぁと息を吐いた。冷や汗をびっしょりかいている。悪夢に体が強張っていたようで、力が抜けていくのを感じた。
「ねぇ、大丈夫? うなされてたけど」
「あ、あぁ……よかった、本物のエリーだ」
蝋燭の明かりに照らされているのは、肌が白くプリンではないエリーナだ。
「何言ってるのよ」
エリーナはサイドテーブルに置いてあった水差しからコップに水を入れ、手渡してくれた。水を飲んだクリスはやっと人心地つく。そして真剣な顔でエリーナを見つめ、手を取った。
「エリー、今までプリンを何個食べた? 一万はいってないよね。プリンを食べ過ぎて、プリンになってプリン星に帰ったりしないよね?」
矢継ぎ早にそう質問されたエリーナは目を白黒させ、心配して損したと脱力する。
「どんな夢を見てたのよ。安心して、私はプリンにならないし、ずっとクリスの側にいるわ」
クリスの手からコップを取ってテーブルに置き、呆れた顔を向けた。
「本当? 僕を置いて行かないよね」
それでもクリスの不安は消えない。何度もプリンの悪夢を見たため、いつか現実になりそうで怖いのだ。そんなクリスを見て、エリーナはため息をついた。そして少しためらった後、顔をクリスに近づける。
「そろそろプリンよりも愛されてるって自信を持って」
そう耳元で囁かれ、少し間があってから頬にキスをされた。エリーナが自分からキスをすることは珍しく、それだけでクリスの気持ちは急浮上する。
「これで悪夢は消えるでしょ。早く寝ましょ」
そう言って、エリーナはもぞもぞと布団の中に入っていった。目が閉じてきており眠たそうだ。その仕草が小動物のようで可愛い。クリスはエリーナの頭を撫で、自分も布団の中に入った。エリーナのぬくもりに、心が穏やかになる。
「エリー、愛してるよ」
「えぇ、私も愛してるわ」
クリスはエリーナに身を寄せ、抱きしめる。エリーナは少し身をよじらせて心地よい場所を見つけると、すぐに寝息を立て始めた。無防備な顔で眠るエリーナを見れば、何があっても手放したくないと強く思う。
(もし、本当にエリーがプリンになっても、愛するよ)
睡魔でぼんやりする頭で、そんなことを考えながらクリスは目を閉じる。エリーナは柔らかく温かい。その幸せを噛みしめながら、安心して眠りにつくのだった。
プリン姫の罪 ババロアとプリンを間違えた罪 プリン星では重罪である。