いつだって胃が痛い
カイルがクリスと出会ったのは学園に入学した時で、同じクラスの中でクリスは飛びぬけて目を引いていた。その容姿もさることながら、辺境の地から武の名門ローゼンディアナ家に養子に入った男として。当の本人は噂もどこ吹く風で、勉学優秀、剣術もできるとなればご令嬢方に囲まれるのもすぐだった。
カイル自身はそこまで興味はわかなかったのだが、席が隣だったこともあり世間話程度に妹の話を振ったのが運の尽きだった。
「ん、エリー? エリーに興味を持つってどういうこと? 兄としては見過ごせないんだけど。まぁ、エリーは可愛くて優しいし、プリンを食べる姿とか最高でロマンス小説を読んで意地悪そうに笑うのとかも癒されるよ。そんなエリーだから絶対気になるだろうけど、お前にはやらん」
そこまで一息で返され、カイルは絶句した後大笑いしたのだった。ご令嬢の誘いを断り続ける硬派というイメージが、一瞬でただの妹馬鹿に変わったのだ。
「そんな気はないよ」
「そんな気はないってのもどういうこと? エリーが可愛くないって?」
「めんどくさいなぁ。俺はエリーちゃんを見たこともないって」
そう弁明してやっと熱が引いたのか、クリスはカイルをまじまじと見る。
「で、僕に何の用?」
「いや、暇だから話しかけただけ」
ケラケラと軽く笑って流す。なんてことのない、クラスメイトの関係だ。
その後暇つぶしに少し世間話をした。ローゼンディアナ家のことや、カイルの実家が商会を営んでいること。カフェの話をしたらクリスの口角が上がったのだが、その意味を知ったのは一か月後だった。
「クリス、カフェ・アークを買ったって?」
「うん。プリン専門のカフェにしようと思って。王宮からパティシエも引き抜いたし、レシピの開発に取り組んでもらってるよ」
カイルは父親からその話を聞いた時、開いた口が塞がらなかった。学生でカフェの経営を始める貴族などそうそういない。もともとそのカフェは赤字経営で商会も困っていたため助かったらしい。実家のドルトン商会は王都で細々と経営をしているのだが、なかなか経営が苦しいのだ。
「プリン専門?」
「そう、エリーの大好物だから」
「あ、そういうことね」
それ以上の言葉は不要だ。だがここからカイルの受難が始まる。父親からクリスの学友ということで、クリス関係の仕事が全て回って来たのだ。店の改装から、従業員の募集に研修、材料の仕入れ先の確保に宣伝。学生がする仕事ではない。
しかもクリスは言い方は優しいのだが、その笑みの向こうに言い知れぬ威圧感があり、失敗は許されない気がする。
「胃が痛い……」
カイルは胃の辺りを押さえつつ、クリスの依頼をこなしていくのだった。
その苦労もあって無事カフェ・アークが開店し、おいしいプリンで有名になりだせばドルトン商会の名も広まるわけで、学園二年目になるとご令嬢から声をかけられることが増えてきた。今も教室でクリスと話していたところを廊下に呼び出されたのだ。
ふわりと髪を巻いた女の子が頬を赤らめてカイルを見つめる。
「あ、あの。カイルさん、今度カフェ・アークに行きたいと思って、それで」
カフェ・アークの名が出たとたん、カイルの脳は商人に切り替わった。
「ほんと? 嬉しいな」
にこりと商売用の笑顔を出し、カフェ・アークを売り出していく。
「それなら、今、いちごプリンが新しく出ていておすすめだよ。店内もお洒落で話しやすいから、ぜひお友達と行ってきて。じゃ、クリスが待ってるから」
と、にこやかに手を振って教室に戻っていった。今までも、何人かカフェや商会に興味を持ってカイルに話しかけ、中にはデートのお誘いもあったが、休みの日は悉くクリスの仕事で埋まっていたため「クリスにつきあわないといけないから無理だわ」と断っていた。
すると二年次の後半にもなれば、「わかりました。クリス様のほうが大切なんですね」と言われて初めて、失言に気づいたのだ。時すでに遅く、その後カイルに声をかけるご令嬢は現れず、卒業の時まで隣にはクリスがいた。人によっては主人と下僕に、もしくはまた別のものに見えたそうだ。
そして卒業後、カイルはドルトン商会を継ぎ、クリスがエリーナのために作った「お嬢様シリーズ」を軸にミシェルと共に商会を立て直していく。瞬く間に王都でも指折りの商会となり、他国と取引ができるまで成長した。その立役者であるクリスを無下にはできない。
が。
「最近ますます胃が痛い」
卒業後クリスが領地にいる間はよかったが、エリーナの入学と共に王都に引っ越すことになったのだ。もちろんその屋敷探しもカイルの仕事だ。それはもう、細かい注文がびっしり指示書に書かれていた。ご丁寧に胃薬を添えて。最近わざとプレッシャーをかけているんじゃないかと思う。
そして商会の主人ともなれば、縁談がひっきりなしに飛んでくる。茶会に夜会、商会の宣伝をしつつ仕方なく生涯を連れ添える女性を探す。
「あのカイル様。わたくし、お嬢様シリーズを愛用しておりまして、一緒に広めるお手伝いがしたいと思いますの」
縁談が来ていたご令嬢と夜会で会い捕まった。カイルは相変わらず商人脳なので、彼女を見て計算する。
「よく夜会や茶会に出られているから、広告塔としてすばらしい働きをしてくださいそうですね」
「えぇもちろん。商品への愛は負けませんわ。あ、もちろん、カイル様へも……」
「じゃぁ、従業員の勤怠管理、商品の仕入れ状況の確認、決算時の計算確認もお願いできますか。それにせっかく人の集まる場に出ておられるので、女性たちの話から次に売れる商品の分析も」
「……え?」
ご令嬢の目が点になる。まるで外国語を聞いたようだ。
「それが難しければ、ご縁が無かったということで」
そしてこのやりとりを聞いていたミシェルに、「従業員の募集じゃないんだから……」と呆れられるのだった。
その後もクリスとの関係は続き、相次ぐ新しいプリンやお嬢様シリーズ、エリーナに関する愚痴に、果ては第三王子という身分の発覚と胃の痛い出来事が続いた。そして二人がアスタリアへ移っても、胃は痛むのである。
「俺の人生クリスに振り回されてばっかじゃん」
強いウイスキーをひっかけ、商会にある小さめのサロンで愚痴をこぼす。相手はジーク陛下の結婚披露宴に合わせて帰って来たミシェルだ。ミシェルは強い酒は飲めないため、オレンジのカクテルを飲んで半目になっていた。
「そんな今更。でもなるほどねー。兄さんに恋人ができない理由がわかったよ」
結婚披露宴も終わり、クリスからの重圧が限界に来たカイルは、ミシェルを酒に誘って長年の鬱憤を晴らしていたのだ。ミシェルはところどころ聞いた話があったが、詳しく聞いたことはなかったのでおもしろそうに声をあげて笑っていた。兄弟なので遠慮はしない。
「でも、兄さん恋人がほしいと思ったことあるの?」
ミシェルから見たカイルは、つねに仕事をしている人だった。それも楽しそうに生き生きと飛び回っており、色恋に興味があるようには見えなかった。
「……あんまりないな。どっちかというと、優秀な補佐がほしい。自分の子どもに継がせるより、優秀なやつに任せたい。それに、お前が結婚するなら俺は別にいいし」
どう転んでも商人脳から抜け出せない。カイルは一気に小さなグラスを煽り、ナッツをかみ砕く。すでに酔いは回っており、頭はふわふわしていた。
「ちょっと、誰を頭に置いてんのさ。僕、恋人なんていないんだけど」
「押しかけ妻がいるだろ」
「だからアイシャは違うって!」
あれだけ毎日エリーナをさらに輝かせるにはどうすればいいかを激論しているのに、否定されても説得力がない。たまに意見が合わずに喧嘩っぽくなっているが、それでも数時間すれば別の話題で盛り上がっていた。似た者同士の二人なのだ。
「いいなー。まぁいいよ。俺はルルと仕事に生きるから」
そう言うとカイルは足元にすり寄って来た猫を抱き上げた。ミシェルが拾ってきた子猫はすっかり大人になり、カイルの膝に乗せれば顔を摺り寄せて懐いてくる。可愛く癒される生き物だ。
「あぁ、うん。もうそれでいいんじゃない?」
ミシェルは投げやりに答えて、カクテルを飲み干す。兄はなんだかんだ言って、今の状況を気に入っているのだ。
「兄さんくらいだよ、クリス様の親友ができるのは。それに商会の方も新しい人が入って順調なんでしょ? 色々商品開発の案が回って来たし」
「あぁ……」
カイルは少し嬉しそうに目を細め、グラスにウォッカを注いだ。
「よくできる人だ。うちで働くのがもったいないくらいに」
「なら、十分幸せでしょ」
「……そうかもなぁ」
なんだかんだ胃が痛くても、クリスのために働くのは好きだ。クリスやエリーナの喜ぶ顔を見て、何度も達成感を味わってきた。間違いなく今の仕事が好きだと言える。
カイルは諦めたように溜息をつき、落とすように笑った。
「しかたないから、もうひと頑張りしますか」
構想段階のプリン祭に、本格的に販売を始めたプリン姫人形シリーズ。まさかカイルもカフェ・アークから始まったプリンがこう変化するとは思わなかった。市場の需要とクリスの要求のバランスを取りながら、よりよい商品を作っていく。
(ま、こういう人生も、悪くないよな)
そしてくいっとグラスを空にしたカイルは、次の日二日酔になった状態でクリスとの商談に臨むのだった。
カイル第一弾。カイルはなんだかんだ言って、現状に満足している気がする。
カイル第二弾は、最高の胃薬を求める話に……なるのか、ならないのか。