新しい家族を迎えましょう
「どうしよう。あんなに大好きだったプリンが食べられないわ」
そんな絶望に満ちたエリーナの言葉から、新しい家族を迎えるための生活が始まった。プリンを見れば吐き気がするという、エリーナにとっては地獄のような日々だ。屋敷からプリンが消え、その代わりババロアやムースでプリンの飢えをしのいだ。どうもバニラエッセンスが入ると、気分が悪くなるということが判明した。
お祝いが国の内外から届き、クリスの過保護っぷりはエスカレートする。エリーナが使う部屋はクッションやぬいぐるみで溢れ、どこへ行くにもクリスが手を引いて歩く。階段などもってのほかで、全て一階で済むようにいくつかの部屋を移したぐらいだ。
さすがのエリーナもうんざりする日々を過ごし、お腹も目立ち始めた頃。その日は唐突に訪れた。
「クリス、無性にプリンが食べたい! 今なら食べられる気がするの!」
霞が晴れたみたいに、プリンへの欲が湧いてきた。そのためクリスは急ぎカフェ・アークからプリンを取り寄せたのである。
「さぁ、エリー。好きなだけ食べたらいいよ」
エリーナの発言から一時間もしないうちに、サロンの丸テーブルに並べられた様々なプリン。しめて20個。それを見たエリーナは目を輝かせ、リズは顔を引きつらせた。
「最高! プリンが輝いて見えるわ。あぁ、なんで今まで気分が悪くなってたのかしら。バニラの香り、たまらない!」
「妊婦がこんなに食べたらだめでしょうが! 栄養が偏ります!」
目を輝かせ、さっそくスプーンを手に取るエリーナ。そこにリズが割り込み、妊婦の体に良くない成分が入っているプリンを取り上げていく。
「リズ、ひどい!」
「今は体を大事にする時です。プリンは三つまでにしてください」
「そんなの全然足りないわ~!」
駄々をこねつつも、すでにプリンを手に取っていた。大きくすくって口にいれれば、とろける幸せの味。
「やっと食べられた~。おいし~! ぜったいお腹の赤ちゃんも喜んでるわ」
「お腹の赤ちゃんがプリンを食べ過ぎて、嫌いになったらどうするんですか」
「そんなことないわ。だって私の子どもですもの。絶対プリン好きよ」
二人がわいわいと言い合っている向かいに座るクリスは、微妙そうな顔でコーヒーを飲んでいる。
「でも、子どもにはプリンよりチーズケーキを好きになってほしいかな」
「あら、プリンのほうが子どもに人気よ?」
「きっと僕に似て、大人びた子どもになるよ」
そうやって二人は何度も生まれてくる子どもの話をしていた。髪の色は、瞳の色は、性格は、何が好きか。それを聞くたびに、リズはまだわからないのにと呆れるのだった。
時は流れ、エリーナのお腹はどんどん大きくなる。生まれる日が近づくにつれ屋敷は期待と緊張が満ち、クリスは始終落ち着かずにエリーナの側にいた。外出する仕事は受けず、エリーナの側で仕事をする徹底ぶりだ。
そんな中、ベロニカが一歳になる子どもを連れてやってきた。不安がるエリーナを慰め、落ち着きのないクリスを叱咤する。ジークも同じような顔をして、ずっとうろうろしていたと笑い飛ばしていた。母親になったベロニカは、以前に増して頼りになり、美しさにも磨きがかかっている。エリーナはその姿に勇気づけられ、時たま蹴ってくる我が子を愛おしそうにお腹の上からなでるのだった。
そしてついに、その瞬間がやってくる。その日は雪が降っており、部屋から閉め出されたクリスはドアの前でぐるぐると回って、エリーナの名前を呼び続けていた。その時間は、エリーナにもクリスにとって、あまりに長い。
「エリー!」
耐え切れずにクリスがドアに向かって叫んだ瞬間、応えるように産声があがった。元気のよい声は屋敷中に響き渡るようで、ドアの向こうが騒がしくなり、それは徐々に広がっていく。
「あぁ、やっとか」
クリスは長いため息をついて、肩の力を抜いて天を仰いだ。言葉にできないほどの安堵と、感謝、そして喜び。
「よかった、よかった、エリー」
ドアが開き、顔を覗かせたリズは零れるほどの笑顔で、涙を浮かべていた。
「クリス様、おめでとうございます! 赤ちゃんも、エリーナ様もお元気です!」
「あぁ、本当によかった」
クリスはリズとともに部屋へ入り、ベッドに横たわるエリーナへ近づく。
「クリス、私頑張ったわ。ほら見て、可愛い女の子よ」
疲れを滲ませながらも嬉しそうに微笑むエリーナの隣には、おくるみに包まれた新しい家族がいた。クリスは感動のあまり、ほろりと涙が頬を伝う。
「もう、クリス……抱いてあげて」
エリーナがそっと赤ん坊を抱き上げ、ベッドの側にある丸椅子に座ったクリスに手渡す。宝物を渡すように、やさしく。その宝物を受け取ったクリスは、その重みと温かさを確かめるようにゆっくりと上下させた。我が子に注ぐ眼差しは優しく、慈愛に満ちていた。
「髪はエリーと同じだね。顔もよく似てる」
赤ん坊の髪はきれいなプラチナブロンドで、目はまだ開かないがさぞ可愛いだろう。そして、二人の姿を嬉しそうに見ているエリーナに視線を向ける。
「エリー、お疲れ様。ありがとう……愛しているよ」
そんな言葉じゃ伝えきれないほどの感謝の想いがクリスの胸の中には詰まっている。モブとして孤独に生きてきたクリスにとって、エリーナが初めて隣にいてくれた人であり、この子どもはその愛の結晶だ。
「えぇ、私も。これ以上の幸せはないわ」
それはエリーナも同じで、クリスと共に生き、子どもを腕に抱けた幸福を噛みしめる。二人は見つめ合い、共に涙を浮かべて笑い合った。
この日の夕食は、子どもの誕生を祝してエリーナにプリンのフルコースが振舞われた。第一子の誕生はすぐさま伝えられ、国はお祝いに沸き立つのだった。
「この子の名前は、アイリスね」
「うん。エリーのように、優しく育ってくれるといいな」
「クリスのように愛情深く育つわよ」
赤ちゃん用のベッドで眠る我が子を見つめながら、二人は飽きることなく話し続ける。
「そして、悪役令嬢のようにたくましく生きるのよ」
「……それは、教えないほうがいいんじゃないかな」
新しい家族が増え、全てが輝いて見える。二人は手を取り合い、どちらからともなく口づけをかわした。温かく、やさしく、幸せな家族になろうと、誓いを胸に刻みながら。