幼くても悪役令嬢を磨きましょう
これはクリスが養子に来て間もなくのこと。裏工作の結果ずっとモブキャラの中で見守ってきたエリーナの側にいられるようになったクリスは、上機嫌で廊下を歩いていた。午前中は当主であるディバルトに剣の稽古をつけてもらい、今からエリーナと遊ぼうかと姿を探していたのだ。
もうすぐ昼なので、ラウルの授業は終わっているはずだ。
(自由に動けるって素晴らしいな。笑顔のエリーを見ることもできるし、何より話せる)
毎日が感動の嵐で、愛しさに胸が締め付けられる。攻略対象であるラウルは要注意人物だが、エリーナを大切に想っているのでしばらくは様子見だ。
勉強をしている図書室にはおらず、サロンか庭だろうかとあたりをつけて探していると、鈴のような心地よい声がサロンから聞こえてきた。だがその声は緊迫しており、何があったのかとクリスは足を速める。近づけば言い争っているような声が複数聞こえた。
「エリー!?」
駆け足で開いているドアから顔を覗かせたクリスは、目に飛び込んできた光景に唖然とした。扇子を持って高笑いをしているエリーナは可愛らしくも悪ぶった笑みを浮かべており、扇子でビシリと向かいにいるラウルとサリーを指している。
「ラウル王子、そのような平民の汚れた女に触れていると、ご自身の品位を落としますわよ。それもわたくしという婚約者を放っておいて」
「エリーさ……エリーナ。サリーは純粋な女性だ。あなたと違って」
困惑顔のラウルはサリーの肩に手を置いている。エリー様と呼びそうになっているが、悪役令嬢劇場を一年も続けていると多少上達していた。
そして安定のヒロイン役であるサリーは、ラウルを守るようにエリーナに立ち向かった。
「エリーナ様は、ラウル様をわかっていらっしゃいません! ラウル様はもう、うんざりされていらっしゃるんです!」
普段よりも声を高めにしてキャラを作っているサリーは、うるうると目を揺らして悪役令嬢に立ち向かう健気なヒロインを演じている。
(これ……何?)
その珍妙な寸劇を目にしたクリスは理解が追い付かず、眺めているだけだった。
(なんか、既視感があるような……あ、ゲームの中でこういうシーンを見たことがあるんだ)
王子が平民の女性に恋をし、その婚約者である悪役令嬢が二人を問い詰めるシーンだ。たいていここで決別となり、悪役令嬢は断罪へと進んでいく。
(え……なんでヒロインなのにまだ悪役令嬢をしてるの?)
エリーナは喜々として悪役令嬢を演じており、その演技はさすがプロの悪役令嬢。一切の手抜きは無い。だがこの世界ではヒロインであり、その容姿で悪役令嬢は無理があった。
クリスが呆然と見ている間にも劇は進み、悪役令嬢は追い詰められていく。
「エリーナ、あなたとの関係は終わったんだ。明日正式に婚約を破棄する」
「そんな!」
がくりと崩れ落ちるエリーナ。それが今までの悪役令嬢に重なって、クリスは思わず駆け寄っていた。今までは見ているだけしかできなかったのに、手が伸ばせる、足が動く。
「エリー!」
「え、クリス!?」
突如乱入してきたクリスに、劇場が止まる。だが、エリーナの隣にしゃがみ込み肩に手を置いたクリスは、頭を回転させた。これはエリーナの遊びなのだろう。ならば、クリスもそのルールにのっとるまでだ。
「兄さん! なぜエリーにこんな仕打ちをするんですか!」
そう言ってラウルを睨みつける。
「え、クリス様、え?」
だがラウルはアドリブが苦手で、突然できた弟に混乱する。そこをサリーが素早く対応した。
「クリス様! なぜその人を庇うのですか! その人はあらぬ噂を広め、人を陥れたのですよ!」
サリーは目を吊り上げそう訴える。それに応戦するため、クリスはエリーナに「もう大丈夫」と微笑んでから立ち上がり、二人に向き直った。
「それがなんだ? エリーは兄さんの婚約者としてずっと教育を受け、頑張っていた。そんな馬鹿なことをする時間があるか!」
一蹴するクリスに対し、なんとかラウルも劇を続けようと言葉をひねり出す。
「だが、実際エリーナの犯行を見たものたちがいる。口を出さないでもらいたい」
「へぇ、そう。まぁ、兄さんが婚約破棄をするなら、エリーナは僕がもらってもいいよね」
この展開には、三人とも目を見開き思わず声を漏らす。
「え?」
エリーナはポカンと口を開け、クリスを見上げた。
「僕がエリーと婚約するから、兄さんは安心してサリーと婚約するといいよ」
表面はにこにこしているが、その裏に明確な怒りが潜んでおり、サリーとラウルは気圧される。だがラウルはぐっと気を持ち直し、クリスを睨み返した。
「それは許さない。エリーナは小賢しい女だ。手元で見張る必要があるから、専属の侍女にするつもりだ」
これにはサリーが驚き、弾かれたようにラウルの顔を見る。
「兄さん。それはまるでエリーに未練があるみたいだね。ここはすっぱり忘れて、その女と幸せになればいい」
クリスは微笑を浮かべたままラウルとの距離を詰める。エリーナを悪役令嬢として破滅させるつもりはない。
「エリーナはお前の手には負えない。私が面倒を見る」
ラウルも一歩前に出て、二人の間に火花が散った。まさかのエリーナ争奪戦である。ここからどう話が進むのか、サリーがわくわくし始めたところに不機嫌な声が割りこんだ。
「ちょっと、悪役令嬢を取り合うシナリオがあると思ってるの!? クリスも入ってくるなら、ちゃんと悪役令嬢を糾弾してよ!」
なんともすごい要求が飛んできた。劇は一時中断となり、立ち上がったエリーナから説教を受ける。
「ラウル先生も、もっとサリーに甘く、私に罵声を浴びせてください! サリーに対しても遠慮しないの!」
少女がきゃいきゃいと吠え、頬を膨らませている。言っている内容は少し引くが、その姿は可愛らしい。劇場が不消化で終わったエリーナはクリスに顔を向けて、じっとその顔を見つめた。
「でも、クリスの演技力は高かったわね。シナリオさえ頭に入れてもらえば、いい役者になりそう」
しっかりロックオンされ、クリスは引きつった笑みを浮かべる。
「えっと、なんで悪役令嬢ごっこをしてるの?」
「え、立派な悪役令嬢になるための修行よ」
当然でしょと言わんばかりの表情で返され、クリスは眩暈がした。うすうす感じていたが、エリーナは自分がヒロインだと知らないのだ。
(え、悪役令嬢を好きすぎじゃない? こんなところでプロ意識見せなくてもいいのに……そこがエリーのいいとこだけど)
だがここでエリーナがヒロインだと教えることはできない。これはエリーナの人生であり、クリスはそれを支えると決めたのだから。それでもせめて、これだけはとささやかな望みを口にする。
「エリー、悪役令嬢をするのは家の中だけにしてね」
ヒロインであるエリーナが悪役令嬢として振舞えばシナリオがどうなるか、未知数である。エリーナは一瞬きょとんとした後、満面の笑みを浮かべた。
「えぇ、大丈夫よ! 任せておいて!」
(あ、これ絶対学園でやるつもりだ)
おそらくエリーナは学園がゲームの舞台だろうと思っているはずであり、悪役令嬢を目指すなら当然そこで苛めるヒロインを探すだろう。
(エリーが学園に入学するまでに、情報屋に伝手を作ろう。何かあってもエリーナを止められるし、シナリオの進行状態も確認したいし)
クリスはまだ13歳だ。これから学問を修めて、学園に入りエリーナに利となる交友関係と力を持っていかなくてはいけない。
(それに、エリーが好きなプリンを極めたいしね)
夕食で出るデザートはゼリーや果物が多いが、たまにプリンも出る。その時のエリーナの喜びようは大変可愛く、その笑顔を見るためにクリスは最高のプリンを作ろうと決意したのだ。
「クリス、次からは一緒に悪役令嬢劇場をしましょ!」
「うん、もちろん!」
こんな天使のような可愛いエリーナの好きな遊びが人形遊びではなく、悪役令嬢劇場とはどういうことだとも思うが、クリスはエリーナと一緒にいられるならいいやと、笑顔で思考の彼方に追いやるのだった。




