ドレスを巡る攻防
その姿を一目見た瞬間、アイシャの体に激震が走った。まるで雷に打たれたような衝撃で、美の根底が覆ったのだ。赤髪の青年に連れられて店にやって来たのは、ローゼンディアナ家のご令嬢、エリーナ・ローゼンディアナだった。なんでも学園に入学されるそうで、王都に引っ越して来たらしい。
アイシャはクリスが贔屓にしているドレスのオーダーメイド店で針子修行をしており、採寸の補助に呼ばれたのだ。
(きゃぁぁぁ、こんな可愛くて美しい人がこの世にいるの? お人形みたい。いえ、これは天使、女神よ!)
アイシャは鼻息が荒くなるのを抑えつつ、先輩たちが手早く採寸していくのを書き記していく。エリーナはクリスと楽し気に話しており、透き通った鈴のような声と目が引き寄せられる笑顔に心臓が高鳴った。
(最高……この方のドレスを作りたい。この美しさを最大限引き出せるドレスを!)
採寸された数字と、エリーナの容姿を頭に入れる。エリーナという素晴らしい素材を見ているだけで、どんどんデザインのアイデアが湧いてきた。
(あぁ、やっぱり瞳の色がアメジストだから、紫系統が似合うわ。ふわふわのふりふりにしたい!)
すぐにスケッチブックを取り出して、デザインを書き起こしたい衝動に駆られる。そしてその興奮はエリーナが帰ってからも冷めず、仕事が終われば熱に浮かされるようにデザインを書きまくった。
まだ見習いのアイシャは、客のデザインを担当することはできない。先輩たちがエリーナのドレスをデザインし、作り上げるのを指をくわえて見ていることしかできないのだ。その悔しさも手伝って、夜通しでデザインを書きなぐったのだった。
それから、エリーナはクリスに連れられて何度か店に来るようになった。クリスがエリーナを溺愛していることは一目でわかり、エリーナは少し困った顔をしながらも嬉しそうにしていた。
アイシャはお茶出しや採寸補助などの雑用から、徐々にデザインの清書や仮縫いとできることが増えていった。アイシャのデザイン力は高く評価され、いくつか案件を任せてもらえるようになっていく。裁縫の腕にも磨きがかかり、三年が経った頃には高い技能を身に着け、このまま店で働くかどうかの選択が迫っていた。
「もちろん、ここで働きます! 私はエリーナ様のドレスを作りたいんですから!」
この間も、エリーナの卒業パーティー用のドレスを手伝ったばかりだった。最後の仕上げに訪れた二人は仲睦まじく、見つめ合って頬を染める様子を見れば恋人になったことが丸わかりだった。その日の夜は店の針子たち全員で、長年恋心を募らせていたクリスに想いを寄せて祝杯をあげたのだ。
だが、卒業パーティーの次の日。馴染の貴族の客が卒業パーティーでの事件を教えてくれ、エリーナが西の国へ行くという事実に、アイシャはショックを受けるのである。
卒業パーティーからニか月後、エリーナ達が西の国へ来てから一か月が経ったころだった。アイシャは大きなかばんを一つを抱えて、ミシェルが経営を任されていたドルトン商会のアスタリア支部に乗り込んだ。
「私はエリーナ様に合う、最高のドレスを作りたいんです!」
「……意味が分からないんだけど」
商会の主であるミシェルが仏頂面で答える。最初は門前払いをされていたが、三日間しつこく訪ねたところ話を聞いてくれることになったのだ。
「ですから、私はエリーナ様のドレスを作るんです。いえ、ドレスだけじゃありません。部屋着から夜着まで、エリーナ様の衣服全てを作りたいんです!」
熱意溢れる瞳を向けられ、ミシェルは押し黙った。その情熱は理解ができる。ミシェルだってエリーナの生活にまつわるものを全て作りたいと思っているからだ。そこには当然衣服も入ってくる。
「うーん……確かに、うちは服飾関係が薄いから、手を入れたいと思ってはいたけど……」
ミシェルはアイシャをじっと見つめ、思案顔になる。アイシャの簡単な経歴は聞いたが、まだ一人でデザインから仕上げまでをこなした経験はなく、未知数だ。ただ、そのエリーナにかける情熱は目を見張るものがあり、ミシェルを動かした。
「分かった。じゃぁ、デザイン案を出してよ。僕もドレスのデザインを描き始めてるから、それと合わせて今後を考えたい」
服飾関係の事業は見通しが立つまでは工房を作るわけにも行かないので、針子が欲しかったのだ。
「ありがとうございます!」
アイシャは勢いよく頭を下げ、心の中でガッツポーズを作るのだった。
そしてデザイン案を見せ合い、周りが焦げそうなほどの熱戦を繰り広げた。アイシャはビシッとミシェルのデザインを指して目を剥く。
「こんなひどいドレスがありますか!」
「なんでさ。エリーナ様に似合うものと、好みを詰めたんだよ!?」
「なんでも押し込めばいいもんじゃありません! 確かに一つ一つは可愛く、品がいいです。でも組み合わせが最悪です!」
応接間に飾られている今までの作品を見ていると、ミシェルのデザイン力が高いことは分かる。だがそれは小物に限るもので、服飾となるとからっきしだった。アイシャからすれば、ドレスへの侮辱だ。
「ドレスというのは、一貫したテーマとバランスが重要なんです!」
そう言い放ち、自分のデザインをもとにどのような意図があり、ポイントをどこに持ってきているかを説明する。最初は反発していたミシェルも、そのうち口を閉ざした。
「……そんなに言うなら、まずは一般向けのドレスを作って。裁縫の技術も見たい」
ミシェルの目は確かだ。悔しいが自分のデザインより、エリーナの魅力を引き出せることが分かってしまった。
そしてひとまずアイシャに課題を与え、その間にエリーナに会いに行ったのだ。だが、なぜかアイシャにバレて押しかけられるのだがそれは別の話。
そうして紆余曲折を経てエリーナがデザインを気にいったことで、正式にアイシャはドルトン商会お抱えのデザイナー兼針子となり、エリーナがベロニカの結婚式で着るドレスを作ることになった。それが決まった時は商会中を跳ねまわり、ミシェルの怒号が飛んだ。
完成に向け、二人は顔を突き合わせてデザイン案を練り、激しい攻防の末最終デザインと素材を決めていく。それを他の従業員は生暖かい目で見守っていた。もはや情熱のぶつかり合いは日常となっており、従業員もこれが無いと物寂しくなるほどだ。
製作は全てアイシャが行い、喜々として打ち込んでいた。
日々を製作に費やし迎えた朝。ミシェルはアイシャの仕事部屋を訪れ、ドレスの出来上がりを見た瞬間息を飲んだ。
(このドレスを着たら、エリーナ様は輝くだろうな)
本日はベロニカの結婚式で、ミシェルとアイシャはラルフレアのドルトン商会に来ている。ドレスは三日前にエリーナに見せ最終的な合わせをしたところだった。どうもそこからさらに細かい修正をしたらしい。当の本人は徹夜をしたのか、仕事部屋の机で突っ伏して寝ていた。
「ほんと、こんなに素晴らしい技術と能力があるんだから、黙っていればいいのに……」
ミシェルは職人であり商人だ。良いと思ったものは素直に賞賛する。本人に伝えるかは別であるが……。ミシェルは咳払いをし、声をかける。
「アイシャ、起きて。そろそろエリーナ様のとこへ行く時間でしょ」
「ひゃっい! うわ、え? ドレス!」
驚いて跳び起きたアイシャは首を回してドレスを探す。
「ドレスは出来たんでしょ?」
アイシャはぶっ倒れていたが、ドレスはしっかりかけられており、皺ひとつない。
「もちろんです! これをエリーナ様がお召になったら思うと、もう……あぁ、エリーナ様のネックレスになって会場での輝きを見たい」
このドレスはダイヤモンドをふんだんに散りばめており、広間のシャンデリアの光を浴びて真価を発揮するのだ。
「それだと全体が見えないでしょ」
朝が早いこともありミシェルも眠いのかツッコミどころがずれている。対するアイシャも徹夜明けで頭がぼんやりしており、大真面目な顔で返した。
「そうですよね。なら、小さくなってミシェルさんの胸ポケットに入ります」
「え、やだよ。うるさいじゃん」
「え、ひどい。こんなかわいいアイシャちゃんが一緒にいるのに」
「……その状態でエリーナ様のとこにはいかせられないから、とっとと顔を洗って目を覚ましてきて」
イラっとしたミシェルは頬を引きつらせて、アイシャを部屋から追い出す。一人になれば、目は自然とドレスに向けられた。
「このドレスを着たエリーナ様……胸ポケットに入るくらいの人形にするの、ありだな」
夜会では男性が背広のピンホールに花を挿すことがある。それと同じような感じで、胸ポケットに人形をと思考したところで我に返った。
「まずい……毒されている」
想像してあまりの絵面に自分で引いた。人形が悪いのではない。紳士たちがこぞって可愛い人形を胸元に入れている絵は目の毒だし、なんだか危険な匂いがする。
「僕も顔を洗おう……」
そして洗面所へ行こうとアイシャの仕事部屋を出るとカイルにばったり会った。三階の自室から降りてきたらしい。カイルはミシェルに目を留めると、視線を部屋とミシェルの顔の間で二往復させ、にんまりと口角を上げた。
「朝から嫁の顔を見に来たのか?」
カイルはここ最近、顔を合わせればアイシャのことをからかっていた。ミシェルは瞬時に怒り顔に変えて言い返す。
「だ~か~ら~! アイシャは違うって言ってるじゃん! それ以上言ったら、クリス様に兄さんが裏で『プリン姫の冒険』の二次創作でラウルエンドを許可したのバラすからね!」
「や、やめろ! 俺の胃が死ぬだろうが!」
ぎゃーぎゃーと言い合う兄弟。それもまたドルトン商会の風物詩であり、従業員はにぎやかだなぁと思いながら、今日の仕事を始めるのだった。




