言わなくても分かる、この気持ちは少し嘘だ (4)
翌日。
約束通り、雨宮と秋葉は白澄高校へと足を踏み入れる。窓ガラス割りの再犯があったばかりとあってか、厳戒態勢の敷かれた校門には高校が雇っている常駐の警備員だけでなく、がっしりした体格の警官が屹立していた。
「噂に聞いていた以上に物々しい雰囲気ね……」
受付で来客名簿に名前を記入する秋葉がぼそりと漏らす。
「状況が状況だしな。これくらいは普通なんじゃねぇの」
受付の側には複数台の防犯カメラ。
校舎内にもいくつか設置されているはずだ。
校門を抜けると真正面に見えてくる正面玄関。
授業中で生徒の出入りはほとんどないが、そこにも警官が警棒を腰にさして巡回していた。
臨時に設置されたのであろう立て看板には赤文字で『厳戒警戒中。不審者を見かけたらすぐに110番!』と書かれている。これまでの犯行時刻を考えたらまるで意味のないモニュメント。
「そういえば旧校舎って……どこ?」
「勇み足で乗り込んでおいて校内図を把握してねぇのかよ」
雨宮が呆れたとばかりに溜息を零す。
「校門入って右にあるのが新校舎。真向かいにあるのが体育館と学食。そんでもって左手に見える木造建築の三階建てのアレが旧校舎。奥に屋外プールがある」
「他校のこと、よく知ってるわね」
「小学校の高学年までこのあたりに住んでたからな」
「へぇ……ってことは、あんた結構金持ちなんだ、実家」
「そういう余計な詮索はやめろ。指定された場所に行くぞ」
白澄高校は数年前に新校舎が設立され、学校としての機能は完全に新校舎へ移っているものの、木造建築の旧校舎は未だ取り壊しが完全に済んでいない。
当然のように封鎖されてはいるが入口を鉄扉で封じているようなことはなく、ビニールテープで仕切られている程度なので実質的に出入りは自由になっている。
エリナが指定した場所は、そんな旧校舎の裏庭だった。
裏校舎一帯は取り壊し工事の邪魔にならないように稀に手入れがされる程度で、ほぼ放置されている状況に近いため、草木が生い茂っている。秋葉の情報ネットワークによれば、在校生も滅多に寄りつかないことから、稀に在学生同士がいちゃつき合っているのだとかなんとか。
本当にどうでもいい情報である。
指定された裏庭は、北から南へ一直線に伸びる校舎に沿って広がっており、鬱蒼と生い茂る草木も背丈が低いものがほとんどだ。
物陰になりそうなものといえば廃棄同然の草臥れた倉庫くらいで、随分と年季が入っているのを体現するかのように蔦があちこちに絡みついている。
そんな倉庫の物陰にしゃがみ込む二人。
たびたび生徒が使っているのか、息を潜めるには丁度良いスペースがぽっかり空いていた。
「時間はきっかり十分前。なんとか間に合って良かったわね」
「とりあえずエリナに連絡しておく」
雨宮はグループチャットを立ち上げ、『準備完了』とだけ打ち込んで送信。
すぐに既読がつき、『わかった』と簡素なエリナの返信がくる。
同時に鳴り響く鐘の音。
終業時刻だ。
「なんか緊張してきたわね」
学生たちの喧噪はほとんど聞こえない。
まるで異世界にでも迷い込んだかのような静寂が秋葉の息遣いまでも鮮明にさせる。
「どうすりゃいいかは伝授してあるんだろ? だったらあとはエリナを信じろよ」
「澤野のことを信用してないから。最後まで何事もなく終わってくれるのを祈るしかない」
「……元カノってのは苦労するもんだな」
「その呼称、いい加減やめない? 雨宮に言われるとなんかイラっとする」
「気に入ってんだけどな」
「……性格悪すぎ」
「おうおう悪ぅござんした」
言い争うのが馬鹿馬鹿しくなったのだろう、秋葉は雨宮をじろりと睨んで舌を打った。
「そろそろね……」
「さすがにもう黙っておくか」
やがて聞こえてきた足音に、雨宮は息を殺す。
ブレザー姿で現れたのは澤野だ。
飄々《ひょうひょう》とした足取りでやってきたのを見るに、機嫌はそれほど悪くないように思える。
それから少ししてエリナがやってくる。
きょろきょろと周囲を見回す不審な動きを見せながら、おずおずとした様子で澤野の対面に立った。
「こんなところに呼び立ててごめん。新校舎のほうで、こういう話はできないと思って」
エリナが口火を切る。
「俺も呼び出すならここにしてたし、別にいいよ」
立ち位置の関係で澤野の顔が見えないが、落ち着いている様子だ。
「で、昨日の話だけどさ、別れたいって本当?」
「……ケンスケが、あんな急にホテル行こうなんて言うのにびっくりしちゃって……ごめん、アタシ、ああいう強引なの苦手なんだよね」
「じゃあ、事前に約束してたら大丈夫なの?」
「それ、は……その日の体調にもよるし……。というか、別にさ、そういうことにこだわらなくても恋人ってやっていけるじゃん。アタシら、まだ付き合って数週間なんだから――」
「好き同士だったら付き合った日数とか関係ないと思ってるんだけど。もしかしてエリナ、セックスとか駄目なタイプ?」
「そういうことは……ないと思うけど……」
「……なんかその反応、すげぇ処女っぽいな」
「……っ、そ、そういうのは……」
「あー、ごめんごめん。別に言いふらしやしないから安心してよ」
軽薄な声。
俯いたまま首を振ることすらないエリナ。
「エリナが、処女……だって?」
目の前がブラックアウトしそうになり、雨宮は建屋の壁に額を押しつける。
そんな、馬鹿な。嘘だ。
処女? エリナが?
澤野は、まだエリナとセックスしたことないってのか?
「セックス無理ならこっちから願い下げだわ。そこまで強引にはしないけど、彼女いるのにヤれないとか、そんな生殺しされたら死んじゃうもんね。どう考えても浮気しちゃうでしょ。耐えられないって、マジで」
「えっ…………」
「いやいや、だってそうでしょ。そうじゃないなら友達で充分でしょ。俺、浮気とかはしないって決めてるけど、セックスしないは流石に無理。つうか、そっちから別れ切り出しておいてなんでそんなびっくりしてんの。おかしくね? あ、もしかして少しは抵抗されるかもって思ってた? まぁ、ちょっとは考えてたけど、さすがにセックス拒否られたら彼女にしておくまでもないかなーって思うし、なんか色々と萎えるじゃん」
「あいつ……っ、エリナが下手に出られないからって言いたい放題……っ」
澤野の口から止めどなくあふれ出てくる罵詈雑言に、雨宮も秋葉も歯を食いしばる。
ぶん殴りたい気持ちに駆られたが、ここで飛び出してしまえば面倒なことになる。
澤野にエリナと付き合い続ける気持ちがない以上、その気持ちをひっくり返してしまうような刺激は加えられない。
「そういうわけだから、別れるか」
「…………うん」
ふぅ、と雨宮は胸を撫で下ろす。これでどうにか無事に別れることが――
「でさ、ここに呼び出したってことは、挿入は無理でもそれ以外だったらオッケーってことでいいんだよね」




