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6、紳士と淑女




 それから半月で三回ほど。毎回一時間ほどスタンレイはダンスの練習に付き合ってくれた。

 踊れないほど照れることはなくなったが未だに緊張している私とは正反対に、彼が照れやその類の感情を顔に出すことは全くない。

 本当に、悔しいくらいに。


 まあいいと自分に言い聞かせる。結婚したあとは女として見てくれるらしいし。

 そこまで考えてさらに疑問が頭に思い浮かぶ。


 私はスタンレイに、女として見て欲しいと思っているのだろうか。


 スタンレイとキスだとかその他色々だとか、そういう事をしたいと思っているのだろうか。

 答えが出ないままふわふわと浮かれたような日々を過ごし、何だかスタンレイがいなくても体が熱いと思っていたら私は久しぶりに熱を出していた。

 もう慣れすぎて熱の出始めの症状だけで分かる。今回はただ疲れが出ただけで、それほど酷くなることはないだろう。

 その予想通り。


「だいぶ熱も下がりましたね」


 ベッドに座っている私がくわえていた体温計を取って、アイシェが安心したように笑った。

 熱を出してから四日、もう明日明後日には熱も完全に下がるだろう。


「やっぱり大したことなかったでしょう? 少しはしゃぎ過ぎただけだもの」

「左様でございますね」

「……そんなにはしゃいでいた?」

「ええとても。特にアーリス様の前では浮足立っていらっしゃいましたよ」


 思わずベッドの上で膝を立ててそれに顔を埋める。


「恥ずかしいから穴を掘りたいわ」


 そのあとその穴に埋まってしまいたい。


「熱が完全に下がってから、お庭でどうぞ。ちょうど春の花を植える時期ですので、庭師が助かりますよ」


 ベッドの脇に置かれた洗面器をテキパキと片付けながらアイシェが言う。

 他人事だと思って。

 受け取った苦い薬を一気に胃に流し込んで、もう一杯水をもらって私は息をついた。


「アーリス様といえば」


 思わず顔を上げると、目が合ったアイシェがにまっと口の端を吊り上げてから続けた。


「お嬢様をとても心配されていて、ずっとこちらのお部屋の前をウロウロされていますよ」


 目に浮かぶようで笑ってしまう。彼はとにかく昔から心配性だった。

 その原因は分かっている。彼と初めて会った次の日から十日ほど、私は生死の境をさまよった。次に大きな発作が起こればもう助からないだろうと言われていた、その発作だった。

 奇跡が重なって今こうして生きているが、彼にとってそれはとてもショッキングな出来事だったのだろう。


「入ってきてもらって」


 もう起き上がってお喋りをしているこの姿を見れば彼も安心するだろう。感染するような症状もない。

 しかしアイシェは難しい顔をして首を横に振った。


「じきに婚約者になるとはいえ、お嬢様の寝室に殿方をお入れするわけにはいきません」


 肩を竦めてみせる。


「昔は度々出入りしていたじゃない」

「お嬢様。お言葉ですが、今と昔は違うのですよ。おふたりとも立派に成長なされて、紳士淑女になられたのですからね」

「淑女は庭で穴を掘ったりしないけどね」

「お気付きですか? 最近アーリス様がお嬢様の近くにあまり寄られないことを」


 そう言われて、思い返してみる。

 相変わらず見ているだけで目が回りそうなくらい忙しそうな彼だったが、時間があけばこれまでと同じように私の話し相手になってくれている。その距離感を思い返してみたがよく分からない。


「今までアーリス様は、それはもうバタバタ倒れられるお嬢様を受け止めるためにぴったり後ろに付いていらっしゃいました。それなのに最近、お嬢様との婚約が決まって少し経った頃からです。その距離が遠くなったのです……!なぜだかお分かりになりますか!?」


 胸の前で拳を握り締め、アイシェは叫んだ。


「お嬢様を女性として意識し始めたからですよ!」


 その声が耳に響く。わざと耳を押さえてみせたが、興奮した彼女は止まらない。


「あの真面目なお方のことです、それまではお嬢様に野蛮な目を向けたことなどおありにならなかったでしょうが、婚約が決まり夫婦になることが決まって、お嬢様を、女性として!」

「アイシェ、私、熱があるの」


 まだまだ続きそうな絶叫を遮ると、彼女はハッと口元に手を当てた。


「おお、申し訳ございません……つい熱くなってしまって」


 わざとらしいほどしおらしく笑うアイシェを見て、立てた膝の上で頬杖をつく。

 彼女の言う通り私を女としてみているのなら、もっとこう、反応があってもいいのではないか。


「でもあの人、全然表情も変えないのよ。ダンスの練習であれだけ近付いたって、眉ひとつ動かさないんだから」

「それが大人の男性の余裕ですよ」

「……何だか悔しい」


 八つ当たりをするために、まだ枕元に置いてあるすました顔のテディベアを抱き上げる。

 そのお腹を思う存分揉みしだきながら考える。

 本当に私を女としてみているのなら、彼はあの涼しい笑顔の下で私と同じように戸惑ったり照れたりしているのだろうか。

 駄目だ、全く想像がつかない。

 少し歪になったテディベアの形を整えながら、さてと気を取り直す。忙しい彼の心労を増やすのは本意ではない。

 テディベアをアイシェに差し出す。


「アイシェ、この子をスタンレイに渡して。私に会えなくて寂しいだろうから、少しの間貸してあげる、私だと思って可愛がって、って」


 アイシェはくすくすと笑って受け取ってくれた。


「こんな冗談を言えるくらい元気だって伝えておいて」

「かしこまりました」

「お願いね」


 アイシェは再びベッドに寝転んだ私に布団をかけ「お休みなさいませ」と部屋を出ていった。

 寝返りを打って、あまり眠気はないがひと眠りするかと目をつむった時、廊下からアイシェの「アーリス様」という声が聞こえた。まぶたを上げて扉を見る。本当にスタンレイはずっとこの部屋の前をうろついているのだろうか。

 はっきり聞こえたのは名前を呼ぶ声だけで、その後ふたりが何かやり取りする声はよく聞こえずすぐに静かになった。テディベアは無事に彼の手に渡っただろう。

 スタンレイもぬいぐるみを枕元に置いて眠るのだろうか。

 想像して少し可笑しくなって、私は布団の中で丸まって少しの間笑っていた。




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