明日の準備
ベリーの護衛二日目、今日もアビゲイルはグンナルたちと朝からベリーの森に向かった。
昨日のランナルのギックリ腰はアビゲイルとオスカー二人の治療のかいあってかすっかり治っているようだ。
「いや~昨日の痛みが嘘のようだわい、アビーちゃんの神魔法のおかげじゃな~。今日は熊が来ようがゴブリンが来ようが全部なぎ倒してやるわい!」
「こりゃ! 調子にのるなと言っておろうが! 数日激しい動きはいかんと神父様も言っとったろうが!」
朝からグンナルが大声で叱るが、ランナルはもう叱られるのに慣れきっているようで気にせず鼻歌まじりに先頭を歩いた。
「でもたいしたことなくて良かったですね」
「アビーちゃんのおかげじゃわい、そうじゃなかったらしばらく寝込んでたじゃろうな」
「それならまあよかった」
「わしらもハルベルトを振るのは久しぶりじゃからな、体も鈍ってるのう、コイツも泣くわい」
肩に担いだハルベルトは朝日に鈍く光っている。柄や刃に残る傷は多いが、まだまだ俺は現役だと言っているように輝いていた。
「ハルベルトを使い始めて何年くらいなんですか?」
アビゲイルに聞かれて二人はうーんとうなり、考え込む。ランナルは指折り何かを数えだした。
「うーん? どのくらいじゃ?」
「騎士様に教わったのが1年後くらいか? それならもう30年くらいか?」
「そうじゃな、じゃがもう10年くらいはほとんど使っとらんわ、村に帰ってきてからは畑仕事や鍛冶仕事で戦うことは無かったからのう。 予備冒険者になってから時々家で振っているくらいじゃわい」
二人も正確にはおぼえていないようだが、だいぶ年季がはいっているのは間違いがないようだ。
「ふーん、熊とか倒せます?」
ハルベルトの威力や二人の強さがよくわからないので試しに聞いてみると、二人は驚いたほうに顔を見合わせてから笑った。
「ムッハッッハ! むーり無理! 無理じゃよ! せいぜい牽制、時間稼ぎじゃな」
「アビーちゃんの応援があれば、もうちっと頑張れるかもの~。倒したご褒美にチッスとかっ」
「ええの~」
「あげませんよ~。ハハハ」
「兵士の現役の頃なら、馬から騎士を引きずり下ろしたり、馬を屠ったりできたんじゃがな」
「すごい」
「もう無理じゃの、蹴られて終わりじゃ」
ベリーの場所に近づくと探知魔法に反応が出た。10数体の生き物の反応だ。
「待って、静かに。ベリーのところに何かいます! 数が多い」
アビゲイルに言われてグンナルはすぐにハルベルトを構えて、ランナルは小さな丸盾と手斧を持ってグンナルのすぐ後ろについた。
「アビーちゃんはわしらの後ろにつけ、剣を構えての。方向はどっちじゃ?」
慌てて剣を持って二人の後ろにつく、探知魔法を強めて反応があるほうに集中しつつ、ゆっくり歩く二人について行く。
「このまままっすぐです。人間じゃない…。ゴブリン…にしては反応が、なんというか素直というか、きれいというか」
「ああ、見えたぞ、鹿の群れじゃ」
グンナルがほっとして背筋を伸ばし立ち止まる。鹿たちはまだ夢中でベリーを食べていた。林の中に差し込む朝日に鹿たちの背中や角が黄金色に輝き、朝露に濡れたベリーは宝石のようにキラキラと赤く光っている。新緑の緑の中、美しい光景だ。
「鹿だったのか…、びっくりした」
「うまそうに食っとるわい。他にはなんもおらんかな?」
「だいじょうぶ、鹿だけです」
「ホイホイ」
ランナルは盾をしまってから、手斧の背ですぐそばの木を叩いた。その音に驚き鹿たち全員がこちらを向く。
「全部食べられると困るからのう。そろそろ終わりにしてくれい」
そのまま鹿たちに近づくと群れは素早く森の中に逃げていった。
ベリーが減ってしまったかとアビゲイルは周囲を見渡したが、ベリーはまだまだたっぷりと実っている。今日のベリー狩りも問題なさそうだ。
「だいじょうぶそうだの、火をおこすか」
広場の中央のかまどについてからまた探知魔法で入念に周囲を調べる。鹿の群れの気配はすっかり消えて、静かな森に戻っていた。
「グンナルさんたちカップ持ってます? 私今日茶葉を持ってきたんですけど飲みます?」
「お、ありがたいのう。わしらのポットを使ってくれい」
そう言ってランナルはバッグからだいぶ使い込まれたポットを取り出した。ポットの底にはいくつかの修理の跡がある。大事につかっているようだ。
アビゲイルはそこに茶葉を入れて、水魔法でお湯を注ぐ。
「アビーちゃん、湯も出せるんか。便利じゃのう」
「このくらいしかできないんですけどね」
「リンゴみたいな匂いの茶じゃな…」
数日前の朝に摘んだカモミールを干して、紅茶と混ぜて持ってきたのだ。これはシャイナの父親が書いた「西大陸薬草図鑑」に書いてあったレシピだが、紅茶とカモミールを混ぜただけの簡単なものだった。
「はちみつもありますよ」
「豪勢じゃな」
「うん、美味い。上品な茶で貴族のようじゃ、ムハハ」
3人で朝のお茶を楽しんでいるとぱらぱらと村人がやってきた。朝の挨拶を交わしてからみんなすぐにベリーを摘み始めた。
「さて森側を見てくるかな、アビーちゃんは探索しておくれ」
「はい」
探索魔法には何も反応はない、眼の前のベリー摘みの人々だけだ。先程の鹿、噂に聞く熊、そしてゴブリンが出ると聞いているが今のところ見かけていない。
ゴブリンには山菜クエストのときに一度出会っているがそれ以来見かけてもいない。川向うのゴブリンの巣は危険なのでディックがたまに行くだけで、アビゲイルもロイドも行くことを禁止されている。
この村の周辺にはどのくらいのゴブリンがいるのだろうか?
「今日も穏やかじゃな」
ランナルが話しかけてきた。
「そうですね、そういえばランナルさんたちはゴブリンて見かけます? この村の周りって多いんですかね?」
「んー? まあ他を知らんからどうかはわからんが…おそらく少ないじゃろうな。ここはホレ、北の大森林があるじゃろ? 聞いた話ではあの森でゴブリンは増えづらいらしい」
「増えづらい?」
「魔物の餌になるからの。ゴブリンちゅうのはな人里のそばに巣を作ることが多いんじゃ。人を襲うし、作った野菜や家畜を盗むからの。人里周辺は森も人が入って働きやすいように手を入れてるじゃろ? ゴブリンも暮らしやすいんじゃよ」
「なるほど~、でも大森林はそうじゃない」
「うん、あそこは手つかずで恐ろしい魔物が多い、人もゴブリンも入ったら終わりじゃ」
トココ村の北側の大森林はゴブリンにとっても恐ろしいようだ、人やゴブリンのような弱い生き物はあの森では「よい餌」なのだろう。
太刀打ちできないほどの魔物なんて、一体何が棲んでいるのだろうか?
「この村の周りは狼も熊もおる、そしてこの村はゴブリンに対抗できる村人も多いからの、ディクソンも間引きしておるし、だから少ないじゃろな」
「ふむ、でも油断しないほうがいいと」
「そうじゃな、あいつらほっとくとどんどん増えて知恵つけてくからの」
「こわいですね、ゴブリンを笑うやつはゴブリンに殺される…」
「油断は何事も禁物じゃて」
陽が高くなった頃にディクソンとロイドがやってきた。
「お疲れ様、今日は早くない?」
「ああ、ちょっと走ったからな。アビーも今度巡回で走ろうぜ、いい鍛錬になる」
遅れてきたロイドを見るとちょっとフラフラして息が荒い。ちょっと走ったようには見えない。
「お手柔らかに…。あ、お茶飲む?」
かまどのそばにお茶を入れたままにして置いておいたのだが、カップに出すとお茶は色濃く出すぎていた。
「あら濃いな。冷たい水で薄めようか」
「ああいいな、ありがとうな」
ロイドにも渡すと何も言わずに一気に飲み干した。相当喉が乾いていたらしい。
「はーっ! うまい~! もういっぱいくれアビー」
「ハイハイ」
さらにもう一杯喉を鳴らしながら飲み干すと、ロイドはようやく落ち着いたようだった。
「ありがとうアビー、生き返ったぜ」
ロイドが珍しく素直に礼を言った。
「こんなに冷えた水も出せるんだな、夏はお前に毎回頼もうかな」
「有料です」
「なんでだよっ」
ディックとロイドが早めに来てくれたのでアビゲイルは早足で冒険者ギルドに帰った。このあとカミラと買い物の約束があるからだ。
昼間の冒険者ギルドは午前の仕事を終えた予備冒険者のじじばばたちがのんびり昼食を食べたり談笑しあっていて毎日デイサービスのようになっている。村で一番平和な場所だ。
ギルドに入るとアビゲイルに気づいたじじばばが迎えてくれる。
「おかえり~アビーちゃん。カミラちゃん待ってるよ」
「ありがとうございます、カミラ待たせちゃった?」
「だいじょうぶ、おはえりなはい!」
カミラはお菓子がぱんぱんに詰まったポシェットを下げて、飛び跳ねるようにアビゲイルに走り寄って来た。このお菓子はじじばばたちがくれたのだろう。カミラの口の中にもおおきな飴玉が入っているのがわかる。
「ずいぶんもらったね~。お礼言った?」
「うん」
カミラは鼻息荒くポケットにさらにお菓子を詰め込んでいる。冬眠前のリスのようだ。
「よし、じゃあ買い物いこうか」
「はーい」
「明日何食べたい? お弁当」
「えーとねえ、お菓子食べたい。アビーさんの作ったやつ!」
「お菓子か~。まあそれは用意する予定だけど、ご飯は何がいい? サンドイッチ?」
普段のサンドイッチは野菜とハムやベーコンを挟んだものをよく作るのだが。ほぼ毎日食べているのでたまにはちょっと手間をかけようかとアビゲイルは思った。
「たまごサンドにしようか?」
「たまごだけ?」
「うん」
「えー! たまごだけしか入れないの?」
そういえばカミラたちには作ったことがなかった。ゆで卵をマヨネーズで和えたたまごサンドをカミラたちは知らないのだ。
「まあまあ騙されたと思って食べてみて、…あと定番は唐揚げか…」
「カラアゲ?」
「鶏肉を油で揚げたものなんだけど、うーん」
醤油がない。唐揚げといえば醤油とにんにくのきいたものをすぐ思いつくが、ここには醤油がない。
「塩コショウで、塩唐揚げかな~?」
「おいしい?」
「めっちゃおいしい」
前世で唐揚げを作った日は戦争のようだった。つまみ食いに始まり、夫と息子たちで奪い合いになり揉める。何度か雷を落としたが結局どうにもならず最終的に1人ずつ皿を分けることで落ち着いたのだが、作る量が増えて大変だった記憶がある。
「じゃあ食べたい!」
「よし、材料買っていくか~」
「おー!」
まずは八百屋に行き、いつもの常備野菜の補充とブロッコリーとキャベツ、小麦粉を買った。
そして肉屋ではたまごサンドのためにいつもより多めに卵を購入した。
「ずいぶん卵を買ってくれたけど、何作るんだい?」
肉屋の店主はまたアビゲイルが何か作るのかと興味津々だ。
「マヨネーズを作るんですよ、それで唐揚げとサンドイッチを作ろうと思って」
「カラアゲ?」
「鶏肉の揚げ物です。というわけで鶏肉ください、とりあえず3羽分を…骨取ってもらえます?
それで明日の朝一番に受け取りに来たいんですけど」
「3羽? そんなに食べるのかい?」
肉の多さに店主は驚いた。
「多いです? あ、でも女3人に神父様ですもんね? 確かに多いか…そりゃそうか」
うっかり前世の感覚で注文してしまった。
「でもディクソンたちが食べたいかもしれないし、そのままでいいです、お願いします」
「はいよ、毎度あり! じゃあ朝に捌いておくから取りにきておくれよ。店は早めに開けておくからさ」
「すいません、ありがとうございます、えーとあとバターも一塊ください」
「いっぱい買ったねえ」
アビーの大きな風呂敷包みを見てカミラはつぶやいた。
「ほんと、みんなと出かける楽しみな気持ちが買い物に出ちゃったな」
「重くない?」
「大丈夫、このくらいたいしたことないよ」
前世ではもっと大量の買い物をしていた、それらをすべて自転車の前後のカゴとハンドルに下げて毎日のように走っていたのだ。
アビゲイルはその頃を思い出し、ほんの少し懐かしさを感じた。
「へい、いらっしゃい。またえらく買ってきたな」
雑貨屋のビリーはアビゲイルのぱんぱんに膨らんだ冒険者カバンと風呂敷を見て驚いた。
「明日ハイキングなんだよ、ベリーを採りにいくの!」
「何日行くんだい、こりゃあ」
「1日日帰りです」
アビゲイルの荷物をもう一度見て。ビリーは呆れた。
「これなら3日は行けるぜ? ハッハハ! で? うちでは何を買っていくんだい」
「お砂糖ください、一袋」
「砂糖? 昨日神父様がたっぷり買っていったぜ? まだなにか作るのかい?」
「明日のためになにかお菓子でも焼こうかと思って」
「へえ、豪勢だねえ。皿だけ持って俺も明日行こうかな」
そう言いながらビリーは紙袋に砂糖を詰めて、秤に乗せる。針はまだ左右に揺れていたが気にせずに包んだ。誰も文句は言わない。いつもほんの少し多いからだ。
「それは私が持つ!」
「はいよ、お嬢さん」
カミラは砂糖を受け取って、両手でしっかりと抱いた。
「まいどあり、楽しんでこいよ」
「ありがとうございます」
帰り道、太陽は傾いて山に近づいていた。あと2時間くらいで山に隠れて夜になるだろう。帰ったらすぐにお菓子を作り、夕飯を作り、明日の仕込みをしなくてはいけない。
「帰ったらすぐにお菓子焼くからね」
「えっ! ほんと?」
「明日のハイキングへ持って行くお菓子だよ」
「うわあー! 私も手伝う!」
カミラは喜んで弾むように走り出した。
「アビーさん! 早く帰ろう! はやくはやく!」
「待って、荷物が重い!」
そう言いながらアビーも早足で歩き出した。
前世をまた思い出す。息子たちの幼い頃を。今は大きくなってお菓子くらいではたいして喜ばないが、重い荷物を代わりに持ってくれていた。
また似たような幸せをこうして味わえるのは、アビゲイルは嬉しかった。