大森林と水魔法
「大森林か、そうじゃよあそこは入っちゃ駄目じゃよ」
3人で巡回したその日の午後、マッサージの予約で来てくれた老人が教えてくれた。周りの老人たちもうんうんとうなづいている。
「私らが子供の頃に一度、領主様があの森を開拓しようとしてたくさんの兵隊さんと冒険者が調べに入っていったんだけど誰も帰ってこなかったんだよ」
「えっ!」
「いてていたいいたい」
「あっごめんなさいっ」
アビゲイルは驚いて老人の肩をぎゅっと握りしめてしまった。老人はにっこりと笑って許してくれた。
「村で食料や薪やら集めてのう、親から聞いた話じゃあだいぶ入念に準備していたらしい。2週間くらい森に入るとか言ってのう」
「でも1ヶ月経っても1年経っても今になってもだーれも帰ってきてないんだよ」
「確か10日くらい経ってから馬が1頭帰って来たんじゃよな?」
「領主様の息子さんもいたんだよ」
老人のマッサージに集中しながらアビゲイルは老人たちの話に聞き入った。思ってたよりすごいことがあったらしい。
「ほ、ほんとに怖い森なんですね…」
「この村ができた頃からわしら村人は入ったら出てこれないのを知っておったから、当時の村長はだいぶ説得したらしいんじゃが、領主の息子が突っ張ってのう。冒険者たちも有名なやつらだったらしくて、報酬がたんまり出たとか言ってのう」
領主が計画した調査団の話は聞けば聞くほど愚策という感じで大失敗に終わったらしい。残念なのは犠牲者がでてしまったことだろう。当時有名だった冒険者や学者もその中にいたらしいが、今この話を知っているのは街でも少ないだろうということだった。
「はぁ~なるほど」
「その後捜索隊が2度組まれたんだけど、その人たちも帰ってこなかったらしいね…」
「こわ…」
「アビーさんは知らんかっただろうが、村のやつらはみーんな知ってる話じゃよ。子供の頃に聞かされるからのう」
肩から足にマッサージの場所を移動して、足首の淀みをほぐしていく。先程からずっと大森林の話を教えてくれる老人はマッサージが気持ちよかったのか大きく深呼吸して震えた。
「ふぅ~気持ちええのう。ずっと足が冷えて痛かったんじゃ」
「良かった」
マッサージを喜んでもらえて嬉しい。少しは上手くなってきたかもしれない。
「アビーさんも森には一人で入らないようにの。エルフとはいえ自然は容赦してくれんからな」
「はい、そうします」
マッサージを終えてアビゲイルはオスカーと一緒に買物に行くことにした。八百屋、肉屋、パン屋といつものコースを歩いて行く。
「神父様も知ってました? あの話」
「ああ、知ってるよ。でもみんなの話からしか聞いたことがないのでね。私も今日の話以上のことは知らないんだ。教会にも記録のようなものが無くてね」
「そうなんですか」
「調査はそれ1度きりで終わったらしい。息子を亡くして損害を出した領主がだいぶ落ち込んだらしくて、おそらく資金も尽きたんだろう」
「みんなどうなってしまったんでしょうね」
「うん…」
二人はそのあと黙り込んで話さずに歩いた。気持ちが落ち込んだわけではなく、大森林での出来事を想像していたからだった。何があったのだろう?
「おう、どうしたねふたりとも黙り込んで。何かあったのかい?」
話しかけてきたのは雑貨屋のビリーだった。店先の商品にはたきをかけて掃除していたとこだったようだ。
「こんにちは~。今日大森林の昔の話を聞いて」
「大森林? ああ領主様の調査団の話か? じじいたちがべらべらよく喋っただろ? 昔から盛り上がる話だからな」
「ビリーさんも知ってます?」
「俺が生まれる前の話だから聞いた話しか知らねえな。茶でも飲んでいくか?」
アビゲイルはオスカーと顔を合わせてどうしようかと思ったが、オスカーが呼ばれようと頷いたので店内に入った。
「かあさーん、茶ぁいれてくれ。4人な」
奥に声をかけるとすぐに奥さんが茶器とポットを持って用意してくれた。砂糖の代わりにと練乳とジャムが置かれ、熱い紅茶が注がれてあっという間に準備が整った。
「さあどうぞ、練乳も遠慮なく使ってくださいね」
「ありがとうございます」
お茶を飲みながら今日聞いた話をつらつらと話した。
「俺の聞いてる話とおんなじだな。当時の領主は金遣いが荒くてよ。新しい資金源が欲しくて森に目をつけたんだ。あすこは巨木が多いからな、材木だけでも人稼ぎできると踏んだんだろうが、大失敗に終わっちまって。息子も死んじまってボロボロになってよ」
「領主様はそのあと娘さんがお婿さんをもらって立て直したのよ。今の代の領主様は堅実な方と聞いてるわ」
「へ~」
ビリーは喉が渇いたのかお茶を一気にぐいっと飲んだ。熱くないのだろうか?
「ま、あすこは手を出すなってのが決まりだ。手を出さなきゃ平和で穏やかな暮らしができるよ。楽しくベリーでも集めて、こうしてジャム作って楽しく茶ぁ飲んでさ」
「そうですね~。このジャム美味しいです」
「どうもありがとう。これは去年のジュベリーよ」
優しく微笑んで奥さんが教えてくれた。
「私達も近いうちにベリーを集めてジャムを作ろうって話してるんですよ」
「えっ神父様がジャム作りを?」
「ええ今年はちょっと頑張ってみようかと思いまして、先代のシスターのレシピもありますし、アビーさんにも教えてもらおうと思って」
「いいじゃねえですか、じゃあ道具を買わねえとな?」
勢いよくビリーは立ち上がり、両手をもみながら店の外に出ていった。そしてすぐにちりとりのようなものを持って帰ってきた。
「たっぷりベリーを収穫したいならこのベリーピッカーがねえとな」
ビリーが持ってきたものは上に持ち手のついた箱型のちりとりに見えた。底の部分は針金で櫛のようになっている。
「これはベリーを取るには便利な道具だぜ。ベリーの木をこうしてザクザク櫛をかけるように撫でると実だけが集まって枝葉は傷つかねえんだ。櫛の幅がちょっと広いのは小さい実が取れないようなってる工夫さ。」
しゃがみ込んでピッカーを動かし、ベリーを収穫する様子を見せながら説明してくれる。
「おお便利~。一粒ずつ集めていくのかと思ってました」
「そんなのすぐ陽が暮れちまうよ。どうだい? 1500ゼム」
買えない値段ではないが、後日に完成する皮手袋を考えると今は節約したい。どうしようか。
「アビーさんうちにこれと同じベリーピッカーがあるから大丈夫だよ」
「そうなんですか? じゃあそれ借りようかな?」
それを聞いてビリーはちょっとがっかりした。
「ちぇ、神父様商売の邪魔しねえでくださいよ。しょうがねえな」
笑いながらビリーはオスカーに愚痴った。
「ははは、申し訳ない。でも近いうちにガラス瓶や砂糖を買いに来ますんでよろしくお願いします」
「おっ。もうじきジャムの材料や道具を入荷しますんで、たっぷり買ってくださいよ」
「ええ、娘と買いにきます」
よいよしとビリーが満面の笑顔になる。たくさん買ってくれそうだと思ったのだろう。エルマか私が一緒に行かないととんでもないことになりそうだ。
「そういえば、最初にアビーさんがうちに来たとき色々買おうとしてたよな。あれは全部揃ったんかい?」
「ああ、そういえばそうでしたね。なんだかもう懐かしいな~」
アビゲイルは当時何を書いたか思い出した。
小型のナイフ
バッグ
水筒
薬軟膏
ノートか手帳
鉛筆
「確かこのくらいだったはず…。そう思うとあとは水筒だけですね」
「水筒か、今水はどうしてるんだ?」
「神父様から借りて使わせてもらってます。まあでも最近はもうお返ししようかなと思ってて」
それを聞いてビリーが反応した。
「新しい水筒買うかね?」
買うとアビゲイルが言えばすぐに店の在庫を持ってきてくれそうだったが、そうではないと断った。
「私の水魔法が結構使えるようになってきて、お湯も水も魔法でいつでも出せるから水筒はいいかなと思ってまして…」
「あら、お湯も出せるの? 便利ねえ。いつでもお茶が飲めるわね」
ビリーの奥さんが羨ましそうに反応した。
「へえ、魔法の水が飲めるのか。たいしたもんだ。腹壊したりしねえか?」
「何度か飲んでますけど大丈夫ですよ。…あれ? 魔法の水って飲んじゃ駄目なんです?」
アビゲイルは自分のお腹を抑えて焦りだした。今日もマッサージのあとに飲んでいる。
「だいじょうぶだよアビーさん。いままで壊してないなら大丈夫。水魔法の水は人によって綺麗さが違うんだ。濁っていたりして飲めない水を出す人が多いんだよ」
「そうそう、飲食には使わないのが普通なのよ?」
「教会での料理には使ってなかったんですけど、これからは使っても大丈夫ですかね?」
「一応調べたほうがいいんじゃねえか? 駄目だったらいい水筒を取り寄せてやるよ」
「あはは、お願いします。でもどうやって調べたらいいんでしょうね?」
「街に行けば錬金術師が水を調べてくれるだろうよ」
錬金術師は井戸の水や魔法の水が飲めるか調べる技があるらしい。残念ながらトココ村にはいないのですぐには調べられそうにない。ディクソンに聞いてみようか? それにしてもしばらくは自分以外に飲ませるのはやめておこうとアビゲイルは思った。
するとビリーの奥さんが店の奥に引っ込み、すぐにポットを持って戻ってきた。
「アビーさん、このポットにお湯を入れてくれる? お茶を淹れてみましょ」
「おっいいじゃねえか。まずはお湯を飲んでみようぜ」
「えっ。だいじょぶですかね?」
やめておこうと決めた途端にみんなが飲みたがった。大丈夫かと焦っているとビリーの奥さんが大丈夫だと言う。
「なんかあったらシャイナさんとこ行きましょ」
奥さんは好奇心が強いのか、早く飲んでみたいようだった。
オスカーもビリーもうんうんとうなづいて飲みたそうだったので、仕方なくアビゲイルはポットにお湯を注いだ。いつもより念をこめて綺麗な水が出るように意識した。
「お~。熱々だな」
「毎日うちのお風呂にもお湯を出してくれるんですよ」
「まぁ。いいわね~」
ビリーの奥さんはみんなのカップにお湯を注いでいく。アビーは飲み慣れているが、自分の魔法の水を飲んで本当に安全なのか不安になってくる。
(私としては水道水みたいな味なんだけど、みんなはどうだろうなあ…)
アビゲイルは水を出すとき、水道の蛇口をひねるようなイメージで指先から出している。
そのせいなのか味は水道水そっくりだ。だがこれはアビゲイルにしかわからない。
3人はカップに息を吹きかけて冷ましながらゆっくりと飲み始めた。
「ど、どうですか?」
しばらくだまって何度もお湯を飲んでいた3人だったが、ビリーが話しだした。
「うまいよ。というか本当に味がしねえな」
「うん、熱いからというわけではないね。よほど綺麗な水なのかな?」
「じゃあお茶っ葉を入れてみましょうか」
お茶も渋みがなくてうまいと中々好評だった。
「コーヒーも淹れてみてえな。アビーさんやかん持ってくるからお湯を入れてくんねえか?」
「いいですけど…。大丈夫かなあ? 飲みすぎると良くないかもですよ?」
「今はもう腹がジャブジャブだから、明日飲んでみるよ」
ビリーはお腹をさすりながら笑った。
「にしても、これだけ水やお湯が出るなら水筒はいらねえな。代わりにホレ、この木製のマグカップ買ってけよ。800ゼム」
すぐそばの食器類が置いてある棚からマグカップを手に取りアビーに手渡した。
「商売上手~」
「へっへへ。木工ギルドで作った槐のマグカップだよ。硬くて粘りのある木だから腐ったり割れたりしにくいんだ。いいものだよ街じゃ1600はするぜ」
淡い飴色の綺麗な木目で、丸みのあるフォルムが可愛らしい。温かみのあるデザインだ。
「ええ~。どうしよう。でもあると便利だな~」
突然すすめられて一瞬迷ったのだが、アビーはすぐに財布を取り出し800ゼム支払った。
「まいどあり。相変わらず買いっぷりがいいな。マグカップを買ったなら今度はこのキャンプ用のやかんはどうだい?」
すばやくビリーがやかんを薦めてきたが、アビゲイルはやんわりそれは断った。お湯がだせるのだからやかんはいらない。
「そううまくはいかねえか」
「危うくひっかかりそうでしたわ」
「ハッハッハ! 惜しかったな」
ビリーは商売上手で色々売ってくるが嫌味がない。それにどんどん購買意欲が湧くようなやり取りを仕掛けてくる。
「もうマグカップ買いました」
「もっと買ってくれにゃあ暮らしていけねえよ」
「もう~、この調子じゃあ私が散財して暮らしていけないです」
ビリーはお茶を吹き出しそうになった。
「じゃあちょっと間を置いてまた買いに来てくれよ。財布を膨らませてからな」
だっはっはと笑い、みんなもビリーの笑顔につられて笑った。
ベリーピッカーは検索すると出てきます 使ってみたい道具のひとつです(笑)




