薬草図鑑
オスカーとの保存食作りの約束をした翌日、アビゲイルはいつもより早めに起きて野原にやって来ていた。
畑にトマトを植えた日に手伝ってもらった時セイレケに教わった野原だ。
「今日も晴れそうだなあ」
東の山々の間から太陽が半分ほど登ってきていて、朝焼けのオレンジ色が薄くなっていく。 足元は朝露とまだ残っている夜の冷気でひんやりしているがアビゲイルの膝上は日光があたって温かい。陽の光を浴びたアビゲイルの影は坂の中腹まで長く伸びていた。
野原のハーブや野草は今日もたっぷりと日光を浴びようと賢明に背伸びをしているように見える。アビゲイルも大きく深呼吸して背伸びをした、まだ少し冷たい空気が気持ちいい。
「さて摘みますか」
アビゲイルはかごを抱えて白い花びらの小さな花を摘んでいく、カモミールだ。
「今日はこれだけ集めよう」
腰を少しだけ屈めてぷちぷちと無心で集めていく。アビゲイルはこういう単純作業が好きなので特に苦もない。鼻歌まじりに花を摘むたびにリンゴのような甘い香りが漂う。
なんとも楽しい作業で夢中になっていると野原の坂の上の方で人の気配がした。
「ひゃひゃ、誰かと思えばあんたかい」
「シャイナさん、おはようございます」
「おはよ」
シャイナはのんびり坂を降りてきてアビゲイルのかごの中を覗いた。
「カモミールか、あと2~3日遅かったら効用が弱ってただろうからちょうどよかったね」
「そうなんですか?」
「一番いいのは花が咲いた日だよ、そこから順に咲いていって散っていくからね。今は花が満開だから今日咲いた花も集められるだろう? もう少ししたら花が散るからね」
ハーブの花を集めるには種類によって蕾だったり花だったりと収穫するのに良い時期があるのだそうだ。
「なるほど~」
「あんたエルフのくせに知らんのかい、うっひゃひゃ。しょうがないねえ。草木魔法でわかるだろうに」
「草木魔法?」
「知らん?」
草木魔法はその名前のとおり、草木を操る魔法だ。成長を促したり、森や林を使って混乱させたり出来るらしい。そしてハーブなどを摘むときは一番いい時期がわかるのだそうだ。
ほとんどのエルフが使える魔法だが、アビゲイルが一切知らないのを聞いてシャイナは山にこだまするくらい大笑いした。
「あーっひゃっひゃっひゃ! 草木魔法を知らんとは! ぶっふーっ!」
シャイナにはかなりツボらしい。アビゲイルはちょっと顔を赤らめた。
「…はー。そういえば記憶がちょっと曖昧なんだったね。抜け落ちたんかな?」
「もう全然わかんないです」
「そうかい、ふーん」
少し考えこむような感じでシャイナは頷いた。
「なので今はっきりここでわかるハーブもカモミールだけなのでそれだけ摘んでたんです」
「薬草学はエルフの得意とするところなのに、残念だねえ、ひひひ」
確かにエルフは森に住む民なので、草木に詳しいだろう。だがアビゲイルは前世でも園芸をほとんどしたことがない。わかるのは食用の基本的なハーブだけだ。
もとが異世界の人間なので仕方のないことだが、たしかにエルフなのになんにも知らないのはちょっと恥ずかしいなとアビゲイルは照れた。
それを見てシャイナは足元の赤い花をひとつ摘んだ。マメ科の花のようで5枚の花びらが左右対称になっていて蝶のような形をしている。
「ホレ、この赤い花。これはネズミ豆。これもお茶になるよ赤いお茶だ。血行促進、肌にいい。葉っぱは干して血液増加の薬になる。秋に小さい豆が出来る。食べれるよ」
「こっちのうすい紫は青豆草、こっちも血に効く、貧血にいいよ。花はお茶。茎は薬、めっちゃ苦いから私好みの薬が出来るよ。ヒヒヒ」
今度はシソのような形の葉をプチプチと数枚もいでひらひらとアビゲイルに見せた。
「これはネトル。春先によくあるくしゃみや鼻水に効く。モギ草ほどじゃないがいい草だよ。万能だ。体の良くないものを出してくれる。蕁麻疹にもいい、その場合は塗り薬だね。花は夏。お茶にするとふんわり甘い」
「えっえっちょっと待ってください。あーなんで手帳持ってきてないんだ私!」
シャイナの早口だが丁寧な説明をメモしたいのだが、アビゲイルはかごしか持ってきていなかった。まさかシャイナに出会って教えてもらえるとは思っていなかったのだ。
「ヒッヒッヒ。まあすぐには覚えられんわな。ふむ、ちょっとうちまでついておいで」
「え? ハイ」
言われるがままにアビゲイルはついていった。シャイナの家は野原の坂道を登っていくと村の一番北側、丘の上にある。北の大森林のふもとだ。家の周りの畑にはたくさんの種類のハーブと花。ここでしか見たことのない野草が植えてあり。温室もあってそこは外から見るとただの緑色に見えるほど、植物が育っていた。その庭を通っていく、つるバラのアーチを抜けて裏口から家に入れてくれた。
「わあ~」
「調合部屋だよ。足元と頭気をつけな」
シャイナの調合部屋は南向きに大きな窓があり、朝日がまっすぐ部屋に差し込んでいた。天井が見えないほどにドライハーブの束が干してあり、棚にはわけのわからない液体や粉が瓶につまって並べられていた。床にも何か色々散らばっている。出来るだけ踏まないようにアビゲイルは入ってきたドアのそばに立った。
テーブルの上には小さな七輪のような竈門があり、まんまるのガラス製の薬缶がお湯を沸かしていた。シャイナはその薬缶に棚から取り出したいくつかの草を適当に(見えた)入れてお湯を注いだ。
「ホレ、ちょっとこれ飲んで待ってな」
テーブルの脇の丸椅子を差し出されたのでそこに座り、アビゲイルはお礼をいいながらお茶をすすった。
「おいし~い、いい匂い…」
「そりゃどうも」
適当な返事をしながらシャイナは部屋の隅の物置の中をなにやらゴソゴソといじっている。
「どこいったかなありゃ」
何を探しているのかと覗き込んでいると。ドアが開いてナナが入ってきた。
「おばあちゃんなにしてるの~って…アビーさん!」
「お、おはよ~」
「どうしたんです~?」
病気なのかと心配されたので、シャイナと野原で出会ってここに連れてこられたことを説明した。
「そうなんですか~。でおばあちゃんはなにしてるの~?」
ナナが声をかけた途端物置の奥から何かが崩れる音がした。慌てて二人が物置に駆け込むとホコリまみれのシャイナが1冊の本を持って出てきた。
「あったあった。ホレ、アビー。これあげるから薬草の勉強しときな」
差し出された本はアビゲイルの手のひらより少し大きめの本で革のカバーに紐がついていた。革の表紙には何もなく、めくると中表紙にタイトルが書かれていた。
「西大陸薬草図鑑・その薬効と調薬方法 ジョージャ・シャイナ」
「じょーじゃ・しゃいな…えっこれってシャイナさんが書いたんですか?」
シャイナはふるふると首を横に振って答えた。
「うんにゃ、私のパパが書いた本」
「パパ」
「シャイナってのは私ら一族の長に選ばれた人が継いでいく名前なんだよ。だから私の本当の名前はララジャ・シャイナなんじゃ。いつ頃からかこの村ではシャイナと呼ばれるようになってね。もうあだ名みたいなもんさ」
本をパラパラとめくってパタンと閉じるとほこりがふわっと舞った。
「だいぶ古い本なんだけども、今でも十分使えるからこれを使いな」
「でもお父さんの本なら大事な本なんじゃないですか?」
アビゲイルは本がもらえて嬉しかったが、本当にもらってよかったのか迷った。
「だいじょうぶです~。まだいっぱいありますから~」
「へ?」
薬草図鑑は昔ジョージャ・シャイナが都の研究者に言われて渋々作ったのだが、流浪の旅一族の知識など役に立たんと当時の他の研究者に笑われてしまい。ほとんど売れずに残ったらしい。なので最初に50冊ほど刷られただけで、そのほとんどがこの物置にあるのだそうだ。
「お父さん残念でしたね」
「うんにゃパパは別に気にしてなかったね。もともと乗り気じゃないしね。だけど半端なものは作れないってんで当時の私ら一族が人に言えるだけの知識を詰め込んだんだよ」
「えー聞いてるだけで相当すごい本な気がするんですが、って言えるだけの知識ってことは言えない知識もあるんですね」
「ひひひ、あるけど口伝で一族だけの秘密だよ」
ニタリと笑うシャイナの横でナナもにっこりと微笑んだ。
「内緒です~」
「ま、良かったら使っておくれ」と渡された本とカゴいっぱいのカモミールを持ってアビゲイルは教会に帰った。朝食を誘われたが家でエルマが朝食を用意してくれているので断った。
だが予定より遅く帰ってきたのでエルマたちはもう学校にいってしまっており、オスカーが一人で台所で待っていてくれた。
「おかえりアビーさん。たくさん摘んできたね。モギ草みたいに干しておくんだね」
「はい、茹でたりはしなくいいんだそうです」
カモミールの入ったかごの中に本があるのをオスカーは見つけた。
「この本は?」
「ああ、シャイナさんに会って話してたらエルフが薬草知らんのは笑えるって言われて、その本をくださったんです」
「薬草図鑑…これと同じ本が教会にもあるよ」
「えっ」
そう言ってオスカーは本を持ってきてくれた、確かに同じ本だ。だが革表紙は日に焼けて色あせていた。本の最後のページにには修道女オリビアの名前と薬草パンのレシピが書かれていた。
「はりゃー、ほんとに色んな人に配ってるんだな」
「わたしも読んだけど、いい本だよ。面白かった」
「面白かった?」
「まあ読んでみたらわかるよ」
「へえー、あっそうだもうギルド行かないと!」
アビゲイルは慌ててテーブルに置いてあったエルマ手作り朝食をかっこみ、お弁当をカバンに詰めてギルドに走った。
ギルドではディクソンが巡回に行くために待っていてくれた。遅れたことを謝ってからその理由を巡回しながら話した。
「ふーん、良かったじゃないか買わずにすんで」
「そうだね、薬草の知識がほしいなとはぼんやり思ってたから」
ディクソンはまた枝を拾って道端の草を枝でぴしぴしと叩きながら話を聞いてくれた。
「アビーが神魔法を習得して、薬草の知識を得て、料理上手で世話好き…お前はホント「補助」向きだな」
「補助?」
「冒険者とはいうが細かく言うと結構目的別に分かれるんだよな」
冒険者は「戦闘」「探索」「採集」「研究」など一人ひとりに得意なものがあってそれを専門として働く冒険者が多くいるらしい。
「俺は戦闘職だ、討伐や退治がメインでこれも魔物だったり人だったりと討伐での得意分野は別だ。人、つまり盗賊や悪人を討伐する冒険者はギルド発行の許可証がいる。魔物の希少種とかもだ」
ちなみにディクソンは人類種討伐許可証を持っているらしい。
「人類種?」
「人間、エルフ、ドワーフ、獣人、まあ文明を持っている種族だな。亜種も含まれるが」
この許可証とるのがめんどいんだよな~とディクソンはしみじみ話した。
「探索」はダンジョンや未開の土地の開拓がメインで、こちらは地図を作ったり新しい種族や魔物を見つけるのが主な仕事。
「採集」は採取しづらい危険な場所や遠隔地で薬草や鉱物を集めたり発見してくるのがメイン。
「研究」は自信の研究を極めたい研究者が冒険者になってフィールドワークをしている人。
「とまあ簡単に言うとこのくらいあってだな、補助てのはそういう人たちの旅の助けを目的として彼らについていく冒険者だ」
「あー衣食住の世話をするのね」
「そうだ」
いろんな冒険者についていって衣食住の世話というのはなんというか。私が行くとお母さんが冒険についていっているみたいだな。4種類の冒険の説明を聞いてアビゲイルは補助以外に自分合うものを考えてみた。
「補助以外の仕事だと「採集」かな~。ここで最初の仕事も薬草採取だったもんね」
「そうだな、その薬草図鑑を覚えたら結構な仕事になるんじゃないか? 旅をしながら薬草を売ったりもできるしな」
「あー、いいねいいね。ついでに神魔法で治療もできてね」
アビゲイルは旅をしながらいろんな人を助けていく自分を想像した。思っていた冒険者とはちょっと違うがかっこいいかもしれない。
「もしアビーが補助冒険者になったらって今ちょっと考えたんだが…。なんだかおふくろがついてくるみたいになりそうだな。ロイドみたいな若いやつに説教たれたりして」
「ええっ?!」
さっき考えていたことと同じことをディクソンが言い出して驚いたアビゲイルは一瞬固まってしまった。
それを見てディクソンはブフっと吹き出して大声で笑い出した。
「ハッハッハッ! 面白いな。しばらくは俺とロイドのおふくろか! ハッハッハッ!」
「だれがお母さんじゃ! パンツは自分で洗ってよね!!」
それを聞いてディクソンはさらに笑いが止まらなかった。




