畑仕事
「神父様…これどうするんですか?」
アビゲイルのあきれた声に少し不安げにオスカーは答えた。
「え…? 畑に植えるんだよ?」
「量がおかしくないですか? トマト農家になっちゃいますよ?」
眼の前の木箱にはトマトの苗が10株ほど植えられている。その木箱が4箱もある。
他にも夏野菜やいくつかのハーブの苗と種があった。
「こんなに植えられるんですか?」
「畑は広いからだいじょうぶ、だいじょうぶ。昨日のうちに半分耕しておいたし、今日はお手伝いの人がきてくれるから」
「そうなんですか、にしても買い過ぎでは…」
「お父さん一人に買い物させちゃ駄目よアビーさん。なんでも買いすぎちゃうから」
エルマもため息をつきつつ苗を見つめている。
「よくわかりました」
「いや…申し訳ない。昨日のケチャップが美味しかったのでたくさん作りたくて」
「ふふふっ植えるのも作るのもお父さん頑張ってね。じゃあ学校いってきます」
「いってらっしゃい、気をつけてね~」
「いってきま~す!」
エルマとカミラは元気よく手をふって教会の庭から出ていった。
「さて、やりますか」
今日は一日畑作業である。前世から畑づくりに興味があったアビゲイルは教会の畑を少し借りて野菜を育てようと思っていたのだが、先日作ったケチャップが思いのほかオスカー親子に好評だった。なのでケチャップをたくさん作ろうと画策したオスカーは大量にトマトの苗を買ってきたのだ。
「手伝ってくれる人たちは朝食後に来るといっていたからもう少しかかるかな?」
「じゃあ来てから一緒にやりましょうか? その前に私ちょっとモギ草の仕込みをしたいのですがいいですか?」
「それまで私は残りの畑を耕しているから、アビーさんはお茶を作るといいよ」
「ありがとうございます。すぐに終わらせますから」
モギ草は昨日の晩に水洗いして水桶の中に入れて水にさらしておいた。こうすることで草についていた虫を出せるらしい。
一度ざるにあげて水を切り、水桶にまた水をいれてモギ草を2~3回すすいだ。
大きめの鍋にお湯を沸かし、モギ草を入れて軽く湯がき、今度は底の浅い乾燥用のザルに熱いまま上げて、ザルの上にモギ草を広げていく。
「これを乾燥させればお茶になるのか、簡単だな~」
ザルはなかなか大きいサイズのものだったが、詰めて広げても5つも使うことになった。
結構な量だ。うまく出来ればしばらく楽しめそうだ。
台所から出て、日当たりのいい場所を探しているとオスカーに声をかけられた。
「もうできたのかい?」
「あとは干すだけなんですけど、どこかいい場所ないですかね?」
「ああ、じゃああの棚に置くといいよ」
オスカーの指差す方向には数種類のハーブが植えられた花壇が見えた。その脇に木製の棚というかベンチのような台があった。
「これベンチかと思ってました」
「何もないときは座ってもいいんだよ」
時と場合によって台になり椅子になるようだ。ザルを並べていると後ろに急に気配を感じて驚いて振り向くと、老人が二人立っていた。
「おはようございます。えーとアビゲイルさんだったかな?」
「えっ、わっおはようございます。いらっしゃってたんですね」
「おはようございます。ついさっきね。お茶を作っていると聞いたから、途中でやめさせるのもアレかと思って。びっくりさせちゃってごめんなさいね」
手伝いに来ていたのは農家の老夫婦だった。この教会に近い農家の人で、オスカーと顔見知りらしく昨日の苗売り場で出会い、手伝いを申し出てくれたらしい。
「ウチの畑は息子達が耕してもう小麦やらなんやら植えてな、ちょっと手が離れたんだ」
こう話すのは夫のトマムさん。小柄な人だが体つきがしっかりしていて、焼けた肌に年季が入っている。
「そうそう、私たちはもう半分農業を引退しているようなものだから、ヒマなのよね」
ほほほと明るい笑い声なのはトマムの妻セイレケさんだ。この人も小柄で、少しふくよか、二人が並んでいると小人の夫婦のようで見ているだけで微笑ましい雰囲気がある。
「今日は手伝ってくださりありがとうございます」
オスカーが改めて礼を言うとカカカッと笑ってトマムが答えた。
「いやあ、いつかは何かしらお礼ができたらと思ってたからね。俺の腰を治してくれたからよ!」
「もう治療費もらってますから、いいんですよ」
「いやあ金だけじゃあ足らねえよ神父様。今日はしっかり手伝わせてくだせえ」
どうやら神魔法でオスカーに治療してもらった人らしい。
「じゃ残りの畑を耕しますか、牛を連れてこようかと思ったんだがまあこのくらいなら大丈夫だな」
そう言ってトマムは木製のシャベルを持って畑に向かった。アビゲイルもシャベルを持ってついていく。まだ耕していない畑は数年使っていなかったようで雑草も生えて土も硬そうだ。
「こいつはやりがいがありそうだ。よっと」
トマムはシャベルを軽く畑に突き立てたように見えたが、シャベルは砂に刺したかのようにザクッと深く埋まった。
「えっ? すごい力ですね」
「カカカ、これは土魔法だよ。農業魔法ともいうがな」
「農業魔法?」
トマムの説明によると農機具に土魔法の魔力を通して土をほぐしたり、畝を作ったりできるらしい。
「道具を自分の手のように使えるんだ。牛に引かせる鋤に通すと冬に固くなった土もすぐ柔らかく出来るんだよ。農家のやつらはみんな使えるぜ。慣れた奴だと土の中の石とかついでに砕いちまう」
「ええーすごい」
「おじいさんも出来るじゃないですか」
セイレケが教えてくれた。
それを聞いたアビゲイルがトマムに尊敬の眼差しを投げる。気づいたトマムは視線を切るように手をぶんぶんと振って照れた。
「やってりゃあ誰でも出来るんだよ!」
「でも、土の中の石を砕けるなら、岩とかも砕けるようになるのでは?」
「あー? まあやろうと思えば出来るんじゃねえか? 戦争中は道の地面を農民兵士がいじって敵の騎兵の進みを遅らせたり、穴に埋めたりしたらしいぜ?」
「すご…、でも平和に使いたいですね」
「まったくだぜ」
話を続けながらトマムはあっという間に畑を耕し終えた。アビゲイルは農業魔法を教わりながら硬い土と格闘したが、あまりうまくはいかなかった。
「最初はそんなもんだよ、カカカ。さて苗を植えていくか」
トマムが鋤を使って畝を作っていく、畑の端に鋤をつくと土の中にモグラかなにかがいるようにもこもこと土が盛り上がり一瞬で畑の向こう側まできれいな畝が出来上がる。
「さ、植えていってくれ。間隔はこんぐらいでな。1列に8つくらいかな?」
「じゃあこの畑にトマトは全部植えられそうね。あっ菊を植えないと」
「菊?」
アビゲイルはなんで花を植えるのかと聞くと、虫除けの効果のある菊を植えるのだそうだ。トマム夫婦は自分たちの畑で作ったときに余った種を持ってきてくれたのだった。
「ありがとうございます」
「こっちは黄色い菊、こっちはカモミールよ。これは玉ねぎのそばに植えるといいの。花を集めて干してお茶にもなるわよ」
「無駄がないですね」
関心しているとセイレケは笑った。
「昔は貧しかったから、なんでも食べてただけよ。この村はもともと野草の多い場所だったらしくて昔からみんな野山で採ってきて食べてたのよね」
ここに来たばかりのときに山菜を採りに行くクエストがあった。季節が変わるごとになにか採れるものがあるのかもしれない。またあのときのようにもめてほしくはないなとアビゲイルは思った。
「そういえば、ここから街に行く途中の河原と裏からシャイナさんちに続く坂道の横に野原があるでしょう?」
「はい、色々花が咲いてきてきれいになとこですよね」
「あそこはシャイナさんが余った野草の種を蒔いているところでね、あの辺の草花は薬やお茶になるわよ」
「えっ。自由に採っていいんですか?」
「だいじょうぶよ、採りすぎたり根っこを抜いたりしなければ。秋までいろんなものが採れるわ」
「はえー」
「おい、もっと手を動かせ。お二人さん。日が暮れちまうぜ」
「あら、ごめんなさいね」
トマムに軽く注意されて、二人はさらに手を動かした。
トマム夫婦が手伝いに来てくれたおかげで畑作業は午前中にすべて終えることができた。
植えた苗たちはまだ小さく、種もまだ芽が出ていないので畑の半分はまだ黒土の畝があるだけだったが。これから野菜たちが育って賑やかになっていくだろう。
アビゲイルはトマム夫婦を昼食に誘った。
「いやあ、ありがたいね。アビゲイルさんは料理上手と聞いてるから楽しみだよ」
トマムはごつごつした手をすり合わせながら椅子にどっかと座って嬉しそうだ。
「神父様はお茶をいれるのがお上手なのね」
「いやあ、これしかできません。ハチミツも遠慮なく使ってください」
オスカーとトマム夫妻がこれからの畑の手入れ方法を話し合っているのを聞きながらアビゲイルは料理を始めた。とは言っても手の込んだものではなく、ありふれたものだった。
パセリを混ぜたオムレツ、クレソンとレタスのサラダ。フライドポテトのハーブ塩和え。
豚もも肉のハムは少し厚めに切って食べやすい大きさに。チーズはカッテージチーズとゴーダチーズ。そしていつものパン、これは今日は軽くフライパンでトーストした。
チーズは昨日オスカーが来客があるからと買ってきたものだ。
「できました、どうぞ~」
「おお、豪勢だな! ありがとうよ」
「美味しそうね、いただきます」
二人はすっと姿勢を正して、丁寧に祈りはじめた。窓から涼しい風が吹いてきて、台所の空気が澄んだようにアビゲイルは感じた。窓から見える庭と畑、テーブルに並ぶ料理、村の仲間と楽しむ時間。その全てが美しく、素晴らしいものなのだ。それを知り、感謝し、そのために努力する。二人の祈りの姿はそれらを形に表したように感じた。
カミラやエルマたちにはまだ無邪気さが残るのか今までそんなことは感じなかった。神父であるオスカーも所作はきれいだが少し違う。
挨拶やただの習慣という感じだったのだが、やはり年季が入ると思うことや感じることが増えるのか。
「カー上手いな! アビゲイルさんあんたいい嫁さんになれるよ。この芋、エールに合いそうだ」
トマムの食べっぷりはなかなかだった、下品ではないがガツガツと口に放り込んでいくのが見ていて楽しい。一方セイレケは上品でひとつひとつの料理をゆっくり楽しんでいるようだった。
「オムレツにパセリが入ってるのいいわね、香りが良くて美味しいわ。これなら孫たちも食べてくれそう」
「そうですか? 良かった」
「思い出したんだけど、小さい頃はモギ草をたっぷり炒めて卵1個でとじたりしたわね、まだ卵が貴重であまりとれなかったから」
「そうだった、懐かしいな。子供には苦くてな。好きじゃなかったんだが、今は時々食べたくなるよ」
シャクシャクといい音をさせながらサラダを食べるトマムがうなづいた。
「今はお薬とか販売用ですか?」
「そうだな、時々食べるが男たちの酒のつまみさ。あとは…モギパンかな」
「モギパン?」
「茹でて刻んたモギ草を練り込んだパンよ。ナッツとかいれると香ばしくなっておいしいわよ」
モギ草は確かに茹でるといい香りがした。パンの香りと合うのかもしれない。
「今度作ってみようかなあ」
「焼くときの粉は細かいサラサラのを使うとふっくらもっちりでおいしいわよ。モギ草は今日乾燥させているのでもいいし、採りたてのでもいいからね」
「おーありがとうございます。やってみます」
昼食を終えたあとにモギ草のお茶を淹れてみんなで飲んでみた。思ったより苦味はなくて飲みやすい。
薬として飲むときはもっとしっかり煮出すのだそうだ。
「モギ草茶を飲むと昔を思い出すなあ。紅茶も昔は高かったから、こういう野草茶を毎日飲んでたよ」
「今は紅茶も野草茶も両方選べて飲めるようになったから、いい時代になったわね」
「いまは戦争もないしな、ありがたいぜ」
この世界にも最近戦争があったらしい。詳しくはわからないがかなり大きな戦だったのだろうか? 戦争が終わって良かったとしみじみ言う夫妻の顔を見ていると、なんとなくだが大変な時代だったのだなと感じる。
「じゃあな神父様、アビゲイルさんもご馳走さん。畑は時々見に来てやるよ」
「ありがとうございます。よろしくお願いします~」
アビゲイルとオスカーは深々とお礼を言って、トマム夫妻を見送った。鋤を担いでゆっくりと歩いていく二人をアビゲイルたちは夫妻が道を曲がって見えなくなるまで見ていた。
最後、道を曲がるときにこちらに気づいて二人は手を振ってくれた。
こちらも大きく振り返す。
「お昼のときの二人の祈りは美しかったね」
オスカーがぽつりとつぶやいた。
「あっ、私も思いました。きれいだな~って」
「あんなふうに祈れるようになるには、どうやって生きていけばなれるんだろうね?」
神職であるオスカーにはさらに美しく見えたのだろう。だがアビゲイルはその問いにすぐに答えた。
「私が見慣れただけでもうできているのかも…? 神父様のお祈りもきれいですよ」
「そうかね? ありがとうアビーさん」
オスカーはもう誰も歩いていない真っ直ぐな道をそのまま眺めていた。




