新しいソース
革手袋の予約をした翌日、村の広場に人が集まってなにか準備しているのを見かけた。
「なんだろう?」
遠巻きに眺めつつ通り過ぎようとすると、一人に挨拶された。
「おう、おはようアビーさん」
「あっおはようございます。村の中で会うの初めてですね」
挨拶してきたのはいつもの巡回中に時折出会う農家のおじさんだった。
「広場でなにかするんですか?」
「夏野菜の苗を売るのさ。農家連中で色々な苗を育てていてこうして季節ごとに売っているんだよ」
「へー、おじさんとこはなんの苗を売るんですか?」
「うちは茄子と山トマトだよ」
「山トマト?」
「ここみたいな涼しい北寄りの地域でも育つトマトだよ。実は小さめで酸味もあるけどうまいトマトさ」
トマトと聞いてアビゲイルは最近まったく生のトマトを食べていないなと思った。ここは前世の世界と違って年がら年中夏野菜が食べられる世界ではない。その季節ごとにしかまだ収穫できないのだ。なのできゅうりや茄子、トマトやピーマンなどの代表的な夏野菜は八百屋でまったく見かけなかった。トココ村は山奥の僻地なのでこの村で育てられる野菜以外は見ることも食べることもないのだ。
「トマト…食べたいな~」
アビゲイルがぼそっとつぶやくと農家のおじさんは嬉しそうに反応した。
「おっ。じゃあどうだい育ててみないか? 教会に住んでるんだろ? あそこは大きい畑があるじゃないか、借りたらいいよ」
「そうですね…でも一度神父様に聞いてみないと。植える場所もあいてるかわからないですし」
「たしかにそうだね。明日もやるから聞いてみてくれよ。毎年神父様も買ってくれてるしだいじょうぶだと思うがね」
「そうします、それじゃあまた明日お願いしますね」
「おう、よろしくな」
今日もディクソンと朝の巡回をする、最近のディクソンは午前は私と巡回、そして昼食前に剣の訓練を行ってから午後はロイドと巡回というのが定番化していた。
ロイドは午前中は一人でアビー達とは反対側を巡回している。最近のロイドはなかなか真面目にやっているようだ。
「畑ねえ、お前そんなにトマト好きなのか?」
「もともと好きだけど作りたいものがあってさ」
「料理か?」
「いやケチャップっていうソース」
「うまいのか?」
ディクソンはケチャップに興味が湧いたようだ。マヨネーズも結構気に入って心臓亭に行くとよく使って食べているらしい。
「そりゃもう、揚げた芋につけて食べたり、ソーセージにマスタードと食べたり…マヨネーズと混ぜてもいいんだよ。煮てもよし焼いてもよし、マヨネーズ並に万能なソースだよ」
「へー、それをアルが覚えたら心臓亭やばいな」
「やばい?」
「知らんのか? 心臓亭のマヨネーズ、人気があって今は朝に1回夕方に2回作ってるらしいぞ。すごい客はなんにでもつけて食うそうだ。アルの料理を食いに街から人が来てるらしいぞ」
「えっ」
「瓶詰めを欲しがるやつも多いらしいが、生卵を使うってんで毎回断ってるんだとさ」
「あらー」
しばらく店に行っていなかったしまったく知らなかった。以前聞いたときよりも人気になっているとは。
「そのケチャップとかいうやつもアルに教えたら心臓亭はとんでもないことになるんじゃないか?」
「う~ん、まあでもトマトを収穫してから夏に作るものだし…今すぐにやばくなるわけではないかな。あとこれはたくさん作っておけば保存もきくしね」
「じゃあ夏にたっぷり作っとけば1年中食えるわけだ」
「1年は…難しいかもだけど。瓶詰めにして涼しいとこに置けば大丈夫かな?」
「ふうん、何にしても楽しみだな」
その後アビーとディクソンは川沿いのスライムをいじめつつ、トマト料理の話で盛り上がった。
そして昼食の時間、剣の訓練も終わりアビーは予備冒険者のじじばば達とギルドでベーコンとレタスのサンドイッチを頬張っていた。会話はやはり広場で売っている苗の話だ。
「家にはみんな小さい庭や畑があるうちが多いから、よく売れるのよね。うちは亭主の好物のきゅうりとかかね。朝採りのきゅうりは美味しいのよ」
「家でほんの少しでも収穫できるのはいいよねえ、なにか足りないなってなったらトマトをもいで塩ふればいいんだもん」
「ほんとですねえ、私も教会の畑が借りれたらいいなあ」
「神父様も喜ぶんじゃない? そういえば最初ここにきたときの神父様は土いじりが下手でね」
「そうなんですか」
話の続きが聞きたいなと思っていたら、木工の職人たちがギルドに入ってきて心臓亭に来てほしいと言伝してくれた。何人かの職人が爪楊枝を加えているのを見るとどうやら昼ごはんを食べてきたあとのようだ。
(まさか)とは思ったがやっぱりだった。
「ケチャップというのをディクソンから聞いたんだ」
呼ばれて心臓亭に行くと開口一番アルがケチャップの話を始めた。厨房にはディクソンもいて、爪楊枝をくわえている。アビゲイルはじろりとディクソンをにらんだ。
「いや、トマトがないと作れないって伝えたんだぜ? そしたら去年のトマトが瓶詰めであるって言ってさ」
アビゲイルの睨みに少しひるみつつディクソンは説明した。
「も~さっきマヨネーズで忙しいって話聞いてたからトマトが手に入るまで言わないほうがいいかなって思ってたのに」
アルに話せばすぐに作りたがるのをアビゲイルはわかっていた。以前教えたマヨネーズはいまは心臓亭には欠かせないソースとなってあらゆるメニューが開発されている。それがまだ落ち着いていない状態で新しくケチャップを教えるのは負担になるのではとアビゲイルは心配していた。
「気遣いありがとよアビーさん。でもまあ聞いちまったからなレシピだけでも知りたくてよ」
「こうなるとうちの人はどうしようもないからねえ」
「昼飯の混雑はもう少しで終わるからその後ちょっと教えてほしいんだ」
アルもウルバも自分たちの忙しい状況だが料理のことになると目がないのがよくわかっているようだ。おそらく黙っていてもすぐにどこかから伝わってしまうだろう。アビゲイルは申し訳無さそうに小さく息を吐く。
「わかりました。じゃあそれまでお皿洗い手伝います」
「あら! ありがとね!」
アビゲイルはすぐに手慣れた手つきで流しに積まれた皿を洗い始めた。
「じゃっアビー頼んだぜ!」
ディクソンは逃げるように厨房から出ていった。
皿洗いが落ち着いてアル達が休憩に入る。二人は椅子に座らずに立ちながらお茶を飲んだりランチで余ったパンやゆで卵を食べ始めた。テーブルには地下の貯蔵庫から持ってきたトマトの瓶詰めが5つ並んでいる。どの瓶にも真っ赤な大きいトマトがぎゅうぎゅうに詰まっていた。
「さてトマトケチャップの作り方なんですが、かなり時間がかかります。私の知ってるレシピだと新鮮な完熟トマトを2~3時間煮込むんです」
ケチャップの材料はそれほど多くはない。にんにくに塩、酢、トマトの酸味が強いときは砂糖、あとあスパイス・ハーブが数種類だけだ。調理もそれほど難しくはないがとにかく時間がかかる。
「あとこの食堂で使うとなると大量に必要です。だいたいですが1キロのトマトで完成したときに量が4分の1くらいになりますから」
「そんなに減っちまうのか…トマトの旨味を濃縮した感じだな。今日これから作るのは無理だな。混雑する夕方にかまどを減らせねえ」
アルは少し残念そうにテーブルに置かれたトマトの瓶詰めを見つめた。これは去年のトマトを水煮にしたものなのだそうだ。
「最近はマヨネーズとかクリームシチューとかで店が繁盛してるんだ、時々街や隣村から食いに来る客も増えてな、新作を考える暇もねえくらいなんだ」
「ええ、すごい。でもなんだか申し訳ないですね…」
アビゲイルが謝ると、とんでもないとアルとウルバは首を振った。
「いいんだよ。繁盛するのはありがてえことだからな。」
「そうだよアビーさん。マヨネーズ様様さ。街のほうじゃ行商人の間でちょっとした噂になってるらしいよ」
「へー、あ、でもマヨネーズのレシピ調理ギルドに送ったから…」
「ああ、夏頃には落ち着くと思うぜ」
「でも夏になるとトマトが実って…」
今のような忙しさに逆戻りかもしれないとアビゲイルが言うと。
「ふっそうだな、次はケチャップが流行るかもな」
珍しくアルが笑って答えた。つられてアビゲイルとウルバも笑ってしまった。笑いが落ち着いてから大きく息を吸ってウルバが話しだした。
「大丈夫だよアビーさん、実は食堂に人を雇おうかって話をしてるんだよ」
「おお」
「朝の仕込みと昼食、もしくは夜の給仕か皿洗いをしてくれる人を探そうかって話なんだよ」
「いつまでこの繁盛が続くかわからねえからとりあえず夏までって決めてな。役場に張り紙しようと思ってんだ」
「あれパトリックさんは?」
パトリックはアル達の息子で食堂と宿の手伝いをしている好青年だ。
「あいつは今年中に街に修行に行く予定なんだ。俺が若い頃世話になった老舗でな」
「そうなんですか、なるほど、ちょっと寂しくなりますね」
「どうだろな? なに修行なんてあっという間さ。さて…ケチャップはまた今度だな」
そう言ってアルがトマトの瓶詰めをしまおうとするのをアビゲイルは止めた。
「あの、よかったらこれから私が作ります。今から味を知っておけばメニューのアイディアが今のうちに浮かんで夏が少し楽になるかもですし」
「いいのかいアビーさん、2~3時間煮込むんだろう?」
「私は今日このあと予定がないですし、教会で夕飯を作っている合間にできますから」
アルとウルバは少し顔を見合わせたがすぐに了承してアビゲイルに頼んだ。
「ありがたい、じゃあこの瓶詰めを渡しとくぜ、ハーブは足りるかい?」
「良かったら分けてほしいです、ローリエとクローブと…あと唐辛子を1本」
「わかった。明日じゃなくてもいいからなアビーさん」
アルはすぐにハーブを集めて、丁寧に紙に包んでくれた。
「なるほど、それでこんなにトマトの瓶詰めを持って帰ってきたんだね」
教会の台所のテーブルに並んだ瓶詰めををオスカーは見ている。
「いやあ、アビーさんのトマト料理が食べれるのかと思ってちょっと期待してしまったよ」
「神父様、トマトお好きですか」
「うん大好きだよ、年中食べてたいねえ。生でもよし、焼いてもよし、煮てもよし…」
オスカーの喉がごくりと鳴る。
「そうだ神父様、私トマトの苗を育てたいんですけど畑をどこかちょっとだけ貸してもらえませんか?」
「ああ構わないよ。まだ広々と空いているからね。どのくらい植えるんだい? トマトだけかい?」
「一応トマトだけですかね…。ケチャップと水煮をいっぱい作っておきたいんです。でも夏にそのまま食べる分もあるし、10株くらい植えようかな? 苗の値段にもよるんですが」
「苗はそれほど高くないよ、1株200ゼムくらいだ。私もトマトを買う予定だから半分だそうか?」
そうしてくれるのはありがたいが、いいのかなとちょっと迷う。そんなアビーを見てオスカーは気にせず続けた。
「たぶんその半分の苗はアビーさんを含めて私達のお腹に確実に入るだろうものだからね」
そう言って自分のお腹をぐるりと撫でてオスカーはにっこりと笑った。
「あはは、まあそうですね。全部我々のお腹に入りますね。でもお気持ちだけでだいじょうぶです。神父様は自分のぶんの苗を買ってください」
「わかったよ。夏はトマト料理が楽しめそうだ…、が、カミラがな」
悩ましげにオスカーは呟いた、以前ちらりと聞いたがカミラはトマトが大嫌いなのだ。だがアビゲイルは自信満々に答えた。
「大丈夫、ケチャップなら食べます」
「ほんとかい?」
「食べます」
ゆっくりと力強く頷くアビゲイルの自信たっぷりの表情とその言葉に、オスカーは驚いた。




