支払いと皮手袋
朝、最近は少し陽が登るのが早くなったような気がする。朝もやの濃さも和らいできていて少しずつ気温が上がってきているのがわかった。教会の畑も少しずつ緑色が増している。アビゲイルは朝露をたっぷり浴びたレタスをひとつ摘んでカゴに入れて立ち上がり、思い切り背伸びした。
「う~んっ」
背伸びと同時に澄んだ冷たい空気を吸い込む。それだけでとても気持ちがいい。
「昨日の疲れはとれたかい? アビーさん」
アビゲイルと一緒に畑の様子を見に来たオスカーが聞いてきた。
「はい、だいじょうぶです。今日はいい天気になりそうですね」
「そうだね、雲が少ないからいつもより暖かいかもね」
「巡回のときのお昼ごはんどこで食べようかな~」
もう昼のことを考えているアビゲイルにオスカーは笑ってしまった。
朝食を済ませていつもどおりの時間にギルドに行くとアルが役場のカウンターに立っていた。
「おう、おはようアビーさん。調理ギルドに出す特許の書類。出しておいたぜ」
「おはようございます、もうできたんですか」
「アレクシスさんからも昨日の夕方に受け取ったよ」
そう言って村長が綺麗に蝋封された紫色の封筒を見せてくれた。アレクシスさんは封筒もおしゃれだ。
「早いな~」
「こういう商売のアイディアは早さも大事だからね」
アルからもらった書類を丁寧に封筒に入れながら村長は教えてくれた。
「まあな、パン屋のも部署は違えど同じ調理ギルドだからまとめて出すぜ」
「ありがとうございます。わ~…いろんな人に見てもらえるといいですね」
アビゲイルの言葉を聞いて村長とアルは笑った。
「あれ?」
「見てもらえるか…か、どれだけ売れるかを先に考えるやつが多いんだけどな」
「はははアビーさんの人柄だね、よし、書類は揃ってるよこのあとすぐに送るからね」
「よろしくおねがいします」
褒められたような呆れられたようなどちらかわからず誤魔化すようにアビゲイルは照れた。
そのあとすぐにディクソンと朝の巡回に出た。
巡回の道も下草が伸びてきて、腕や脚にときどきだが触れるようになってきていて視野が狭く感じる。アビゲイルは探索魔法をしっかりかけて巡回していたが、だいぶ慣れてきたので二人の会話はのんびりしたものだった。
「へ~、一度に3つも特許送るんか、すげえな」
「なんかそうなっちゃったんだよねえ」
「このペースだと毎週送ることになるんじゃねえか?」
確かに毎週のようにいろんなものを作ったり教えたりしている。その可能性は高い。
「もしそうなったら、毎週書類書いてもらうの申し訳ないな…」
「アル達が出そうって言うなら書いてもらえよ。アビーから頼むこともないだろ? 興味なさそうだもんなお前」
ディクソンは道端の枝をひょいとひろって道沿いの柵をコンコンと叩きながら言った。
「それもそうだ」
「というか特許料もらったら装備に使えよ。冒険用の日用品とか替えのブーツとか。間違っても新しいフライパンとか買うなよ~、冒険者なんだからな! あ、冒険用ならいいぞ」
「装備ねえ、装備…って。あ!」
「どした?」
「鞘のお金払ってない!」
すっかり忘れていた、せっかく急いで徹夜で作ってもらったのにと申し訳ない気持ちがどっと溢れて、アビゲイルは蒼白した。
「ルツに作ってもらったやつか? 金が溜まってるなら午後にいけよ、そんな青い顔しなくてもだいじょうぶだと思うぞ」
「そ、そうかな? そうかな?」
「落ち着け、催促きてないだろ?」
「うん、じゃあ午後イチで払いにいくわ。うっ!」
突然ディクソンに背中をばんと叩かれた。急に叩かれて一瞬息が止まる。
「午後がじゃなくて今から行こうぜ、走るぞ!」
「え、嘘。ここから?」
今の場所は村の西側にある湖の端、村とは反対側でギルドに着くにも40分以上かかる。
「いいからついてこい!」
ディクソンはそのまま振り返らずに一気に走り出した。漫画だったらドンとかビュンとか音が出てそうなスピードだ。
「ま、待って~!」
慌ててアビゲイルも走ったが、音は出そうになかった。
「あら、お二人揃っていらっしゃい」
革細工工房のリンが二人の顔を驚いた様子で見つつ声をかけてきた。
「おっす、アビーが鞘の金を払いにきたぞ」
アビゲイルはぜえぜえと肩で呼吸をしていて、まったく返事ができない。代わりにディクソンが要件を言ってくれる。
「ディクソン、あんたはどうしたんだい?」
「暇つぶしについてきた」
「とりあえずアビーさんに水を渡したほうが良さそうだね」
汗だくのアビゲイルを見て、リンは工房に向かって水を持ってきてと叫んだ。
「あ、ありがとうございますぅ」
「よくディクソンの足についてこれたね」
「違うよリンさん、俺が工房の前でだいぶ待ってたんだよ、まだまだぜんぜんさ」
「ロイドとは違うんだから、もっと丁寧に扱いなよ。女の子なんだよ」
リンがディクソンを軽く叱る。
ディクソンは叱られるとは思ってなかったようで少ししょげた。
「はぁい」
立ち話も疲れるだろうとリンが窓際のソファに呼んでくれた。形と大きさの異なるいくつかのソファはすべて革張りで色も違っていたが、手入れがよくできていて窓からさす日差しにツヤツヤと輝き、座ると柔らかかった。
「さて、鞘の代金だね」
リンは古びた帳簿を出してきてアビゲイルの代金を記入したページをめくった。
「えーと、ルツの鞘のお代は…、9000ゼムだね」
「はい」
アビゲイルは財布からお金を取り出しテーブルに並べていく。
「9000ゼムです」
「はいぴったりだね、毎度」
「遅くなってしまって本当にすいませんでした」
忘れていたというのは黙っておく…。
「全然だいじょうぶだよ、まあ1ヶ月経っても音沙汰ないときはこっちから行くけどね」
「そうなる前で良かったです」
「あっ! アビーさんじゃない! お母さんどうして最初に言ってくれなかったの?」
「こら、挨拶くらいしなさい」
軽く叱られて、ルツは軽く肩をすくめる。そしてすぐに挨拶してくれた。
「こんにちはディクソンさん、アビーさん」
「こんにちわルツ。 久しぶり、鞘のお金払いにきたんだよ」
持ってきたお茶をどんと乱暴にテーブルに置いて座り、アビゲイルのほうに身を乗り出してルツはすぐに喋りだした。
「ということは次の依頼よね? 革手袋よね? まかせてもうデザインは出来ていて作るだけよ! でも来るのが遅いからアイディアやデザインが溢れ出てきてて大変だったのよ! 他にもブーツや肩と膝!冬用のジャケットも考えてるのよ、早く作っていかないと来年の春までに揃わないわ、ねえディクソンさん、アビーさんのギルド報酬もっと上げてあげてよ! じゃないと私の技術や実力も上がっていかな…がはぁっ!」
リンとディクソンから同じタイミングで後頭部と額にチョップをくらって、いつもの早口が止まった。
「興奮するとすぐこれだよ」
呆れ顔でリンは額を抑えながら足をばたつかせるルツを見ている。ディクソンはもう何もなかったかのようにお茶をすすっていた。
「でも手袋の依頼はしようと思ってたんだよ、もうデザインできてるの?」
「持っておいで、4人で見よう。細かく決めてくよ」
ルツはすぐに工房に向かい走り出し、すぐにデザイン画を持って戻ってきた。
バッとテーブルに広げてまたすぐに喋りだした。
「これこれこれ! 見て! 鞘のデザインと統一させるために腕の部分にまた草木のカービングをするわ! 防御性なんだけどただ革を重ねると重くなるのでそれはなし! ワックスで煮込んで硬化した革を使うのそれを使って重ねる枚数減らすわ! 魔法を使うから指先はなし、指ぬきの手袋よ! 神魔法も使えるって聞いたから脱ぎやすくて装備しやすいように留め具はボタンで。多分旅先で料理もするだろうし!どう? いいでしょこれ、いいでしょ?」
一息に説明してルツは三人の顔を見つめる、アビゲイルもリンとディクソンの顔を見つめた。ふたりとも黙ってデザイン画を見ている。
アビゲイルはルツと顔を合わせて、また二人を見るがまだ黙っている。
「あ、あの、私のアイディア…どう? よくない? よくなくない? 結構頑張って考えたんだけど。だめ? どこがだめ? おかあさ~ん」
「工房では親方と呼びな、アビーさんどう思う? このルツの手袋」
ふいに聞かれてアビゲイルは焦った。
「あ、え~と初めて作ってもらうのでなんともかんとも…。でも聞いている分にも見た目のデザインにも別に問題はないかと…」
「だめだぜアビー、装備をイチから決めて買うのは初めてだろ? お前がこれから何年も使っていくかもしれない手袋なんだから色々できるだけ自分に合わせて作らねえと」
ディクソンに言われてなるほどなと思ったが、同時に疑問に思うこともあった。
「鞘を作ってもらったときはそんなになかったよね?」
剣の鞘を作ったときはほとんどルツのデザイン通りに作ってもらった、注文し、完成するまで一度も見ることもなかった。
「鞘は剣がしっかり収まって揺れずに抜けずに、歩いたり走ったりするときに邪魔にならなければいいんだ」
ディクソンが話したあとにリンも続いて説明してくれた。
「バフマンに聞いたけれど、最初に剣を収めたときにぴったりうまくいったようだし、問題ないと言っていたからね」
リンが鍛冶師バフマンの言葉を信用したのでそのまま、ということだったらしい。
「それでこのルツの考えた手袋でなにか気になるとこあるかい?」
リンに言われてアビゲイルはもう一度革手袋のデザイン画をじっくりと見つめた。
「う~ん、指ぬきなのは確かにいいかな、もうちょっとシュッと細い感じだとかっこいいかな? そういえば魔法使う人は基本指ぬきなの?」
それにはリンがすかさず答えてくれた。魔法使いの初心者は手袋の指先の損傷が激しいのだそうだ。杖やメイス、剣から魔法を打ち出す場合は気にしないが、指先から打ち出すときは魔法によって濡れたり切れたり焦げたりするらしい。
「なるほど」
「アビーさんの場合は魔法剣士だけど魔法は指から出してるって聞いたから! 指ぬきのほうがいいと思って、でも剣を奮うから手の保護は必要でしょ? 手袋は絶対必要! 私の作った手袋が! いでっ」
話を遮るようにリンの拳がまた飛んだ。
「指ぬきじゃない手袋を作ることもできるよ、でもその場合はアビーさんの魔法次第だけど、メンテをこまめにしないと手袋が痛みやすいね。ま、人によって魔法の打ち出し方が違うからそれに合わせて買ったり作ったりするんだよ」
「逆にお金がかかりそうですね」
「うん、だけど作るときにちょっといい手袋にするとそのへんはある程度改善できるよ」
「なにか加工するんですか?」
「そう、魔力を流れやすく、放出しやすい糸や革を使って手袋を作るんだ。魔法使いだと布製の手袋とかもあるよ。糸は蜘蛛や植物の魔物から取れるんだけど。まあピンきりだね」
続けてディクソンが教えてくれる。
「装備づくりで一番の高級な糸はミスリル糸だ、こいつはドワーフの職人が得意でこの糸を使われた装備は最高級品、冒険者だけでなく騎士や貴族も欲しがる一品だ」
「は~すご」
3人でそのまま魔法使いの装備について話していると、今まで珍しく黙っていたルツが突然ぐいっと3人の会話を遮るように乗り出してきて一気に喋りだした。
「ダメ!ダメダメダメダメダメ! 絶対ダメ!魔糸や布は使わなくて大丈夫! 指ぬきが一番! 革の手袋が一番! 私のデザインが一番! 私が作るの! アビーさんの装備は私が全部作るの! 作らしてもらうの! お願いお願いお願い! お願いします! 魔法加工はダメ! 絶対、あだっ!」
アビーはルツの勢いに驚いたがどうして魔法加工がダメなのかルツに聞いた。するとまたルツはバツが悪そうな顔をして黙ってしまった。
「はっははは、アビーさんごめんね。この子はまだ魔法加工がうまくないから私から許可が降りてないんだよ。この子が作れるのはただの普通の革手袋なのさ」
「うう~っ!」
くやしそうにルツがうなだれる。それを一瞬母親の目で見つめてから、リンはすぐにいたずらっぽく微笑んだ。
「もしアビーさんが魔法加工するなら、私が作るよ。このルツのデザインでね」
「いや~、私が~私が全部作る~」
「こらルツ! 私達は職人なんだからお客様の希望に合わせないとダメでしょう! あんたのわがままで中途半端な手袋をアンタのたった一人のお客様に使わせる気かい? くやしいならもっと精進しな。」
「うわ~ん!」
怒られてちょっとべそをかいているルツを見て、おそるおそるリンに聞く。
「魔法加工って難しいんですね…」
「そうだね…、加工魔法がまず使えないとダメだし。これも数をこなして経験していくのが大事だね、まずは端切れで練習していくのさ」
「加工魔法って初めて聞きました」
この加工魔法というのは各種職人達が物作りのときに使う魔法で、職人ごとに色々とあるらしい。革職人だと、魔法糸の加工と縫製や革を染めたりするときなどに使うことが多いらしく、有名な職人だとその人が発明して使えない魔法などもあったりするそうだ。
「ちなみにこの魔法加工は別料金だからな。リンさんの魔法加工は高いぞ」
「そうなんだ…。でも指ぬきにしてもうらうから、今回は魔法加工なしでいいです」
アビーのその言葉を聞いてルツが喜びの声を出そうとしたが、すぐにリンに口元を抑えられて動きを封じられた。
「じゃあこのままルツのデザインでいいんだね」
「はい、肘くらいまでもう少し腕のとこを長くしてくれると嬉しいです。あと…これは今思いついたんだけど、手袋の裾に何かにかけられるような小さめの輪っかを革紐でつけてほしいんだ。邪魔にならない感じで」
「「輪っか?」」
リンとルツが声を揃えた。
「はい、手袋を脱いだときにフックみたいなものにかけて、ベルトにつけられたらいいなと思って」
「あぁ…。なるほどな。それ便利そうだな。俺もほしいかも」
「ディクソンも?」
「手袋脱いだときに俺はベルトに挟んだり、この革鎧の胸んとこに突っ込んだりするんだ。だから手袋に変な折り目や皺がついちまってなあ。まあもうそれに慣れてるからいいんだが、そういうのがあると楽そうだよな」
「でしょでしょ、良かったら一緒に作らない? 金具だからバフマンさんに頼んで」
「そうだな、ロイドも誘ってみるか。冒険者ギルドの揃いのやつってのもありだよな」
「わーいいねいいねっ」
「じゃあ手袋のデザインをもう少し考えるわ! 輪っかもいいけど穴を開けて補強してそこに引っ掛けるのもいいと思うの! 革を重ねて縫い付けて…いやポンチで穴を開けてハトメで加工すればちょっとだけ頑丈になるか…それなら腕周りにもう一枚革を足して裏地を…ハトメ周りにカービングしようかしら! 木の実のイメージにして…」
またルツが喋りだして止まらなくなったが、だんだん独り言のようになって声が小さく聞き取りにくくなってきた。リンはまた先程の見せた優しい目で見つめている。
「やれやれ、こうなるとこの子はしばらく何も聞こえなくなっちゃうんだよ。困ったもんだね。デザインはまた書き直しだね。出来上がったらギルドに持っていくように伝えとくよ」
「わかりました、よろしくおねがいします」
「それじゃアビーさんの手のサイズを測っておこうかね。そうすればもっとしっかりした図が書けるからね」
作業用のエプロンのポケットから布製の巻き尺を出してリンはアビーの手のサイズを素早く丁寧に測っていく。手のひらの幅、全ての指の長さ、厚みや握力。手の握り方、剣の持ち方、魔法を使うときの手の形などさらに細かく質問してそれを小さな手帳に細かい字で書き込んでいった。
「よし、こんなもんかね。また何かあったらルツに伝えるからね。アビーさんも気にせず聞きに来ておくれよ」
「はい」
最後にお互い軽い挨拶をして革細工ギルドからアビーたちが出ていこうとすると先程の場所から慌ててルツが走ってきた。
「ちょちょちょ! ちょっと待ってアビーさん! サイズ! 手のサイズ測らないとダメでしょ! ごめんなさいデザイン考えてたら夢中になっちゃっていつの間にかみんながいなくてびっくりしちゃった。でもだいたい決まったわ! もっと良くなった! 今すぐ今から作りたいからサイズ測りましょ…ってアレ?」
リンが紙切れを差し出すとルツは黙り込んでその紙切れをじっと見つめた。
「あんたが夢中になってる間にもう私が測っておいたよ。お客様がいるのに無視してデザインに没頭するからさ」
「え…ええええええーっ!! おかああさーん、私の仕事とらないでよお~っ」
ぐずりながらルツはリンの服を引っ張って文句を言いだす、少しだけだがカミラに似ているなとアビーは思い吹き出しそうになったが、我慢した。
「何言ってるんだい、木工ギルドから皮手袋の注文がいっぱい来てるだろう! そっちを早く片付けな! それが終わってからアビーさんの手袋を作るんだよ、いいね!」
「あ~ん!」
案外子供っぽいとこもあるのだなとアビーは思った。カミラも今のルツくらいの年頃になったとき、こんな感じなのかもなと成長を見守る母親のように思った。
支払いを忘れていたのは私(作者)です(笑




