マッサージ屋開店
本当にお久しぶりです
眠る前にアビゲイルは今日購入したノートを開いて明日の日付を書いた。予約してくれた人の名前や特徴をここに書いていく予定だ。初日からうまくいくとは考えてはいないが、できるだけ準備はしておきたい。オスカーに今まで習ったことを思い出して書き込んでいく。
(もっと早くノート買っておけばよかったな…)
書くことは案外多かった。きっと教えてもらっても忘れたことがいくつかあるはずだ。
(失敗したな…)
小さくため息をついて、窓を開ける。夜のしっとりと冷たい空気が部屋に流れ込んできて気持ちがいい。裏の林の木々がさあさあと揺れる音が聞こえて、それがさらに流れてくる風に涼しさを加えてくれている。月は窓からは見えないが、夜空を見上げるとゆっくり流れる雲に月光が反射してぼんやりと輝いていた。
「革の手帳にもしばらく忙しくて何も書いてなかったな…」
机に戻って革の手帳を開く、下水道クエストで倒れたあたりから何も書いていなかった。この手帳は日記帳というわけではないのだが、その日あったことや収入、教えてもらったことなどをちまちまと書いていた。
アビゲイルは短くなって握りにくくなった鉛筆をナイフで削って尖らせてから、ここ数日起こったことや特許や裁縫教室、そしてみんなに伝えた前世の知識を書き込んだ。
「結構色々教えてるよなあ…」
そして最後に財布を取り出してお金を数えた、しばらく冒険者バッグから大きな買い物をしていなかったので結構な額が貯まっていた。これでようやく鞘の代金も払える。手持ちの金額を記入してから次は何を買おうかと考えた。
(これなら新しく革手袋が作れるかもしれないな…水筒もほしい)
ベッドの脇に立て掛けた剣を眺める。ルツのことだから手袋のデザインはもう出来ているだろう。鞘とコルセットに合わせた色で作ってくれるに違いない。
マッサージ屋が軌道に乗ったらルツに手袋を作ってもらおう。
「さて、寝るか」
アビゲイルはベッドに潜り込み、明日の予定を思い返しながら眠りについた。
翌日、いつもどおりに冒険者ギルドに向かい、朝の巡回クエストを受けようとするとナナはカウンターの中に来るように小さく手招きした。周りを少し気にしつつ中に入ると、マッサージ屋の張り紙をナナはこっそりと見せてくれた。
「こんな内容で大丈夫でしょうか~? マスターはだいじょうぶだろって」
アビゲイルの神魔法マッサージ(練習)
週2回 1回5人(完全予約制)
神魔法の練習(マッサージ効果弱)
お一人様 約10分程度
オスカー神父の補助あり
予約はアビゲイルまで
※一人の複数回予約禁止
「うん…、これでいいんじゃないかな? これから朝の巡回クエストに行くから私がでかけた後に張り出してくれない?」
「確かにそのほうがいいかもしれませんね、かしこまりました~」
今日はマッサージの予約受付があるので巡回だけにした薬草や山菜を採っていると時間がかかるからだ。今度から採集クエストの数を少し減らして魔法練習に当てていくのがいいのかもしれない。
巡回で歩く村外れの脇道は春の柔らかい若葉がようやく固くしっかりとしてきていて、その分木々の影がしっかりと濃くなってきていた。まだ朝の気配が残っていて、しっとりとした空気が漂っている。
「神魔法以外の先生がいてくれたらなあ…」
独学で練習を続けると今以上に家事に役立つ魔法しかできなくなりそうで不安だ。
「やっぱり魔法は攻撃、防御、バフ、デバフですよなあ~。そのほうが冒険者っぽいし、かっこいい…」
拾った木の枝をぷらぷらと振りつつ、ちょいちょい見かけるスライムを退治しつつ、のんびりとアビゲイルは冒険者ギルドに帰ってきた。
「ただいま~」
ギルドに入った途端にじじい達がどっと押し寄せてきた。いつもいる予備冒険者以外にも何人か増えている。
「アビーちゃああんっ! わしをっわしが一番!」
「おぬしさっきくじで決めたじゃろうが! おぬしは次回じゃぞ!」
一番先に必死に走り寄ってきたじじいを他のじじい達が羽交い締めにして抑え込んでいる。どたばたと数人で揉み合っていてアビゲイルがおろおろしていると、
「うるさいぞっ! さっきくじ引きしたろうが! 子供じゃないんだから駄々こねるな!」
ディクソンが大声で怒鳴りながらもみくちゃに絡み合ったじじい達を引き剥がして解いていった。
「アビーちゅわ~ん、1回10人にしてくれ~」
「一人30分にならんかのう?」
「何ゼム払えば延長サービスになるんじゃ?」
質問攻めになってまたもみくちゃになりそうなので、アビゲイルは慌ててなだめた。
「ちょっと! ちょっと待ってください! マッサージのことですか?」
「そうじゃ」
「ダメ、一人10分。1回5人。お金はいりません。練習だから」
「そこをなんとか~」
「しつこかったり、いやらしいこと考えてるならマッサージ屋は女性限定か中止にします」
「「「えっ!」」」
「あと、今回予約してくれた5人は来週まで再予約できないのでヨロシクオネガイシマス」
アビゲイルは事務的に、簡潔に返事を返した。うっと黙り込んだじじい達は懇願の潤んだ瞳でアビゲイルの顔をじっと見つめたがそれを氷のように冷たい目で返した。
すぐにこれは無理だと理解してじじい達はがっくりと項垂れた。
「ワカリマシタ…」
「じゃあお昼が終わって神父様が来たら始めますね! じゃあ今日マッサージさせてくれる皆さん名前教えて下さい。ノートに書いていくんで」
初日の予約はアビゲイルの追っかけじじい達の5人で埋まってしまった。次回の予約にも2人のじじいで埋まり、空いていると伝えるとその様子を眺めていた予備冒険者のおばあちゃん達が予約してくれた。
「よし、今週は予約終了~」
予約のノートを後ろから見ていたディクソンが渋い顔をしていた。
「たいした騒ぎにならなくて良かったがこのままだと毎週じじい達しか診れないんじゃないか?」
「あ~確かに」
「シャイナのばあさんに頼んで病気になる薬でも作って飲んでもらうか?」
「それ私治せないかもよ…」
お昼を食べ終えてからアビゲイルはマッサージ屋の場所を用意した。と言ってもギルドの中の休憩場所としていくつかのテーブルと椅子が並ぶ場所を掃除しただけだ。
ここは普段予備冒険者達のじじばば達が集まってのんびり井戸端会議をしている場所だ。
なのでお客を無理に歩かせたりすることはない。
テーブルを拭いて周り、椅子に座って動かないじじばば達の間を縫うように箒をかけていく。
「ふう、こんなもんかな?」
アビゲイルが軽く額の汗をぬぐっていると少し慌てた様子でオスカーがギルドにやってきた。
「すまない少し遅れてしまって。待たせてしまったね」
「いいえ、全然だいじょうぶですよ」
「良かった、よし、じゃあ始めよう」
「はい!」
最初の客5人は男性5人、みんな予備冒険者のじじい達だ。マッサージの募集の張り紙はギルドにしか貼っていないから最初のお客がこうなることは予想していた。
だが予備冒険者はほとんどが顔見知りなので、あまり緊張することが無くて、ありがたかった。
(日頃の恩返しくらいになれるようにがんばろう)
「じゃあ最初のお客さん、この椅子に座ってくださいな」
「わしじゃ、よろしく頼むぞ」
「じゃあ始めますね」
「このままでいいんかの? 服を脱いだりしなくていいんか?」
「肩に私が両手を載せるだけなので、そのままで大丈夫ですよ」
「そりゃ楽じゃな、手をのせるだけっちうのはちょっと物足りんが」
そう言うと周りのじじばば達が笑った。
「アビーさん、多分この村の人は神魔法マッサージを知らない人が多いから、あせらずゆっくりやるといい。どんなものかわかればこれから受けてくれる人が増えるだろうしね」
オスカーの説明に、みんながうんうんと頷いている。その人達は今までマッサージを受けたことがないんだろう。
「そうだねえ、私らはこの村から出たこともないから、受けたことはないねえ」
「ほんとに具合の悪いときしか神父様やシャイナさんのお世話にならないもんねえ」
「なるほど」
アビゲイルは肩の力を抜くために何回か深呼吸したあと、魔法で客の体内を探ってみた。
じいさんの体は背骨や膝のあたりが石のように固く、なんだか全身がスカスカしているように感じた。カミラ達とは全く違う。
まずは上から、背骨のあたりに魔力を注いで慌てずゆっくりほぐしていく。
オスカーは椅子を寄せてじいさんの横に座り、膝に手をのせた。
「うん、そうだ。体の中心からほぐしていったほうがいい」
「はい」
どうやら触れることでアビゲイルが今どんなふうにマッサージしているかがわかるようだ。
「なんだか背中がスースーするわい、軟膏を塗られたようじゃ」
「気持ちいいです?」
「背骨の痛みが軽くなったような気がするわい」
「よかった、効いてるみたいですね」
だが背骨のコリは本当に固く、ほぐすのが大変だ。時間がかかりそうだなと思っていると。
「アビーさん、一箇所だけじゃなくて他の箇所もほぐしていくといいよ。あと無理に全て治そうとするとお客さんの体に魔力を注ぎすぎて、魔力酔いすることがあるから、最初は全身を軽くほぐすくらいで大丈夫」
「あっはい」
「じっくりゆっくりたっぷりやってくれてもいいんじゃよ?」
お客のじいさんはアビゲイルの顔を見上げてにんまり笑った。
「ははは、マッサージは一度にやりすぎると逆に体を痛めて前より悪化したりするから止めたほうが良いよ」
オスカーが優しく諭すとちょっとだけ残念そうな顔をした。
「まめに予約するしかないのう、だが足もスースー軽くなってきたな」
「うん、こんな感じかな? アビーさん最初はこのくらいで他の4人にもやっていこう。じゃないとアビーさんの魔力が切れてしまうからね」
「はあい、じゃあ今日はここまでで、ご予約ありがとうございました」
「うんむ、今日は薬草取りで背中が痛かったんじゃが、だいぶ楽になったわい」
「ほんと?」
「ああ、ほんとじゃ。世辞じゃないぞ」
そう行って腕を左右に降ると背筋が少し伸びて、じいさんの腰がパキパキと鳴った。その音を聞いて周りのじじばば達が「おお」と嬉しそうな驚きの声をあげる。
「みんな、マッサージ気持ちええぞ。みんな受けたらいい」
「あっコラ! そんなこと言ったらもっと予約しづらくなるじゃろうが!」
慌てるじじい達を見て、みんなが笑っていた。だけど最初のお客の感想は上々だ。
アビゲイルはほっと胸をなでおろし、また気合を入れるため大きく深呼吸した。




