安堵と休息
「起きろアビゲイル、もうすぐ村に着くぞ」
ディクソンに肩をゆすられて目が覚めた、馬車に乗ってすぐに寝てしまったようだ。ブラックウルフの死体の上に横になっていた。
「うわ、うわわわ」
慌てて飛び起きる。かなり疲れているとはいえ、死体の上で寝るなんて。
「お前も血だらけだから寝姿が死体みたいだったぞ」
ディクソンが言うとみんな笑いだした、生きているからこそ言える冗談だった。言われている方はあまり楽しくはないが。アビゲイルは白いシャツを来ていたのだが今はそれがほぼ赤黒く染まっている。顔も少し汚れていてボロボロだ。
「名誉の汚れです」
「ほんとにな、ハハハ」
「早く帰ってお風呂入って寝たい」
「じゃあ途中教会で降ろしてもらうか、そのまま風呂入って寝ろ」
「うん、お言葉に甘える・・・・・」
まだ眠いのかアビゲイルは目をしぱしぱさせている。
「皮については俺がリンさんに話しておく、報酬もあとで取りに来い」
「はあい」
返事をして村の方を眺めると教会がちょうど見えてきた。先程のブラックウルフとの戦いを思うと帰ってこれて良かったと本当にしみじみ思った。戦いの中で色々と反省点はあるが今は眠気と疲れでそれを考える余裕もない。
教会に着いてよろよろと馬車から降りる、ディクソンも降りてきた。
「お前の様子じゃオスカーに上手いこと伝えられないだろうからな」
馬車の音に気づいたのかエルマとカミラがドアを開けて飛び出してきた、そしてアビゲイルの姿を見るなり二人揃って悲鳴を上げた。
「きゃああああああああっ! アビゲイルさん!」
「二人共落ち着け! 怪我はしてないこれは返り血だ!」
「元気でーす」
「エルマ! 何事だい? あっ! アビゲイルさん!」
「落ち着けオスカー! ただの返り血だ!」
三人が落ち着くまで少しかかってしまった。アビゲイルの様子を見るとその慌てぶりも仕方ないと言える。
「驚いた・・・・でも怪我もなさそうで本当に良かった。で、狼はどうなったんだい?」
「残りの3匹も無事退治出来たよ、群れは全滅だ」
「そうか、お疲れ様。早速警報解除の鐘を鳴らそう」
「ああ頼む、俺たちはギルドに戻って村長たちに報告しておくから。アビゲイルを風呂に入れてから寝かせてくれ」
「わかった」
「ごめんねみんな・・・・明日ギルドに行くから」
「おう、お疲れさん」
ロイドやゲイリー達からもねぎらいの言葉を受けて、馬車を見送った。そのあとすぐに警報解除の鐘が鳴った。のんびりと3回、間を置いて2回繰り返す。日の暮れかけた村にその音はじんわりと広がり、村の緊張を解してくれているかのように聞こえた。
「はあ~、終わった」
つぶやくと同時にアビゲイルは突然両腕を引かれ教会内に連れ込まれた、エルマとカミラが風呂まで連れていこうと引っ張ってくれたのだ。
「アビゲイルさん、お風呂沸かしたからすぐに入って。着替えのパジャマ持っていくから」
「ありがと~、助かる」
いつもなら水魔法を使って自分でお湯を出していたのだが、今日はもう疲れて魔法も使いたくなかった。二人の気遣いは本当にありがたい。風呂にはお湯がなみなみと張られていて、風呂場は湯気がもうもうとしていた。
装備を外して服を脱ぎ、桶でお湯をすくって頭からざぶざぶと浴びて汚れを落とす、髪と体を丁寧に洗ってから風呂に勢いよく入った。
「ああああああぁー」
おっさんみたいな声を出してくつろぐ、めちゃくちゃ気持ちいい。体中の毛穴から疲れがお湯に流れ出しているような気分だ、お湯に浸かってから気づいたが、体がだいぶ冷えていたようで足や指先がじんじんする。しかしそれも浸かっていると次第に緩んでお湯の熱さが体に染みてきた。
「気持ちいい・・・・・・」
力が抜けるとすぐに眠気が襲ってくる、ここで寝るのは危ない。狼からの危機を脱して風呂場で溺れ死ぬわけにはいかない、寝ないようにとお湯でざぶざぶと顔を洗う。
ドアがノックされてエルマがお風呂に入ってきた。
「アビゲイルさんだいじょうぶ?」
「エルマ、ありがとう。だいじょうぶだよ~」
アビゲイルのさっぱりした顔を見てエルマも安心したようだ。
「でもよく見ると擦り傷だらけね」
そう言われて自分の腕や足をみるとたしかにいくつかの擦り傷のようなものと赤くなっていてこれから紫色の痣になりそうな所もあった。必死だったので気づかなかったのだった。
「ほんとだ、でもたいしたことないよ」
安心させようと笑顔でエルマの顔を見るとエルマは泣き出しそうな顔をしていた。
「さっきは本当に・・・・・本当に驚いちゃった」
エルマもアビゲイルに笑顔を見せようとしたが、先程の返り血を浴びた姿は相当ショックだったのだろう。湯船のへりを強く掴んでしゃがみ込み涙をアビゲイルの入るお湯にぽたぽたと落とした。
「お、驚かせちゃってごめんね、今度から気をつけるから」
ほんの少しの間とエルマの大きな深呼吸があってから、顔を上げてエルマはアビゲイルをじっと見た。
「お父さんから冒険者は危険な仕事が多いからとは聞いてたけど・・・・今日は本当にヒヤっとしたわ。でもこのくらいで驚いてちゃダメよね」
にっこりとエルマは笑った。つられてアビゲイルも笑ったが、泣かせてしまって申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
「アビゲイルさん、ごめんなさい。気にしないでね」
「ありがとう、でもエルマも我慢したり無理したりしないでね」
「うん、あ、そうだ。お風呂上がったらお父さんのところに来てって」
「わかった」
お風呂を終えてからすぐに食堂に向かうとオスカー達が待っていた。
「疲れているのに呼んでしまって悪いね」
「いえいえ」
「これを飲みながらでいいから、左腕を貸してくれるかな?」
差し出されたのは暖めた牛乳だった。甘みがある、はちみつを入れてくれたらしい。
「う~、おいしい。ありがとうございます」
オスカーはアビゲイルの左手を両手で包むように握り、暖めてくれている。治癒魔法かなと思って牛乳を飲むのを一旦やめて、オスカーの手の動きをじっと見た。
「ふむ・・・・・擦り傷や打ち身が少しあるけれど、たいした傷ではないな。これならすぐ治るね」
「診てくれてありがとうございます。あ、そうだディクソンも狼に左腕を噛まれたんだった」
「なんだって?」
「血は出てませんし、骨にも異常ないからだいじょうぶだって言ってたんですけど・・・・・」
「あきれたな、だがたいしたもんだ。これからギルドへ行って診てくるよ」
「すいません」
「いやいや、ついでに狼退治の結果を聞いてこよう。エルマ達も行くかい? 帰りに買い物でもしてこよう。夕食は心臓亭でもいいし」
ようやく外に出られるとわかってカミラもエルマも喜び、急いで出かける準備を始めた。
「アビゲイルさんはこのまま休むといい。明日は好きなだけ寝るといい」
「ありがとうございます」
いそいそと出かける3人を見送ってから牛乳を飲み干し、部屋に行く、入ってすぐの正面にある窓から日がさしている。光の色味が少しオレンジがかっているのであと1時間くらいで陽が沈むだろう。
窓から村と放牧地を眺める、いつもと同じで昨日とは違う景色が広がっている。そしてようやく明日からいつもの村に戻る。
(少しでも役に立ててよかった)
カーテンを閉めて、ベッドに潜り込む、大きく深呼吸してから目を閉じてアビゲイルはすぐに眠りに落ちてしまった。




