勇気の剣
遠くからかすかに聞こえた悲鳴は走るにつれ少しずつ大きくなっていく、途中から子供の泣き声も聞こえてきた。親子だろうか? ディクソンはいつもどおりの俊足でだいぶ先を走っていく、風を追いかけているような気分だ。
あっという間に姿が見えなくなったが、探索魔法で今はまだだいたいの場所がわかる。だがこれ以上離れると探索魔法の範囲から消えそうだ。いまディクソンを見失うと先日の猟犬デンのように案内してくれる者がいないので、探すのに苦労してしまう。アビゲイルは必死で走った。
ディクソンの反応が消えたり見えたりしている、するとディクソンに何かが林の中から向かっている。すごいスピードだ、人ではない。怒りが火の玉になってディクソンに投げつけられたような感じだ。
(狼だ)
気づいた瞬間アビゲイルは大声でディクソンに呼びかけた。
「ディクソンーッ!! 左から狼が来てるー!!」
「なに?」
アビゲイルの声を聞いて左に目を向けた瞬間。
「ガアアアアァァッ!」
藪からブラックウルフが飛び出してきた、ディクソンは剣を抜く暇もなく首筋を狙われたが、とっさに左腕を振り狼の顔を殴った。つもりだった。
「いででででっ くそっ!」
殴ろうとした腕を狼が口で受け止めた。そのまま強く噛み締められていく、狼の牙が革鎧の手袋とこすれあってギシギシと鳴りながらディクソンの腕に食い込んでくる。剣を抜きたいのだが狼の体が邪魔をしてうまく抜けない。ディクソンはベルトに仕込んでいるナイフを狼の目に突き刺したが狼はひるまず腕にかじりついたままだ。
「この野郎っ! いい根性じゃねえかあっ!」
「ディクソン! だいじょうぶ?」
ようやく追いついたアビゲイルが剣を抜いて狼に立ち向かおうとした。
「こっちは大丈夫だ! お前は悲鳴が聞こえた方に走れ! 俺もすぐに追いつく!」
「え、でも」
「行け! 早く!」
ディクソンに追い立てられてアビゲイルは走った。探索魔法を前方に集中させて、ひたすら走った。さっきから聞こえる悲鳴はだんだんと弱まって、泣き声は大きくなっている。かなり近い。狼が2匹、男性が一人、その上に小さな子供がいる。
林を抜けると放牧地が左に広がった、その向こう放牧地の真ん中あたりに数本木が生えていて、そこに狼が2匹見えた。
「いた!」
腰のポーチから魔除けの香料を出して両手にまぶしたあとに、放牧地の木めがけて走り出し、空に向かって信号弾を上げた。
「誰か早く来てー!」
アビゲイルは大声で助けを呼びつつも剣を構えつつ狼に向かって高圧洗浄機のような水圧で熱湯を浴びせた。魔除けの香料入りの熱湯は狼の胴体にかかったがあまり効果が無かった。毛皮がだいぶ厚いようだ。
(顔を狙わないとダメか)
木の下には老人がいた。必死に杖か棒のようなものを振り回して狼を牽制していたらしいが、もうへとへとのようだ。
「助かった、わしはいいから孫を助けてくれ!」
木の上には孫が号泣している。しかし木の上とはいえ高い位置にはいないので足を噛まれたら引きずり降ろされそうな高さだ。老人は疲れ切っていて木に登れそうにない。
(やばいやばいやばい、考えろわたし。どうしようどうすれば)
木の根本に老人を移動させてかばうように前に立ち、2匹の狼とにらみ合う、香料の効いた熱湯を狼に狙って打つが距離を取られてうまく当たらない。
「ええいもう!」
狼に当たらないのでアビゲイルは水を周囲にまいた、魔除けの香料が効いているはずだから多少は嫌がるかもしれないと思ったのだ。あとはかかってきたときにひるまず前に出るしか無い。逃げたら老人がやられてしまう。
熱湯が狼の体にかかってもあまり効かないとわかったので火魔法で行くことに決めた。当たらずとも毛皮を焼けば少しはひるむだろうと思ったからだ。
ガウガウと低い唸り声を上げて左右に飛びながら狼たちはジリジリと近づいてくる、距離をどんどん詰められて緊張が増していく、老人は腰が抜けたのかしゃがみこんだままアビゲイルの腰を掴んで離さない。
左手で火の球を練り上げて狼に投げつけるが、アビゲイルは右利きなのでうまく当たらない。
「剣を持ちながら投げられるように練習すれば良かったー!」
アビゲイルが叫ぶのとほぼ同時に狼が1匹アビゲイルに向かって走り出した。早い、剣を振ろうにもこれは間に合わないととっさに判断したアビゲイルは剣先を狼に向けて構えた。
「ゴガァアアッ!」
大きく口を開けてアビゲイルの顔めがけて飛びかかってきた、必死に狙いを口に定めて剣を突き立てる。剣はそのまま狼に飲み込まれて行くように見えた。喉に突き立てた剣はガリガリと骨を砕くような音を出しつつ狼の体を貫いていく、もう少しで狼の牙が剣を握るアビゲイルの手に届いて噛まれそうになる。しかしガツンという衝撃とともに狼が剣を飲み込まなくなった。柄が口に引っかかり止まったのだ。だが飛んできた狼の勢いが止まらずそのままアビゲイルは狼の体を受け止めきれずに老人を巻き込んで尻もちをついてしまった。
「いてて」
慌ててすぐに立ち上がり、倒れても両手でしっかりと握っていた剣を狼の口から引き抜こうとしたが、剣は狼の体の奥深くまで刺さっていて全く動かず、抜けない。
「ちょっと! 抜けて! ごめん!」
絶命した狼の顔をあやまりつつ踏みつけて抑え、再度抜こうとしたがまったく微動だにしない。
「あー嘘、まじかー! 抜けてー!」
アビゲイルが動けず慌てていると判断したのかもう1匹がアビゲイルに向かって走り出した。
「ちょっとまってー!!」
魔法が間に合わない、せめてと思ってアビゲイルは老人を抱きしめてかばった。二人に向かって走ってきた狼は牙をむいてきたが突然顔が大きな音とともに横にぐるっと向いた。驚きと衝撃でバランスを失い倒れる。
「え?」
「なんじゃ?」
アビゲイルと老人とで狼を見る、顔に矢が刺さっていた。
「アビゲイルー! だいじょうぶかー!?」
「ロイド!」
必死の形相でロイドがこちらに走ってきていた。そのさらに遠くにゲイリーが次の矢を構えている。信号弾を見て来てくれたのだ。
「お待たせええええぇぇっ!!」
さらに先程アビゲイルが走ってきた方向からものすごい大声で叫びながらディクソンが走ってきた。
「助かった!」
老人は喜びの声を上げたが、アビゲイルは最後に残ったブラックウルフを見ていた、顔に矢が刺さってはいるが致命傷ではないようでまだ立っている。唸り声を上げながら顔と体何度も振って矢を抜こうとしている。そこにさらにゲイリーの矢が胴に突き刺さり、ギャインと狼は叫び強く跳ねた。ロイドは畳み掛けるように狼を蹴り飛ばしつつ首筋に剣を振り落として、ようやく狼は動かなくなった。
「た、助かった~」
狼が動かなくなったのを確認して、ようやくアビゲイルは大きなため息とともに情けない声を出して、木の根元に老人と一緒にしゃがみこんだ。
「アビゲイル! だいじょうぶか? 怪我は?」
ディクソンが慌てて走り寄ってきてアビゲイルを抱き寄せた。大量に狼の返り血を浴びていたのを怪我と勘違いしたのだ。ロイドとゲイリーも急いで来て薬や包帯を鞄から出してきた。
「だいじょうぶ~、これ狼の血だから。立てるよ~」
声はへろへろしていたがどうにか立ち上がる様子を見て、ディクソンたちはようやくほっとした顔をした。
「狼に剣を突き刺したんだけど抜けなくて・・・・」
そう言って指差すところには狼の串刺しがあった。
「なるほどなこれの返り血か、びびったぜ・・・・ロイド悪いが後ろ足持ってくれ」
ロイドが串刺しの狼の後ろ足を掴んで、ディクソンが狼の頭を抑えながら剣を引っ張ってようやくアビゲイルの剣は抜けた。
「ずいぶんうまいこと刺したな、バフマンの剣じゃなかったらやばかった。見ろよ刃こぼれひとつないぜ」
へとへとになりながら剣を見ると、血で汚れていたが、その奥で鈍色に輝き、剣は勇ましく見えた。
狼に剣を突き立てた自分を褒めたい。くたびれきったぼろぼろの自分も今こんな風に見えるだろうかとアビゲイルは思った。ようやく終わったのだとしみじみ感じた。
「じいさんも子供も無事みたいだな、アビゲイルよくやった。よく頑張ったな。ロイド、ゲイリーさん、助けてくれてありがとう」
「ほんと、ありがとうございました・・・・・・そういえばディクソン腕は? 噛まれてたけど」
「おう、皮鎧に穴が開いただけだ。骨には問題ないぜ、手も動く。だけど痣がしばらく出そうだな」
そう言ってディクソンは左手を開いたり握ったりして見せてくれた。
「良かった」
「Aランクの魔物の皮から作った手袋だからな」
放牧地で襲われた老人と子供は近くの農場の人々だった。警報が鳴ってから外に全く出られなかった子供が癇癪を起こして家から飛び出したらしい。面倒を見ていた老人が慌てて追いかけたところを狼に襲われたのだそうだ。
「本当に助かりましたわい、お礼は改めてさせていただきますぞ」
まだ泣いて鼻をすする孫の頭を強くなでながら老人はアビゲイル達にお礼を述べた、二人に怪我は無かったので、ロイドとゲイリーが見送ることとなり、3体のブラックウルフの死体の回収は老人の家で馬車を出してくれるということになった。ディクソンとアビゲイルは川沿いに置いてきた荷物を取りに戻り、後ほど馬車と合流して村に帰ることとなった。
荷物を拾い集めて老人の農場に向かう。アビゲイルはかなり疲れていて、よぼよぼとディクソンについていく。
「おい、だいじょうぶか?」
「だめ、おんぶして」
「しょうがねえなあ」
冗談のつもりで言ったのだが、ディクソンはアビゲイルの前に背中を向けてしゃがみこみ、背負う準備をしてくれた。
「冗談だったんだけど」
「いいから、ホレ。今日だけだぞ」
「じゃあお願いします」
アビゲイルは照れ隠しにどすんと思い切りディクソンに乗っかった。
「おも」
「重くない!」
重いと言った割にディクソンはアビゲイルを背負ったまますっと立ち上がり、ひょいひょいと歩きだした。
「軽いでしょ?」
「俺に体力と力があるだけだ」
「そういうときは、そうだなって言えばいいの! 空気読んで!」
ディクソンの首を両腕でロックしながらアビゲイルは抗議する。
「あだだだだ! あぶねえ! じっとしてろ、いでで」
「まったく」
「なんだよぉ」
ディクソンはまたアビゲイルの真似をしてすねた。こらえきれずに笑ってしまう。それでようやく肩の力が抜けたような気がした。ディクソンも同じだったようで、よく笑った。ここしばらくの緊張を笑い飛ばしているようだった。
馬車が二人のほうに向かってきているのが遠くに見えた、ロイドが手を振ってきてくれている。アビゲイルはロイドに手を振り返した。
トココ村を約1週間揺さぶり続けた狼騒動はこうして幕を閉じた。




