疲労と悲鳴
ブラックウルフの群れに目をつけられたとわかった翌日から、アビゲイルはディックと一緒に午前と午後に村の周囲を歩いて回ることになった。半日だった巡回が一日まるまるとなったわけだ。
昨日全速力で走ったためにアビゲイルの両足は筋肉痛で悲鳴を上げていた。この状況でこれから夕方まで歩くと思うと気が重かった。
「アビー! アルに弁当作ってもらったぞ! これで昼にギルドに帰ってこなくても大丈夫だ! 菓子もあるぞ」
ディックは自分が狼達に狙われていると聞いてから、なんだかテンションが上がっている。遠足に行く子供のようだ。心の底から冒険が好きなのだなとしみじみ思う。
「うきうきしちゃって・・・・遠足じゃないんだから」
呆れ顔でディックに言うと慌てて訂正してきた。
「ち、違うぞ! 俺とお前が狙われてることがわかったから村人への危険が減って嬉しいだけだ! 狼たちを倒すのが楽しみとかじゃないぞ」
「一応私も村人なんだけど・・・・しかも最低ランクの新米冒険者で!」
アビゲイルはほんの少し苛立ちを混ぜてディックに訴えた。わずかな怒りを察知したようで、ディックは深呼吸して腕を振り回してようやく落ち着いてきた。
「すまん、ちゃんと守るしゆっくり歩くから」
「頼むよ、ほんとに~」
頭をかきながら照れ笑いをしているのを見ると、冒険者ギルドのマスターはこんな感じでいいのかと心配になる。
いつもより早く巡回することにしたので、ギルドにいた全員に見送られながらの出発となった。木工房の人々は冗談まじりで万歳を繰り返している。緊張感がまったくない。
「お前らも今日の巡回でだらだらするんじゃねえぞー!」
ディックが活をいれるがどこ吹く風だ。
昨日狼達と睨み合った川沿いから回っていくことにした。他の巡回メンバーはいつもどおりの道をいつもどおり歩くのだが、ディックとアビゲイルは狼が現れた場所を重点的に回ることにした。養鶏場、教会裏の林、村の南側に流れる川沿いだ。
狼達はほぼ西側に現れている、おそらくだが北西の森から出てきたのだろう。教会の裏の林を抜けて、のんびりを湖の輝く湖面を眺めながら養鶏場の様子を確認して、畑と林を分ける小道をぐるりと回って昨日狼達と出会った川沿いに出た。ここまで狼の気配は全く無い。
ここまで2~3時間かけて歩いているので、太陽はだいぶ真上に来ていた。
「ちょっと早いけど昼飯にするか」
「え、ここ狼に出会ったとこに近いけど・・・・・」
「だからだよ」
昼時くらい安全な場所でのんびり食べたかったが囮にそんな権利はないらしい。アビゲイルは筋肉痛のふとももをさすりながらディックを睨んだ。ディックは気づかないふりをして弁当を広げ始めている。
「鬼」
「狼倒したら好きなだけ休んでいいぞ」
「むう」
アルのお弁当はなかなか豪華だった。チキンサンドにりんごジャムのパイ、ピクルスの瓶詰め。水筒にはコーヒー。殻付きのくるみも数個入っていた。
「ピクルスありがたいな~、酸っぱいものがなんだかおいしい・・・・・・」
酸っぱいものを食べて少し気分が落ち着いてきた、疲れと緊張でイライラしている自分がちょっと恥ずかしい。小言はもう言わないと決めたが、足や頭はちょっとだるいままだった。
「このまま食べたら寝てしまいそう」
「思ってたより疲れてるんだな、見張っててやるから1時間くらい寝てもいいぞ」
「気持ちは嬉しいけど、場所がね・・・・・・ますます囮じゃん。それに寝てる間は探索魔法使えないよ」
言いながら少しウトウトしてくる、いつもなら食事のときは楽しそうにしているアビゲイルが今日はなんだかだるそうにゆっくり食べているのを見て、ようやくディックはアビゲイルがかなり疲れているのを察した。
「ほんとに疲れてるんだな」
「朝から言ってますがね・・・・・・」
「すまん、俺のペースに付き合わせて」
「緊急事態で人不足でうちらが狙われているならもうしょうがないよ」
そう言ってアビゲイルは大きく深呼吸した。
「あー、もっと体力つけないとな、朝に走ろうかな」
ぼそりとつぶやいて、また深呼吸した。そして持っていたかじりかけのチキンサンドをガツガツを勢いよく食べて、コーヒーで流し込んだ。そのままパイを掴みもりもりと食べ始める。いきなり食べ方に勢いがついたのでディックは驚いていた。
「だいじょうぶか? 無理に食うこと無いぞ」
「いや、このまま疲れて食べないでいると心も弱っちゃうから食べる、眠気は歩けば吹き飛ぶ」
そう言って頬が両方膨らむほどにパイを口に含んでわしわしと咀嚼しているアビゲイルを見てディックは少し呆然としていたが、突然笑いだした。
「なんだよぅ」
「いや、お前はたいした女だなと思ってさ。俺ももう少し食おう」
川面は真上に登った太陽の光がまっすぐ注いでキラキラと光り、眩しくて真っ直ぐ見ることが出来ない、時折ぱしゃりと魚が跳ねて、光る川面に美しい波紋が流れる。日差しは強いが川沿いを流れる風は涼しく、スイカのような水の香りが鼻をくすぐっていく。
食べ終えてからしばしの休息だった、コーヒーは水筒ごと川で冷やして飲んだ。久しぶりに飲むアイスコーヒーは最高だった。
「あー・・・・この騒動が終わったら、ほんとにのんびりしよ・・・・・」
「そういえば、突然現れてから1ヶ月くらい経つんだな」
「うん・・・・・ほんとあっという間」
(死んでからもう1ヶ月か・・・・・・もうそろそろあっちのみんなも落ち着いてきてるかな?)
「なんか思い出すようなことあるか?」
そういえば記憶がないふりをしているのだった。まわりが記憶について全く聞いてこないのですっかり忘れていた。だがいまだに異世界からやってきたということだけは言いづらいのでそこは話さないでおこうとアビゲイルは決めていた。
「うーん、なんとなくだけど、エルマ達を見ていたり料理したりしてると私にも家族がいるんだなあっていうのは時々感じる。あとはわかんない」
「そうか」
エルマとカミラを見ているとあちらの世界にいる息子たちの子供の頃を思い出す。寂しいと感じつつもいつもあの姉妹には癒やされている。泣いたり笑ったりしているような不思議な感覚だ。
ディックはそれ以上何も聞いてこなかった。こちらを見ることなく、眩しそうに川面を眺めている。
「・・・・・いつもそんな感じで空気読んでくれるとありがたいんだけどね」
「なんだよぅ」
先程のアビゲイルのいじけた声を真似してディックは頬を膨らませた。
「似てない」
「似てるだろ」
そう言って二人は笑った。
「さて、少しは休めたか? そろそろ行くぞ」
「はーい」
アビゲイルは水筒を拭いて蓋をきっちりと閉めた。
「たすけてくれー」
水の流れる音に混じって遠くから誰かが叫んだ。
「え」
「近いぞ! 荷物はそのままでいい! 走れ!」
「わ、わわわわ」
慌てて立ち上がり、腰に下げた剣を確認してからディックを追った。探索魔法をかけると走る方角に何かぎらぎらした怒りのようなものを感じる。数や正体はわからないが間違いなく狼だろう。足は昨日よりうまく動かず痛みが走るがアビゲイルはただ走るしか無かった。




