裁縫と狼
昨日は結局エルマ達と手芸教室があったので風呂敷を縫うことは出来なかった。布にしっかりと折り目をつけるためにアイロンもあればと思っていたのだがそれも聞きそびれてしまった。別に急いでほしいわけではないし、暇つぶしも兼ねているので完成はいつでも構わない。
狼退治が終われば以前のように平和で穏やかな薬草採集クエストになるだろうから、そのとき作ってもいいだろう。
「アビーさん、おはようございます~」
「おはよーナナ」
最近のナナはとても暇そうだ。クエストが狼退治しかないからである。情報交換は午後からだし、巡回チームも編成とシフトが完成してディックが陣頭指揮をしているのですることがない。雑用もギルド本部に定期報告を週に数回行うだけ。
「近年まれに見る暇さです~」
こんなに暇なのもあまりないのでナナ自身は現状を満喫している。酒場やパン屋でお菓子を買ってきてカウンターでのんびり飲み食いしているので、最近は毎日ディックに
「太ったか?」
と言われるのが定番の朝の挨拶になっていた。
「太ってないです~。失礼しちゃいます!」
怒ってはいるが今もサンドイッチを食べている。朝食らしいのだが、二人分はある。だいじょうぶだろうか。
朝の巡回チームメンバーが集まり、簡単な打ち合わせをしたあといつもの閑散なギルドに戻った。こうなるともうナナもアビゲイルもすることがない。お茶を飲みながらの雑談タイムである。
「へえ~、フロシキですか、なんだか便利そうですね。私も何か作ろうかなあ~」
「ナナもお裁縫好きなの?」
「おばあちゃんが教えてくれたんですけど、一通りは下手ですけど出来ますよ~。でも普段は時間がなくて」
確かに普段の忙しさでは手芸している暇などないだろうなとアビゲイルは思った。
「フロシキ以外は何か作る予定なんですか~?」
「小さな袋と・・・・余った布で髪飾りか髪留めでも作ろうかと思ってて・・・・・」
「アビーさん髪短いのに?」
アビゲイルはショートカットなので髪留めなどは必要ない。だがエルマは髪が長く、いつも色付きの紐でまとめているだけなので、何かちょっとかわいいものがあればいいだろうなと感じたのがきっかけだ。カミラも前髪を留める髪留めが可愛ければ、毎日いやいやつけることもないだろう。
「なるほど~。アビーさん優しいですね」
「そうかな? まあ暇つぶしも兼ねているから優しいってだけではないね」
アビゲイルは優しいと褒められて恥ずかしくなってしまい、少し言い訳をした。それを見てナナはにこにこしている。
「そういえばナナは髪をまとめたりしないの?」
ナナの髪は少しくるくるとカールしていて量が多い。いつも髪を結ばずにゆったりと流している。
「私、髪の量が多くてリボンや紐がすぐほどけたり乱れたりするので、こうして結ばないほうが楽なんです~。前髪はこうしてヘアピンで留めておけば問題ないです~」
「ははあ、なるほどね」
「アビーさんみたいなクセのない黒髪って羨ましいです~。きっと伸ばすと素敵ですよ?」
「そうかなあ? 性格には合わないんじゃないかなあ」
「だいじょうぶですよ~。 あ、お茶おかわりしますか? 良かったらコーヒー飲みます?」
「ありがとう~」
ナナとこうしてのんびり雑談できるのは実は案外少ない。普段はとても忙しそうだし、昼食もかっこんで仕事をしているときもあるのでちょっと仕事中は話しかけづらいことも多かった。ナナが髪についてちょっとした悩みがあるのは今日初めて聞いた、アビゲイルはナナにも普段お世話になっているから何か作ってあげようかと思った。
コーヒーを飲みつつ、明日はここで風呂敷を縫いつつナナと雑談できるかなと考えていたのだが、そういえば裁縫道具はどうやって持ってこよう?
「そういえば、携帯用の裁縫セットみたいなものって売っているのかな?」
「聞いたことないです~。みんな自分で作っているんじゃないですか? ちなみに私は持っていません」
そう言ってナナは照れていた。だがギルドから家も近いので必要ないのだろう。
「ベアトリクスさんはたまに散歩したりピクニックしたりするときに裁縫したりするって聞いたことありますから、聞いてみるといいんじゃないですかね?」
「裁縫がなんだって?」
大きな声に驚いて振り向くとディックが巡回から帰ってきていた。
昼食を食べ終えてすぐにディックと巡回に出た。先程の裁縫の話を説明すると。
「なるほどねえ、暇つぶしにな。訓練しててもいいんだぞ~」
なぜ訓練しないんだというような口ぶりだった。確かにそうだが毎日訓練してても疲れが溜まって狼退治どころではない。
「それに気分転換も大事って言ってたじゃんか」
「覚えてたか」
ぺろりと舌を出してディックはアビゲイルをからかった。
「冒険者も裁縫が出来たほうがいいでしょ? 冒険先でボタン取れたら困るし」
冗談としてアビゲイルは言ったが、ディックはうんうんとうなづいた。
「まあな、ボタンや鎧の金具が取れたときは困るし、革鎧も多少は補修出来たほうがいいからな。服だって破けることがあるし」
「ディックは針とか糸を携帯してるの?」
「ああ、持ってるぞ。糸切りバサミに木綿糸と針と、あと革鎧の修復用の麻糸と専用の針、蜜蝋とかな」
「へえ、以外」
「ここに来てからは殆ど使ってないが警護とかの長旅のときはよく使ってたな、旅の必需品てわけさ」
皮の縫い方は布とは違うのでその縫い方を簡単に聞こうと思った矢先、道の向こうから獣の気配がした。
「何か来る、1匹」
「ブラックウルフか?」
ディックはすばやく剣を構えアビゲイルの前に出た。
「ん・・・・後ろから人が来てる」
獣はすぐに目の前に現れた、真っ黒い犬だった。アビゲイルはこの犬に見覚えがあった。狩人セツの猟犬である。
「デンじゃないか、セツに何かあったのか?」
さらに遅れて木工房のフーゴがぜえぜえと息を切らせて走ってきた。
「ディック! 川の向こうに狼が居るぞ。場所は」
そう言うやいなや畑の向こうに信号弾が上がった。広い麦畑の向こう、その先の林の中から上がっているように見えた、あの林の中には巡回している道が伸びている。そのすぐわきを川が流れている。
「走るぞアビゲイル! フーゴは休んでからギルドに報告してくれ!」
「う、うおおお」
情けない返事か叫びかわかならない声を出してアビゲイルはディックを追うように走った。アビゲイルのすぐ横を猟犬のデンがぴったりとついてくる。
「ありがとう、デン」
アビゲイルがそう言うとデンはまたフンと鼻を鳴らした。相変わらず全速力でもディックには追いつかない。畑の脇道は畑からのけた小石が散らばるでこぼこした道で走りづらかったが、ディックはやはりキレイな整備された道を走っているように見えるくらい速かった。
(姿だけでも見失わないようにしないと・・・・・!)
もう声を出す余裕もないほど息切れしていた。だんだんと自分の太ももが重く感じてくる、それでも必死に走ったが、太ももの重みは増してさらにチクチクと痛くなってきた。筋肉繊維が切れているのだ。
(明日は確実に筋肉痛だな)
「ぬおおおおおおっ!」
それでも必死に走るとようやく林の中の小道にたどり着いた、もはやディックの姿は見えなくなっていたがデンが案内してくれた。すぐにディックは見つかったがセツがいない。
「おう、前より速かったな」
ディックは目線を川の向こうにむけたままアビゲイルに小声で話しかけた。激しく息切れしながらアビゲイルは尋ねる。
「セ・・・・セツは?」
「ここ」
声の聞こえた方に顔を上げると木の上にセツはいた。一人なので狼に襲われたときの用心に木に登ったようだ。
「見ろ、川の向こう」
そうだ狼はとあわてて見ると川の向こうに3匹のブラックウルフがいた。こちらにはもう気づいているようだ。デンが地響きのような唸り声をあげる。
「ディックが来てこちらに気づいた、ずっとディックを見てる。アビーさんも」
「私も?」
2匹の狼を倒したディックを覚えていて睨みつけてくるのはわかる。まさか熱湯をかけた自分も睨まれているとは思わなかった。
「俺達はあいつらの仲間を殺して恨みを買ってるからな、ブラックウルフは執念深い。こりゃいいぞ、俺達しかもう狙ってこないだろうな」
「えええ」
「おいコラァ! いつでも今すぐかかってこんかい!」
「ちょっと挑発しないで!」
ディックが狼達に啖呵を切ったのでアビゲイルは必死に止めた。
「だいじょうぶ、今はこねえよ」
「え」
そうなのかとセツを見るとセツもうなづいた。
「襲うならディックを見つけたところで川を越えてくる、でも私とデン、アビーさんもいるのがもうわかっているから」
説明を聞きながら狼の様子を見ていると3匹は川向うの林の茂みに姿を隠し、それからしばらく眺めていたが現れなかった。セツとアビゲイルの探知魔法にもひっかからない。
「今日はもう出てこないな」
セツもうなづいた。二人が言うならもう「今日は」出てこないのだろう。
「帰るか」
帰り道、思いのほかさらっとしている二人を見て、アビゲイルは少し驚いた。
「二人の平常心がすごいわ・・・・・」
「俺は見慣れてるし戦いなれてるからな、セツは・・・・・たぶん違うんじゃないか?」
「ん?」
見るといつものセツだが何か違うのだろうか?
「今まだ心臓がバクバクしてる・・・・一人で見張っているとき超緊張した」
さらに聞くとブラックウルフを見るのは初めてだったらしい。弓を引こうにも手が震えてうまくいかなかったのだそうだ。
「信号弾あげるだけで精一杯だった」
単にセツは顔に緊張や恐怖が出ていないだけだった。たった一人で狼を見張るのは大変だっただろう。
「素人のフーゴを伝令に出したのは良かったぞ、怪我も無くてよかったぜ。何かあったらゲイリーさんやリンさんに俺が殺される」
ディックはセツのあたまをがしがしと乱暴になでた、セツはされるがままゆらゆらと体がゆれている。まだ緊張が溶けてないらしい。ギルドに戻るとすぐにゲイリーさんがセツのところに走ってきた。無事を確認してほっとしたようだ。
「いい経験だったな」
セツの肩に手をのせて、ゲイリーはぼそりとつぶやいた。狩人としての経験値が上がったということだろうか。セツは照れながら小さくうなづいた。
(それにしてもディックと私が標的になってるなんてなあ・・・・・裁縫どころじゃなくなってきたわ)
「アビー! 明日から朝も俺と巡回に行くぞ! 囮は多いほうがいいからな!」
目を輝かせてディックはアビゲイルにサムズ・アップした。
「セツみたいにもうちょっと大事にして!」
ちょっと半べそになりつつアビゲイルはディックに抗議した。だがなぜかギルドは笑いに包まれていた。




