報酬
ディクソンは吠え声の聞こえる方角へ全速力で走った。放牧地の柵をひと飛びで越えてひたすら走る。アビゲイルはかなり一生懸命走ったがまったく追いつかない。二人の距離がこれ以上離れないようにするだけでも必死だった。
「なんじゃあれは・・・・・」
息を切らしながら遠くを走るディクソンを見てアビゲイルはつぶやいた。あれなら走る狼にも追いつくのではないのだろうか。
ディクソンの走るさらに向こうに一本の木があり、その木の上に男性が二人登っていた。羊飼いたちはディクソンとアビゲイルの姿を見て声を上げた。
「たすけてくれーっ! 狼がでたぁ!」
男たちの登った木の根元狼が2~3匹たかって吠えていた。ぐるぐると木の周りをまわって男たちの足を狙い時々飛び跳ねた。残りの狼は牧羊犬と戦っているようだが、明らかに牧羊犬のほうが不利だった。
ディクソンの走るスピードは衰えること無く走りながら剣を抜いて狼達に向かって大声で怒鳴った。
「うおりゃあああああっ!」
狼達はディクソンの声に驚いたがほとんどひるまずにディクソンに向かっていった。そしてディクソンもまったく怖がらずにそのまま突っ込んでいく。少しでも怖がればやられるということがディクソンと狼、両方がよくわかっているのだ。狼はディクソンの前で大きく飛ぶとそのまま頭を狙って牙をむいた。
ディクソンは走る狼が飛んだ瞬間走るスピードを落とし、真上から狼が落ちてくるのを避けた。そしてディクソンの頭をかじりそこねた狼は地面に着地しようとした。その瞬間。
「うおおおっ!」
狙いを定めてディクソンが一閃、首を薙ぎ払った。その一振りで狼の首は吹き飛び、さらにその勢いで狼の体は1回転して地面に降りてきた。
「うお・・・まじか」
ようやくそこでアビゲイルはディクソンに追いつき剣を抜いた。しかし息が切れてしまってすぐに動けない。木の根元にいた狼が1匹ディクソンに向かっていったがそれもあっという間に頭を真っ二つに割られてしまった。アビゲイルはディクソンが戦っているのを見るのは山菜狩り以来だったが、あのときよりさらに強く見えた。本気度が違うのだろう。
「私いらないんじゃね・・・・・」
息を整えながら狼の動きを見張る、背後に狼が来ないように気をつけながら小走りにディクソンに近付こうとした時、ディクソンの背後に狼が迫ってきていたので慌てて指先から熱湯を出して狼の鼻面に浴びせた。かなり熱かったのかキャインと高い声を出して狼はそのまま逃げ出した。
強い人間が現れてあっという間に仲間を2匹殺された狼達はその場から離れ逃げ出した。
「待てコラァッ!」
ディクソンはそのまま追いかけて一番後ろを走っていた狼の足に向かって剣を振ったが届かなかった。全速力で逃げる狼にはディクソンの脚力も敵わないようだ。
「くそっ! 逃げられた!」
群れの大半は逃げてしまったが、2匹倒せただけでも十分な戦果だ。
「走っただけで何も出来なかったわ・・・・・」
アビゲイルはようやく息切れが収まったが、ディクソンは多少汗をかいているだけで疲れているようには見えなかった。
「もうちょっと走れるようになったほうがいいな。でも後ろから来てたやつに熱湯かけてくれて助かったぜ。あれはなかなかいいな」
「気づいてたんだ」
「まあな、おーいもう降りてきてだいじょうぶだぞ。羊を連れて今のうちに避難しよう」
木の上にいた男たちが降りてくると、そのそばに2頭の牧羊犬が走ってきた。犬たちは怪我もなく元気そうだ。
「いやあ助かったぜディクソン。あと・・・アビゲイルさんだっけか。ありがとうな」
「私何もできてませんけども」
「ディクソンと比べるのは酷ってもんだぜ。このまま西側を回るのか? 途中まで一緒に行かせてくれ。今日はもう放牧は止めだ」
羊飼いが指笛を吹くと犬たちは走り出し、遠くにいた羊たちをあっという間に集めて連れてきた。このまま放牧地をみんなで歩いて羊小屋まで向かうことになった。
「狼の死体はあのままにするの?」
アビゲイルがディクソンに聞くと羊飼いが答えてくれた。
「助けてくれた礼に馬車を出してギルドまで持っていってやるよ」
「助かるぜ、羊を小屋に入れたら引き返そう」
大量の羊たちに囲まれて歩くと雲の中を歩いているような気分でなかなか楽しい。さっきの戦いと時とは違ってのどかな気分だ。
小屋に着いてからすぐに一人の羊飼いが馬車を出してくれた。荷台に乗って今度は狼の死体がある所までのんびり馬車の旅である。アビゲイルは馬車に乗るのが初めてだったのでこれもなかなか楽しかった。
(ピクニックとかならいいんだけど、今から死体を取りに行くってなあ)
これも冒険者と思いつつ、探索魔法で周囲を警戒しながらゴトゴトと放牧地内の小道を進んだ。馬車なのであっという間だ。3人で死体を荷台に積む。
「これでよし、悪いんだがこれをギルドに持っていってくれ」
「あいよ、お安い御用だ。今日はありがとうよ」
羊飼いと別れてまた巡回を続ける。
「また2匹倒せて良かったね。えーとこれで残り5匹か」
「そうだな、最後追いかけた時に足をちょっと切ってやったから、しばらく経てば弱ったやつが出てくるかもな。お前も熱湯かけただろ? あれもたぶん鼻か目がやられてるだろうからな」
狼達が弱ってくれれば見つけやすく、しかも倒しやすい。
「私もすこしはお役に立ちますでしょうか」
「そんなにあせるなよ、お前さんは料理したり掃除したり色々お役に立ってますよ」
「さようでございますか」
「走るのも戦うのもまあ経験と練習だからな、精進精進」
「はぁい」
放牧地をまっすぐ北に向かって先程走り出した道に戻りそのままぐるりと西側をまわって南側の川沿いの道を歩いて巡回は終了した。狼の死体はすでに解体場に吊るされていて、革細工ギルドの人たちが皮を剥いだり牙や骨を取り出していた。
「おお・・・・」
なかなかにスプラッタな状況だが、工房の人々は久しぶりに魔物の皮が手に入って嬉しそうだ。指示を出していたリンがディクソンに気づいて声をかけてきた。
「ディクソン、皮を売ってくれてありがとう。助かったよ」
「若い奴等の練習に使ってくれ」
帰って来る前に解体されているということは、事前に話し合っていたのだろう。
「狼売れるんだね」
「アビゲイルさんも倒したら、よかったら売っておくれ。1匹1000ゼムから2000ゼムで買い取るよ」
皮の質によって値段が変わるようだが、なかなかいい値段で売れる。その毛皮を売らずに持ち込めばそのぶん安く革製品を作ってもらえるそうだ。
「じゃあ私がもし倒せたら何か作ってもらおうかな・・・・・・」
「いいじゃないか、ブラックウルフの皮ならいい装備が出来るぞ。Cランクくらいまでは余裕で使える」
「C・・・・剣とか装備がCランクで中身がついていけてないね」
「そういうのは狼倒してから悩めよ」
たしかにそのとおりだ。言われて少し恥ずかしかった。それに正直今回はもう狼に出会いたくない。
「巡回怖くなってきた、また今日みたいになったらうまく動けるかな・・・・・」
「お前は今日みたいなことになったら狼煙あげて木の上や家の中に逃げろ。1匹ならどうにかなるかもだが、まだ危ないからな」
「うん」
3人で吊るされた狼を見上げてしばし無言になった。
「まあ、だれも怪我せずに狼をすべて倒せたら一番いいのだろうけど、冒険者に怪我はつきものだからね。油断はいけないよ。こわかったらすぐに逃げるといいよ。アビゲイルさんはまだ冒険者になって1ヶ月も経ってないんだしね」
「リンさんの言うとおりだ。人が足りなくてお前の探索魔法が使えるから巡回に出てもらってるが、人が多いとこならこれはCランク程度の仕事だからな」
「えっ。そうなの?」
アビゲイルが全く知らなかったと驚いたのを見て、ディクソンとリンは顔を見合わせて、知らなかったのか言わなかったのかと目配せで話しあいだした。(ように見えた)狼騒ぎで誰からも聞いていなかった。これはギルドマスターがちゃんと言わないとでしょう? というリンの顔を見てディクソンは申し訳無さそうな顔でアビゲイルを見た。
「すまん、ブラックウルフの対象ランクを言ってなかったな。Cランク以上だ」
「遅いわ!」
「あー・・・・すまん。だから気をつけるんだぞ!」
「遅いわ!」
まさか最弱のFランクでCランクの仕事をやらされているとは思わなかった。労働基準法がこの世界にもあるのなら問題である。
「悪かったよ、今度飯おごるからさ」
「甘いものも所望する」
「はいはいかしこまりました」
二人のやりとりを聞いてリンは笑った。
「もうちょっといいもの所望してもいいんじゃないかい?」
それを聞いてアビゲイルはディクソンと目を合わせようとしたが、ディクソンはすばやく目をそらし、そのままギルドに逃げた。




