「浴びるほどラーメンを喰ってくれ!」
今はなきお店の想い出です。
足繁く通ったわけでもないのに、記憶だけは鮮烈なものがあります。
(*執筆時点で営業中のお店については店名を挙げていません)
学生の頃、学園西町に「むさしの」という店があった。表題はこの店の「ヤング3倍ラーメン」の惹句である。今回はその想い出。
部活の帰りだったか、何人かでここを訪れたことがある。それが初訪問だったのは、店が通学経路から外れていたからだろう。「小汚い店だな」と思ったことを覚えている。
当時は今よりも食い意地が張っていて、しかも金銭的にはさして余裕がなかったから、惹句には一も二もなく飛びついた。「3倍」というのは麺が3玉ということを示しており、確かワンコイン、500円だった。学生向けとはいえ、単位価格あたり分量では確かに高コスパと思われた。
程なく出されたラーメンは、しかし、苦行を予想させるものだった。深めの洗面器を思わせるようなかなり大きな丼に、見えるのは若干の紅生姜、細麺、そして豚骨スープ。そう、具らしき具は存在しなかったのだ。
食べても食べても一向に減らず、むしろのびて多くなるかに思われた麺、そして飲み干すには(当時の自分にさえ)多すぎた豚骨スープ。食べ物を残すのには抵抗感があったので必死に努力したのだが(ものを食べるのに「努力」しなければならない、という時点で既におかしなことになっている)、食べ終わる頃にはへとへとになっていた。
結局、「むさしの」を訪れたのはそのときが最初で最後となった。学生向けの、特殊なメニューで評価するのは明らかにフェアではなかったのだが、あまりに「ヤング3倍ラーメン」の印象が強すぎて、二の足を踏んでしまったのだ。たらふく食べる場合でも、学食や龍園など他に有力選択肢があった、ということも足が遠のいた理由にはあるだろう。そうこうしているうちに進級して、訪れること自体がなくなった。「むさしの」がいつの間にか閉店していたのを知ったのもかなり後のことである(現在検索しても、情報は出てこない)。
それでも、惹句からはなにがしかのパワーが感ぜられた。ラーメンの記憶による一種の刷り込みだったのかもしれないが、結果、「ガッツリ系」の形容詞として、今なお「浴びるほど」がまず念頭に浮かぶようになっている。
最近、職場の若い人と食べ放題の話題になったとき、「浴びるほど」という形容を何の気もなく遣ったところ、「『浴びるほど』っておかしくないですか?」と言われた。たしかにそれはそうで、これは記憶を共有している人でもない限り伝わらない表現だろう。「聞き手を意識した会話」では除外すべきであることは自明である。
それでもなお、「浴びるほど」の語感を大事にしたい自分がいる。さすがに今更、そんな変な語法を広めようとは思わないのだが。
「龍園」については、愛好されていた方が閉店情報等を挙げておられますし、(龍園の隣の)「もとき」も(検索した限りでは)閉店されたようですね。こういった、学生時代によく通っていた店が閉店することにはとても寂しく、想いもあふれ出てきます。かといって、卒業後にも通い詰めたわけでもない私には、そういった「記憶にとどめるファンのいる」お店の語り手はふさわしくないかな、とも思います。
「むさしの」は検索した限りでは情報も出てこなかったので、書いてみようかと。ポジティブなものとは必ずしも言いがたいものの、若かりし日々の想い出として、懐かしいものの1つです。