(9)ケーキ売りませんか
【主な登場人物紹介】
・笠木 矢㮈…彩楸学園高校1年生。
・海中 諷杝…同上2年生。ギターを弾く。
・高瀬 也梛…同上1年生。キーボードを弾く。諷杝のルームメイト。
一.
十二月初めのことだった。
さすがに屋外は寒くて校内の食堂横にあるカフェテリアに集まった二人に、矢㮈は顔の前で勢いよく両手を合わせて拝んだ。
「二人とも! クリスマスのご予定はもう決まっているでしょうか!」
「はあ?」
「え、どうしたの?」
高瀬が怪訝そうな顔を、諷杝がきょとんとした顔を向けた。
「もしかしてクリスマス会でもやるの?」
残念ながらそんな楽しい話ではない。矢㮈は若干申し訳なく思いながら、胸の内を打ち明けた。
「もし何も無いようでしたら、うちの店でバイトしてくれたら大変ありがたいのですが!」
実家は洋菓子店を営んでいる。クリスマスは言うまでもなく稼ぎ時で、一年で一番忙しい日に数えられる。毎年家族は総動員で、さらにケーキ作りには製菓専門学校に通う学生をバイトとして雇っていた。
「毎年、施設のクリスマス会とかでまとまった受注もあるんだけど、今年はその日程が特に重なってて……」
例年の日程ではだいたい前後にばらけるものなのだが、今年は二十四日に多く重なっているのだ。
「予約の人も普通に買いに来る人もいるから当然店は開けてるし、施設に配達もしなきゃだし、それからいつも大通りで売り出しもしてて……」
このままでは矢㮈が一人で大通りを担当しなくてはならなくなりそうなのだ。これが近所に他に洋菓子店がないものだから、結構売れるのである。
「もちろんバイト料は弾むし、プラスうちのケーキもつけるつもり」
合わせた両手の隙間からちらりと二人を見遣る。後半のケーキをプラスする提案は主に甘党の高瀬に向けたものである。
「クリスマスって二十四日のイブ? それとも二十五日?」
諷杝が確認するように訊いてくる。
「今緊急でバイトが欲しいのは二十四日。まあ前日の二十三日も受け取りあるし、どのみち準備とかで忙しいんだけど」
「二十四日かあ」
何かを考えるように顎に手を遣った諷杝を見て、矢㮈はまさかもう先約があったかと眉を寄せた。
「……イブだもんね。クリスマスだもんね。二人にももう予定入ってるよね……」
「いやいや、別に特に予定は入ってないんだけど。ただもう寮が閉まっちゃってるなあと思っただけで」
「ああ、そうだな。終業式が終わった二日後から閉まるからな」
高瀬も頷く。
「ああそっか二人とも帰省しちゃうのか……ごめん、だったら難しいよね」
学園の寮からなら矢㮈の家もわりと近いので何とかお願いできるかと思ったのだが。
「勝手に納得して話を畳むな。別に帰省してもバイトを手伝えないわけじゃない。それに二十四日だけなんだろ?」
高瀬が呆れたようにため息を吐いた。その横で諷杝も同意する。
「元々何かバイト入れようと思ってたし、矢㮈ちゃんとこでバイトできるなら僕は助かるかも」
「お前、探す労力と面接応募の手間を省くつもりか」
「あはは。否定はしないけど。そういう也梛は他のバイトどうなってんの?」
「こっちは特にクリスマスシーズン関係ないやつだから、今ならまだ調整してもらえる」
「じゃ決まりだね。どう? 矢㮈ちゃん」
目の前でポンポンと交わされた会話が最後に矢㮈にパスされる。
「念のため先に言っておくけど、外での販売だし、結構体力勝負だよ? 大丈夫?」
「まあ也梛がいるから大丈夫でしょ」
「お前が倒れても俺は知らん」
本気か冗談か分からないいつも通りの二人のやり取りに、矢㮈は小さく笑いを零した。
「じゃあよろしくお願いします」
「うん、任せて」
「ケーキの件、忘れるなよ」
こうして無事バイトを確保することができたのだった。
二.
クリスマスイブ当日。
朝も早くに、まだ少し眠たげな諷杝を連れて高瀬が店にやって来た。店の厨房では既に父親と専門学校の女学生二人がテキパキとケーキを仕上げている。
「ごめんなさいねえ二人とも朝早くから」
母親が諷杝と高瀬に挨拶をしながら、店のエプロンとサンタの帽子を渡した。
「外での売り子の時はその帽子被ってね」
「はい。こちらこそよろしくお願いします」
彼らは揃って返事をし、弟の弓響に案内されて荷物を置きに行った。
「弓響には父さんと一緒に配達に行ってもらうわね」
「うん、大通りの販売はあたしたち三人に任せて」
仕上がったケーキから箱に詰め、ラッピングをしていく。大通りで販売するのは五十箱の予定だ。だいたい四十程が目安だが、大目に用意している。きっと余ったら高瀬の胃の中に消えて行くのだろう。
それにしても、と矢㮈はラッピングをさらさらとこなす高瀬に視線を遣った。何だあの流れるような手の動きは。下手をすると矢㮈よりも手際が良いかもしれない。
「也梛はさすがだねえ。色々バイトやってるのもあるけど、結構手先器用なんだよ、あいつ」
矢㮈の向かいで作業をしていた諷杝がくすりと笑う。その間にも高瀬は数個のラッピングを終えている。
「強大な即戦力だよね」
配達準備をしている弓響が口笛を吹く。
「問題は接客でしょ」
大通りで販売するとなると、声かけから接客までこなさなければならない。この無愛想丸出しの高瀬がそこで活躍する姿は残念ながら思い浮かばなかった。
「お前ら口じゃなくて手を動かせ」
高瀬が鮮やかな手の動きを止めずに言う。
「はい」
矢㮈と諷杝は揃って返事をするしかなかった。
大通りでの販売は、本店の開店と同時刻から始まる。店からは歩いて十五分の距離なので、とりあえずケーキ箱半分を運び込んでスタートした。
「多分多いのは夕方だと思うんだけど」
午前中はどこかへ出かける人が多いため、荷物になるケーキを買う人は少ない。買いに来る人といったら、買い物帰りか初めからケーキを買うことを目的にした人たちだろう。
「予約の人多いの?」
頭の上のサンタ帽を整えながら諷杝が訊く。
「だいたい毎年頼んでくれてる人が一定数いるし、ありがたいことに近年少し増えたかな」
「そうなんだ。僕も矢㮈ちゃんとこのケーキ好き」
無自覚な天然笑顔を曝け出す諷杝が憎い。矢㮈は嬉しさと恥ずかしさで視線を逸らした。
同じくサンタ帽を被った無愛想な眼鏡サンタが、黙々と白いテーブルクロスをかけた長机にケーキの箱を並べて行く。
「完全にバイトモードだね」
諷杝が笑う。
テキパキと準備を終えた高瀬は早速声かけを始めた。
「え?」
矢㮈は目を疑った。声かけはいつものように無愛想なのに、一瞬でも目を留めた通行人には信じられない接客スマイルを浮かべ、「一箱どうですか?」と丁寧に勧める。
始めはお年寄りたちが、次に中年の女性が主に集まり始めた。
「何これ?」
「ほら早く接客しろバカ」
高瀬がポカンとしたままの矢㮈を突ついて促す。促されるままにケーキを袋に詰め、代金をもらい、お釣りを返し、ケーキを手渡して見送った。
気付いたら開始一時間でケーキ箱の三分の二がなくなろうとしていた。
「……何これ?」
「すごいよねえ、也梛」
諷杝はのほほんとして母親と一緒に買いに来た子どもに手を振っている。
「すごいっていうか……」
すごいけど、すごい以前に突っ込みたいところがあるだろう。
あの接客スマイルは何なのだ。初めて見たような気がする。
今までよくもあんな無愛想でバイトが務まるな、きっと裏方要員だろうなと勝手に思っていたが、前言撤回せざるを得ない。
「何ぼやっとしてんだ。追加も考えておけよ」
そしてこの矢㮈に対する態度もブレない。さっきまで笑顔だった顔は仏頂面だ。
「何なのよあんた」
「意味が分からん」
まるで納得がいかなかった。
客足が引いた所で、一番力がありそうな高瀬が一度店に追加を取りに戻った。矢㮈と諷杝は店番をしながら、しかし客はいないので小声で雑談をしていた。
「矢㮈、諷杝君、お疲れ様」
戻って来たのは高瀬ではなく、母親と弓響だった。
「そろそろお昼だし、私たちと交代してお昼食べに行ってらっしゃい。おばあちゃんが用意してくれてるから。也梛君はもう先に行ってるわ」
母親が言いながら小銭を補充し、台車に載せてきたケーキを弓響が机の上に並べる。
矢㮈と諷杝はその場を任せ店に戻り、自宅に続く店の奥に足を向けた。自宅のダイニングのテーブルには祖母が用意したご飯が揃っていて、すでに高瀬が着席していた。
こちらの姿に目を留めて読んでいた音楽雑誌を閉じたところを見ると、どうやら食べるのを待っていてくれたらしい。
「寒いのにお疲れ様。カイロあるから持って行きなさいね」
祖母が熱い豚汁を椀によそってくれる。口をつけると、かじかんだ手と冷えた体がゆっくりと温まっていく。おいしい。
隣では諷杝が猫舌なのか、ふうふう吹き冷ましながら汁を啜っていた。高瀬も味わうように噛みしめながら、男子高校生らしくお代わりしていた。
午後の再開までは休憩時間だ。矢㮈は祖母を手伝って、厨房にいる女学生たちの昼食を用意して呼びに行った。
「ここのクリームはそう甘すぎることがないでしょ? その分甘いフルーツが味を引き立てるのよね」
「分かります。あんまりフルーツどっさりもどうかと思ってたんですけど、このケーキは別です」
「このチョコレートケーキもポイントがあってね……」
厨房に続くガラス戸の向こうを見た矢㮈はまたもやあ然とした。洗い物をしている女学生の一人と楽しそうに会話をしていたのは高瀬だったのだ。
矢㮈が知る限り、高瀬が年の近い女子とあそこまで楽しげに喋っているのは見たことが無い。
「矢㮈ちゃん、どうしたの?」
諷杝に肩を叩かれて思わずドキリとする。
「……高瀬って、女子とあんなふうに喋れるんだ?」
「ん? ああ、あれはケーキの話だからじゃない?」
ケーキの話。確かに高瀬は甘党でスイーツ大好き人間だ。しかしそうだったとしたら、矢㮈だってケーキ屋の娘として少しくらい話はできるはずだ。少し悔しい。
「とは言っても、あいつが素で思い切り楽しんで話してる相手を僕は一人しか知らないけどね」
諷杝が苦笑する。
「え?」
「それより呼びに来たんじゃなかったの?」
「あ、そうだ」
矢㮈はガラス戸を開き、中にいる女学生に声をかけた。
「お疲れ様です! ご飯の用意ができたのでどうぞ」
「待ってました!」
女学生二人の声が重なった。
三.
読み通り夕方以降の客は多く、大目に用意していた五十箱は完売した。午後七時半までを予定していたが、六時半にはもう売るものがなくなってしまい、撤収作業を行った。
後は店でホールケーキ以外の単位販売と、予約受け取りの応対だけである。矢㮈たちが店に戻ると、厨房組の二人が丁度帰り支度をしていた。
「二人とも昨日今日とありがとう。これは約束のケーキ」
父親が二人にそれぞれホールケーキの箱を手渡す。
「ありがとうございます! 皆これを楽しみにしてるんですよ」
「この後のクリスマス会でおいしくいただきます!」
二人に渡されたのは、事前に要望を聞いた父親オリジナルのケーキだった。毎年、バイトしてくれた人にはバイト料にプラスしてサービスしている。
「良ければまた来年もよろしくお願いするよ」
「はい、是非」
女学生二人が声を揃え、嬉しそうにケーキを抱える。
「あ、君たちもお疲れ様」
昼間高瀬と話していた女学生が矢㮈たちに声をかけてくれる。
「お疲れ様です。朝早くからありがとうございました」
頭を下げた矢㮈に、「こっちも勉強させてもらってありがとう」と笑って応えてくれる。そして、
「そーだ。私たち親に車で迎えに来てもらうんだけど、君たちも駅まで行くなら送って行こうか?」
思いついたように諷杝と高瀬を見た。
「君とはまだオペラケーキの話をしなきゃと思ってて」
高瀬を見る目は色んな意味で興味津々だった。しかし気になるのは、どこか挑戦的な態度なところだ。
「……いえ、俺たちはまだ用があるので大丈夫です。オペラの話もまた機会がありましたら」
高瀬が「お疲れ様でした」と会釈すると、女学生は少し残念そうに笑い、それから「じゃあ」ともう一人と一緒に店を出て行った。
「……で、笠木」
じろりと高瀬が矢㮈を見下ろす。
「?」
矢㮈はこの時までまるで気付かなかった。
「その手は何だ」
自分の右手の先を視線で追う。高瀬のエプロンの裾を掴む手が視界に入り、我ながらびっくりした。いつの間に。
「あれ?」
「あれ? じゃない。俺があの人たちと帰るとでも思ったのか?」
言われて、きょとんとしつつも心のどこかでそうかもしれないと思う。
「バーカ。俺がケーキをもらわずに帰るわけないだろ。今日のバイトの目当てはむしろ金よりケーキだ。働いた分全部つぎ込んで買ってもいいくらいだ」
それは言い過ぎでは。矢㮈は呆れながら、彼のエプロンの裾を離した。
「思ったより早く完売しちゃったし、矢㮈たちはクリスマス会しちゃいなさいな。実はおばあちゃん、今夜のためにクリスマスディナー用意してくれてるのよ」
母親が楽しそうに笑いながら、矢㮈たち三人を家の方へと強引に押し込む。
「父さんが特別に用意してるケーキも出すし、いっぱい食べて行って下さい、二人とも」
弓響がカウンターの中からにっかり笑う。
「わあ、友達とクリスマス会とか久しぶりだ。イツキさんがいなくて残念だけど」
諷杝がはしゃいだ声を出すが、反して内容はとても寂しい。
「あ、そういえばビンゴカード残ってるから皆でやろうか」
折角だからと思い出しながら提案すると、「オレもやりたいから呼んで!」と弓響が声を上げる。
「何かバイト以上の報酬だな……」
高瀬の呟きに、母親がうふふと含みのある笑みを浮かべる。
「おばあちゃんへのお返しは、也梛君のピアノ演奏と諷杝君の歌かギターでオッケーよ。どっちもうちにあるから使って」
「……そう、ですか」
「え、ホントに? やった、クリスマスに高瀬のピアノと諷杝の歌聴けるなんて!」
目を輝かせた矢㮈の頭を高瀬が小突く。
「お前もバイオリン弾くんだろうが」
「あたしもまた一緒に演奏していいの!?」
さらに目を輝かせた矢㮈に、高瀬は言葉を失くしてため息を吐いた。その横で諷杝がくすくすと笑っている。
楽しいクリスマスの夜が始まった。
Fin.
矢㮈の店の場合のクリスマス時期のお話でした。