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(7)入れ替わり行進曲(※非日常要素あり)

※少し非日常なファンタジー要素を含むお話です。(本編には直接関係はありません)


【主な登場人物紹介】

・笠木 矢㮈(かさぎ やな)…彩楸学園1年生。

高瀬たかせ 也梛やなぎ…同上1年生。キーボードを弾く。

海中わたなか 諷杝ふうり…同上2年生。ギターを弾く。也梛のルームメイト。

【その他】

・イツキ…白い鳩。諷杝に懐いている。

臣原おみはら 千佳ちか…彩楸学園1年生。矢㮈と也梛のクラスメイト。

松浦まつら 太河たいが…同上1年生。同じくクラスメイト。

衣川ころもがわ 瑞流みずはる…同上1年生。同じくクラスメイト。

・佐々ささき…彩楸学園2年生。諷杝のクラスメイト。



 世の中には、存外日常的にファンタジーな出来事が起こりうるらしい。



一.

「あ、矢―㮈ちゃん、おはよう!」

「!?」

「お前早速……っ!」

 朝の昇降口で矢㮈が驚きのあまり固まったのと、諷杝が素早い動作で高瀬の肩を掴んだのが同時だった。

 諷杝は高瀬より背が低いにも関わらずがっちり高瀬の襟の後ろをひっ捕らえ、今まで聞いたことのない低い声で言った。

「俺との約束もう忘れたか?」

「……もちろん覚えてるよ」

 高瀬が微かに引き攣った笑みで答え、改めて矢㮈に向き直った。

「えーっと今僕は也梛だから、……笠木、おはよう?」

「……」

 矢㮈はまだ呆然としたまま、目の前にある笑顔にただ違和感しかなかった。あの無表情で愛想のかけらもない高瀬也梛という男が、矢㮈に向かって戸惑う笑顔で挨拶をしている。――なんと不気味な。

「あれ? 矢㮈ちゃん引いてる?」

「ああもう面倒臭い」

 諷杝が忌々しそうにため息をつき、矢㮈と高瀬の腕を引っ張って人影のない隅に連れて行く。

「笠木、ちょっと説明の時間をくれ」

「……」

 諷杝が普段からは考えられないくらい粗暴な言い方をする。その口調はむしろいつもの高瀬のそれだった。しかも矢㮈のことを名字で呼んでいる。矢㮈がまじまじと彼を見つめると、諷杝が迷惑そうに眉を顰め、何かを諦めるようにまた息を吐いた。

「バカなお前でももう薄々感づいているとは思うが、諷杝に見える俺は高瀬だ」

「そんで也梛に見える僕は諷杝だよー」

 難しそうな顔をする諷杝の横で、何の心配事もなさそうにお気楽な調子で言う高瀬。

「は?」

 早くも矢㮈の頭の中では諷杝――もとい高瀬が言うことが正しいのだろうと認めざるを得ない状況であったが、どうにも視覚的には言動と異なる見かけが混乱を来す。

「……ちょっと待って。そんなファンタジーみたいなことあるわけ?」

 冷静な矢㮈がかろうじて反論を試みる。が、

「俺だって信じたくもねえよこんな悪夢。でも現実なんだからしゃーねーだろ」

 彼は半眼で何も悪くない矢㮈を睨みつけてくる。――諷杝の姿でそれはやめてほしいがそう言える雰囲気ではない。

「本当は今日一日休みたいところだが……」

「僕のところテストがあるんだよねえ。小テストでも大事な得点源だし」

 中身が諷杝の高瀬が困ったように言うが、それすらも表情に浮かぶ感情の変化が豊かだ。いつもの高瀬とは明らかに別人である。

「あ、それならうちもあったよね、今日。英語の」

 矢㮈が思い出したように言うと、

「英語は唯一自信あるから任しといて、也梛」

「……お前にはあまり期待してないから良いよ」

 諷杝が隣でへらへら笑っている高瀬の顔――つまり本来の彼の顔――に手を伸ばし、頬を横に引っ張った。

「マジで約束だからな諷杝。いつもの俺のイメージを崩すなよ」

「分かってるってば。そういう也梛も今日は僕なんだから、あまりツンツンしないでよ?」

 諷杝がふわりと微笑み――しつこいが見かけは高瀬だ――少し下にある諷杝――しつこいが中身は高瀬だ――の頭をぽんぽんと叩いた。

「わー、也梛の視線高くて新鮮―」

「ほらそういうとこが!」

 諷杝が頭を抱え、悔しそうに矢㮈を振り返った。

「笠木!」

「はい?」

 普段の諷杝からはあまり感じられない鬼気迫る表情に若干慄く。ああ、確かにこれは高瀬だ。

「礼はするから、今日一日諷杝の見張りをよろしく頼む」

「見張りって……逆にあたしが高瀬といる方が怪しくない?」

「始終側にいろってわけじゃねえよ。ただ、フォローしてやってくれ。すこぶる不安だ」

「……」

 矢㮈はちらりと諷杝である高瀬を見上げた。彼は「也梛は心配性だよねー」と肩を竦める。

(……あたしも心配になってきた……)

 これからクラスメイトとして高瀬と関わる自分のためにも重要な試練のような気がする。

「まあ、できる限りはフォローするよ」

 矢㮈が乾いた笑いで請け負うと、

「じゃあ矢㮈ちゃん、今日はクラスメイトとしてよろしくね」

 諷杝が高瀬の見かけで楽しそうに言い、

「お前いっそ面でも被っとくか?」

 高瀬が諷杝の見かけで疲れた声で言って項垂れた。



二.

 いつもより視線が高くなった世界はわくわくする。思ったより窓の桟が低いとか、廊下の天井が近いとか、教室の扉の上辺に頭が着きそうだとかそんな他愛無いことを考えながら歩いていると、後ろから矢㮈に小声で指摘された。

「諷杝、足元気を付けてね」

 すっかり足元が疎かになっていた。注意力散漫なせいで、いつもより少し長い脚がたまにおかしなステップを踏む。

「ありがと、矢㮈ちゃん」

「……『笠木』、だからね」

 もうすぐ教室に着くという所で、矢㮈が念を押す。

「高瀬は元々口数が少ないから、下手なこと言いそうだったら最悪黙っといて大丈夫だからね、諷杝」

「りょーかい。ていうか」

 諷杝は矢㮈と目線を合わせるように少し屈んだ。目の前で矢㮈が緊張したように固まる。

「僕は今諷杝じゃなくて也梛だからね? 間違えて呼ばないように、笠木?」

 矢㮈こそ也梛の容姿の諷杝に「諷杝」と連呼し過ぎだと指摘したつもりが、彼女は何かを堪えるかのように肩と握り込んだ手を震わし、諷杝をギッと睨み上げた。

「……ああもう! 分かってる! けど全然違うー!」

 そして、先に教室へと入って行ってしまった。

 彼女に続いて諷杝も後ろの扉から教室へ入った。

 予め確認していた通り、廊下側の後ろの方にある也梛の席に着く。

 矢㮈は窓側から二列目の後方辺りの席で、机の上に鞄を下ろしつつちらちらと諷杝の方を心配げに窺っているのが分かった。思わず「大丈夫」の意味を込めて片手を上げようとした諷杝の先を読んだかのように彼女はまた目を三角にするので、諷杝は目だけで軽く微笑み返した。

 と、そこへ。

「おはよー高瀬君」

 後ろの扉から元気に入って来た二つくくりの少女がいた。

(えっと確か――)

 視界の端で矢㮈が慌てたようにこちらに近付いてくるのが見えた。

「おはよう、千佳ちゃん?」

 ようやく彼女の名前を思い出した諷杝の答えに、

「「千佳ちゃん!?」」

 二つくくりの少女と、それからいつの間にか隣に来ていた矢㮈が声を揃えた。

(あれ? 違ったっけ?)

 前に矢㮈から教えてもらった時、確かそんな名前だったと思ったのだが。内心首を傾げる諷杝の目に、必死になってさりげなく少女の鞄に付けられた名前入りのプレートを指さしている矢㮈が映る。

 そのプレートに印字されているのは「臣原」の二文字。

「あ、えっと……臣原さん?」

 ようやく呼び方を間違えたことに気付いて言い直すと、またもや少女は目を丸くし、矢㮈は隣で項垂れた。

「臣原さん!? ……え、どーしたの急にさん付けとか!」

 どうやらまた間違えたらしい。諷杝は微かに頬を引き攣らせつつ、小首を傾げてみせた。

「き、気分?」

 ちらりと隣に視線を落とすと、完全に矢㮈が頭を抱えている。千佳はまだきょとんとしたままだ。

「何か変なもんでも食ったのか? 高瀬」

「ついに勉強し過ぎで頭壊れたんじゃねーの」

 新たな声が加わって、顔を上げると二人の男子生徒がいた。一人はさらさらなストレートの黒髪に中性的な顔つきの小柄な少年、もう一人は茶髪でどこかちゃらちゃらした感じの少年だった。

(えっと確かこの二人は――)

「衣川君と、松浦君……」

「君付け? 本当大丈夫、高瀬?」

 衣川が眉間に皺を寄せて諷杝の顔を覗き込み、

「なんかいつもよりしおらしくね?」

 松浦も不思議そうに言って諷杝の頭をポンポンと叩く。そんな二人を見ているうちに、諷杝はいつの間にか誤魔化す方法を考えることを忘れ、知らず知らずのうちに微笑ましい気持ちになっていた。

(也梛はいつも何だかんだ言ってるけど、ちゃんと友達できてたんだな)

 まるで也梛の親か兄になったかのような気持ちで衣川と松浦を見る。そして、考える前に二人に手を伸ばしていた。

「ありがとう、二人とも」

「うわ何! ちょっと!」

「高瀬キモイ!」

 衣川と松浦の悲痛な叫びと、

「ちょっとあんたたちだけずるいー!」

 千佳の違う意味での悲痛な叫びと、

「……あとで本物の高瀬が怖い」

 矢㮈の切実な呟きが見事に混ざり合ったカオスな瞬間だった。


 しかしながら今朝の一幕の後に関しては、ひとまず落ち着いて日々を過ごすことができたのではないかと思う。

 普段から伊達に也梛と一緒にいるわけではない。一日のうち、クラスメイトの松浦たちとどちらがより也梛と一緒にいる時間が長いかと言われればどっちもどっちだが、まだ会って半年程しか経たない彼らよりはずっと也梛のことを知っている――と勝手に思っている。

 普段諷杝から見る也梛を真似する事はさして難しいことではなかった。いつもの自分なら絶対こうはしないだろうなと思っても、自分が今は也梛だと思うことで平然とやってのけることができる。たまに反応を間違えて周りから不思議がられる視線を送られたものの、矢㮈のフォローにも助けられ大きく踏み外すことはなかった。

「何か也梛になったら頭良くなった気がする」

「……気のせいだと思うよ。思考は諷杝のままでしょ」

 窓の桟に肘を付いて外を眺める諷杝の独白に、矢㮈が苦笑を返しながら紙パックのジュースをすする。

「だーよねー」

 いつもの調子でえへへと笑ってしまって、矢㮈の「気持ち悪い」と言わんばかりの視線で我に返る。そうだ、今の自分は也梛だ。

 昼休み、食堂で皆でご飯を食べた後だった。デザートにと菓子パンを買いに行った衣川と松浦を目で追いかけながら、諷杝はふふと笑った。

「何だかちょっと羨ましいなあ」

「何が?」

「矢㮈ちゃんや皆と一緒に授業受けてる也梛が」

 矢㮈を見下ろすと、彼女はポカンとした表情でストローから口を離した。そういえば今日はずっとこんな彼女ばかり見ている気がする。きっとまだ也梛の見かけで話す諷杝に戸惑いがあるのだろう。

 暫くして、矢㮈ははっとしたように横を向いた。

「諷杝だって友達いるでしょ」

「うん、いるよ」

 衣川や松浦たちに負けないくらい、諷杝にとっても楽しい友達はいる。高校生活一年と半年程、特に不自由なく過ごしてこられたのは良いクラスメイトに出会えたおかげだ。

(――ああ、逆かな)

 諷杝の中で、何かがすとんと収まる感覚がする。

「……諷杝?」

 突然黙ってしまった諷杝を心配そうに見上げながら矢㮈が訊いてくる。そんな彼女に向かって、也梛なら絶対返しそうにない微笑みを浮かべた。

(僕が羨ましいのは、矢㮈ちゃんや皆の方だ)

「……也梛とも一緒に授業受けてみたかったなあ、なんてね」

 彼がクラスメイトだったら。本来なら有り得なくもない形が急に羨ましくなる。この学園でさえなければ叶っていたのかもしれない。

 この学園では、諷杝は也梛より学年は一つ上になる。従って何も問題なく学年が上がれば先に卒業を迎えるのは必須だ。

(その時に、あいつはどうするんだろう)

 也梛が諷杝を追いかけてこの学園に来た時、諷杝の中に漠然と芽生えて今も育つ不安だ。

 彼は彼の音楽を見つけるためにこの学園に来たと言い張っているが、果たして諷杝が卒業する時、その答えはちゃんと見つけられるのだろうか。また諷杝を追いかけて無茶をしないだろうか。

 だからこそ、也梛の周りに矢㮈や友人がいてくれることが素直に嬉しく有り難いと思う。彼が答えを見つける時、そこにいるのが諷杝だけでないことを知ってほしい。諷杝がいなくても、也梛は十分やっていけるのだと気付いてほしい。

(まあ全くいらないって言われるのも寂しいけどね)

 自分の方こそいつも也梛に寄りかかってしまっているのは自覚しているが、これが許されるのは高校を卒業するまでだ。諷杝とて卒業後どうなるかは未知の世界ではあるものの、今と同じように也梛と過ごすということはないだろう。

「……諷杝って高瀬のこと大好きだよね」

 矢㮈がポツリと呟く。

 諷杝は一瞬きょとんとした後、彼女の頭に手を載せた。いつもよりさらにある彼女との身長差に若干戸惑いながらも新鮮な気持ちで彼女の髪をなでた。

「也梛だけでなくて、矢㮈ちゃんのことも好きだよ?」

 次の瞬間、矢㮈の顔が真っ赤になる。

「なっ……何で今そんなこと言うのよ!」

「え?」

 意味が分からずポカンとしているうちに、矢㮈は「ああもう何で今なのよ、その姿で言うなあ!」とぶつぶつぼやいている。

 そんな彼女がまた微笑ましくて、諷杝は笑わずにいられなかった。



三.

「おい諷杝。今日のお前はクールだな」

 昼休みに入り、どこで昼食をとろうかと考えていた也梛は――あわよくば諷杝たちを捕まえて、恐ろしいながらも午前の首尾を聞こうと思っていた――諷杝のクラスメイトの佐々木という男子生徒に捕まった。

 諷杝から度々話を聞くことがあり、既に姿も拝見していたため、こうしてちゃんと話したことはなかったが勝手に也梛の中では馴染みになっていた。

「クール?」

「いつも天然ぼけぼけな平和な顔してるくせに、今日は授業中も起きてるしキリッとしてる」

 いつもの諷杝の姿が瞼の裏に浮かぶ。クラスでの諷杝も、也梛がいつも一緒にいる諷杝とさして変わらないようだ。

 佐々木は前の席の椅子の向きを変えそこに腰を下ろすと、手に持っていた袋からパンを取り出して勝手に食べ始めた。

「じゃーん。今日オープンしたパン屋の特製卵サンドと、それからこっちはデザートの特製ベリータルト!」

「……ベリータルト」

 ここで食うのか、と訊ねようとした也梛の意識は見事特製ベリータルトに奪われた。

「お、何だ。ベリータルトには興味あるのか? いつも菓子パンは甘いからいらないとか言うのに珍しいな」

 決して甘いものが嫌いというわけでも苦手というわけでもないが、確かに諷杝はあまり菓子パンに自分から手を伸ばさない。むしろ甘党の也梛を横目に「もう見てるだけでお腹いっぱいだよ」という調子だ。

「じゃあ後で半分こしよーな」

 佐々木は勝手に決めるとにっかり笑い、卵サンドをおいしそうに頬張った。也梛もその場で食べることに決め――決してベリータルト半分こにつられたわけではないが――持って来ていたおにぎりを出した。

 心配していた程高校二年の授業についていけないこともなく、諷杝が心配していた数学と古典の小テストも難なく終えた。だいたい前の高校が超進学校だったこともあり、也梛が既に修了した内容であったことも幸いした。授業を受けながら、次の諷杝の定期試験対策を考える余裕さえあったくらいだ。

 問題は也梛と違って諷杝の人付き合いがフレンドリーなところだと考えていたが、確かに声をかけられることは少なく無いものの、みんなあいさつ程度だったので、相手の名前を知らなくても軽く返すことができた。

(そういやあいつって人当り良いけど広く浅くだよな)

 何しろ一番の親友が鳩なのだから仕方が無い。実際、也梛自身が諷杝にとってどういう存在なのか全くもって謎のままだ。

(多分俺がクラスメイトでも変わんないんだろうけど)

 きっと也梛が同級生でも、諷杝は相変わらず今と変わらない学生生活を送っていたのだろう。

 約束通りベリータルトを半分分けてもらい――也梛の中で勝手に佐々木の地位が二段階ほど上がった――、也梛は満足な気分でふと窓の外を見遣った。

 諷杝の席は今、窓側の後ろから三番目の位置だった。教室は三階だったが、中庭を挟み丁度向こう側の一階に食堂が見える。その食堂の手前の廊下の端に、見知った影を見つけた。

(俺? ……じゃなくて諷杝?)

 その横には小さな影もあって、悪くない視力はそれが矢㮈だと気付かせる。二人は何を話しているのか、思いの他楽しそうに見えた。

(何やってんだあいつら)

「あ、諷杝のお気に入りたちだ」

 佐々木が也梛の視線の先に気付いて同じように窓から見下ろす。

「お前いっつもあいつら見かけると微笑ましそうだもんなあ。まるでおじいさんが孫を見るような目で」

「はあ?」

「今日は猛禽類のような鋭い目付きだけど」

「……」

 也梛はどう返していいか分からず黙って諷杝と矢㮈を見下ろした。

「それにしてもいつも仲良いよねえ。今日は特に仲良い気がするけど」

 佐々木の言葉がスルーせずに也梛の耳に残る。

 現在あそこで矢㮈と話しているのは諷杝であり、彼を見張るよう彼女に頼みこんだのは他でもない自分なのだから彼らが今日に限っては普段より仲良く見えるという見解にも目を瞑ろう。だがしかし、先程佐々木は明らかに也梛が聞き逃せないワードを口走った。

「『いつも』……?」

「え? 『いつも』だろ?」

 いつもの也梛と矢㮈といえば、どう見ても仲良し小良しとは程遠い関係だった。周りのクラスメイトたちに巻き込まれて一緒にいることも少なくないが、お互いできればあまり接触したくないと考えている。顔を合わせて喋ろうものなら口を突くのは間違いなくお互いへの嫌味や文句だ。

(間違っても、絶対楽しそうには見えるわけない)

 也梛は眉間に皺を寄せて、唸りながら階下の二人を睨みつけた。

 諷杝が笑ったのだろう、也梛の目に自分の微笑んだ顔が映り、何だか妙な気分になる。自分なら、絶対あんな笑い方はしない――いや、できない。明日には普段使わない筋肉を使って頬が張るのではないかとさえ思う。

(っていうか、あいつ一体何してくれてんだ)

 よりによって矢㮈に向かって。諷杝が何か言って、なぜか矢㮈の頭に手を伸ばす。

(ちょ……)

 諷杝の手の下で矢㮈の赤い顔が見えた瞬間、也梛は口元を手で隠して彼らから視線を逸らした。直視できたものではない。

(……俺の姿でそういうことをするなバカ野郎)

「どしたの諷杝?」

「……ちょっとお手洗い行ってくる」

 也梛は佐々木と平然と話を続けられる気がせず、堪らずに席を立った。



四.

 やっと終わった。本日の全授業を終えた放課後、矢㮈は疲れた顔をしながら屋上への階段を上っていた。

 高瀬の姿をした諷杝は飲み物を買ってから行くと答え、さすがにそれくらいなら大丈夫だろうと矢㮈は先に教室を出た。

 屋上の扉を開くと冷たい風が全身に体当たりしてくるが、それを心地よく感じながらいつものお決まりの場所に向かう。

「痛っ……だーかーら、本物の諷杝ももうすぐ来るってば」

 屋上で、諷杝の姿をした高瀬が一羽の白い鳩に足を突かれまくっているのが目に映った。

「やっぱりイツキさんには偽物だって分かるんだ」

 さすが諷杝の相棒。矢㮈が笑うと、不機嫌そうな諷杝の顔がこちらを向く――中身は高瀬だ。

「諷杝は?」

「飲み物買ってから来るって」

 矢㮈の言葉を理解したのかどうか、イツキが急に羽を広げ空に飛び立つ。そして上空を旋回した後、高度を下げてどこかへ飛んで行ってしまった。

「もしかして諷杝を探しに行ったのかな?」

「知らん。ほっとけ」

 全く以て高瀬の言動そのままに、諷杝がため息を吐いて丸太のようなベンチに腰を下ろす。

「で、どうだった、諷杝は」

 本日の報告会だ。矢㮈も高瀬の隣に腰を下ろした。

「うーん、総合的には、そんな外してないと思う、よ?」

「あいつのことだから俺の顔でもへらへら笑ってたんだろう」

「……少し、ね」

 朝一からやらかしてくれたことは言いにくく、何とか誤魔化す。高瀬は訝しむ表情をしたもののそれ以上追及せず、一つため息を吐いた。

「もうやっちまったものは仕方ねえ。諦める」

「おお、前向き」

 矢㮈は目の前で足を組み難しい顔で何かを堪えるように黙る諷杝の表情をまじまじと見つめてしまった。普段の諷杝は絶対こんな表情をしない。

「やっぱり高瀬なんだなあ」

「何だよ」

 また一気に不機嫌そうな顔になる。

(高瀬の笑顔も気持ち悪いけど、諷杝のこの不機嫌な顔も怖いよね)

 高瀬の場合は気持ち悪さに加え、普段滅多に笑わないと知っているから心臓が落ち着かないのだ。しかも諷杝は高瀬の姿であるにも関わらず、至って普通にいつもの距離で矢㮈に近付いてくるので余計に落ち着かない。

 早く元に戻ってほしいと心から思う。

「そういえば諷杝、あんたと一緒に授業受けれたらなあって言ってたよ」

「は?」

 高瀬が少し意外そうにポカンとする。

「諷杝はあんたのこと大好きなんだって」

 矢㮈が諷杝との昼間のやりとりを思い出して若干むくれながら言うと、高瀬はますますあ然とした。

「何言ってんだお前」

「ホント何言ってんだろあたし」

 矢㮈は目の前にある諷杝の顔がどこか憎らしくなって、手を伸ばして左頬を横に引っ張った。

「何すんだ」

「くそー諷杝のバカー。高瀬の姿で言うなってのー」

「おい何の話だ」

 矢㮈は右頬にも手を伸ばし横に引っ張った。

「ほはえ(お前)……っ!」

 高瀬が堪らなくなったのか、矢㮈の手を掴んで無理やり頬から引き離す。

「お前今本気でやっただろ」

 ずいと迫る諷杝の頬は矢㮈が引っ張ったせいで赤くなっていた。

「あ、ごめん」

「別に俺の顔じゃねえけど、本人の知らねえとこでこれはないだろ。しかも好きなヤツ相手に」

「!」

 一気に矢㮈の顔の温度が上がる。恥ずかしくなって顔を隠そうにも、両手は高瀬に掴まれたままだ。

「ごめんってばー」

「俺に謝るな。諷杝に謝れ」

 バカ笠木、と言って手を離した高瀬は軽く肩を竦めた。

「……諷杝はバカなんて言わないもん」

 矢㮈の小さな反撃に、

「じゃあこうか? 矢㮈ちゃんってバカだったんだねー」

「! そんなの言わないから!」

 高瀬がわざと真似た言い方は諷杝の顔と声で再現されれば完璧だ。本当に言われたようで少し動揺する。

「でもそんな矢㮈ちゃんでもかわいいもんね。――あいつならこう言うんだろうな」

(だめだ、そっくりだ!)

 今なら高瀬の気分次第でどんな言葉でも諷杝ボイスが完成されてしまう。矢㮈は勝手な妄想を落ちつけようと深呼吸した。

 高瀬は急に静かになった矢㮈をおかしなものでも見る目付きで見ていたが、やがて全てお見通しだと言わんばかりに鼻で笑った。

「物真似大会はこれで終わりだからな。本当に言って欲しい言葉は本人からもらえ」

「……分かってるもん!」

 少し妄想しただけではないか。矢㮈は小さな邪念を振り払った。

「ああ、やっぱり高瀬だー」

「当たり前だ」

 本当にどこまでも中身が高瀬なのが憎らしい。矢㮈はむくれながら、本日最大の嫌味を捻くり出した。

「ふん、中身が諷杝の今日の高瀬忘れてやらないんだから」

「ああ!?」

 一気に高瀬の声――いや、諷杝の声が低くなる。鋭く飛んで来た高瀬の睨みを矢㮈は真っ向から受け返し、暫くお互い睨み合った。

(そうよ、やらかしたのは諷杝だけど、見かけは高瀬だったんだから……あ、思い出しただけで笑える)

 千佳や衣川たちにした失態を思い出しておかしくなり、それから昼休みのことを振り返る。諷杝が矢㮈たちとの授業を羨ましいと言い、高瀬とも授業を受けたかったと呟き、それから――。

(……一番欲しい言葉をもらったのに、なぜそれが……)

 頭に載った手は大きく、鍵盤の上を自由に駆け回る綺麗な長い指だった。目の前にあったのは諷杝がよく浮かべる笑顔だったが、それは本人の姿ではなく、声もいつもより低い――

「……っ!」

 そう、あの時あそこにいたのは、今目の前にいる諷杝の『中身』の彼の姿だ。

 矢㮈は急に恥ずかしくなってきて俯いた。この瞬間、先程自分が放った嫌味で一番ダメージを受けるのは自分だったということに気付く。

(高瀬は絶対あんなこと言わない)

 間違いなく言ったのは諷杝なのに、矢㮈の中から複雑な気持ちが消えない。

 高瀬を盗み見ると、彼もなぜかバツの悪そうな顔で横を向いていた。そして、

「今日の俺は俺じゃない。忘れろ」

 それだけ言って矢㮈に背を向けてしまった。矢㮈もそれ以上かける言葉が見つからない。

 そのままお互い黙ったままどれくらい経っただろう。矢㮈が心の中で、「諷杝よ早く来い」と何十回か唱えた時だった。

「あ」

 隣にある背中が小さく声を漏らす。

「……高瀬?」

 矢㮈が思わず彼の方を窺おうとした瞬間、そっぽを向いていた背中がくるりと反転した。

「あ、矢㮈ちゃん」

「え?」

 目の前にあるのは、少しほっとしたような諷杝の微笑む顔。

「やーっと戻った……」

 こちらに近付いてくる足音に顔を向けると、イツキを抱いた高瀬がいた。矢㮈の顔を見るなり眉間に思いきり皺を寄せる。だが、これはどこか気まずそうな表情だと分かった。

「やっぱり自分の身体が良いねー」

 諷杝がベンチから立ち上がって楽しそうに辺りをくるくるスキップする。その周りをイツキがぴょこぴょこと付いて回った。

「もう二度とごめんだ」

 高瀬がため息を吐いて、諷杝が買ったのだろうジュースに手を伸ばす。

 矢㮈は心の底からほっとしながら、楽しそうにイツキと戯れる諷杝の動きを目で追った。

「あたしだってあんな心臓に悪い思い、もう二度とごめんなんだから」

 小さく呟いた言葉は、風に乗って消えて行った。


Fin.


本編では今のところ、あまり非日常的要素がないですが、こういうとんでもなお話を書くのは好きです。

少しでも楽しんで頂けましたら幸いです。

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