(6)息子の我が儘
本編『奏』第19話、20話の「音楽祭 閑話休題」に関するお話です。
(※本編と直接関係はありません)
【登場人物】
・真生…諷杝の養父。
・海中 諷杝…彩楸学園高校2年生。
・高瀬 也梛…彩楸学園高校1年生。諷杝のルームメイト。
「お? 珍しいな」
久しぶりに来た息子からのメールに真生は驚いた。
たまに様子聞きがてら、こちらからメールを送ったり電話をかけたりすることはあっても、彼の方から連絡を寄越すことは滅多と無かった。
何か起こったのかと逆に心配になりながら、受信ボックスを開いた。
「えーっと、何々……? △△ホテルのバイトは無いかって?」
息子の諷杝が送って来たメールの内容は、何とも突然なものだった。
△△ホテルは真生の友人が経営している、そこそこ大きなホテルである。しかし一体どこからこのホテルの話が出てくるのか。
真生は暫く考えたがさっぱり分からず、とりあえず本人に電話をかけてみることにした。
午後九時過ぎ。まだ寝てはいないだろう。
『……はい、もしもし諷杝です』
コール音二回の後、久しぶりの声を聞く。
「もしもし、俺だ、真生だ。あのメールは一体何だ?」
単刀直入に訊く。諷杝は意味を理解する間を少し取ってから、『ああ』とうなずくように言った。
『えっと、△△ホテルでバイトがしたい、ということです』
「……悪い。まだよく分からないんだが……」
そう、たまに彼とは会話がすんなり通じない時がある。これは彼の亡くなった本当の父親にも当てはまったことで、真生は辛抱強く相手をすることを心得ていた。
「まず、どっからそのホテルが出て来て、お前はなぜバイトをしたいと思い、俺にどうして欲しいのか教えてくれないか」
ゆっくり、知りたい情報を伝える。電話の向こうで諷杝が小さく笑った。
『すいません、説明します』
「ああ、頼む」
真生は聞く態勢に入り、諷杝の話に耳を傾けた。
彼がゴールデンウイークに連れてきた友人・也梛が、今度ピアノの演奏会をすることになったという。その場所が△△ホテルであり、そこで開かれる催しの一部であるそうだ。
しかし也梛は諷杝を招待しなかったらしく、それでも何とか聴きたい彼は、バイトとして潜り込むことを思いついたらしい。
「なるほどそれで、△△ホテルを経営してる友人がいる俺か」
納得した。真生は苦笑した。
『……真生さん?』
「そこまでやるってことは、相当なもんなんだな」
自分が知る限り、彼がここまで行動する程の友人は今までいなかった。常に傍らで生活を共にして来たわけでは無かったが、彼の交流は広く浅くが基本であったと思う。
「分かった。今日中に確認しておいてやる。えっと、諷杝と……」
『僕と、もう一人の二人分』
「はいよ、了解した」
『ありがとうございます!』
電話の向こうで声が弾む。彼の笑顔が目に浮かんだ。
ああ、直に目の前で見たかったな、と思う。
真生は困ったように眉をしかめ、「ところで」と切り返した。
「お前、今何やってんだ? まだ帰って来ないのか?」
ずっと気になってしょうがなかったことを訊く。そう、もう八月に突入していると言うのに、寮暮らしの彼はまだ帰省して来ない。真生の実の娘であり、諷杝の妹にあたる茜が、そろそろうるさくなってきた。
「茜が毎日ブーブー言ってるぞ。早く帰って来いーって」
『はい、最近遥音さんの携帯からよくメールが届きます』
諷杝が困ったような声で答えた。
『今は音楽祭の合宿中なんですが……言ってませんでしたっけ?』
「聞いてないな」
妻の遥音も何も言っていなかったような気がする。しかし諷杝は別に隠すつもりではなかったらしく、慌てて付け足すように言った。
『八月の九日と十日に、彩楸学園で音楽祭があるんです。真生さんたちも暇だったら見に来て下さい』
「あのなあ諷杝、そういうことはもう少し早く……」
『え、あ、無理ですか?』
「いや、行く。お前の出番は見に行くに決まってるだろう。正春も連れて皆で行く。だが次からはもう少し早く言っといてくれ」
息子が寮で生活し、今何に取り組んでいるのか分からない親の気持ちを知ってほしい。
『すみません。何か成り行き上、僕が副委員長になってしまって……バタバタしてて』
「え? 諷杝が副委員長!? 何かの間違いだろ?」
真生の目が思わず点になった。あの真面目で面倒見のよさそうな也梛ならともかく、まさか結構面倒臭がりな諷杝がそんな役を引き受けるなんて。
知らない間に息子は進化を続けているようだ。全くうれしいやら、その姿が見れず悲しいやら。
『真生さん失礼だなー。まあ僕も進んでやったわけではないですけど』
諷杝が苦笑する。一年前と違って、だいぶ軽やかだ。
「じゃあこっちに帰って来るのはそれが終わってからか」
『はい、そうなります』
少し、ほっとする。彼が帰って来てくれることに安心する。
「お前の両親の墓参りも行かなきゃなんだから、ちゃんと音楽祭の報告できるようにしとけよ」
『はい。じゃあ真生さん、バイトの件よろしくお願いします』
「ああ、分かった。またな」
真生は電話を切った。これから、例の友人にコンタクトを取らなければならない。
携帯のアドレス帳から友人の連絡先を探しながら、我知らずふっと笑みを零す。
「全く俺は息子に甘いな……」
しかし滅多にない頼みだからこそ、何とかしてやりたいと思うのだった。
終