(24)あやめと特別なチョコ
【主な登場人物紹介】
・淡海 あやめ…雲ノ峰高校3年。将の幼馴染みで音楽仲間。
・相田 将…同上3年。2年連続で音楽祭実行委員長をしていた。
・笠木 矢㮈…彩楸学園高校2年。バイオリンを弾く少女。也梛と諷杝とは音楽仲間。
【その他】
・海中 諷杝…彩楸学園3年。ギターを弾く少年。
・高瀬 也梛…同上2年。キーボードを弾く少年。
一.
淡海あやめから連絡をもらったのはバレンタインデー直前の週末だった。
『やなちゃん! ひさしぶり! この土日、どこか時間あったりする?』
年末の忘年会の後、正月にメールで挨拶を交わした以来だった。矢㮈はすぐに返信を返した。
『お久しぶりです。どちらも大丈夫ですけど、どうかしましたか』
そういえばもう受験は終わったのだろうかと考えていると、『今電話して良い?』ときたので了解の意を示す。すぐに着信があった。
「はい、矢㮈です」
『矢㮈ちゃん! ごめんねえ、急に』
「いえ、大丈夫です。どうしたんですか。受験は終わったんですか?」
『あ、おかげさまで、何とか第一志望に合格しました!』
電話の向こうから弾けたような声が聞こえ、同時に彼女の笑顔も目に浮かぶようだった。
「本当ですか! それは良かったです。おめでとうございます!」
『ありがとう。やっと解放されて脱力タイムを過ごしてる~』
冗談めかして言う淡海は相変わらずで、矢㮈は小さく笑ってしまった。
「相田さんは……」
『ああ、将ちゃんは問題なく、あっさり受かってた』
彼女の昔馴染みだという相田将のことだった。自分の勉強と並行して最後まで淡海の勉強を見ていたくらいなので、そう心配はしていなかったが、さすがだ。
「相田さんもおめでとうございます」
『あはは。将ちゃんの代わりにありがとうって言っとくね』
「それで、どうしたんですか?」
あらためて矢㮈が訊ねると、これまでハキハキと喋っていた淡海がふいに黙り込んだ。
「淡海さん……?」
電話の向こうで小さく息を吐き出した後、彼女は意を決したように言った。
『私と一緒にチョコのお菓子作ってくれない?』
二.
そして、日曜日に淡海あやめが矢㮈の家にやって来た。
「あ、矢㮈ちゃんの弟君だよね?」
彼女を出迎えたのは矢㮈だけではなく、弟の弓響も一緒だった。
「弟の弓響です。今日は姉貴のサポート役をすることになりました。よろしくお願いします」
矢㮈と淡海よりも身長の高いスポーツ刈りの少年がペコリとお辞儀をした。
「そうなんだ、よろしく~。なんか雰囲気が将ちゃんに似てるなあ」
淡海がにっこり笑う。確かに、相田もスポーツ刈りで、何となく似たところがあるような気がする。
「サポートってことは、弟君……弓響君も、お菓子作り得意なの?」
「あたしも得意という方ではないですよ……むしろ、弓響の方が上手いので今回お願いしました」
ちらと弟を見上げると、まるで兄のように軽く肩を竦めてみせる。どっちが上か分かったもんじゃない。
「別にちゃんと分量計ってレシピ通りの順番にやっていけばだいたいのものは作れますよ」
弓響の言葉に、矢㮈は目を横に泳がし、淡海が大きく頷いた。
「うん、弓響君がいてくれるなら大丈夫そう!」
「……それ、どういう意味ですか?」
弓響が戸惑いの表情を浮かべるのをスルーして、矢㮈は淡海をキッチンの方へと案内した。
店の調理場の方が広いのだが、本日も営業をしているので家の方を使うことにした。
「本日はナッツ入りのブラウニーを作ります」
作るものは事前に淡海と相談済みだった。
「相田さんはどちらかというと苦い方が好みと聞いたので、甘さ控えめでいこうと思います」
「お願いします! あ、でも私は普通に甘いのが食べたいです」
漏れなく自分用の希望を伝えてくる淡海がかわいい。
「大丈夫です! あたしも諷杝たちのを一緒に作ろうと思っているので、甘さを変えたのをいくつか作るつもりです」
「高瀬さんのとかすごく甘いのになりそう……」
「よく分かってるわね、弓響」
「だってあの人の甘党ぶりは普通じゃないから」
ついに弟にまでそう認識されているのか、あの男は。矢㮈は仏頂面の音楽仲間を思い出して苦笑した。
「じゃあ弓響、お願いします!」
「何で姉貴は最初からオレ頼みなの?」
サポート役として召集されたはずの弓響が小首を傾げながらも、エプロンを付けて準備を始めた。
特に難しい作業はなかったはずなのに、矢㮈と淡海はところどころ四苦八苦しながらも、無事にチョコとナッツの香ばしい匂いをかぐところまで行きついた。弓響の手厚いサポートのおかげである。
テーブルの上には、甘さ三段階のブラウニーの塊が三つ載っていた。冷めるのを待って切り分け、あとはラッピングをするだけだ。
ラッピングだけであれば矢㮈も店番をしているので多少は自信がある。疲れ果てた弓響が離脱すると、矢㮈は淡海にラッピングの種類を選んでもらって先生役に回った。
「そういえば淡海さんは、相田さんに毎年あげてるんですか?」
何気なく訊いてみる。すると淡海はあっさり答えた。
「ちゃんとしたチョコって意味では今回が初ね」
「え?」
それはどういう? という矢㮈の顔を見て、彼女は苦笑した。
「スーパーとかコンビニで売ってるよくあるチョコのお菓子とか、アイスとか、ココアとか奢ったりというのはあったんだけど」
「え、十分じゃないですか?」
どんな形でも「チョコ」には違いない。
「まあ特別感は薄いわよね~。友チョコっていうのも、女子同士の方がもっと良いのを交換してそうだし」
「でも、相田さんならどんなチョコでも喜んでくれそう」
「うーん、どうだろうなあ。一応ありがとう、とは言ってくれるけど、別に嬉しそうかと聞かれると特別そうでもなさそうな……普段と変わらないというか」
淡海が眉間に皺を寄せつつも、どこか楽しそうに笑う。
「まあ、中学の頃から他の女子に特別なチョコはもらってたけどね」
「そうなんですか。でも相田さんモテそうなの分かる」
音楽祭でも二年連続で実行委員長を務めた面倒見のいい男子である。頼りがいがあるし、何より周りの人に好かれやすい。細かいところまでフォローできるのもポイントが高い。
そんな彼が唯一振り回されているのが、今目の前でリボンの色に悩んでいる淡海あやめという女子である。
「本当は今までも渡そうと思えば渡せたんだろうけど、なかなか踏ん切りがつかなくて」
淡海の指が青と緑のリボンの間をうろうろする。
「今の関係が一番居心地よくて、特別なものにするだけでそれが変わっちゃいそうで」
チョコ一つで大げさだよね~と漏らす淡海はいつになく真剣な表情をしていた。
「でも、多分ここまで変わらないでいられたのは、将ちゃんのおかげでもあるんだろうなって。受験もそうだけど、私の気持ちを知ってるからずっと一人にしないでくれてた」
「気持ち?」
「そう、将ちゃんに彼女ができたらきっと私が離れていくってこと」
矢㮈は思わず目を見開いた。確かに彼女たちは常に一緒にいるのが当たり前のように見えたが、先程淡海自身が言っていたように、彼女たちの間には守られてきた一線があったのかもしれない。だからこそ、あの関係を築けていたのだ。
「……淡海さんは何で今回特別なチョコを渡そうと思ったんですか?」
「何でだろうね?」
淡海はふふと笑って、「やっぱりこれにしよ」と赤いリボンを手に取った。
「同じ大学に決定しちゃったし、もう逃げ場がなくなっちゃったからなー」
矢㮈は淡海にリボンの結び方の手本を見せながら、彼女のチョコをもらう相田のことを考えた。
(どっちかって言うと、相田さんの方が淡海さんを逃がしたくなかったのでは)
矢㮈にとって二人はいつでも仲の良い大好きな先輩たちだ。だが、そんな二人が実際どんな気持ちで一緒にいたのかは分からない。今だって、淡海側の気持ちを一方的に聞いただけである。
(――でも)
「淡海さんがどんな気持ちをぶつけたって、あの相田さんなら受け止めてくれると思います」
綺麗にラッピングできたチョコブラウニーに、淡海は満足そうに頷いた。
「よし。まあ玉砕しても、大学でも私は将ちゃんと音楽をやるつもりだから。そこは安心してね、矢㮈ちゃん!」
「淡海さん、それ冗談で言ってるんですよね?」
淡海の気持ちを相田が知っているのなら、その逆もまた然り。
きっと淡海も分かっている。その答え合わせをしに行くのだろうと矢㮈は思った。
三.
二月中旬になると、一足早く学期末テストを終えた三年は自由登校となる。だが本日はホームルームのある日なのと、そして例のイベントの日なのとで妙に出席率が高かった。
(まあ、高校生活最後だしねえ)
後輩たちからも目当ての先輩たちを窺ってそわそわしている空気が伝わって来るようだ
「はい、あやめ。今年で最後の友チョコ~」
「え、最後って何。来年もちょうだいよ」
クラスメイトがチョコクッキーをくれる。あやめも白い袋をがさがさと漁って、お気に入りのチョコ菓子を一つお返しに渡した。
「出た! あやめのお気に入り安チョコ!」
「なんだかんだでいつもおいしく食べてるでしょ」
「そうなんだよね、安定のおいしさは保証されてるよね」
「だったら文句を言わずに食べなさい」
教室で繰り広げられるこんなやり取りももう今年が最後かと思うと少し寂しい。もう来月頭には卒業式なのだと頭の片隅でぼんやり考えた。
携帯にメッセージを着信したのを見て、あやめは席を立った。鞄の中に用意したものがあることを確認して、持ち手をぎゅっと握る。
昇降口から少し離れた所に見慣れた男子生徒が立っていた。がっしりとした体つきとスポーツ刈りの姿を見ると、どこかの運動部員のようだ。
「将ちゃん!」
「おう、あやめ。お疲れ。もうチョコレート交換は終わったのか?」
「いつものメンバーにはあげてきた」
「そうか」
「将ちゃんはもらった?」
「……」
相田はわずかに視線を宙に彷徨わせた。正直だなあと苦笑する。
「もらったんだね。何個もらったの?」
「……もらったのは、クラス全員に配ってた子のやつだけだ」
なるほど、その言い方だと、断ったチョコがあるということか。
(最後なんだから受け取ってあげても良いんじゃないかって言いたいけど)
言い方は悪いが、三月一日で卒業したらホワイトデーも会うことはないだろう――応える気があるなら別だが。
(まあ、将ちゃんは義理でも返すんだろうなあ)
それがあやめにも分かるから、何も言わないでおいた。
相田は気まずい間を誤魔化すように、携帯を手に取って画面をスクロールした。
「今から行くカラオケ、とりあえず十三時からフリータイムで取ってるぞ」
「ありがとう! あの二人は結局来れるんだっけ?」
「少し遅れるかもだけど大丈夫だって」
「よし、じゃあ久しぶりにみんなで集合だ! 歌うぞー」
今日は久しぶりにバンドのメンバーでカラオケに行く予定なのだ。よくよく考えてみれば、バレンタインデーの日だというのに他の二人も予定はなかったのだろうか。――いや、考えないでおこう。
「まあ歌ってるのはほとんどあやめなんだろうけどな。お前一度マイク握ったら離さねえし」
ふっと笑う相田を見ながら、あやめは鞄の中から例のものを取り出した。
「ねえ、将ちゃん」
「あ?」
携帯の画面からこちらを向いた相田と目が合う。その面前に、先日矢㮈と作ったお菓子の入った紙袋を差し出した。
「バレンタインデー。将ちゃんの」
珍しくポカンとした顔が返ってきた。全く、この状況を予想していなかったそれだった。
「いつものお手頃チョコじゃなくてごめんね?」
「いや……」
おずおずと受け取った相田は、そっと袋の中を覗き込んだ。そこには赤いリボンでラッピングしたナッツ入りのチョコブラウニーが入っている。
「あの金欠のあやめが……」
「ちょっと将ちゃん? それはこの前、矢㮈ちゃんと一緒に作ったんですけど?」
「え、まさかの手作り? いや、まあ家が洋菓子店の笠木さんが一緒なら大丈夫か」
「……ねえ、心配なら返してくれる?」
思わず伸ばしたあやめの手を躱して、相田はふっと笑った。
「悪い、冗談だ。もらえたこと自体が冗談かと思ってびっくりした」
「何でよ……」
ぷうと頬を膨らませたあやめに、相田は相変わらず笑っていた。
「だって初めてだろ」
そうだ。初めて周りのイベントの空気に流されてじゃなくて、自分の意志で用意して渡したのだ。
あやめは真面目な顔で彼の顔を見上げた。
「将ちゃん。今まで本当にありがとう。私が思い切り歌って好きなことやってこれたのは、ずっと将ちゃんが傍で見ててくれたからだよ。私の勝手に付き合ってくれてありがとう」
ずっと、いつかちゃんと伝えなければと思っていた。今までにも事あるごとにお礼は伝えてきたつもりだが、こうしてあらためて言ったことはなかったと思う。
途端に、相田は変な顔になった。
「え? 何だこれ。俺は振られるのか?」
「……何でそうなるの?」
「話の流れ的にそう聞こえるぞ。今までありがとう、さようならって」
「そんなこと言ってない! これからもよろしく、よ!」
慌てて言うと、相田はほっとしたように頬を緩めた。
「そっちか。紛らわしいな」
「……ごめん」
とりあえず正しく伝わったようであやめの方も安心した。
「で、これはつまり『ありがとう』のチョコなんだな?」
確認されて、あやめは何といったら良いか複雑な表情になった。
「それは、えっと……」
もっと他に特別な気持ちがあるのだが、いざ言葉にするのがこんなに難しいと思わなかった。
(私は何をぐるぐる考えているんだろう。正直に、素直に言えばいいだけなのに)
「……っ、あの!」
「それで十分だよ。これからもあやめに振り回されるのは、俺がそれを望んでのことだから気にしないで良い」
「え」
「好きじゃないやつにここまで付き合って、わざわざ一緒に勉強して、一緒の大学までいくわけないだろ。――あやめはとっくに知ってると思ってたけど」
「――し、知らないっ」
「そうだったのか。じゃあ今知れて良かったな」
相田はいつものようにあやめの頭に手を載せて、わしゃわしゃと撫でた。その優しい手つきに、なぜか泣きそうになってしまった。
「ホワイトデーで最後の答え合わせだな」
上から楽しそうな声が降ってきて、あやめは安堵の息を吐いた。
***
「あ」
少しして、相田がボソリと呟いた。
「何、どうしたの?」
「初めてじゃないわ」
「え?」
相田がまるで漫画に出てくる表現のようにポンと手を打った。
「幼稚園の頃、あやめからチョコもらったことあった」
「……そうだっけ?」
残念ながらあやめには全く記憶がなかった。もし渡してたとしたら、恐らく母親と一緒に用意したはずだからちゃんとしたもののはずだ。
「何となく覚えてる。帰ったら母さんに聞いてみよう」
「え、ちょっと恥ずかしいんだけど。それにおばさんも覚えてないって」
「どうだろなあ。逆にあやめのとこのおばさんが覚えてるかも」
それも恥ずかしい。絶対に訊いてやるもんかと思う。
「でも不思議だよなあ。小学校は違ったのに、また中学が同じで、そこから音楽やり始めることになるとは」
「ホントにね。将ちゃんは逃げる機会を失った」
「あやめがそれを言うか」
あの頃はただ、不思議と気が合って勢いで音楽を始めたのだ。しかし結局今まで続いているということは、余程合うものがあったのだろう。
(まあ、将ちゃんが私に合わせてくれてただけだと思うけど)
「将ちゃん、大学でもよろしくね」
「お手柔らかにな」
あやめは相田の腕を引っ張って、カラオケ店へと突進して行った。
Fin.
最後まで読んでくださってありがとうございます。
バレンタインデーの季節の話の割合多いなあと思いつつ、今回は雲ノ峯の二人の話でした。
振り返ってみると、初期ではこの二人、中高が一緒だったみたいなんですけど、いつのまにか幼馴染になってたんで幼稚園が一緒ということにしました。多分小学校も学区は違っただろうけど遊んではいたと思います。
(2026.02.16)




