(23)野暮用と羊羹
※時系列は本編後になります。
【主な登場人物紹介】
・笠木 矢㮈(かさぎ やな)…彩楸学園高校3年。バイオリンを弾く少女。也梛と諷杝とは音楽仲間。
・高瀬 也梛…同上。キーボードを弾く少年。
・海中 諷杝…彩楸学園卒業。ギターを弾く少年。
【その他】
・臣原 千佳…彩楸学園高校3年。矢㮈のクラスメイト。陸上部。
・若宮 拓…大学1年生。高瀬の旧友。
「ああ~、やっと終わったー」
一学期の期末テストの最後の試験が終わり、笠木矢㮈はうーんと伸びをした。テストの手応えはともかく、返却されるまでは何も考えたくはない。――受験生ではあるが、今日だけは!
(また今日からみっちりバイオリンだなあ)
テスト期間も毎日弾いてはいたのだが、もちろん学校のテストが優先だったので少し物足りなかった。それにまたコンクールの予選が近付いてきている。
「笠木、お疲れ様!」
名簿の並びで一つ前に座っていた臣原千佳が振り返った。
「お疲れ様、千佳ちゃん」
「やっと部活ができるー!」
千佳は陸上部の短距離走者だ。彼女もまた毎日自主練として走っていただろうが、部活動の解禁を待ちわびていたのが伝わってくる。
「今日は晴れて良かったー」
思い切り走れる、と彼女が嬉しそうに笑う。矢㮈にもその笑みが移って頬が緩んだ。
「そういえば今日は七夕だったよね。こんなに晴れてるのって珍しい」
だいたいこの日はあまり天気がよくなかった印象だ。夜に空を見上げると、決まって雲がかかっていたような気がする。
「確かにそうね。このまま夜まで晴れてくれたら星も見えるかも」
「今年は見れるかなあ。織姫と彦星が無事に会えていたら良いんだけど」
「あら、かわいいこと言うわね。笠木はどうなの?」
「へ?」
「今日は海中先輩に会う予定はないの?」
「えっ」
いきなり出てきた名前に言葉が詰まる。千佳はかわいらしく小首を傾げた。
「まだ日本にいるんでしょ?」
「いるけど……」
この春に高校を卒業した海中諷杝は、もうすぐ親戚のいる海外に行くことになっている。矢㮈の大切な音楽仲間でもあり、以前までとはいかないまでも時間を見つけては会って一緒に音楽を奏でたり喋ったりしていた。
最後に会ったのは二週間ほど前――テスト期間が始まる前日だったか。
「今日連絡してみようかなとは思ってたけど」
「しなさい、しなさい!」
なぜか千佳が迫力ある顔で迫って来るので、矢㮈はこくこくと頷いた。千佳はふっと笑って、席を立つ。
「会える時に会っとかないとね。じゃ、あたしは部活に行ってきます!」
「頑張ってね、千佳ちゃん」
矢㮈は手を振って彼女を見送り、携帯電話を取り出した。
家に帰ってゆっくりしてから連絡しようと思っていたのだが、千佳に言われて少し気持ちが変わった。
「電話……いや、メール……いやいや、電話の方が気付いてくれるような……」
「何をぶつぶつ言ってるんだ」
「!?」
思わず携帯を握って胸に引き寄せる。
呆れた顔で矢㮈を見下ろしていたのは、背の高い黒髪眼鏡の男子生徒だった。
「高瀬……驚かせないでよ」
「勝手に驚いたのはそっちだろ。じっと携帯見つめてぶつぶつ呟いて怪しいヤツだったぞ」
「その怪しいヤツにいきなり声をかけないでくれる?」
「諷杝なら今日マスターのとこに行くらしいぞ」
「え!」
あらぬ情報を耳にして矢㮈は目を見開いた。
「ていうか、何で諷杝のことだって分かったの!」
「見てれば分かる。お前は分かりやすい」
「はあ?」
一体どういう意味だ。そんなに分かりやすい顔をしているのか、自分は。矢㮈は微かに眉を寄せて無表情の彼を見上げた。
「――それで高瀬も『音響』に行くの?」
さっき彼が言ったマスターとは、彩楸学園の近くにある音楽喫茶『音響』の店主のことである。マスターは弦楽器の調律の仕事もしており、矢㮈もお世話になっていた。
「そうだけど、その前にちょっと野暮用があるからその後で向かう」
「野暮用?」
「気にしなくていい。まあお前は先に『音響』に行って諷杝の相手をしててくれ。一時半くらいには着くって言ってたから」
高瀬はそう言うと、荷物を持って教室を出て行こうとする。背中にはいつもの黒いケースがあった。
「え、ちょっと待って」
なぜか、つい反射で矢㮈も荷物を持って彼の後を追いかけていた。
高瀬は横に並んだ矢㮈を一瞥したが、特に何も言わなかった。
(前なら嫌そうな顔して文句の一つも言ってきたのになあ)
そんなことを思うと少しおかしい気分になる。
「そういえば、テストはどうだったんだ」
何の脈絡もなく訊かれて、矢㮈は乾いた笑いをこぼした。
「……ま、まあまあ?」
「へえ?」
今回もまたテスト前は高瀬先生の勉強会を行っていた。赤点は心配ないはずだが、そこまでできたという手応えもない。
「松浦と衣川も笑ってたが、結果が楽しみだな」
「は、ははははは」
他愛無い会話をしながら昇降口まで来る。テストを終えて解放感いっぱいの生徒たちががやがやとたむろしていた。
靴を履き替えて顔を上げる。斜め前前方に黒いケースを背負った高瀬を見つけた。こういう場所では長身が見つけやすくて助かる。矢㮈はさっと高瀬の背後を取って、そのまま彼を盾に人の波を突破した。
(『音響』行くならお昼はマスターのとこで食べようかなあ)
もともと家に直帰するつもりだったので昼食のことは何も考えていなかった。諷杝は一時半頃に来るらしいから、ご飯を食べながら待って丁度よさそうである。
校門を出て、もうすぐ『音響』がある筋に入ろうかというところだった。
「お、高瀬。お疲れさん」
自販機の傍に立っていたサングラスをかけた金髪の男がこちらに向かって手を上げた。
「あれ、矢㮈ちゃんもいる」
サングラスを外した下にあった人懐こい笑顔は、矢㮈もよく知る人のものだった。
「若宮君」
「テスト期間お疲れ様ー」
金髪にサングラスをかけたままだと若干怖いが、その口調と人懐こい笑みがそれを相殺する。それに、彼が見た目通りの怖い人でないことはもう知っていた。
むしろこの若宮は、高瀬の旧友であり、超進学校の成績優秀者であった。この春難関大学に見事合格し、花のキャンパスライフを謳歌しているときく。あと、いきなり歌の配信なんかも始めていて、これにはさすがの高瀬も驚いていた。
「あ、もしかして高瀬の用って若宮君?」
「……ああ」
「そう、ちょっとデートに誘ったんだけど、もし矢㮈ちゃんとデートするなら譲ってあげるよ」
若宮がわざとらしいウインクを送ってくるのに対し、高瀬が半眼で冷たく切り捨てた。
「どうでも良い用件ならすぐに帰れ」
「あの、若宮君、あたしはもうそこの店に行くから、全然遠慮なく高瀬とどうぞ!」
矢㮈も付け加えると、若宮は「なーんだ」となぜか落胆したように呟き、それからポンと手を打った。
「そうだ! 矢㮈ちゃんも一緒に行く?」
「え?」
「お前、いい加減にしろよ。次から次へと思いつきを口にするな」
高瀬が低い声で言う。しかし若宮はあっさりとスルーして矢㮈に向かって言う。
「いつもこの時期だけ売ってる和菓子があってね、今からそれをゲットしに行くんだ」
「和菓子?」
そのキーワードに心を捕まれる。斜め上から、呆れたような視線が降って来るのを感じたがスルーする。
「ていうか、それでわざわざ高瀬と一緒に?」
「高瀬がいないと意味がないんだよなあ」
若宮は軽く肩を竦めた。
「菓子を作ってるばあちゃんが高瀬のことお気に入りでさ。高瀬が行ったら必ず他にもおまけしてもらえるんだ」
「へええ」
ちらと視線を上げると、そこには「何か?」と言わんばかりの仏頂面の高瀬の顔があった。――いや、何もないけど。
「……そこの菓子、諷杝が気に入ってるんだよ」
高瀬がため息とともに呟いた。なるほど、それでわざわざ若宮と一緒にでも行くことになったわけか。
「と言っても、別にお前は行かなくても――」
「和菓子屋さんなら行きたい!」
矢㮈の実家は洋菓子店を営んでいる。そのせいか和菓子は少し特別に感じるものがあった――特に矢㮈は。
高瀬は一瞬渋い顔になったが、喜ぶ若宮を横目に見てため息をついた。
「もう勝手にしろ」
「勝手にするー。行こうぜ、矢㮈ちゃん」
「はい」
こうして、矢㮈は『音響』に向かうはずだった足を違う方へと向けた。
電車に乗って三駅。駅前の商店街の奥にその店はあった。創業七十年のどっしりとした店構えの和菓子屋だ。少し入るのに気後れしてしまいそうになる矢㮈を放って、若宮は元気よく声をかけて敷居を跨いだ。
「こんにちは~」
高瀬がそれに続き、矢㮈もおずおずと後を追って入店した。実家とは違う、仄かに甘い匂いが漂っている。不思議と落ち着く。
「あらあら、坊ちゃんたち、今年も来てくれたのね。おばあちゃーん!」
店番をしていたおばさんが若宮たちの顔を見て、すぐに店の奥へと声をかけた。呼ばれて出て来たのはふっくらとした高齢の女性だった。
「よく来たねえ。ちゃんと置いてあるよ」
おばあちゃんは後ろの棚から箱を取り出して、こちらに見えるようケースの上に並べた。蓋を開けたそこには、
「わあ、綺麗……!」
星空を映したかのような上品な光沢のある羊羹が収まっていた。
「毎年、七夕の時に出るお菓子なんだ」
若宮が教えてくれる。
「あと、こっちは芋栗のやつね。好きだって言ってたからおまけね」
おばあちゃんは手早く羊羹の箱を袋に入れて、それから矢㮈の方を見た。
「あら、今年はお嬢ちゃんもいるわねえ。坊ちゃんたちのお友達?」
「そうです。和菓子が好きなんだよね」
若宮が矢㮈を見る。
「あ、はい」
「そうかいそうかい。じゃあ、お嬢ちゃんにも」
「え」
おばあちゃんは後ろの棚からもう一つ羊羹の入った箱を取り出して袋に詰める。そして三つの袋をそれぞれ一人ずつに渡してくれた。
「え、あの、お会計――」
矢㮈が慌てたように言うと、おばあちゃんはふふと笑った。
「ああ、いいのいいの。もうすでにもらってるからねえ」
「え?」
「毎年、忙しい時期に坊ちゃんたちにバイトに入ってもらってるんだよ。この前も五月に入ってもらったし」
会話を聞いていたおばさんが横から口を挟んだ。
なるほど、ここは高瀬たちのバイト先の一つだったらしい。
「いつもありがとうございます。また忙しい時はお声がけください」
高瀬が礼儀正しく頭を下げると、おばあちゃんが「こちらこそありがとう」と笑う。そして、
「お嬢ちゃんもそれ食べておいしかったらまた来てねえ」
「はい。いただきます」
矢㮈も頭を下げた。まだ一口も食べていないが、リピーターになる未来が見えたような気がした。というよりこのおばあちゃんに会いにまた来たい。
その後少しだけ話して店を後にした。
「なんか棚からぼた餅みたいになっちゃった……」
「ついてきて良かったでしょ、矢㮈ちゃん」
若宮がにっかと笑う。サングラスは外してくれているので話しやすい。
「でも良いのかなあ。二人はともかく、あたしまで……」
「大丈夫。矢㮈ちゃんの分も高瀬が働いてくれるから」
「……ううーん、何かそれもなあ」
矢㮈が唸ると、高瀬が鼻で笑った。
「そんなに気になるなら、またあの店で他の菓子を買えば良いだろ。おばさんもおばあさんも喜ぶと思うぞ」
確かに彼の言う通り、矢㮈にはそれで返すしかないような気がした。
「オレとまた一緒に行こうよ、矢㮈ちゃん」
「え」
「何でお前と一緒なんだ、若宮」
「いや~一人じゃ行きにくいかな~って」
「だからって何でお前なんだ」
「じゃあ高瀬でも良いよ。ほら、ちゃんと一緒に行ってあげなよ?」
「さすがのこいつも和菓子屋くらい一人で行けるだろ?」
高瀬が若宮を睨むが、旧友は楽しそうに口笛を吹いて話を煙に巻く。
(相変わらず若宮君は楽しそうだなあ)
高瀬はとても迷惑そうに相手をしているが、それでもちゃんと誘われればそれに付き合い――高瀬曰く、おとなしく付き合った方が楽だかららしいが――こうして何だかんだと軽口を叩き合っている。
(諷杝といる時とはまた違う空気だよね)
さすが、中学からの付き合いなだけはある。
「おっと、そろそろ良い時間だな。オレはこの後大学に戻らなきゃだから行くわ」
「あ、そうなんだ。またね、若宮君」
「本当にこれだけのためにこっちに来たんだな、お前」
高瀬のため息交じりの言葉に、若宮がふっと笑う。
「次は一日空いてる時に遊ぼうな!」
「一日もいらん。せめて半日にしろ」
高瀬の反論もそこそこに、若宮はサングラスをかけてバス乗り場の方へと去って行った。
「若宮君、変わらないねえ」
しみじみ呟いた矢㮈に、高瀬が腕時計を確認しながら言う。
「こっちも良い時間だ。そろそろ諷杝が来る頃じゃないか」
二人でまた電車に乗り込んだ時、矢㮈の腹から微かな音がした。反射的にお腹を押さえるが、耳の良い高瀬には電車の中でもバッチリ聞かれていたらしい。
「『音響』に着いたらまずは昼飯だな」
「あんただってお腹すいてるでしょ?」
テストが終わってから何も食べていないのは同じ条件のはずだ。
「俺の腹は上品に主張するからな」
「意味がわからないんだけど」
空腹を紛らわせるように、矢㮈は高瀬とあれこれ言い合いをしながら諷杝と合流すべく『音響』に向かった。
『音響』にて、半月ぶりに揃った三人は、美しい星空の羊羹を堪能したのだった。
Fin.
最後まで読んでくださってありがとうございます。せっかくだから七夕のお話を…と思ったのですが、あんまりそんな要素のない話になってしまいました。本当は高瀬の前の高校の人たちももう少し出したかったんだけどな…またいつか…。
(2025.07.07)




