(17)高瀬姉妹の雑談
【主な登場人物紹介】
・高瀬 葵…私。高瀬家の長女で也梛の姉。
・高瀬 也梛…高瀬家の長男。キーボードとピアノを弾く。
・高瀬 若葉…高瀬家の次女、末っ子。也梛の妹。
高校生の妹や弟と違い、大学生の夏季休暇は長い。
その日、ゼミの招集がかかったので久しぶりに大学に行き、夕食を一緒に囲んでそれぞれの近況を聞いてきた。
卒論のテーマが固まらない、バイトが忙しい、就職活動の準備を始めないと……などなど。
ゼミでは大人しい人物の猫を被っている私は、みんなの話をうんうんと聞いていた。
いつもなら運転することがあるのでお酒を控えるのだが、その日はまあ良いかとみんなに合わせ、公共交通機関を使って家に帰った。
「あ、お姉さんお帰りなさい」
すっかり酔いの冷めた頭でリビングに向かうと、風呂上がりの妹がテレビを見ていた。
ああそうか、今日帰って来るって言ってたっけ。
「あんたこそお帰り、若葉」
五つ年下の若葉は今年高校に進学した。幼い頃からやってきたフィギュアスケートをまだ続けていて、合宿だ何だと家にいないことも多い。うちの家では唯一の体育会系だ。
「あれ、今日は也梛は来なかったの?」
最近暇があれば家に寄ってピアノを弾いていく弟のことだ。ひたすらにピアノを弾いて、母親の夕食を食べて寮に帰って行く。
「今日は来てないわよ。バイトのシフト時間が長いんだって。お帰り、葵」
台所に立っていた母親が答え、お盆を持ってリビングにやって来た。
「そうなんだ。――ただいま」
母親はテレビを見ている妹にも声をかける。
「若葉もホットミルクどう?」
「飲むー」
私は一旦部屋に荷物を置きに行き、手洗いをしてから改めてリビングに向かった。
「お兄ちゃん明日は来るかなー?」
猫舌の若葉がふうふうと息を吹きながら言う。
「さあどうかしら。聞いてみたらいいんじゃない?」
「ええーだってお兄ちゃん携帯見ないし」
若葉の反応に母親は苦笑している。反論しないのは事実だからだ。
妹は二つ上の兄のことが大好きだ。也梛も何だかんだと若葉には甘く、色々と彼女の願い事を叶えているのを知っている。
対して私と若葉との関係はそこまでべったり仲が良いというわけではない。が、特別悪いわけでもない、と思う。
「あ、お姉さん、見たいテレビあったら変えて良いよー」
例えばこの『お姉さん』呼び。也梛のことは『お兄ちゃん』だが、私のことは『お姉さん』と呼ぶ。
本人曰く、也梛が私のことを『姉さん』と呼ぶのを聞いて、『お姉ちゃん』と『姉さん』が混じっていつの間にか『お姉さん』になっていたと言う。第三者が聞くと少し距離を感じる呼び方だけど、若葉も私も特に気にしていないのでもう好きにさせている。
あとは、私と也梛の関係がここ数年あまりよくなかったことも関係しているかもしれない。兄と姉それぞれ気を遣ってくれていたのは感じていた。
まあそれもここ最近、私と也梛の仲が改善に向かったことで変わって来た。
「別に見たい番組もないしこのままで良いよ」
テレビの中では芸能人たちがカラオケで歌唱力を競うバトルを繰り広げていた。
「ああー、この曲サビが難しくない?」
最近流行の曲がかかり、若葉が自然と訊いて来る。こういう何気ない会話が増えた。今まではどこかこちらを窺う感じだったのに。
「ワンフレーズだけキーが上がるもんね。その後がスムーズに入れるかどうかかな」
「それ! 私も好きでよく聴くけど、いつもそこで唸っちゃう」
妹はうんうんと頷き、歌い始めた芸能人を見守る。
私もぼうっとそれを眺めながら、歌よりもメロディの音自体を耳で拾っていた。
「そういえばお姉さん、矢㮈ちゃんの演奏会聴きに行ったんでしょ?」
「え? ああ、渥美先生の演奏会のこと?」
「そう! 私、丁度本番前日からお盆までずっと合宿で離れてたから」
「そうだったわね」
「お兄ちゃんたちの音楽祭も見逃してショックだったんだー」
本当に残念そうな表情で項垂れる若葉を少し微笑ましく思いながら、私は温められたマグカップを掌で包み込んだ。
渥美先生は、私と弟が昔お世話になったピアノの先生だ。母親の友人でもある。
渥美先生は昨年に引き続き、今年も演奏会を開催した。その演奏者の一人に、弟の友人のバイオリン奏者を誘ったのである。それが笠木矢㮈という少女だった。
「矢㮈ちゃんの演奏は惹かれるものがあるよね」
思い出しながらしみじみと言うと、妹から羨望の眼差しを感じた。
「良いなあ~。衣装着て絶対かわいかったでしょ。それ見たお兄ちゃんの顔も見たかったのに」
「ああ、本音はそっちか」
思わず笑ってしまった。
「だってあのお兄ちゃんがあんなに気にする女の子だよ?」
「まあ、そうね」
止まらない笑いを堪えながら、しかし私の頭の中では別のことが頭をもたげていた。
「……ねえ、也梛の周りって結構女の子いるくない?」
「え?」
ふと真面目な顔になった私に若葉が目を丸くする。
「どうしたの、突然」
「いや、矢㮈ちゃん以外にも案外……」
「え、うそ! 誰!?」
若葉が途端に詰め寄って来る。その目は好奇心に溢れていた。
「――ほら、渥美先生のとこの生徒でバイオリン奏者の村住さんとか」
「ん? ……ああー、去年お兄ちゃんと一緒に演奏してたモデルみたいな人か」
綺麗だけどちょっとプライド高そうだよね、と若葉は的確な感想を漏らした。
「あとはこの前一緒に演奏会に行った子。当日、急に駅に寄ってって言われて、そこでかわいらしい女の子を拾っていったのよね」
まさか駅で待っていたのが女の子だとは思わず驚いたのを覚えている。
「ええ! それは初耳」
「同じ学校の同級生とか言ってたけど。矢㮈ちゃんの親友で、えっと……臣原さんとか言ったっけ」
「何それ! 今度聞いてみよ」
言うそばから若葉はスマホを操作している。もしかしたらすでに也梛へのメールを打っているのかもしれない。
「お兄ちゃんも隅に置けないなあ」
ぼやく妹を見て、ずっと私たちの会話を聞いていた母親が微笑む。
「まああの子も高校生なんだから。彼女がいても驚かないわよ」
「でもいるならいるで私たちに紹介してほしいよね!」
「あいつがわざわざそんなことすると思う?」
思わず突っ込んだ私に、若葉は言葉を詰まらせて項垂れた。
「……思わない」
「でしょう」
あの也梛のことだから仮にいてもギリギリまで隠し通すような気がする。
ていうか、何年振りかでまた話すようになった弟の周りにこんなに女の子の影があるなんて、姉としてびっくりだ。
「お姉さん的にその臣原さんはどうだった?」
「うーん、普通に元気で良い子だったわよ? ちょっと也梛の方は押され気味だったような気もするけど……」
むしろ臣原さんは矢㮈ちゃんのことに夢中だったような印象がある。弟は、同じ矢㮈ちゃんを心配して応援する仲間、といったような。
「お兄ちゃんが押され気味……何それ面白い」
「ああ、タイプはあんたに近いかもしれないわね」
頭の方は妹よりもずっと賢そうだったけど、という言葉は呑み込む。
「お母さんが教えてって言ったらさすがのお兄ちゃんも聞いてくれるかも」
期待する目で見る若葉に、母親は手を軽く振る。
「まさか。若葉のお願いの方が聞いてくれるわよ」
その意見には激しく同意するが、この手の話においてはあまり効果はなさそうだ。
「まあでも矢㮈ちゃんはもう私のお友達なんだけど」
若葉がニヤリと笑う。
渥美先生の演奏会の練習期間中にうちでご飯を一緒に食べたのをきっかけに、私たち姉妹とはだいぶ打ち解けていた。
個人的には、もう一人かわいい妹ができたような気持ちだった。
「……正直、あいつに矢㮈ちゃんはもったいなさすぎる気もするのよね」
ボソリと呟くと、若葉が吹き出した。
「それちょっと分かる! てか矢㮈ちゃんもうすでにお兄ちゃんに絶対色々言われてるだろうに、めげないところがすごいよね」
「それすごく思う。也梛は口が悪いから」
「お兄ちゃんの照れ隠しは分かりにくいしね」
「好きな子をいじめちゃうタイプなのよ」
「私、愛想つかされないか心配」
「それは私も同感」
そこで姉妹揃ってふうとため息を吐く。
それを見て楽しそうにふふふと笑うのは母親だった。
「也梛がどんな子を連れて来てくれるのか楽しみね」
そんな日は一体いつ来るのやら。どちらかと言うと彼女より鍵盤に夢中な弟だ。
私はいつの間にか温くなってしまったホットミルクを一気に飲み干し、まだ妹が妄想を語るのを聞きながら風呂へと向かった。
Fin.
高瀬家の女子たちのちょっとした雑談でした。也梛のいないところで盛り上がってたら楽しいな、という。
也梛と葵の間にはちょっと蟠りがありましたが、それが解けたら基本的には三人とも仲良しです。
(2022.04.23)




