(16)三人の初詣
【主な登場人物紹介】
・笠木 矢㮈(かさぎ やな)…彩楸学園高校に通うバイオリンを弾く少女。也梛と諷杝とは音楽仲間。
・高瀬 也梛…同学園に通うキーボードを弾く少年。
・海中 諷杝…同学園に通うギターを弾く少年。
三が日の初詣を舐めていた。
地元ではそこそこの大きさの神社とはいえ、元旦と二日も過ぎれば大丈夫だと高を括っていた。今年は新年から天候に恵まれたこともあり、他の有名どころの神社に足を伸ばす人が多いと踏んでいた。
「……うわあ、いっぱいだ……」
笠木矢㮈は、通りを挟んで正面の鳥居の下にずらりと並ぶ参拝者の列を見つめた。
列は角を折れ曲がり、さらに続いている。いつもは見ることのない警備員がテキパキと誘導していた。
通りのこちら側にも、これから参拝しようとしている人なのか終わった人なのか、待ち合わせをしている人の姿があちこちに見える。
(これ、ちゃんと会えるのかなあ……)
矢㮈もまた音楽仲間である海中諷杝と高瀬也梛と待ち合わせの約束をしていたのだが、これは思い切り日時の設定を間違えたような気がする。特に諷杝は人混みがダメなのだ。
(どうしよう、今から連絡してやっぱり変更してもらおうか)
明日行われる予定の『音響』でのニューイヤー演奏会の打ち合わせの前に、折角だから初詣に行こうということになっていた。
矢㮈が携帯を出したと同時に、
「いた! 矢㮈ちゃん」
後ろから声が聞こえて振り返ると、一週間以上ぶりの諷杝が疲れた顔で立っていた。その横には背の高い黒髪眼鏡の仏頂面がいる。
「明けましておめでとうございます」
「あ、おめでとうございます。今年もよろしく」
諷杝につられて矢㮈も頭を下げ返し、二人して笑ってしまった。
「あ、高瀬も。一応」
ついでのように高瀬也梛を見上げると、彼の方も微かに眉を寄せて「ああ、一応な」と返した。
「一応って、二人とも……」
諷杝が呆れたように肩を竦める。この空気も久しぶりだ。
「それにしてもすごい人だね」
どこか遠い目をして参拝者の列を眺める諷杝。
「そうだ、諷杝、ここまで大丈夫だった?」
「全然大丈夫じゃなかった。何かボーっとしてるうちに也梛に引っ張られてここまで来た感じ」
それは意識を飛ばした状態でここまで来たということか?
矢㮈の頬が軽く引き攣った。
「ここにこんなに参拝者が来るとは想定外だった。昨年来た時はすいてたからな」
昨年は四日の夜、矢㮈の演奏会が終わった後に三人で参拝したのだ。その時はここまでの人はいなかった。
「どうする? もう今日は諦める?」
諷杝がこの人混みに耐えられるとは思えず、さらに矢㮈としても別にそこまでして今日参らなければならないとも思わなかった。
「とりあえず、先にマスターの所へ行くか。帰りにもう一度寄ってみよう」
高瀬の提案に反対する理由もなく、矢㮈たちは知り合いのマスターが営む音楽喫茶『音響』へと足を向けたのだった。
「それは大変だったねえ。正月は結構あの神社、参拝者は多いんだよ」
店は休みになっていたが、マスターはいつも通りカウンターの中から矢㮈たちを迎えてくれた。マスターは正月前より、また少しお腹が出ているように見えたのは気のせいだろうか。
矢㮈たちがカウンター席に並んで座ると、マスターはすぐに珈琲を淹れてくれた。ここの珈琲は矢㮈がブラックで飲める唯一の珈琲だった。
マグカップで冷たくなった手を温めながらゆっくりと口をつける。しばらく三人とも無言で珈琲を味わっていた。
「あー、生き返った」
「分かる」
「お前ら死んでたのか」
諷杝と矢㮈がほっと息をついて、高瀬がツッコむ。
それを聞いていたマスターがどこか嬉しそうに笑った。
「あはは。今年も相変わらずだね、三人とも」
「おかげさまで」
諷杝がのほほんと返し、また珈琲を飲んだ。
それから矢㮈たちは明日のニューイヤー演奏会について打ち合わせを始めた。昨年は矢㮈がバイオリンの演奏をしたのだが、今年は諷杝と高瀬も一緒に演奏してくれることになったのだ。
「矢㮈ちゃんの演奏を聴けるのは嬉しいけど、できれば一緒に演奏したいよね」
「同感」
諷杝はともかく高瀬までそう言うとは思わず少し驚いたのを覚えている。
「也梛君はピアノだったかな?」
マスターの確認に、高瀬は首を横に振った。
「いえ、キーボードです。こいつらと演奏する時はキーボードって決めているので」
「そうなんだ」
思わず矢㮈が口を挟むと、高瀬は軽く肩を竦めた。
「別に今ならピアノも弾いてやるけどな。でもお前たちとの音楽はキーボードだろ」
高瀬にとってキーボードは何よりも自分が好きなように弾ける楽器だ。それが諷杝のギターと歌と合わさって、さらに矢㮈のバイオリンとも響き合う。
「マスター、明日は他にどんな人たちが演奏してくれるんですか?」
諷杝がずっと気になっていたのかわくわくした表情で訊ねる。
「ああ、これが演奏順だよ」
マスターがパンフレット代わりの一枚の紙を渡してくれる。そこには見知った名前と知らない名前が混在していた。奏者たちに共通するのは、みんなマスターの知り合いということだ。しかも日本だけでなく、世界から集まっている。
「君たちが一番若いからね。期待しているよ」
マスターの言葉に、矢㮈たちは苦笑しながら頷いた。
店を出て、再挑戦とばかりに神社の方に向かいながら矢㮈は二人に訊ねた。
「そういえば二人はもう寮に戻るの?」
諷杝と高瀬は彩楸学園の寮で生活している。そして同室だ。
「いや、寮が再開するのは明日からだ」
答えたのは高瀬だった。
「え、じゃあ今日は今から実家に帰るの?」
「ああ」
では二人ともわざわざ実家からこちらに出て来たということか。
「あれ、高瀬はともかく、諷杝は少し遠いんじゃあ……」
「実は今夜は也梛の家に一拍お世話になる予定」
「そうなの?」
「明日の午前中に寮に戻って、午後から『音響』のニューイヤー演奏会に行こうかと思って」
確かにそれが一番楽かもしれない。矢㮈は頷きつつも、少し頬を膨らませた。
「どうした、フグみたいになってるぞ」
目敏く見つけた高瀬が言う。
「……ちょっと良いなあって思って」
「はあ?」
「だってお泊り会じゃん」
「なんか小学生みたいな言い方だな」
呆れる高瀬に、諷杝がポンと手を打つ。
「そう言われるとそうだね。お泊り会。僕、初めてかもしれない」
「……そうか。俺は中学の時に若宮がしょっちゅう泊りに来たり、逆に泊まらされたりしたから慣れてるけどな」
高瀬がうるさい旧友を思い出して遠い目になる。あまり良い思い出ではないのかもしれない。
「いや、ちょっと待て。お前とは寮で同室だから別にお泊り会でも何でもないだろ」
「そんなことないよー。寮は寮。也梛の家は寮とは違うでしょ」
「……そういうもんか?」
諷杝の言葉に高瀬が首を捻っている。そんな二人の会話を聞いていると、ますます羨ましい気持ちになってくる。
「良いなあ」
「矢㮈ちゃんも泊りにくる?」
「え?」
思わぬ切り返しにポカンとする。
「ちょっと待て諷杝。お前何言い出すんだ」
高瀬もぎょっとしたように言った。
「――まあ、冗談だけどね。僕の家じゃないし。若葉ちゃんたちは賛成してくれそうだけど」
「やめてくれ。若葉と姉さんたちなら本当にそう言いかねない」
高瀬が家族の姉妹を思い出して頭を抱えた。彼の姉と妹とは地味に馴染んでいる矢㮈なのだ。
「じゃあいつかあたしもお泊り会に参加させてね」
悪ノリして言った矢㮈に、諷杝は大きく頷き、高瀬が「マジかよ冗談だろ」と眉間に皺を寄せた。
そんな話をしているうちに、昼にも見た神社の鳥居が見えて来た。
さすがに神社に入れないほどの参拝者の列は解消されている。
「お、入れそうじゃない?」
「だね」
諷杝と矢㮈が顔を見合わせて頷き、鳥居の前で一例をして境内へ足を踏み入れた。その後を高瀬がついてくる。
手を清め、参拝の列に並ぶ。六人ずつが並んで参拝していくようになっているので思ったよりも順番が来るのは早かった。
矢㮈が参拝を終えた時には、すでに男子二人は参拝を終えておみくじの台の前で待っていた。
「也梛、こういうの強そうだよね」
諷杝が六角形のみくじ箱を振りながら言う。
「分かる。平然とした顔で大吉引きそう」
矢㮈もその隣でもう一つのみくじ箱を振りながら頷いた。
「……」
高瀬は言い返すのも面倒くさいと言わんばかりに黙っていた。
だが結果はといえば。
「ほらー! やっぱ高瀬大吉じゃん!」
期待を裏切らない結果だった。高瀬はしれっとした顔をしている。
「僕は小吉かあ」
「あたしも小吉だ」
(まあ、今年も楽しく過ごせればそれでいいんだけど)
そんなことを思いながら、矢㮈はおみくじを結びに行った。
すでにたくさんの紙片が結ばれている中、どうにか隙間を見つけて結びつける。反対側で、結ぶのに苦戦する諷杝を見兼ねた高瀬が横から手を出しているのを見て苦笑してしまった。
さて、これで初詣も終わったし帰ろうか、と入り口の鳥居の方を見遣って矢㮈はぎょっとした。
大人数がどやどやがやがやと境内に入って来るのが見えたのだ。家族連れやら若い学生やら様々だった。
「え、まだ参拝者来るの……?」
もしかすると矢㮈たちは単にタイミングが良かっただけだったのかもしれない。
諷杝の顔は微かに青褪めていて、すぐにでもここを出ようと語っている。
矢㮈たちは意を決して、向かってくる人の群れに逆らうように歩き出した。だがすぐに呑み込まれて簡単に進めなくなった。
諷杝たちがどこにいるかも分からなくなった時、どこからか手首を摑まれて引っ張られた。
「!」
「さっさと抜けるぞ」
一瞬の恐怖がすぐに安堵に変わった。
矢㮈の手首を摑んでいたのは高瀬で、彼の反対側には同じように手首を摑まれた諷杝がいた。
高瀬に引っ張られるように人波に逆らって進み、ようやく鳥居を越えた。
「ぷはあ、溺れそうだった」
「あたしも沈みそうだった」
「良かったな、生還できて」
諷杝は言わずもがな、高瀬もさすがに少し疲れた顔をしていた。
「さすが大吉」
「関係ないだろ」
諷杝の軽口に高瀬が返し、ふいと矢㮈の方を見た。
「……手首、大丈夫か?」
「へ?」
「少し強めに握ってたからな。何もなければ良い」
矢㮈は掴まれていた手首に反対の手でそっと触れた。まだ少し熱が残っていた。
「……別に大丈夫。ありがと」
高瀬は心なしほっとしたように息を吐いた。
矢㮈たちは鳥居の前で一礼し、駅の方に向かって歩き出した。
通りを吹き抜ける風が冷たい。
駅に着く頃には諷杝の顔色も回復していて安心する。――まあまた人の多い電車に乗ることになるのだが。
「じゃあ矢㮈ちゃん、また明日! 気を付けてね」
「一晩で風邪引くなよ」
反対側のホームに向かう前に二人がそれぞれ言う。
「そっちもね!」
矢㮈は言い返して、もうすぐやって来る電車に乗るためにホームへ急いだ。
まだ今日は終わっていないのに、もう明日が待ち遠しかった。
Fin.
丁度新年の書初めでした。相変わらずの三人ですが、今年もよろしくお願いいたします。
(2022.01.08)




