(11)密やかな花見
【主な登場人物紹介】
・笠木 矢㮈…彩楸学園高校1年生。
・高瀬 也梛…同上1年生。キーボードを弾く。諷杝のルームメイト。
・海中 諷杝…同上2年生。ギターを弾く。
・笠木 弓響…矢㮈の弟。中学生。
・イツキ…諷杝に懐いている白い鳩。
一.
桜を見るのは嫌いじゃない。白い花弁が重なった優しいピンク色はいかにも春がきたなあと思わせてくれる。
だがわざわざ、桜の木の下にブルーシートを敷いてお弁当を広げるような花見をしようとは思わない。散歩がてら遠くに桜を眺めるくらいが丁度いい。
「何とも年寄り染みたことを言うね」
カウンターの中でマグカップを拭きながらマスターが笑う。
「僕、あの人混みが本当にダメなんです」
諷杝はリアルな想像に疲れたようにため息を吐いた。そう、昔から祭りやイベントを含め、人混みが苦手で避ける傾向がある。大勢の人に囲まれていると目まぐるしく、人に酔うのだ。
「まあ気持ちは分かるけど、高校生としてそれは結構キツいのではないかな。ねえ、也梛君」
マスターが視線を向けた先で珈琲カップを手にした也梛が小さく肩を竦めた。
「まあこいつの友達は鳩ですからね」
「あはは」
返す言葉を失くしたマスターが笑って誤魔化す。也梛は黙って珈琲を啜り、諷杝は気にしたふうもなくカウンターの上で手持無沙汰に手を合わせたり離したりした。
「でも笠木から花見に誘われたんだろ?」
「うん」
つい先日のことだ。一つ学年が下で音楽仲間の笠木矢㮈から花見に行かないかと誘われたのだ。也梛は生憎のバイトで、もし早く終われば合流するという話になっていた。
「ほう、あのお嬢さんと花見か」
マスターが急に興味を示したように諷杝を見た。彼は矢㮈の祖父母の友人で、当然矢㮈のことも幼い頃から知っていた。
「人が少ない穴場の場所があるそうで」
そして矢㮈は誘ってくれた際、とある和菓子屋の桜餅の美味しさを力説してくれた。それを聞いているうちに諷杝の食欲も刺激され、彼女がそこまでいうなら食べてみたくなったのだ。
というわけで、今週の土曜日に桜餅を買って花見をすることになった。
「也梛のバイトがない日でも良かったんだけどね」
「最近詰め込んでるからな。次のオフ日が来る頃にはもう散ってる」
也梛は淡々と言って、また珈琲を啜った。
二.
私的な理由で誰かと一緒に出掛けるというのは滅多となかった。まだ家族と共に暮らしていた頃は休日に遊びに出掛けることもあったが、友達と一緒にというのはほとんどなかった。誘ってくれる友人はいたが、あまり乗り気になれずやんわり断ったことの方が多かった。
だから也梛が同じ学校にやってきてルームメイトとして一緒に生活するようになり、音楽仲間としてバイト以外のほとんどの時間を共に過ごすようになったこと自体が諷杝にとっては劇的な変化だった。
也梛と一緒にいるのは苦ではなく、いつの間にか限られたプライベートな時間も一緒に行動することが当たり前になりつつあった。
そしてもう一人、也梛の他に一緒にいるのが苦にならない友人が彼女だった。
「あ、諷杝おはよう。ごめんね、待たせた?」
数メーター先でこちらに気付いた矢㮈は小走りにやってきた。春物のジャケットにジーンズにスニーカーと軽装なのは、事前に「少し坂道とか歩くからね」と言っていたことによるのだろう。
「おはよう、矢㮈ちゃん。大丈夫、僕もさっき来たとこだから」
バイトに出る也梛と一緒に寮を出たものの、待ち合わせ場所に着いたのはほんの五分程前である。
矢㮈はほっとしたように微笑み、諷杝の先に立って歩き始めた。
彼女がまず向かった先は例の和菓子屋だった。店を見つけるなり彼女の瞳は輝いて、店に入るとさらに満面の笑みを浮かべた。ショーケースの中に並ぶ目当ての桜餅だけでなく、どら焼きや団子など他の和菓子にも目移りしている様子が見ていて面白い。
「あああ~みたらし団子もおいしそうだよねえ」
「ならみたらしも買っていこうよ」
「そうする!」
嬉しそうな声に諷杝の方も気分が弾んだ。
(也梛は洋菓子系に甘いけど、矢㮈ちゃんは和菓子系に甘いよなあ)
桜餅とみたらし団子の入った袋を手に店を出ると、矢㮈は花見の名所とされる公園とは反対方向に歩き始めた。穴場とは公園の外れ辺りにあるのではと予想していた諷杝は予想外の方向に歩いていく彼女に驚いた。
「公園の方じゃないの?」
「公園の方はどこもいっぱいだよ。諷杝は人混みが嫌なんでしょ?」
彼女はふふふと笑いながら、今まで諷杝が存在すら認識していなかったような細い裏道に入っていく。周りに見えるのは住宅地のコンクリートの壁ばかりで、桜の木一本も見つからない。
だが前を行く矢㮈の足取りはしっかりとしていて、真っ直ぐに目的地を目指しているようだった。
細い道はいつの間にか傾斜を増し、日頃の運動不足のせいか足にかかる負荷がじわじわダメージを与えてくる。
「あ」
ふと目の前が開け、矢㮈の背中の向こうに青空が見えた。住宅地の間にポツンと空き地のような場所が広がっていた。
「あともう少しだよ」
矢㮈は空き地の奥に続く道を進んでいく。その後ろを追って少し行くと、さあっと前から風が吹いてきて目の前をひらひらと花弁が横切って行った。桜の花弁だ。
「諷杝、着いたよ」
そこは大きな桜の木が一本だけある空間だった。決して広くはないが、不思議と狭くは感じない。ずっと風が通り抜けている心地よい空間だった。
「どう? 気に入った?」
「うん」
諷杝が思わず深呼吸した時、頭上で羽ばたきの音が聞こえた。矢㮈と同時に顔を上げると、一羽の白い鳩が旋回しているのが見えた。
「え、イツキさん?」
ポカンとする矢㮈の頭の上をかすめてイツキが草の生えた地面に降り立つ。ひょこひょことリズミカルに諷杝の足元まで来たイツキはくるくると諷杝の周りを回り始めた。不思議なことに、この白い鳩は諷杝がどこにいてもだいたい姿を現すのだ。
矢㮈と一緒に桜の木の下に陣取る。用意の良い矢㮈は小さなレジャーシートを持ってきていて、二人で並んで腰掛けるなりお弁当よりも先に買ってきた桜餅とみたらし団子を頬張った。お茶で一息ついたところでようやく桜頭の上に広がる桜をじっくり眺めた。
「あはは。これじゃ花より団子だね」
「やばい。高瀬に予言されてた通りになっちゃった」
「也梛には内緒にしとこう」
「うん、そうしよう。でも桜餅おいしかったね」
「みたらし団子もタレが絶妙でおいしかったよ」
結局話す内容も花より団子になってしまった。
「それにしてもよくこんな場所見つけたね」
「ああ、実はここ昔からの遊び場で」
「遊び場?」
「さっき空き地があったでしょ? あそこに昔ひいおじいちゃんの家があったの」
矢㮈の今の家は祖父母が新築した家で、さらに彼女の父親が店を開けるように改築したらしい。曾祖父の家は数年前に更地にしてしまったという。
「だからうちの花見はいつもここだったんだ。桜は一本だけだけど、独占できてラッキー」
矢㮈が楽しそうに笑う。
「そんな場所を僕に教えちゃって良かったの?」
「良いに決まってるでしょ。諷杝が私に素敵な歌を聞かせてくれたのと一緒」
彼女の中では諷杝の歌が特別な何かになっているらしい。その言葉に心の中がほっこり温かくなる。
「そうだ。せっかく花見なんだし諷杝歌ってよ」
まさかの無茶ぶりがきた。矢㮈は勝手に手拍子を始める。酒は飲んでなかったはずだが。
「じゃあ矢㮈ちゃんも一緒に歌おうよ」
切り返すと、途端に矢㮈の笑顔が固まる。
「私は諷杝の美しい声が聞きたいんだよ」
「僕は矢㮈ちゃんと一緒に楽しく歌いたいけど」
にこやかにじっと見つめて待つと、矢㮈が微かに頬を赤らめ、暫し眉を潜めて唸り、俯いたかと思うと勢いよく顔を上げた。
「ああもうその笑顔ホントずるい! 分かったわよ、歌うわよ!」
「ええ?」
よく分からない文句を言われつつも、彼女が歌ってくれる気になったことは喜ばしい。
「でも一緒に、だからね!」
「うん、一緒にね。何歌う?」
イツキがピョコピョコとシートの周りを跳ね回るのを眺めながら、何を歌うか相談し始めた。
三.
也梛が合流したのは丁度三時のおやつの頃だった。矢㮈の弟の弓響に案内されるようにやってきた。バイトが終わった後に一度連絡をくれた時は「もう行かなくてもいいか?」と面倒くさげだったが、部活終わりの弓響が桜の洋菓子を持って参戦すると聞くなり「行く」と即答した。
「矢㮈ちゃん、次あれ歌おうよ、あれも『桜』がテーマの曲だったはず」
「諷杝よく思いつくね……」
春や桜をテーマにした曲を思いつくままに歌い続けてどれくらい経っただろうか。途中お弁当を食べたりお茶を飲んだり休憩を挟みながら、諷杝は矢㮈と歌い続けた。童謡からポップスまで様々だ。
それを聞いた弓響は驚いた表情をし、也梛は呆れた顔をした。
「お前らひたすら歌ってたのか」
「楽しかったよ?」
「……そうか」
也梛は一瞬矢㮈に同情するような視線を向けたが、
「諷杝ホントに色んな曲知ってるんだよ!」
嬉々としてそう言った彼女に言葉を失って、弓響に洋菓子の催促をした。
弓響が持ってきた洋菓子はほんのり桜風味のケーキだった。満足そうにケーキを頬張る也梛の隣にいつもの黒いケースを見つける。
「也梛、あとでそれ弾いてよ」
「ああ?」
也梛は怪訝そうな顔を向けたが、横にいた弓響が顔を明るくさせた。
「高瀬さんキーボード弾いてくれるんですか!?」
「いや……」
「也梛、もうケーキ食べちゃったもんね」
也梛が言葉を詰まらせ、一瞬こちらを鋭く睨む。弓響の隣では矢㮈も弟と同じように顔を輝かせて期待した瞳で也梛を見ている。
「ああもう分かったよ」
当然敗北を喫したのは也梛だった。姉弟が揃って手を打ち合わせる。諷杝は微笑ましい気持ちになった。
也梛のキーボードがお気に入りのイツキが早くも黒いケースの上に乗っかって催促するようだ。
「そこに乗るんじゃねえ」
也梛の文句は鳩には聞こえていない。華麗にスルーされるのもいつものことだ。
西に傾いた太陽が桜を橙に染め始めた。也梛の軽快な鍵盤の音が空間に広がる。諷杝の声が音色の合間に溶け、矢㮈と弓響の手拍子が弾ける。
(花見ってこんなに楽しいものだったんだ)
ひらひらと舞い落ちる桜の花弁を見ながら思った。
Fin.
春のお話でした。カラオケに行って歌うでもなくアカペラで歌い続けるのが矢㮈と諷杝らしいなと思います。




