第三話
第三話
−人間の脳とはこの世で唯一、我々が全てを理解することが不可能なものである。
佐伯 英二は東都大学在学時に学会でこの言葉を残している。これは人間の脳の限界を語る一方で、それの万能性を提唱したものでもある。当時、この彼の言葉を真に理解できる者はいなかった。皆が一様に、脳の性能の高さと深遠さを表した言葉だと思っていた。だが、佐伯 英二の言葉の真の意図はそんなものではなかった。この言葉の意味に気がつくものは、それから二十年間、現われはしなかった。
「佐伯 英二の考えや行動というものは凡人には理解の出来ないことばかりだな。それにしても、あの警察官、確か宮内とか言ったか、あいつが言うには現場には大した証拠品はなかったらしいな。ウイルスに関連したものでもあれば流石に無能な警察でも調べに動くと思うが、なにも見つからなかったのだから仕方の無いこと、か」
自室で煙草をふかしながら、沖田は佐伯 英二に関する資料を読み漁っていた。佐伯 英二はバイオタイド理論、テロメア、ガイア理論、菌の培養、キメラの生成といった科学の領域に身を置きながら、一方で戦争というものに関心を寄せていた。実際、ある筋から得た資料には、佐伯 英二の未発表の戦争論が多数見られる。そして、その戦争論は思想の観点からいくと限りなく右を向いているのだが、読み手である沖田は、佐伯 英二を右翼だとは思わなかった。むしろ、彼の考えこそが水底までも透いて見えるほどの濁りの無い正義のようにすら感じたのだった。
−何故かくもこの国の人人はこうも風説ごときに簡単に身も心も流され、またそれを恥じようとすらしないのだろうか、私には全くといってよいほど理解が出来ない。その上それでいて、彼らは自らを優れていると勘違いをする極めて悪劣な生き物である。だが、私もそのような愚かな生き物の彼らと同じ人種であるのは変えがたい事実であり、それ自体が極めて私にとって遺憾なことではあるが、人種を卑下してしまうと先達の方方をも愚弄してしまうことになり、それは私自身を周囲の滑稽な生き物と同列に扱うこと以上に私を殺すことになりうる。だからこそ日本国に住まう日本人という種の低劣さなど認めては決してならない。では何がこうも現在の日本人を落としたのか。それはあえて言うなら時代であり、愚直に述べるなら敗戦という結果であろう。敗戦の事実は認めるし、時代というものが嬉々として流れ続けるのだから、それが人人に与える影響という物も認めざるを得ないのだが、それでも戦勝国から猿だの犬だのと罵られるのも仕方が無いほどにこの国の人人は簡単に自らの国を愚弄する。何処の世界に自らが悪いと言い張る間抜けな国民が存在するのだろうか。長い歴史を鑑みても、質の低下した現日本人しかそのような人種はいない。
沖田は「憎 日本」と銘打たれた佐伯 英二の著書に目を通していた。著書といっても出版されたわけでもなく、薄汚れたルーズリーフに延々と何百枚にもなるほど文章が並べられたものであった。
「・・・」
沖田はそれが探しているものと関係性がないとは分かっていながらも、読み続けた。過去の経験上、そういった一見無関係のものが大きく関わっていることが何度もあったからだ。
−そもそも、何故中国や韓国といった国は戦勝国気取りをしているのだろうか。まぁ、周囲が呆けてしまうような事を偉そうに主張するような彼らの思考回路というものは理解しようとしても無駄なことだ。彼らには誇りという概念が存在しないのだから私が彼らを理解できなくても仕方の無いことである。しかしながら、日本国民は別である。もともとは誇りを命よりも大事に扱う人種のはずなのであるのだが、彼らには先達の方方が深く心に刻んでいた誇りというものを今現在持っているとは到底思えない。過去、戦勝国の腹いせとして行われた東京裁判で自決をしながら生きながらえるという恥を晒しながらも、少しでも自国を優位にと戦った東条英機のような誇りというものは今の日本国民にはないのだろうか。そして、その東条英機を英雄視するのならばまだしも彼を自国民が戦犯だなどとのたまう姿はあまりにも滑稽であり愚かであり、情けない。大体、我我日本国民は自国の英雄を軽視する前に諸外国の悪徳さに関して言及するのが先なのだ。弁護側の弁護は理由もなく悉く却下され、検察側の主張は証拠も無いのに全て通る、こんなふざけた裁判があっていいものか。おまけに中華民国という国に至っては裁判官という職に就く資格すら持たない者を東京裁判の裁判官として置いたのだ、そのような行為は国として最も恥じることであり、そのような低俗な人種及び国に頭を下げる価値などどこにもない。にもかかわらず、馬鹿の一つ覚えのように誇りを切り売りし続ける日本国民。もはや援護のしようもないのかもしれない。
「もっともだな」
吸い終ったタバコを灰皿に押し付けながら、沖田は呟いた。
−戦争では多くの命が消えていった。あたかもそれには何の価値もないかのようにいとも簡単に塵になっていった。だが、本当に価値はないのだろうか。我我残された国民は彼らのことを戦犯だなどと罵ってもよいのだろうか。答えは当然両者とも、否である。自国のために命を賭けたものたちの思いを価値のないものだなどと決して述べてはならない。家族や愛する者を守るために死んでいった者たちを戦犯などと罵ることが許されていいはずは無い。彼らは、あくまでも、戦士であり、英雄だったのだ。だが、私がこのような考えを提言すると、愚劣な左の人人は私を戦争賛美のキチガイのように蔑むだろう。残念ながら私は戦争を賛美などしていない、むしろ戦争という行為自体は憎むべき人人の所業であるとすら考えてさえいる。ただ、その中で命を賭した人々を軽視したり蔑むことが愚かであり、反日であるのだ。
佐伯 英二の考えはあまりにも明確だった。それは戦争反対、平和などと何の考えも努力もなしにのたまう愚かな連中よりも、天皇を崇拝し日本国の優位を世界中に知らしめようなどというファシズムの懐古主義連中よりも明確で、あまりにも分かりやすかった。
「確かに、東京裁判での戦勝国共の横柄さにはほとほと呆れるものがあった。現に今では、当時の裁判は間違っているという考えが日本だけでなく諸外国でも広く知れ渡っている。あくまでも情報統制などがいまだにされている共産圏以外での話だが。だが、それでも、戦争を肯定は出来ないな。・・・いや、彼も肯定はしていない、か」
−戦争に負けたからこそ今の平和がある、とどこぞの無能者はのたまうが、そんなものはどこにもありはしない。あるのは洗脳され、頭を下げることしかしなくなった、いや出来なくなった犬と化した国民だけ。これが平和だとでもいうのか、笑わせる。自らを投げ打った先人達を蔑むような国民が安穏と暮らしている時点で平和なわけがない。
沖田はすっかり冷め切ったコーヒーを飲み干すと、カップの内側にくっきりとついた黒いリングが目についた。しばらくその黒いリングを眺めていたが、すぐに飽きたように他へ視線を移した。
移した視線の先は、点けっ放しのテレビだった。昼から延々とニュースを吐き出し続けているそのテレビだったが、佐伯 英二の事件に関するものは何一つ映し出しはしなかった。それは当然、あまりにも不自然なことだった。
「マスメディアの大好物だろうになぁ、この事件。なのにどこの局もこの事件には触れない。情報規制?いや、それなら俺にも警察からの口止めやマークがつくはずだ。だが、どうだ。そんなものは特にない。つまり、警察は情報規制なんてしていない。単に、箸にも棒にもかからない下らない事件と判断されたのか、もしくは、マスコミが誰も知らないだけか、どっちかだな。うん、納得」
自分に言い聞かせるように沖田は言った。暗示でも自分にかけなければ納得など到底出来ないから仕方の無いことかもしれない。情報規制はされていないが、情報がメディアに流れていない、もしくはあえて報道しない。どう考えても、マスコミュニケーションの性質を考えるとあまりに不自然である。彼らは数字のためならば日本刀を持った男の白昼堂々の犯行すら電波に乗せるのだから。
だが、気にする余裕もなかった。調べることが山ほどある。好血菌の資料は警察に押収されることを恐れ他人に渡しているから、それに今は目を通すことは出来ないが、他の角度から佐伯 英二を虱潰しに調べなければならない。事態は当初の軽はずみな状況からは想像も出来ないほどに深刻だからだ。
「・・・」
視線をテレビから佐伯 英二の資料に戻した沖田は黙々と資料を読み続ける。ただただ黙々と。その際に一言も発することはなかった。沖田にとってどんな難解なことが書かれていても、沖田にとってどんな驚くべきことが書かれていても、一言も発しはしなかった。
しかし、「憎 日本」の最後の一文に、沖田は一言
「えっ」
とだけ小さく漏らすこととなる。そこには殴り書きで
「みな死んでしまえ」
とあった。
感想よろしくお願いいたします。