第二話
case2 宮内 健吾
「つまんない仕事選んじまったな」
酒が入ると、宮内はいつもそうこぼしていた。
ドラマで見るような壮絶な事件、それを暴く自分。そんな期待は簡単に裏切られ、仕事といえば善良な市民を騙すような搾取。つまりは切符きり。勤労四年、これまでに携わった最も大きな事件といえば、ひったくり程度。想像とは大きく異なった。
交番勤務は退屈で、夜勤ともなると苦痛以外の何物でもなかった。何かが起こるわけでもない、誰かが尋ねてくるわけでもない。便りが無いのはいい便り。そんなのを望んでいるわけではなかった。ただ、休憩室でごろごろするだけだった。
−糞つまんねぇ。
この日も宮内は勤務中にも関わらず、隠れながら酒を煽っていた。どうせ誰も来ることはない、大した仕事も無い、誰も来ず何もすることの無い交番で時間までちょびちょびと酒を飲みながら携帯電話をいじる。そんな職務を続けていた。
宮内は怠惰な人間ではなかった。むしろ勤勉で、明確な夢を持ち、それに突き進む熱い男だった。だからこそ、自身の夢がこのような形で破られたことにより、情熱を完全に失っていた。その結果、世に乱雑する腐った公務員、その典型に成り下がっていた。
「こいつ業者じゃないだろうな」
テレビを見て酒を飲みながら、いつものように出会い系サイトのチェックに余念のない宮内。
「大体、写真つきの奴は業者だからな」
この半年間で数回、出会い系を通して女性に会っていた。中にはその日に男女の関係にまで行けたケースもあり、味をしめた宮内は軽度の出会い系依存になっていた。
日本酒を口に含んだと同時に、けたたましい音を伴って宮内の携帯電話が振動を始めた。
宮内は慣れた手つきでメールを開くと、無言でディスプレイを見つめた。
−同窓会のお知らせ。来月の中旬に同窓会をしようと思います。参加希望者は堺にメールしてください。
宮内は決してクラスの中心ではなかったし、友人の多いほうでもなかった。事実、メールを送ってきた堺とも多くを語ったこともない。そんな自分にも当然のように同窓会の参加の是非が送られてくる事実に、宮内は一人失笑した。
「行くわけねぇだろ、つまんねぇ」
この四年で、彼の性格は曲がっていた。
酒を飲むと、余計にその曲がり方が大きくなり、二十代前半にして愚痴を垂れ流すようになる。誰に聞いて欲しいわけでもない言葉。現状がたまらなく煩わしかったが、かと言ってそれを打破しようとするわけでもなかった。
「すいません」
突然、交番の入り口から声がした。続けて、
「すいませーん」
と、先ほどよりも大きな声。どうやら厄介者が来たらしい。
−どうせ財布でも落としたんだろ、めんどくせぇ。
その場で寝転がっていたかったが、重い腰を上げると、声の方へと歩く。酒の臭いがばれてはいけないと宮内はガムを口に放り込んだ。
「どうしました?」
目の前に突っ立っている冴えない男にそう言うと、気だるそうに宮内はデスクに腰掛ける。さも、仕事で疲れている、とでも言いたそうに。
「あの・・・」
三十代と思われる男は、うつむき加減で、小さく呟いた。
−なんだってんだよ、鬱陶しい。用があんならさっさと言えよ、グズ。
宮内が心の中で悪態をついていると、男はぽつりと、
「実は、人が死んでいるのを発見してしまって・・・」
半笑いでそう答えた。
「・・・は?」
宮内は意図せぬ言葉に思わず間抜けな声を発してしまった。
−なに言ってんだ、酔っ払いか?
突然すぎて状況の飲み込めない宮内に男は、
「人が死んでいたんです」
と先ほどと同じ口調で言った。
「人が、死んでいた?」
少しずつ、現状を把握していく。そして、それに伴い、人が死んだと告げられているにも関わらず、宮内の心は踊った。
それも当然である。夢にまで見た、事件が起きたのだ。目の前の男が嘘を言っていなければ。
「昨夜未明、人が死んでいるとの報告を受け、発見者とともに現場に急行し、そこで遺体を発見。検査結果はまだ出ていませんが、遺体は身体的特徴から家主の佐伯 英二と見て間違いないと思われます。現場に急行した際には、血液の凝固などから死亡から一日以上経過していたと思われます。死因は頭部の破裂による即死。部屋には大量の血液が巻き散らされていて、凄惨たる状況でした。第一発見者の沖田 正信を重要参考人として勾留しています」
宮内は大勢の警官の前で実に堂々としている。事件に最初に関わったとして捜査の第一線を任され、現在、温海市警察署で急遽開かれた捜査本部で同僚たちの前で報告を行っている。
「被害者の佐伯 英二56歳ですが、豊樹市の自宅に一人で住んでいます。特に身よりもなく、現在は東都大学の研究所で働いていて、週に一度、東都大学に行っていたようです。しかし、その他の時間は自宅に篭っているようで、週の多くを自宅で過ごしていたとの供述を得ています。部屋は荒らされていた様子もなく、物取りの犯行の可能性は極めて低いと思われます」
昨夜徹夜で作った書類に目を通しながら饒舌に報告を続ける宮内。その心内は嬉々としていた。
「発見者を重要参考人として勾留しているとのことだが、発見者の沖田という人物に関しての報告は?宮内巡査」
口元に髭を蓄えた、大垣刑事が口を開いた。ベテラン刑事として署では有名で、数々の功績を挙げている、宮内の理想像のような男。
「はっ。沖田 正信34歳。職業はフリーのジャーナリストです。とある記事のために被害者の自宅に侵入。そこで遺体を発見したとのことです。ただし、本人の供述によれば発見した後、一度沖田自身の自宅に戻っています」
「自宅に戻っている?死体を見つけたあとにか?」
「はい。怖くなったらしく、一度は無関係を装うと思ったようですが、自宅に戻った後思い直し、警察に通報しに来たとのことです」
そこかしこで、
「沖田が怪しい」
だなどという短絡的な発言が飛び交っている。
その様を見て宮内は苦笑した。そのような単純な事件ではないと宮内は確信していたからだ。いや、そのような単純なものではないことを望んでいただけかもしれない。
「沖田 正信は重要参考人ではなく、容疑者なんじゃないのか?」
どこからともなく聞こえてきたその言葉に、宮内は憤りを感じた。憧れた警察のこの態度はなんだ。常識的に考えて単純明快な事件ではないことは目に見えている。ここでの考えなしの発言がどれだけの捜査の妨げになるか、誰も分かっていなかったのである。ここでの警察の誤った判断が、初動捜査の遅れになり、そして後に多くの命の灯を消すことになる。
「この事件はそのような簡単なものでは無いと私は考えます。現に、容疑者は沖田だけではありません。被害者の死亡と同時刻と思われる時間帯に佐伯宅から男が一人出てきたと、沖田も証言しています」
宮内には自信があった。現場の異様さを目の当たりにしたからこその自信。あれは人の手によって出来るものではなかった。その自信が言葉になって表れた瞬間であった。しかし、宮内のその言葉に対する返答は、
「初めて捜査に加わる青二才が偉そうな口を聞くな」
だった。宮内の言葉は簡単に蹴られたのである。
捜査本部では、結局、何よりも沖田の取調べを重要視した。宮内の考えは考慮されることはなかった。ただ、宮内にとって幸いだったのは沖田から通報を直接受けた自分が沖田の事情徴集を担当させてもらえることだった。捜査の中核に自分が座している。それだけで宮内の心は躍ったのだった。
捜査本部での会議が終わると、宮内はさっそく沖田の元に向かった。沖田がいるのは取調室。宮内は弾む心を落ち着かせながら、取調室のドアを開けた。
「お待たせしてしまってすいません」
軽く会釈をすると宮内はデスクを挟んで宮内の前の椅子に腰をかけた。沖田もそっけなく会釈を返す。
「では、遺体を発見したときの話を聞かせていただきたいのですが」
「それは何度もお話したかと思いますが」
「すいません、一応、そういう決まりなので」
「はぁ、まぁいいですが」
鉄格子のついた窓から入って背中に降り注ぐ直射日光が、やけに熱く、額に汗を浮かべながら沖田は頷いた。
「沖田さん、あなたは佐伯 英二さんを調べていた。そもそもそれは何故なのですか?ジャーナリストの貴方が動くということは、それなりの記事になるという裏づけがなければ行動を起こさないはずですよね?にもかかわらず貴方は実際に佐伯宅に侵入している。あの日、佐伯 英二さんが殺されるのをあらかじめ知っていたということですか?」
熱くなっている、冷静になれ。宮内は自分自身にそう言い聞かせながらも、冷め切らない熱を感じていた。その熱を眼前の男に浴びせる、謎の究明のために。それは宮内にとっては義務であり望みであり、悦楽であった。自分の中に確かに存在する熱が、歓喜の笑みをこぼさようとするのを宮内は必死で堪えていた。
「それに関しては黙秘させて頂きます。私もジャーナリストという仕事柄、自らの得たスクープを他人に簡単に教えるわけにはいかない。ただ言える事は、私が持っていたネタと今回の事件は全く関係性はありません。彼があの日死んでいるだなんて当然私は知る由もなかった。何度もお話したとおりです」
「そのネタというものが今回の事件に関わっているのではないですか?」
「・・・関わってはいません」
沖田は一瞬口ごもった。それは決して隠そうとしてそうなったわけではなく、話したところで信じてもらえるわけが無いとタカを括っていたからだ。事実、沖田の考えは当たっていた。佐伯宅にはいくつかの捜査すべき対象があるにもかかわらず、警察はそれらを歯牙にもかけていなかった。
「・・・教えていただけませんかね?何を調べていたのか」
「それだけは無理です。みすみすネタを漏らすなんて愚行犯しませんよ」
「そうですか・・・」
宮内は両手を組みながら、続けた。
「では、何故一度自宅に戻ったのですか?」
その問いは沖田にとってあまりにも核心を突いた質問であり、動揺を誘うには十分過ぎるものだった。
「・・・それに関しても言ったでしょう。死体を発見して怖くなったんです。このままじゃ自分が殺したのだと疑われる。だから見なかったことにしようと一度は通報もなにもせずに逃げた、と」
「ですがね、なんらかの自分にとって不利になる証拠を隠蔽するために自宅に戻ったとしか考えられないんですよ、我々としては。貴方もジャーナリストなら分かりますよね?」
その言葉は沖田にとって反論しようのないものだった。事実、こうなるのを確信していながら、一度現場を後にしていたのだから。
「分からなくは、ないです」
覚悟していたとはいえ、容易に現状から脱却することは難しかった。かといって、ここでこのままいつまでも拘束されていられるほど沖田は暇ではない。調べることが山ほどあるからだ。
「・・・」
宮内は黙った。ときに沈黙は、言葉以上に意志を相手に伝える手段になることを知っていたからだ。それが沖田にも伝わる。それでも、多くを語るわけにはいかなかった。否、語っても無駄だと感じていた。
暫くの沈黙の後、沖田はぽつりと、
「・・・あの、いつになったら家に帰れますかね?」
と呟いた。
沖田のその言葉は当然だった。十二時間もこんな所にいさせられるのはたまったものではなかったのだ。
「事情徴集が済めばすぐにでも帰れますから」
調書をぺらぺらとめくりながら、宮内は沖田の瞳を見ないでいった。それは宮内のくせで、心にもないことや深く考えないで言葉を発するときには必ずといっていいほど相手の目を見つめなかった。
「・・・人殺し扱いかよ」
「いや、そんなことはありませんよ」
「これでも一応ジャーナリストをやってるんだよ、馬鹿にしないでもらいたいね。どうせ俺を殺人者だとでも思っているのだろう?調べれば分かるだろうに、あんなのは人間の出来る殺し方ではないとさ。あんたらがそんなだから解決する物もしないんだよ」
沖田は机を叩きながら罵る様に言った。普通なら、沖田の剣幕をなだめようとするところだろう。しかし、宮内は沖田の剣幕ではなく言葉それ自体に着目した。それは、「人間の出来る殺し方」だった。
「まるで、被害者は化け物にでも殺された、というような言い方をしますね」
高波のような沖田の口調に対して、それこそ凪のように穏やかに宮内は言った。
「化け物?そりゃまた非現実的だ」
「では、何が佐伯さんを殺したのなら、現実的だと言うのですか?貴方は、人間の出来る殺し方ではない、と仰った。では、何だと言うのです?」
「それは・・・」
沖田は黙るしか出来なかった。自分でも笑ってしまうようなことが思考を支配しているのだ、それも当然である。そして、その沈黙が宮内にとっては好機であったのもまた当然であった。畳み掛けるには今が絶好の時だった。
「貴方は、何かを知っている。それも重大な何かを。佐伯 英二殺害の重要な何かを。正直、捜査本部は貴方を容疑者扱いしています。だからこそ、こうして私に貴方の取調べをさせているのですから。ですが、私はそうは思っていません。今回の事件はもっと大きな何かがあると感じています。その何かの手がかりを貴方が得ている、そう思っています」
「それは、勘ですか?警察の」
「そうでしょうね」
警察としての勘、そんなものは宮内にはなかった。それも仕方ない、今回の事件が彼にとってはじめての事件なのだから。だが、彼はそう思い込んでいた。自分の警察としての勘がそうさせていると。この事件は簡単なものではないのだと、思い込んでいた。そのほうが彼にとって都合のいいものだった。自らの欲求を、満たすために。気分はさながら探偵だった。
「・・・まだ、確証があるわけではないんです、すいません」
うつむきながらの、消え入りそうな声だった。
「確証があれば、話してくれるのですか?」
「えぇ。ただ、確証を得た時には、もしそれが私の考える通りだったならば、何もかも、遅すぎると思いますが」
何かを覚悟した目だった。宮内は初めて、沖田の中に何らかの強い意志を感じた。それは揺らぎの無いもので、偶然とか必然とか、運命とか、そういったおよそ人が作り上げた幻の不可侵の壁をも容易く乗り越える、そんな強さだった。そしてそれは宮内に、死を悟った人間はおそらく彼のような瞳をしているのだろうと思わせた。
「・・・私が掛け合ってみます、貴方を家に帰すように。私は下っ端なので上手くいくかはわかりませんが」
「泳がせる、とでもいえば案外簡単かもしれませんよ」
「それも・・・そうかもしれませんね。流石はジャーナリスト。口が上手い」
二人は同時に吹き出した。二人きりの取調室で、二つの笑い声が静かにこだました。
それから約三時間後、取調べを終えた沖田 正信は宮内の助けもあり、温海市警察署を後にすることになる。
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