第五十話 「何も起きない村」
勇者は、山の中腹にある村へ向かっていた。
街道から少し外れたその村は、思っていたよりも活気がある。
行商の馬車が止まり、旅人が腰を下ろし、子どもたちが走り回っていた。
危険な魔物が出るような土地には見えない。
村に入る少し手前、道から外れた林の中で、勇者はふと足を止めた。
意図して探したわけではない。ただ、気配のようなものを感じただけだった。
草を分け、のぞき込む。
小さな影が、地面にうずくまっている。
子供だった。
十歳前後だろうか。衣服はところどころ汚れ、腕や足に擦り傷がある。
呼びかけても返事はない。
勇者が近づくと、子供はびくりと肩を震わせ、何かを伝えようと口を開いた――
だが、声は出なかった。
「大丈夫だよ。立てる?」
勇者は子供のそばに腰を下ろし、布と薬草を取り出す。
泥を拭い、傷に薬草を当てる。
足首が少し赤く腫れていた。
挫いたのだろう。
布で簡単に固定をすると、子供は肩に掛けていた鞄から、板のようなものを取り出した。
慣れた手つきで文字を書く。
「ありがとう
たすかりました」
勇者は小さく笑い、頷いた。
「その足じゃ、歩くのは厳しいね」
そう言って、子供を背負う。
「あの山の村に向かうけど、いいかな?」
子供は、こくりと頷いた。
村に着くと、入口近くにいた村人が声を上げる。
「おや! 〇〇、いったいどうしたんだ?」
呼び声に応えるように、母親らしき女性が駆け寄ってくる。
勇者が事情を説明すると、村人たちは安堵の混じった表情で何度も頭を下げた。
子供は再び板を取り出し、文字を書く。
「ぼくはだいじょうぶ
しんぱいかけてごめんなさい」
場の空気が、少しだけ和らぐ。
「旅の御方、あなたは〇〇の恩人です」
「よろしければ、ぜひお礼をさせてください」
村人たちが、口々にそう言った。
勇者は、そのまま村に滞在することになった。
村の雑用を請け負いながら、数日が過ぎていた。
雑用の依頼。
荷運び。
忘れ物を届けるだけの用事。
どれも、小さな仕事だった。
その合間、子供は勇者のそばにいることが多かった。
話すことはできないが、板に文字を書き、身振りで伝え、静かに笑った。
村は平和だった。
少なくとも、その時点では。
夕暮れ時。
宿で休んでいた勇者は、旅人たちの会話を耳にする。
森の奥で、何かを見たという話。
夜になると、獣のような影が動くという噂。
勇者は、ふと気づく。
その森は――
あの子供と出会った場所の、すぐ近くだった。
外を見ると、空は急に暗くなり、雷鳴が響き始めている。
雨の匂いが、村を包み込んだ。
勇者は立ち上がった。
理由は分からない。
胸騒ぎがしただけだ。
だが、その理由を確かめに行くことは――
最初から、決まっていたような気がしてならなかった。




