第三十七話 「言ってはいけない一言」
問題は検出されていない。
ただし、
それは――
誰も言葉にしなかった場合に限られる。
作戦は進行していた。
予定通り。
規定通り。
誰も逸脱していない。
それでも、
空気は軽くならなかった。
高飛車な男は歩きながら、指先で手袋の縁を整えていた。
癖だ。
意味はない。
ヴァルは少し前を行く。
術師は距離を保ったまま、何も言わない。
実務担当は進行を確認し、
沈黙の個体は、そのすべてを見ている。
――揃っている。
それだけのはずなのに、
男は小さく息を吐いた。
「なあ」
声は軽い。
場を和ませるつもりの調子だった。
誰も足を止めない。
だが、全員の意識が、同時に向いた。
「最近さ……」
一拍。
言葉を選ぶような間。
男は笑う。
いつも通りの、余裕のある笑み。
「変じゃないか?」
その一言で、
何かが確かに止まった。
誰も反論しない。
否定も肯定もない。
ヴァルは歩みを変えない。
術師は視線を落とす。
実務担当は、資料を閉じる。
沈黙の個体は、何も言わない。
男自身も、
それ以上は続けなかった。
「……いや、いい。
気にする話じゃないな」
冗談めかして肩をすくめる。
その仕草は自然で、
どこにも棘はない。
だが、
その言葉は戻らなかった。
誰かが「何がだ」と問えば、
男は答えただろう。
理由も、仮説も、
用意はしてあった。
それでも、
誰も聞かなかった。
歩行は再開される。
進行は継続。
作戦は、何事もなく進む。
記録上、
問題は発生していない。
それでも、
その場にいた全員が理解していた。
今の一言は、
言ってはいけなかった。
理由は分からない。
だが確かに、
境界を越えていた。
少し離れた位置で、執事はそれを見ていた。
照会は行われない。
修正も行われない。
ただ一つ、
理解したことがある。
この個体は、
最初に言葉を持ってしまった。
世界は稼働中。
進行は予定範囲内。
特記事項は――
まだ、ない。




