第二十九話 「依頼のない日」
その日は、依頼が出ていなかった。
掲示板には何も貼られていない。
受付にも人は並んでいない。
町は穏やかで、
人々の声は落ち着いていた。
勇者は、しばらくその場に立っていた。
紙を一枚ずつ確認し、
壁を見直し、それでも何も見つからなかった。
(……今日は、ない)
胸の奥に、
かすかな空白が落ちた。
困っている人がいないのは、いいことだ。
そう教えられてきた。
そう理解している。
それでも――
(……ホッとしてる……のに)
胸の奥が、わずかに痛んだ。
理由は分からない。
問いを進めようとすると、
内側から押し返される。
勇者は町を歩いた。
広場を横切り、
商店の前を通り、
人々の会話を聞き流す。
誰も困っていない。
声は明るく、
空気は穏やかだ。
それなのに――
(どうして……)
指先が震えていた。
依頼は出ていない。
承諾もしていない。
誰にも頼まれていない。
にもかかわらず、
胸の重さは、昨日より深かった。
ベンチに腰を下ろす。
ゆっくり息を吸う。
吐く。もう一度。
呼吸は乱れていない。
心臓も落ち着いている。
それでも――
「……やめられないのか、これ」
小さく、声になった。
自分でも、
その言葉を選んだ理由が分からなかった。
それ以上、考えようとすると、
思考は静かに閉ざされた。
夕方になり、
陽は静かに傾いていく。
勇者は宿へ戻った。
装備は汚れていない。
体力も、消耗していない。
それでも――
今日の痛みが、
いちばん深かった。
(進んでいないのに……削れてる)
胸の奥で、
その言葉だけが残った。
当日の進行を終了する。
勇者は休息状態に入る。
承諾なし――
圧迫、微増。
行動なし――
震え、継続。
特記事項は
ない。




