Ⅸ
ギィァアァアアッ
形容し難い、鼓膜に響くような悍ましい声を上げて、魔族が倒れる。
今までずっと、村中を走り続けて魔族を斬っていたアクセルは、突き立てた剣を支えにして、息を切らせながら村の広場でしゃがみ込んだ。ハアッハアッという自分の息と、必死に身体へ酸素を送っている心臓の音が、いつもより倍は大きく聞こえた。
倒した魔族の数は今ので五匹。これで、村に入ってきたものは全て倒せたことになる。アクセルは、あらん限りの速さで魔族を斬っていったが、それでも、すぐに全てを斬れるわけもなく、四人もの犠牲者が出てしまっていた。
今は、村の出入り口には、畑や納屋でゴミになっていた、大きな戸板を置いて簡易的にバリケードを作ってある。これならば、魔族や魔物がもし新たに現れても、村の中に入ってくることが容易にはできないだろう。
すると、村中に散り散りになって逃げていた皆が、徐々に広場に集まってきた。
「ハァッ、ハッ…皆、無事?」
息を切らしながら、剣を収めたアクセルが、そう皆に問いかける。しかし、何故か誰一人としてそれに答えない。
「とりあえず、村に入ってきた魔物は全部退治できた筈だから、もう安心して――」
誰も答えないその様子を不思議に思ったが、もしや今のが上手く聞き取れなかったのか、と思ったアクセルが、尚も言葉を続ける。すると、それを最後まで言い終わらぬうちに、広場にいる村人の中の誰かが、唐突に声を発した。
「……のせいだろう」
「え、何? よく聞こえなかっ……」
「お前の! ……ッお前のせいだろう!!」
上手く聞き取れずに、聞き返したアクセルに返ってきたのは、腹の底から吐き出したような糾弾の声だった。よく見ると、その声の主は、先程魔族によって犠牲になってしまった女性の夫だ。
「まただ!! またお前が魔族を連れてきた!!」
「え、ちょっと、何言って――」
アクセルは、突然声を荒げた彼が、伴侶を亡くして錯乱しているのだと思った。そして、彼に冷静になって貰うために、尚も話しかける。だが――。
「――お前のせいだと言っているんだ!!」
「え――」
その、アクセルの声を遮るように聞こえてきた声に、ついにアクセルも言葉を無くしてしまう。今、最初に声を荒げた男の、二の句を継ぐように、彼に糾弾の声を浴びせたのは、なんと、バストンであった。
そんな、まさか、あの気さくで親分肌で、さっきまで捜索隊を率いていた彼も、錯乱してしまっているのだろうか。アクセルは、戸惑いが大きく、次に口に出せば良い言葉を、上手く探すことができず、声をかけるにかけられなくなってしまった。
そうしているアクセルに、またもや叫び声を上げる者が、他にもいた。一人、また一人とその数は増えていく。
『そうよ!! これで二度目じゃないの!!』
『あの時だって、お前が魔物に襲われて…ッ!! 魔族はそのすぐ後にやってきた!!』
『だからあの時も、村が酷いことになったんだ!!』
『お前のせいで死人が出た!! お前のせいで!!』
「ちょ、ちょっと待ってよ! どうしたんだよ、皆して急に!」
次々と浴びせ掛けられる罵声、罵声、罵声。こちらを皆が、仇でも見つめるような鋭い目で睨んでいる。その中にはケインや、ローザや、アンディの顔も見える。あの、明るい顔で、いつも自分に軽口を返してくれた村の皆が。
今まで、感じたことがない息苦しさで、アクセルの首筋を、妙な汗が一筋伝った。酸素が、身体に回っていないような感覚だ。何を言っているんだ皆、急に、何でそんなこと。
と、その時、次々に投げかけられる罵声の中に、女性のか細い呻くような声がした。次々と投げかけられる叫び声に埋もれて、それでも不思議と、一番大きくアクセルの耳に響いて聞こえた。彼女は、先程魔族に襲われて死んでしまった我が子を、細いその腕に抱え込んでいた。
「……私たちはずっと堪えてた……。……お前を怒らせないように……、また悪魔を連れてこないように……。なのに……それなのに、……お前は、お前は死人を、悪魔を呼んだ……、お前が……」
彼女は、泣いているのか、掠れ切った声で呟いている。周囲の村人たちが、未だに糾弾の叫びを上げているのがわかったが、不思議とアクセルの頭には、その彼女の声しか聞こえて来ない。
「……ッ! お前がいなければ!! こんなことにはならなかったかもしれないのに!! 今回も……五年前のあの時も!!」
ガツンと、頭を殴られたようだった。
堪えてたって、なんだ。ずっと、堪えてたって。それって、それって――。
「――皆で、オレのこと、ずっとそんな風に思ってた、ってこと?」
震えていて、随分と情けない声だなと、アクセルはどこか他人行儀に思った。その声に、今までひっきりなしに叫ばれていた声が止む。
身体の制御が上手くできてないような感覚だ。頭はどうにも冷静なのに、声だけが泣きそうに聞こえて、なんだか不格好だった。
「なあ、バストン……」
「ケイン、アンディ……」
「ローザおばさん……ッ」
村人たちを、片っ端から一人ずつ呼びかけていくが、誰ひとりとして、なんてな、などと、背中を叩いて笑いかけてくれる人はいない。怯えていたり、怒っていたり、表情は様々だったが、皆、アクセルの方を睨みつけているのだけは同じだった。
「なんだ、なんだよ皆……。冗談だって、嘘だって。……ッいつもみたいに、言ってくれよ……!」
アクセルは、そう振り絞るように言って、拳を握りしめ、顔を伏せる。彼の目元を覆い隠した髪の毛が、これから沈み消えていくであろう、燃えるような夕陽の色に染まっている。こんなにも、村の雰囲気は、どんよりと淀んでいるのに、本当に炎が燃え盛っているように、真っ赤に光る夕陽は、宝石のように綺麗なままだ。
とその時、アクセルを囲うようにしていた村人たちを、分けるようにして、アクセルに向かってゆっくりと進んでくる人がいた。
「村長――」
その姿をみとめたアクセルは、彼を見つめて呟いた。
彼は、このディンバラの村長、モーリスだ。彼は、アクセルの声に、うむ、と軽く頷いた。
「……ッ村長! 前にも言ったじゃないですか! 危険だって!」
「村長! コイツを早く追い払いましょう!」
「待て、追い払うだけじゃ心配だ! もう、いっそのこと殺してしまえ!」
「そうだ! それがいい! ねえ、村長!」
そこに現れた村の長に気づいた、村の人々は、口々に声を荒げて進言する。次々に出てくる、自分が消えることを望む、彼らの声に、アクセルは苦しげに眉根を寄せた。
「騒ぐな! 皆、静まれ!」
尚も捲し立てる皆を、そう制したモーリスは、ゆっくりと口を開いた。
「ここにいるアクセル・デンゼット。今回、そして先の魔族襲来は、此奴により引き起こされたものであり、この者が持つ危険性から、このまま村に置き続けることを拒絶する。それが、この村の総意である。と、つまり、皆が言いたいのはそういうことじゃな。皆、これについて異論はあるか?」
「ちょっと……ッ!」
少しでも反論をしようと、アクセルは食ってかかろうとするが、村人に一斉にギロリと睨まれ、口を噤む。何という……何という、理不尽で、それでも、抗いようのない言葉なんだろうか。アクセルは、改めてモーリスが言ったその言葉に、そっと目を瞑った。
恐らく、今の自分に拒否権や、発言権などないのだと、直感的にそう感じ取った。多勢に無勢、とはよく言ったものだ。
モーリスが問いかけたことに、何か異論を挟むものはいない。皆、黙ってモーリスの方を見ている。
「……うむ、無いようだな。それでは、これよりアクセル・デンゼットは"村外への永久追放"という処分を下す事とする!」
村人が、何も言わないのを確認したモーリスは、そう声高に言い放った。その決定に、何人かの男が食って掛かる。
「村長! 村の外に出すだけでいいんですか!」
「殺さないで復讐にでも来られたらどうするんですか!」
「静まれ! これは、ディンバラの村の長の決定じゃ! 異を唱えることは許さん! 勿論、此奴がこの村に帰って来れば、その時は手にかけても構わん。そして、此奴には、明日の朝までには出て行って貰う。それならば文句も無いじゃろう」
モーリスは、男達に向けて厳しい口調で言いつける。その、彼の有無を言わせぬ様子に、食って掛かっていた男達も、黙って頷かざるを得なかった。男達が黙ったのを見たモーリスは、さらに言葉を続ける。
「それよりも皆! これより日が暮れる。件のウルフは、まだ討伐された報告が来ておらん! 暗くなる前に家に戻るんじゃ。それと、明日からは、陽が山より完全に姿を現すまでは、家屋より外に出てはならんぞ! 此奴の後始末はワシがする。さあ、皆急ぎ家に戻れ!」
彼らに二の句を告げさせず、モーリスは皆へすぐ帰るよう指示を出した。まだ何か言いたげな顔をしている者もいたが、村長の剣幕にすごすごと足早に帰っていった。広場に残されたのは、モーリスと、アクセルの二人だけになった。
皆の姿が見えなくなると、ようやっと、処分を下される時から、ずっと何も言わずに立っていたアクセルが、口を開いた。
「……なあ、モル爺さん」
「なんじゃ、アクセル」
モーリスは、案外、いつもと変わらぬような調子で答える。
「さっき、"村外への永久追放"、って――」
「ああ、そうじゃな。お前はこの村から追放される。もうここに帰ってくることは許されん」
「そっか……」
改めて、アクセルに、"村を出ていかなければならない"という現実が押し寄せてくる。彼は存外器用で、剣術と料理の腕が達者である。父親から教わっていたおかげで身の回りのことは一通りこなせたし、野外で生き抜く術も知っていた。
しかし、アクセルはこの村から出たことがなかった。森へ行き、大人たちに混じって狩りをしたことはあっても、隣村にすら行ったことがないのだ。
村を出たらどこへ行けばいいんだろうか。夜に村を出たら、あのウルフたちがいるのではないか。多くの不安が、彼の頭に纏わりついていた。
すると、アクセルのその様子を見ていたモーリスが、だが、と口を開く。
「この村を出て行くのは、明日の早朝で良いじゃろう。皆には、いつもより遅く家から出るよう伝えておいた。日の出と共に家を出れば、村の者と鉢合わせをすることもあるまい」
「モル爺さん……」
これは、彼なりの気遣いなんだろうか。もしかしたら、心の底では自分のことを――。
そう思ったアクセルは、淡い希望を込めてモーリスに問いかけた。
「ねえ、モル爺さん」
「……今度はなんじゃ」
「オレのこと、……ずっと恐ろしいって思ってたって、皆が言ってたけど、それって」
アクセルのその問いかけにに希望が込められてることに気づいたモーリスは、彼には気づかれない程度にクッと眉根を寄せて答えた。
「ああ、事実じゃ」
「え……」
もしかすると、嘘だ、とでも言ってくれるんじゃないだろうか。そんな希望を、あっさりと消されるような答えに、アクセルは言葉を失った。モーリスは、尚も少しの優しさも感じられない、冷えた言葉を続ける。
「いいか、勘違いをするなよ。お前と鉢合わせをさせないのも、村の者を危険に晒したくないからじゃ。ワシらは皆、お前というものが恐ろしい。お前は悪魔を連れてくる。ここに置いていたら、また魔族が襲ってくるかもしれない。もし傷つけたら、また――そんなもの、恐ろしくて恐ろしくて敵わん。だからワシらはお前を追い出すのじゃ。……もうこの地は踏ませぬとは、そういうことじゃ。さあ、お前もさっさと家に帰って支度でもして、とっとと出て行け」
あんまりな言葉だ。そう頭のどこかが言っている。だが、アクセルは、一気に浴びせ掛けられた、あまりにも冷めきった乱暴な言葉に、呆然として言葉を返せずにいた。その彼の様子を、さして興味もないような顔で眺めたモーリスは、もう様はない、とばかりに自らの家に向かって歩き出した。
「――それに……」
「……え?」
すると、すれ違ったとき、何やら言葉をこぼしたモーリスに、それを上手く聞き取れなかったアクセルが、思わず反射的に聞き返した。しかし、モーリスはアクセルに一瞥もくれずに歩き続けたまま言った。
「いや、なんでもない。それよりも、明日の朝、もしまだこの村に残っていたら……、その時は村人全員で、お前を殺すからな」
と、その一言だけ残して、彼は去っていってしまった。
これで、広場に残ったのはアクセル一人だ。何となく、このまま家に戻る気にもなれず、彼はその場に仰向けに寝転がった。
こんなに理不尽で、こんなに酷い目にあった日だというのに、真上には変わらず綺麗な空が広がっている。いつの間にか、炎のように燃え盛っていた夕陽の色も消え、端から徐々に深い青が広がってきているようだ。まだ、夜というには暗さが足りないが、既にうっすらと星が浮かんでいた。
一方、広場にアクセルを一人残して、家へと帰っているモーリスは、ゆっくりと歩きながら、誰に向けるでもなく、どこかを見つめたまま呟いた。
「ワシはな……、あの惨劇の中で、全身血塗れなのに自らは全くの無傷で、『何も覚えていない』と言ったお前が、恐ろしくて仕方がないんじゃよ、アクセル……」