ベスト・アクセラー
<私のブログサイト「つくばの街であれこれ」で発信した作品の中で、アクセスされた回数が多かった10編を、『ベスト・アクセラー』と題して、ここに発表します。>
目次
一 ネットに息づく、「究極の」浮き草たち
二 歴史はそれを誤用したものに仕打ちする
三 なんで、こうなのだろう
四 ポール・マッカートニーがふる旗
五 川を下る女たち
六 地がもつ「風」を受け止めて
七 次の「瓦解の戦略」
八 政治家の顔
九 火・木・土
十「ひとつだけ」が持つ危険
一 ネットに息づく、「究極の」浮き草たち
時々、思うのです。
……もしかしたら、人間というのは、「究極の」浮き草ではないかと。
大きな会社の社長も、町工場の職人も、学校の先生も、政治家も、銀行員も、川べりで暮らすホームレスたちも、家で子供の世話や家事に追われるお母さんも……
『私の本当の生き方はこうじゃないんだよ。
私にはもっと違う思い、夢、希望があるんだよ。
……だから、今の自分の姿は「かりそめ」のものなんだ。』と。
でも、取引相手、生徒たち、有権者たち、夫や妻、子供もいるし、何よりも、マスコミや世間体に向かっては、口が裂けてもそんなこと言えない。
誠心誠意、自分の仕事に取り組んでいると言わなきゃならない……。
その言葉通り、彼らは、毎日、朝早くから、自分のやるべき仕事をこなし、誠心誠意取り組むのです。
その上で、
もしかしたら、人間というのは、「究極の」浮き草ではないかと、そう、私は考えるのです。
それにしても、人間というのは、贅沢な生き物です。
だって、そんなくだらないことを考えることが許されるのですから……。
でも、人は、確かに、偽りの自分を生きていると思う時があるのです。
それは、しかし、決して無為なことではないのです。夢がある人、自分はこうありたいと強く願う人こそ、その思いを強く抱くこととなります。
夢のない人は、そういう人を、いつまでも、「自分探し」をしている情けない奴と罵るかもしれません。
しかし、夢を持ち続けることの方がどんなにかいいことか、私は夢をもてなくなった人を悲しく思います。
人は何よりもまず、己のやるべきことをしなくてはなりません。
人に迷惑をかけずに、自分のことは自分でするという基本的なことです。それがあって、自分は「究極の」浮き草という資格が整うのです。
もし、それがなければ、それは、<究極>ではなく、<本物>の「浮き草」となってしまいます。
私が、今述べたいのは、「究極」の浮き草であって、「本物」のそれではありません。
社会的地位の高い人でも、普通に生活をしている人でも、何か人と違うことに手を染めている人というのを、私はネット上でたくさん見つけることができます。
そういう人は、一銭の欲もなく、毫も衒いがありません。
純粋に、自分を綴り、好きな絵を描き、好きな写真を撮ります。
その素直な姿に、私は感銘を受けるのです。
そして、そこに、「究極の」浮き草としての姿を見出すのです。
マスメデイアの画一的で、狭い枠内での馴れ合いではない、己の姿を追求するちょっと危険を帯びた個性を見てとることができるのです。
そして、文化としての、「究極の」浮き草たちに、豊かな未来があることを、私は直感的に感じ取ることができるのです。
二 歴史はそれを誤用したものに仕打ちする
『米国と日本は「同盟関係」を築くだけでなく、
戦争を通じて得られるものよりももっと多くのものを国民にもたらす「友情」を築いた。』
広島でのオバマ大統領のスピーチの一節を聞いて、言葉に敏感な中国政府は「衝撃」を新たにしたのではないかと思います。
どういうことかと言いますと……
アメリカは「謝罪」を公式にはしない。そして、日本も「謝罪」を公式には求めない、その上で、アメリカ大統領は『友情』という言葉を使ったからです。
政治家が語る希薄な「謝罪」より、「友情」という言葉は、どれだけ強く大きかったかということです。
それを中国政府は確認し、それゆえに「衝撃」を受けたと思うのです。
その証拠に、王毅外相のトンチンカンな発言が報道されました。
……広島は、加害者としての日本の存在を薄めることはできない、と。
被爆した多くの方々は、アメリカ大統領が広島に来られたことに涙していたのです。
被爆し、家族を失い、大変な思いをして生きてきた人が、笑顔で大統領を迎え、大統領はその話に耳を傾けたのです。そして、その姿は全世界の人々の目に届けられたのです。
ですから、中国政府の方々がいくらコメントをしても、それは何の意味もない言葉の羅列に過ぎなかったのです。
中国政府は、広大な太平洋をアメリカと二分しようと持ちかけました。
しかし、習近平主席の誘いにオバマ大統領は乗りませんでした。ついこの間なされたワシントンでの両者の会見の、とりわけ習近平主席の憮然とした表情が思い浮かびます。
そうした経緯のある中、アメリカ大統領は、かつて、太平洋を二分し、当時世界最大規模の海軍力と航空兵力を使って、覇権を争った敵国日本との「同盟」の成果ばかりではなく、両国政府及び国民の「友情」にまで言及したのです。
ここには、洗練されたオバマ大統領の国際感覚が見て取れます。
人も国家も過ちを犯します。歴史は確かにそれを証明しています。
アメリカが原爆を投下したことも、日本が真珠湾を攻撃したことも、それです。
しかし、それらは、当時の情勢の中で、もっとも良いと思うやり方であったことも確かなのです。
それが、時代を経てよろしくないと明確に判断されてもです。
それが「歴史認識』というものです。
ですから、アメリカは「謝罪」をしないのです。
そして、日本もまた、当時、無謀ではあるが、やむなしの開戦にいたり、悲惨な結末を迎えた「歴史」を持ちます。それゆえ、「謝罪」を求めないのです。
歴史的観点から言えば、過去の出来事をことさら肥大歪曲して、執拗に「謝罪」を求めることがいかに下品で、醜いことかを知っておく必要があります。
今の中国政府は、天安門での虐殺事件について、自らの体制を維持するために行った悪行はひた隠し、自国の体制を堅持するために、アメリカに、日本は共通の敵であると吹聴し、肩を組むことを求め、内にあっては、教育を活用し、あるいは、大衆を扇動し、日本を悪者に仕立て上げようとしているのです。
私にそうとしか思えないのです。
一人のモンスター・ペアレンツを思い出します。
その方は、ある有名なプロスポーツ選手のご親戚です。
その方が、学校にねじ込んできました。自分の子はいじめられている。学校の責任で相手を処罰せよというのです。
いじめがなされているので、なんとか善処して欲しいというのならわかりますが、相手を処罰せよとは、尋常ではない要求です。
調べてみると、どうも、親同士で気に入らない何かがあったようです。
ですから、学校を脅して、相手に相応の傷を与えようという魂胆であるということが分かってきました。
学校はそのくらいのことはすぐわかるのです。
なぜなら、子供たちは正直ですから、ちゃんと話をしてくれるのです。
スポーツ選手の親戚であり、ご主人は医師です。ここにも、この保護者の優越感が見て取れます。
その医師である夫が妻と共にやってきて、強硬にねじ込んできます。
学校は対応を渋っている、あげくに、出るところに出るとまで言います。学校は実に困ったという顔をします。
しかし、それは「見せかけんの顔」なのです。
というのは、その医師が学校に来る前に電話をよこして、困った顔をしてほしい、そうすればあとは自分でなんとかすると言ってきたのです。
つまり、そういう癖を持った母親だったのです。
医師である夫は、ほとほと手を焼いているようですが、どうにもならないようです。
中国政府もその親と同じなのです。
経済的優位性を手にし、かつての大国意識、中華思想がかの政府に優越性を与えているのです。端っこにあるちっぽけな国など蹴散らしてくれるわという勢いなのです。
しかし、中国の国民たちは正直です。
良い品物を求めに、この「小さい日本国」を訪問してくれます。
つまり、この政府の日本バッシングは、正当な判断、一点の揺らぎもない確信があってしているのではないのです。
何か魂胆があって、アメリカを使い、東南アジア諸国を使い、韓国を使おうとしているのです。それで、ダメなら、さっさと手のひらを返していくのです。
対米、対韓国の扱いの変化を見ればそれがよくわかります。
しかし、中国政府にもなだめる「医師」がいるはずです。
それは、年若い「人民」たちです。
人生を謳歌することを知り、可愛いものを愛で、自由にものを考え、好きなことに時を費やすことを知る人々です。そういう年若い、何億という人が将来「医師」となるのです。
歴史は人類の将来を考える上で大切な分野です。しかし、単なる過去の出来事に過ぎません。
それに拘泥すること、それを枷として相手を責めることは慎まなくてはいけません。そうでないと、「歴史」に仕打ちをされてしまいます。
「歴史」から虚仮にされないように、まず、己が己の「歴史」を振り返る必要があるのです。
オバマ大統領のスピーチが多くの感動を与えたのは、「歴史」の中に、悪者を作らずに述べていたからです。
政治や経済での分野では、物足りないとか、冒頭のスピーチでは主語が抜けて、誰が落としたのかが曖昧になっているとか、いちゃもんをつける方たちも当然います。
人それぞれ考えがあるのですから仕方がありません。また、それを許容するのが私たちの社会です。
ただ、歴史の刻まれた瞬間に居合わせたことに、誇りを持ちたいと思うのです。
三 なんで、こうなのだろう
一旦は丁寧にしまいこんだ釣具ですが、ひょんなことからそれを引っ張り出しました。
ロッドにリールをつけ、糸を通します。ロッドを軽く振ってみます。見事なしなりです。ガレージの棚に埃をかぶったままの小物ケースも引っ張り出します。おもりも、仕掛けも、高価なハリスも健在です。しかし、それにしても、こんなに多くの仕掛けを買って、使ってもいないなんて、随分と贅沢な遊びをしていたと我ながら呆れ返ります。
夢中になって小物を整理していると、時間の過ぎるのを忘れてしまいます。
お昼を食べてから始めた作業はもう夕刻になっていました。
そうだ、釣りに行こう、と西日が差し込むガレージで、思いました。
一旦思い込んだら、居てもたってもいられません。
iPhoneで明日の天気予報を見てみます。
雨はなし、気温はさほど暑くない。気になるのは風です。少し風力があるようです。数値は4です。東京湾で釣りをするには大して影響のない強さです。でも、今回は船には乗りません。私が整えた釣具は「陸っぱり」の道具なのです。
さて、鹿島か、磯崎か、はたまた、大洗か。
釣りをするには万全の天候とは言えませんが、止むに止まれず、明日、行くことを決めました。
おにぎりを持って、面倒のない皮ごと食べられる種なしぶどうを持って、気持ちはピクニック気分です。
つくばを出発して、霞ヶ浦大橋を越えるあたりで、車窓から見える樹木が風に吹かれている様が見えるようになりました。
一抹の不安が心をよぎりしました。
海の天気は、予報と違って、急激に変化するのです。
この風は、釣り場の状況が決してよくないことを暗示しています。でも、おにぎりを持って出かけてしまったのです。行くしかありません。
鹿島の工場群が、アントラーズのホームグラウンドを過ぎるあたりから見え出します。そこの煙突から上がるけむりは、真横になびいているではないですか。
ああ!としか言いようがありません。
今日は平日、港で釣りをするのは気が引けます。
なぜなら、働いている人たちがきっといるからです。その人たちを横目にして悠長に釣りなどできません。ですから、今日は県営の釣り公園に行く算段をしていたのです。あそこなら、きっと風は吹いていないなどと非科学的な推測をして、車はその釣り公園に到着しました。
先着の車が2台駐車しています。よし、やれるぞと思うものの、周辺に停泊している漁船のロープがブンブンと風で揺れています。嫌な予感がしてきました。
車を降りると、事務所のガラス窓の向こうで、女性が両手を上に上げて、ばつ印を作っています。
それでも、私は事務所に、向かっていきます。
一縷の望みを託して……。
「今日は風がこのようなので閉鎖です。今度来られる時はあらかじめ電話してきてください。無駄足にならなくて済みますから。」
丁寧に言われました。
なんでこうなのだろう。
居てもたってもいられず、浮き足立った軽率な行動が、この結果です。
風の吹き寄せる港で、漁船がゆらゆらと揺れるのを見ながら、一人、でかいおにぎりをほうばりました。
四 ポール・マッカートニーがふる旗
中国漁船がフィリピンの領海内で違法操業をし、比当局に拿捕されたというニュースがありました。
なんでも、フィリッピンの国旗を逆さまに掲揚していたというのです。
面白いニュースだなと記事に目を通していましたら、フィリピンでは、平時には青の部分が上になる掲揚方法で、赤の部分を上にして掲げる時は「戦時」である時だというからこれまた驚きです。
つまり、中国漁船は「戦時態勢」で、違法な漁をしていたということになります。
これでは怪しがられて当然です。
国旗といえば、我が国の国旗は「日章旗」です。
随分と昔の話ですが、銀座の数寄屋橋で、赤尾敏という人が話してたことを思い出します。
彼は街宣車の屋根に上がって、大きな「日章旗」を掲げて、通行人の私たちに向かって言うのです。
「君たちが無為無策で、ぼーっとしていると、日の丸の、この丸がどんどん大きくなって、日の丸が赤旗になっちゃうんだ。」と。
まあ、現在まで、「日章旗」はきちんとしているので安心ですが、この旗、結構、お隣の韓国や中国で燃やされている姿を目にします。きっと、それなりの理由があるとは思いますが、日本国民としては、あまり気持ちのいいものではありません。
日本では、何か、国際的な問題が発生した時、相手の国の旗を燃やしたり、踏んづけたりしたという話を聞きませんが、それは私の無知でしょうか。
私は、私学に勤めていましたので、節目の儀式には必ず「日章旗」を掲げていました。そして、旗に注目して、国歌を歌うことを常としていました。
しかし、公立では、いろいろなお考えの方がいるようで、「日章旗」に注目することはもちろん、起立さえしないという先生がいるということで問題にもなりました。
それに対して、首長が地方公務員として、規律違反であると責めたてていたことを思い出します。
果たして、思想信条を優先するのか、それとも、自分たちが所属する国家を意識するのかは、大いに議論すべき問題です。
私個人としては、「日章旗」に誇りを持っていますから、自宅でも祭日には掲揚しますし、オーストラリアやカナダの国旗もインテリア、あるいは壁の汚れ隠し(失礼!)として飾っています。まあ、さほどそこに思想信条は見出しません。でも、だからと言って、癪にさわる国の旗を燃やそうとも思いません。第一、そんなことをするのは礼儀に反します。
刑法92条に、「外国に対して侮辱を加える目的で、その国の国旗その他の国章を損壊し、除去し、又は汚損した者は、2年以下の懲役又は20万円以下の罰金に処する。」とありますが、法で規定されていようがなかろうが、他国の旗を侮辱する気にはなれません。
相手の国の旗を燃やしたからといって、問題が解決するとも思いませんから。
つまりは、そのようなことは、くだらない示威行為ででしかないのです。
私は、ポール・マッカートニーが東京ドームでコンサートをするとき、なんとかチケットを工面して、毎回、出かけています。
歌いっぱなしの2時間強が終わり、彼は舞台を降ります。
しかし、拍車は鳴り止みません。そして、彼は再度舞台に上がってきます。
そのとき、彼は大きな「日章旗」をはためかせて登場するのです。もちろん、彼の母国の旗ユニオンジャックもはためいています。
当然、フランスでのコンサートでは、トリコロール(三色旗)がはためきます。
これは、『感謝と敬意の証』として、彼が行うパフォーマンスだと私は思っています。
国旗は、「憎悪や嫌悪」の対象として踏みつけるのではなく、「敬意」の証と掲げるものなのです。そこから、新しい親密な関係が生まれてくるのです。
自国のであっても、相手国のであっても、国旗に敬意を表せないというのは悲しいことだと思います。
五 川を下る女たち
水を桶に入れて運ぶ台所に運ぶ、坂を登っては小さな段々畑を耕す、加えて、食事の準備から針仕事まで…
山に生まれ育った娘は、母のそんな姿を見て、過酷な村での生活をなんとかしないで済むようになりたいといつも思っていました。
一方で、働き者で、愚痴も言わず、懸命に家のことをしてくれる嫁が欲しい……
そう、街で商いをする男は思っていました。
両者の想いは見事に一致しました。
山の娘は川を下り、街に出ていくことになったのです。
早朝から、飯を炊き、店先を掃除し、家の中を掃き、子供達の世話を焼く。山の生活に比べれば、お茶の子さいさいでした。
さて、この話が、奥底に持っている意味はなんだろうと、私は考えるのです。
山の娘が、街に降りて行って、しなくてはいけない仕事は、山での力仕事に比べれば、多少は軽くなったでしょう。しかし、基本的にはそう大して変わるというものでのありません。
学校に勤めていた時、ある会合に出席し、他校の先生とこんな話をしたことがあります。
留学とか、卒業後の進路に海外の学校を選択する女子が多いのはなぜだろうか、という話です。確かに、私がいた学校も、女子の方がそれを選択するケースが圧倒的に多かったのです。
こんなデータがあります。
20年前、海外留学は男子が85%でした。ところが、今は女子が78%と逆転し、その率は、今後さらに伸びていくというものです。
海外で学ぶことの第一義は、英語の習得にあります。
英語が堪能であり、海外に「つて」を持つことが留学する学生の目標です。それができれば、日本の大企業に就職できる時代があったのです。
このことは明治以来、日本ではお定まりのルートです。
日露戦争の折、当時のアメリカ大統領セオドア・ルーズベルトがハーバード大学出身であったことから、同大学で学んだことがある金子堅太郎が派遣され、対米工作を優位に進め、講和条約に持ち込めたというのが良い例です。
しかし、これと同じことを女子が行うことを主眼としていると考えるのは間違いであると思います。もっと、女子は広い観点で物事を見ているに違いありません。
若いうちに(きっと結婚したら自分の時間のほとんどを家庭に捧げなくてはいけないから)、できる限りの事をしておきたいという思いもその一つだと思います。
また、概して、学業成績でも、コツコツと学び、上位に位置しています。勉強をよくするということは、世の中のことをより広く、深く知るということです。知れば、それを確認したくなるのが学問です。
きっと、その必然的な理屈が、女子の背中を押しているのだとも思います。
ですから、単に、憧れとか、見栄で海外に行くのではなく、人生を賭けて大冒険に出ていくという感じがしてならないのです。
そして、それを為す根拠が、私は「女たちは川を下る」という考察なのではないかと思うのです。
男と女を比べた時、圧倒的に「女は生活の場を移動することを苦にしない」ということに私は気づくのです。
男が草食化したのではなく、本来の、家を守り、家庭を養うということを大切にし始め、また、海外に出なくてもいいグローバルな社会構造が日本にもできつつあると男は考えていると思った方が適切であると思うのです。
本来は、男がやってきた冒険的で、スリリングな体験を、今は「女たちが川を下る」という意気込みで行っていると考えると辻褄が合うような気がするのです。
男は実際弱い存在です。
一旦、ことが崩れるとどうしたらよいかわからなくなります。絶望と将来への希望喪失で再起不能に近い状態となります。
しかし、女たちは強いものです。
危機に際して、悠長に構えていられます。それは、場所を変えればいいだけのことという割り切りがあるからなのです。
今後、世界は「女」の時代を迎えます。
今、世界は目に見えない形で変化をしているのです。
川を下った女たちの時代が来ているのです。
六 地がもつ「風」を受け止めて
天気が良い、そして、吹き付ける風の心地良い一日でした。
ロードバイクに乗って、その日は、筑波の山に吸い寄せられるように走り込んでいきました。
筑波山から南西方面、つまり、関東平野が広がる方角です。
そこには、桜川という優雅な名を持つ川が作った低地帯があります。現在そこには、見渡す限りの田んぼとなっています。
そして、桜川が作ったと思われる段丘があって、それが関東平野へと広がっていくのです。
私の家を始めとするつくばの街の住宅はその段丘の上にあります。
ということは、筑波の山の方へ行く時、私はこの段丘を、一気に走り降りる形になるのです。
百メートルくらいの距離をなだらかではありますが走り下っていくのです。
そこでは、ロードバイクのスピードは一気に上昇していきます。
バイクにつけているメーターは、時速35キロを超えます。これは怖いくらいのスピードです。道には田植えの際、持ち出された土塊が乾いて、ゴツゴツした状態でいっぱい残っています。
アスファルトも田んぼ道なので、でこぼこです。
ですから、ハンドルを過てば、転倒し怪我をすることは間違いありません。
しかし、田植えがされたばかりの水が張られた田園地帯を、風を切って走る気分は爽快そのものです。
今日の目的地は、筑波山の麓になります。
「平澤官衙」という古代遺跡のあるところです。
古代の高床式の建物が復元されて数棟建っています。
ここは常陸国筑波郡の郡衙の一つで、主として「正倉」と言われる穀物保管庫があった場所と言われています。つまり、税として収められた稲などを保管していたところなのです。
小高い丘の上にあって、この地の豊かな収穫を記録し、都に送り届ける役目を担った役所の後です。
その官衙のありようを見て、私はロードバイクに跨ったまま、ちょっと古代に思いを馳せてみました。
ここで、勤めをしていた古代の役人たちは、この山々に囲まれた小高い丘にあって、他の住民の多くが知らない文字を操り、そして、計算をしていたに違いない。
豊かな土地、穏やかな気候、食うに困らず、それゆえ、従順である人々にますます働いてもらって、少しでも多くの税を都に送ろうとしていたのだろうと。
そう思うのは、古代、国の下に位置する「郡」での業務は、土地の有力者が多く就いたと聞いているからです。有力者であれば、土地の産物をできるだけ多く上納したいという思いがあって当然です。
滋味豊かなこの土地では、そう思うことが自然なのではないかと、思ったのです。
筑波一帯は大きな災害も少なく、それゆえ、人間が凡庸だということを聞かされたことがあります。
凡庸か否かはさておいて、土地の持つ雰囲気というのは何百年、何千年と経っても変わらないものではないかなと思ったのです。
私のように東京から転居してきたものも、いつの間にか、地の人間らしくなります。
土地というのは、そこに生きるすべてのものを土地に合うようにしていくのではないかと。いや、反対に、生きとし生けるものが土地にあったあり方を目指すのかもしれません。
そんなことをしばし考え、私はロードバイクのペダルを再び踏みこみました。
今度は、100メートルの緩やかであるが、厄介な坂が待っている逆のルートです。
この歳になるとギアーを落としても、結構大変です。あいにくと、風も向かい風です。一苦労ですが、家に帰らなくてはなりません。
地の風を真正面から受けて、しゃかりきになってペダルを踏んでいったのです。
七 次の「瓦解の戦略」
1991年12月25日のことでした。
ソビエト連邦初代大統領ミハイル・ゴルバチョフ氏が辞任し、ソビエト連邦が解体しました。
ソビエト連邦は、戦後、アメリカと世界を二分し、軍事・経済・思想・宇宙と、各方面で競い合った超大国です。核兵器を所有し、強力な軍事力を保持したまま、その体制が崩壊するという、前代未聞の、それは政治変動だったのです。
ここに、世界初の社会主義国家は69年の歴史に幕を下ろしたのです。
実は、そこにはアメリカの「瓦解の戦略」なるものがあったことはあまり知られていません。
思い返せば、1941年12月7日(現地時間)、航空母艦6隻からなる日本海軍機動部隊の真珠湾攻撃において、アメリカはあえて日本軍に攻撃をさせたという説がまことしやかに流れています。
この無通告攻撃で、アメリカ国民の士気を上げさせ、日本敗北後の世界のリーダーになることを、アメリカは「戦略」として持っていたと言います。
つまり、アメリカの「瓦解の戦略」の一端だったのです。
アメリカは、ロシア帝国との戦争で勝利したばかりの明治日本を仮想敵国として、「War Plan Orange(オレンジ計画)」なる対日戦略を決定します。
そして、中部太平洋の島伝いに島嶼攻撃を行い、日本本土に近づくという、太平洋戦争で実際戦われた日米戦争そのままの作戦が、驚くべきことに、日露戦争後すぐに立案をされていたのです。
考えると、誠に恐ろしい<長期プラン>であると言えます。
アメリカという国は、何事にも「戦略」というものを重視します。
いろいろな国から移民してきて、生き馬の目を抜く社会で成功するためには、「戦略」とそれに導かれる「幸運」がなければ勝てないからです。
アメリカの国家としての、「戦略」とそれに導かれる「幸運」を企図しているのが、<国防総省ネットアセスメント室>です。
対日戦の時も、アメリカはいち早く敵国日本と戦うために、全米から日本研究者、日本語研究者を集め、敵国日本の情報を収集、検討を始めました。そのことはルース・ベネディクトが記した『菊と刀』という本に示されています。
一方の日本は、敵性外国語として英語教育を学校から除いていくのです。
「戦略」が持つ重要性への認識と、それを持たない国の違いを、私たち日本人は、嫌という程、あの時に学んだのです。
<国防総省ネットアセスメント室>で企図する「瓦解の戦略」の特色は、軍事だけで相手国との戦いを考えないということです。
国と国が争うという一点を、ともすると、軍事技術や軍需物資の多寡で判断しがちですが、最終的かつ完全なる勝利を導くには、相手国の民情、経済統計、人口動態等を加味して考察するというシステムがなければなりません。
例えば、対ソ連でのアセスメントでは、ソ連国内の経済状況を分析し、このままではソ連経済がたちかないと判断、アメリカ軍内部のソ連手強しという風潮を一蹴するとともに、さらなる軍拡競争を巻き起こし、ソ連に軍事費の増大を課し、国力を弱体化させる策を取るというのが、その「瓦解の戦略」でした。
そして、この戦略は的中したのです。
湾岸戦争の折の、米軍のパトリオットミサイル及びM1エイブラムスタンクの動きは、素人の我々にも凄まじい兵器であると思わせるものでした。
圧倒的な情報網と犠牲を最小限にする高価なミサイルと最新鋭戦車で、ソ連製武器で武装した敵の重要箇所を破壊していくのです。
ここにも、<アセスメント室>が企画した「瓦解の戦略」があったことがわかります。
犠牲を極限まで少なくすること、そして、敵には徹底的なダメージを与えることです。恐ろしい戦略です。これで、アメリカは世界の軍事面で、押しも押されぬ頂上に立ったのです。
そういう見方で、アメリカの「瓦解の戦略」を見ていきますと、今、注目すべきは、中国に対する「瓦解の戦略」です。
中国の南シナ海での強硬な姿勢、ついには、尖閣にまで中国海軍艦艇が出てきました。
これが、極めて重大事であることは、深夜2時に、外交慣例を破ってまでも、日本政府が中国大使を外務省に召喚した事でもわかると思います。
これら中国政府の一連の行動は、ちょうど、かつての日中戦争勃発時を想起させます。
こちらの苛立ちを引き出すために姑息な手を打ち、さらに、相手を苛立たせる声明を出します。
すると、苛立ちを増幅させた方は、怒りも露わに、先手を打ってきます。
先手を打たれると、これ見よがしに、国際社会に訴えます。
そういう戦術なのです。
今度は、このような姑息な手に乗らないために、また、中国海軍の軽率な行動に釘をさすために、現場での安直な対抗は控え、深夜2時にも関わらず、中国大使を召喚したのです。
このことは、中国政府に極めて効果的なシグナルを送るという点で、日本政府の「戦略勝ち」ということになりました。
中国の南シナ海での強引なやり方は、G7以外にも、周辺のおとなしい国々までもが眉をひそめるような事態に発展しました。
中国政府は、今、この想定外の出来事に内心焦っているはずです。
中国国内においては、民主化運動の弾圧と隠蔽に躍起になり、香港では自由思想への脅迫行為がなされ、台湾には脅しをかけています。加えて、宗教弾圧、少数民族への弾圧など、さらには、中南海における権力闘争の激化と火だるまに近い状況となっています。
間もなく、中国はことを起こすでしょう。
その時、アメリカの「瓦解の戦略」が、いかなるものとして出てくるか。
私は、極めて興味深く注視しているのです。
八 政治家の顔
朝、歯を磨き、顔を洗います。
その時、まじまじと自分の顔を見ることになります。
さっぱりとした顔をピタピタと叩いて、よしと気合を入れる時もあれば、疲れ切った自分の顔を見て、なんと醜いと思ったりもするのです。
つまり、私の顔は、その時の気の持ちようによって、はつらつとしたり、ぼんやりとしたりしているのです。
ニュースを見ていて、最も元気ある政治家の顔は誰かと問われれば、私は共産党の志位和夫さんをあげます。これまで、他の政党と違うことを売りにし、頑なに党利党略に固執していた党が、志位さんの方針で、今、転換を迎えています。
他党と協力して、場合によっては、共産党が折れてもいいという姿勢なのです。
ネクタイをつけて、スーツを着て、しゃっちょこばった顔から、アロハシャツを着て、気負うことのない親しみやすい顔になっていると感じるのです。
きっと、自民党に対抗する勢力としての自覚を胸に秘めているからなのでしょう。
今話題のアメリカ大統領候補ドナルド・トランプさんの顔は面白いと思います。
下唇を噛んだ表情、目の周りが白く、それがどこか尋常ではないと感じてしまうのです。
ですから、演説会での様子を見る限り、芯がないという感じ、浮ついているという気がして仕方がないのです。
それと、彼の手と指の動きがそれを象徴しています。
手や指も顔と同じで、その人の心を如実に反映するからです。
悪いことをした生徒が、嘘をつくとき、必ず瞳が左右に動き出します。そして、手や指を慌ただしく動貸します。心の良い部分が葛藤をしているです。
それと同じことをトランプさんの振る舞いから感じ取ってしまうのです。
最も、顔の様子が変わったのが中国の習近平さんです。
昨年の9月でしたか、北京で閲兵を行った時の顔、どことなく虚ろでした。激しい権力闘争を経て、中国共産党の最高位についたという自信さえ見て取れませんでした。さらに、11億の民を統べる国家主席としての風格さえ微塵も感じることがなかったのです。
日本の情報だけではいけないと、中国からの情報も探してみましたが、写真は嘘をつきません。当たり前ですが、同じ顔でした。
中国では、「大人」風が尊ばれます。
人前ではむやみに笑みを見せない。心で考えていることを相手に読み取られないようにするためです。かといって、仏頂面でもいけない。親しみを示すために口元には配慮しなくてはいけません。心をあからさまにするのではなく、多くの人々に好感度を上げるための配慮を口元で表明するのです。
それこそ、真の「大人」です。
その風が一切見えなく、おどおどしているではないですか。
毛沢東さんには、巨星といってもおかしくない、近寄りがたい偉大さが常に満ちていました。鄧小平さんには、親近感がありました。
習近平さんには、その二つともないのです。
ですから、何かをしでかすのではないかという不安をその顔からは感じてしまうのです。
5年ほど前のことですが、長崎から羽田までの飛行機に同僚とともに乗り込みました。
ちょうど、同じ式典に参列していた小沢一朗さんが、一人の秘書と出発間際に乗り込んできました。
その時、私はその政治家の顔と姿勢にひどく驚かされたのです。
彼の顔は柔和そのものです。政治の世界で見せるあの厳しい顔ではありません。私は「政治家の顔というのは、自ら作るものだな。」とその時思いました。
彼は、同僚と私に、丁寧に頭を下げ、挨拶をしてくれました。
さらに、驚いたのは、その姿勢です。私は彼の席の斜め後ろにいました。ですから、彼の横顔や姿がよく見えたのです。
羽田までのひととき、彼は背中を伸ばし、顔をまっすぐにしたままでいたのです。秘書も同じ姿勢をとっていました。
もちろん、リクライニングを倒すようなことはしません。
私は、感動に近いものを「小沢一郎という政治家」に見て取ったのです。
政治家というのは、いや、人の命を左右するかもしれない立場にある人というのはかくあるべしと思いました。もちろん、彼の政治主旨に賛同しての思いではありません。その人が持つ政治家としての心のあり方に感心したのです。
以来、私は飛行機に乗るとき、彼の行いをマネするようになりました。
ビジネスに乗ったときも、 LCCに乗った時も、リクライニングは倒さないようにしているのです。良いと思ったことは自らに取り入れることが大切です。
羽田までの機内、私の隣では、同僚が、リクライニングを思いきり倒し、足をだらしなく伸ばし、口を開けて寝ていました。
そうはなりたくない、それが、私にそうさせた一因でもあるかもしれませんが……。
九 火・木・土
NASAが公開する「地球の夜の光景」なるものを見ますと、日本列島や北米、そして、欧州や東南アジアなど、煌々と光が照り輝いています。
そこに暮らす人々の豊かさを感じないわけにはいきません。
ついこの間の新聞に載っていたのですが、この「夜の光」で、日本では人口の70%の人が天の川を見ることができないでいるというのです。
そして、豊かさの象徴と思っていた「光」が、「星空を鑑賞して思索する機会を奪う<光害>である」と、記事は警鐘を鳴らしていたのです。
確かにその通りだと、私も思います。
自然の豊かな「つくば」に暮らす私は、このところ、夜の晴れ間に、ニコンの双眼鏡を手にして、自慢の広いバルコニーに出ています。
我が家は南東に面しています。
夜8時頃ですと、ちょうど目の前に、土星が明るく光り、その左下には火星、そして、ずっと西よりにも明るい星が輝いています。それが木星です。
今、太陽系の三つの星が同時に見える良い機会なのです。
双眼鏡では、土星の輪も、木星の渦巻きも見えませんが、他の星々とは違う輝きを放つ惑星はよく見ることができます。
しかし、天の川を見ることはできません。
娘たちがまだ小さい頃、南オーストラリアのアデレイドという街に、友人を訪ねて、家族で、長期の旅行をしたことがあります。
そのおり、市の郊外、小高い山の中腹にあるサマータウンという街に暮らす友人宅に招待されました。そして、手作りのコーンビーフ料理をご馳走になりました。
美味しい料理をいただき、お暇をするとき、駐車場から見たあの光景を、私はいまだに忘れることができません。
それは天を覆う幾千幾万という星々の姿です。
おそらく、私が見た天の川では、最も素晴らしい光景であると思います。
雲のような光の束
天をまたがる光の流れ
明と暗が絶妙に交わる光の帯
人の存在がちっぽけに見える壮大な星の数
言葉を失わせるほどの色の数々
そんな光景なのです。
その光景は、思索をするには、あまりに圧倒的に、私に迫ってきました。
鑑賞するにも、天の川がもたらす驚きの方が勝っていました。
宇宙の神秘が、これほどまでに人の心を無にするものかと、驚愕した次第です。
以来、各地を訪れる機会を得ましたが、あの時のサマータウンで見た天の川に出会うことはありませんでした。今年もゴールドコーストに出かけましたが、そこは観光地ですから、人工の光に満ちて、つくばと同様、天の川の光は失われていました。
おそらく、21世紀の今、人が思索を試みる「天の川」を見るには、よほどの冒険をしていく場所か、あるいは、アフリカあたりにでも行くしかないのかと思います。
今夜も、ニコンの双眼鏡を手にして、自慢の広いバルコニーに出て、私は「火・木・土」の三つの惑星を見るだけです。
十「ひとつだけ」が持つ危険
つくばには、昔からの街並みと、私が暮らす新しい街並みの二つの街が道を隔て、あるいは田畑を隔てて並存しています。
神社仏閣は、もちろん、昔からの街並みの、鬱蒼とした森の中に鎮座しています。私は散歩の途次、神社にも、寺院にもつかつかと入って行って、お賽銭をあげてお参りをしています。
その散歩の途次、考えたことがあります。
それは、21世紀の今、戦いをしているのは、「ひとつだけ」を標榜する国ではないかということです。
どういうことかと言いますと、例えば、イスラム教です。
イスラム教徒は、唯一の神アラーを崇め、その厳格な教えを守ってくらしています。しかし、その厳格な教えをさらに一層過激に解釈する人々が、全世界をイスラムにせん、つまり、「ひとつだけ」にしようと暴走をしているのです。
それが、21世紀の世界に、幾多の暗い影を落としています。
また、キリスト教も、イエスを唯一の存在として信仰をしています。
そして、彼らも宗派での解釈の違いで争いをし続けてきました。
イギリスにおける、スコットランド独立問題、EUからの離脱の是非を問う事案は、一見宗教的な様相には関係ないようですが、根本には少なからずそれがあるように思います。
それはキリスト教内部の宗派の違いだけではなく、古代ケルトの宗教概念を含めての微妙な相違が、その根っこにあると思うからです。
ウクライナの問題も、ロシア海軍の伝統的な海軍基地があるということで発生している政治的な問題ではありますが、根本は、ウクライナ人とロシア人の民族の問題、習慣の問題、宗教の問題が、そこにあることは明らかです。
つまり、西欧においても、イスラムと同様「ひとつだけ」というくくりがあるのです。ですから、解決が容易ではないのです。
東南アジア諸国との会議で、自国の政策に対して同意を得られず、ついに共同記者会見を開くことができなかった中国。
これまで理解のあったヨーロッパ諸国も、その強硬な姿勢に対して、方針転換をしてきました。
苦境に立っても、「我」を通そうとする中国もまた、「共産主義」という「ひとつだけ」の国のジレンマの中にいます。
かつて、「一国二制度」という画期的な考えを示し、「大人」ぶりを見せた中国政府も、その言を自ら破ってしまったようです。
国務院直属の秘密警察が、香港の書店関係者を秘密裏に監禁するという事件の概要が明らかになりつつあります。
「ひとつだけ」の考えを国の根幹とする国家は、必然的に、その陥穽にはまっていくようです。
「ひとつだけ」を崇め、信奉し、そうして自らを規定することで、その上、自分たちの意見を通そうとするために、そこには必ずと言っていいほど、ぶつかり合いが発生してくるのです。
過去何度もなされた中東での戦争、米ソのつばぜり合いがきっかけで始まったアフガンでの戦争、同じ思想と体制を堅持する中国とベトナム、中国とソ連との戦争、すべて、この「ひとつだけ」という狭量の見解がなせることと考えたら、小気味好く納得がいきます。
かつて、日本も中国と、アメリカと、いや世界を相手に戦争をしました。
あの時の日本もまた、同じように、狭量なあり方を他に押し付けていこうとした部分が少なからずあったのです。
「ひとつだけ」を標榜するということは、壮大な理想を掲げることを意味します。
しかし、その理想は、自分たちにとっての「理想」であり、自分たち以外には「理想」でもなんでもないのです。そこをはき違えると、無理強いになり、時には、暴言、暴力、そして、武器を使った戦いにまでなってしまうのです。
それを、かつての日本も、今の中国も、世界の国々も、「ひとつだけ」の国は行っているのです。
戦後の日本、とりわけ、今の日本は、まとまりのない国だと有識者と言われる人たちから叱責を受けます。
若い連中は国を守る気概がないとか、年取った連中は若い者を戦争にかりだそうとしているとか、90まで生きて、まだ生きようとするのかと誰それが言ったとかでニュースになったり、あちらこちらで人々が、口角泡を飛ばして意見を開陳しています。
自由主義者がいて、共産主義者もいる。左翼もいて、右翼もいる。
クリスマスを祝い、かと思えば、神社にお参りをする。そして、死ねば寺で弔ってもらう。
暦は西暦を用いるけれど、旧暦も依然として生きている。
文字は、中国伝来の漢字をいまだに使い、国産のひらがなやカタカナも使い分ける。
伝統の技術をいまだに維持し、一方で最新技術を開発する。
「ひとつだけでない」日本は、一見まとまりのない国のように思えますが、その国は、あれから70有余年、他国と戦争をせずにいるのです。
だからと言って、この国を侵略しようとする国があったら、それは大間違いです。
この国は、喧々諤々、ああだこうだと言い合いながらも、結束するときは早いのも取り柄です。今の若い者も年取ったものも、家族と故郷を守る気概を表に見せていないだけです。
時代の変化、国の構造の変化の中で生き残るには、「ひとつだけでない」というのがキーワードなのです。
この日、私は、平安の頃からあったという鬱蒼と生い茂る八坂神社の杜を抜けて、狐さまのおられる稲荷さまをめぐり、最澄さんを祀る天台宗のお寺にも参拝をしてきました。
揚羽蝶が飛び交い、ウグイスの声が響く中、苔むした石碑を眺める平安なひと時でした。
了