傭兵王と猫鍋(4)
傭兵王は、元副団長と対峙する。
後ろにはフリッツと女史がいた。
傭兵王———アルブレヒトは、喜ぶ妻に優しく微笑む。
一方でツルカと呼ばれた灰色狼の獣人は、苦々しげな顔になった。
「恐ろしく早いご帰還でしたね」
「仲間がいたからな。あっという間に大人しくなってくれた」
東門近くを見ると、二千の傭兵はほぼ倒れ、騎士たちに捕まっていた。
その殆どを大人しくした男は、ズボンのポケットを探っている。
ポケットから取り出した、花柄の包装紙で包んだピーナッツヌガー。
お腹がすいたと言いながら、その包装を破ってぼりぼりと齧りだした。
ん?
あれ?
あれ、見たことあるなあ。
特にあの、包装紙の柄。
良いパラフィン紙がなくて、手作りのヌガーを包むのが大変だったんだよ。
うん。
あれは私が、職場でミミィと食べるために作って、台所の棚に置いておいたやつだ。
うん。
あいつ死ねばいいのに。
私の心の荒ぶりをよそに、獣人の二人は真剣な会話を続けていた。
「仲間……ですか。
素敵なお仲間をお持ちですね。
元傭兵団の我々は、仲間と思っていただけるのでしょうか」
「当たり前だろう」
皮肉を真正面から受け止めるアルブレヒト。
ツルカは一層腹立たし気に偽善者め、と舌打ちをした。
「俺はあなたが嫌いです」
ツルカの言葉を、アルブレヒトは静かに受け止めた。
「そうだろうな」
「あなたは勝手に俺を仲間に入れ、勝手に傭兵団を楽しい大所帯にして、勝手に魔族もどんどん仲間に入れて、毎日がにぎやかで。
俺は———あそこに居場所を見つけてしまった」
アルブレヒトは穏やかな顔をしたまま、何も言わない。
ツルカは続ける。
「手に入れてしまえば、手放せない。
元々ないものだと思っていた頃の自分とは、全てが変わってしまっている」
「そうだな。俺もそうだ」
アルブレヒトは、心配そうに自分を見つめる妻に優しく微笑んだ。
「あなたが貴族に叙せられたのも、結婚されたのも、俺は祝福できました。
しかし、あなたは傭兵団を解散してしまった。
突然突き放されたんです。
————その絶望が分かりますか?」
「……」
「だから、俺は改めて作ろうと思うのです」
……なんだろう。
戦争を、領地を略奪にいくと宣言しているのに。
彼の言葉がとても哀しい。
周囲が騒がしくなってきた。
フリッツが、口元にピーナッツのカスをつけたまま忠告する。
「申し訳ないが、すでに王都からマタイサへの続く街道は、中央騎士団が封鎖したそうだ」
「そうね。賢者が魔法で、彼らをなんとか連れてきたわ。
これで、近隣を攻めるの逃げるのも難しいわよ」
ツルカは歯を食いしばり、下を向いた。
「そうか……結局、誰も俺たち救いはくれないのだな」
遠くから、騎士団の騎馬の音が聞こえてくる。
アルブレヒトは彼を哀しそう見下ろす。
そして、侯爵に向かって言った。
「傭兵団の反逆未遂の責任は全て私のせいです。
どうか、侯爵家に累を及ぼさぬよう、離縁の手続きを」
「嫌です! お父様、ならば私を、侯爵家から勘当してください!」
リサ様が悲鳴を上げる。
すると。
借りパク勇者が、黒い腕カバー(ちゃんと自分のやつだ)で口を拭いながら、灰色狼ツルカの前に立った。
「居場所? 救い? さっぱり分からないな。
君、ツルカだっけ?
人が何かをしてくれる訳がないじゃないか」
フリッツさん!?
ぎょっと思わず彼を見る。
周囲も何を言い出すのだと、元勇者に注目した。
彼は真剣な眼差しで、孤独の灰色狼を見据える。
「俺は小さいころから、地方公務員になりたかった」
いきなりそれ!?
ツルカも目を丸くしている。
「地方公務員とは、この世で一番素晴らしい仕事だ。
まず法律で守られている。
雇用も守られている。
一定の給料も守られている。
嫉妬以外で、後ろ指も刺されない。
地味に平穏に生きたい人間にとって、
自分をとことん守ってくれる、最高の職場なんだ」
いきなり、自分語りに入った元勇者。
女史はあちゃーっと、アルブレヒトは「え? ここで言うのか?」という顔で見つめている。
「しかし自分の実力では、天下の地方公務員にはなれないと分かっていた。
だから、死ぬような努力が必要だったんだ」
体力は走り込みから始めて、八日間世界一周を目標に。
学力は公文から始めて、円周率の五万桁暗記を目標に。
サバイバル力は魚のさばき方から始めて、秘境でもナイフ一本で生きられることを目標に。
武力はこどもカラテ体験教室から始めて、リヴァイアサンの鱗も割れることを目標に。
「そしてようやく公務員試験を受けようと、町の試験会場に挑んだ。
だが、そこは国の陰謀がひしめく恐ろしい場所だった」
無事に試験に受かったはずだったのに、辞令は勇者。
しかも魔王を倒さないと実質給料0の、究極の仕事だった。
福利厚生もない。
危険手当もない。
保険もない。
ボーナスすら、ない。
「こんな使命、この世にあってはならない」
だが。と元勇者は、目を丸くしたままのツルカに続ける。
「国の陰謀により追い立てられた俺は、ようやくこの座を手に入れた。
十年……そう、十年も掛かったか。
この場所を、手に入れるのに。
もしまた国の陰謀によって、勇者業に弾き飛ばされても。
俺は何度でも、正社員を目指すね。
【安定した仕事で地味に稼いでのんびり生きる】
こそが、俺のやりたいことだから。
————君が本当の本当に、やりたいことはなんだ?」
ツルカがはっとする。
「好きなことを目指しなよ。
本当に、やってて嬉しいことをさ。
確かに誰も君に責任を取ってくれないけど、代わりにしつこく追及するやつもいない」
ツルカは茫然と勇者を見ている。
構わず彼は続けた。
「別に戦争そのものが、やりたいことじゃないんだろ?
やり慣れていることが戦闘だからってだけで。
コミュニケーションが苦手ならは、それにあった先を探せばいいだけさ。
なあ、アルブレヒト」
「フリッツ」
妻を抱きしめるアルブレヒトが、昔からの旧友を熱く見つめる。
「お前が言いたかったことって、これだろう?
【人間族と魔族が仲良く暮らす】がやりたかったんだろう?
たまたま結婚で領地の融通が利いたからやってみて、失敗した。
……それでいいじゃないか。
その次を、考えようよ」
ツルカは空を仰いだ。
私は動揺した。
借りパク勇者が、割と真面目に見えるのだ!
手元の震えで、土鍋の蓋が、がたがたと揺れている。
「みゃーん?」と心配そうな、ミミィの声が奥から聞こえる。
しかし、今は萌よりも驚きが勝った。
おかしい。
土鍋を強く握ったまま、目をぱちくりとしては、目の前の現実を確認する。
フリッツがへらりとこっちを見て手を振る。
違う!
あんたにウインクしたわけではない!
魔王の国、通称魔国に派遣されていた中央騎士団が到着した。
壮年の騎士団長が馬から降りる。
公爵の肩書も持っている騎士団長に、侯爵とアルブレヒトが頭を下げた。
騎士団にはなんと、魔王の国の大臣も同行していたのだ。
ほっそりとした肢体。
足元まで広がる、水色の美しい髪。
恐らくは女性で、全身に青く透明なヒレが垂れ下がっている。
魚人族だろうか。
お供らしき魔族も、何人かついて来ている。
フリッツが賢者と連絡を取り、わざわざ一緒に連れてくるようにお願いしたらしい。
おかげ王都は大騒ぎだ。
騎士団長がフリッツを見て、ため息をつく。
「おいルード。また面倒なことをやってくれたな。
言われたとおりに、向こうのお大臣様に来ていただいたのはいいが……。
———で、どうするんだ? この反乱未遂事件」
「え? 反乱未遂? 違いますよ。就職面接会です」
「「は?」」
しれっと言い換えた元勇者に、一同はあんぐりとした。
「早速ですけど、大きなテントを貸してください」