傭兵王と猫鍋(2)
威厳をたたえて立つ、黒豹の傭兵王に、フリッツは軽く片手をあげた。
「やあアルブレヒト。物騒だね」
「ああ、フリッツにエヴァンジェリンか。……俺を止めにきたのか?」
「止めにきたというか、まずは理由が知りたくてね」
「そうですわ。いきなりの王都包囲の報告には驚きましたわ」
昔の仲間を純粋に心配する会話に、傭兵王は目元を和らげた。
そして後ろで土鍋を持ち、熱い視線を己れ(のしっぽ)に送る私に気がついたようだ。
「彼女は?」
「俺にパンをごちそうしてくれるところだったんだ。でも緊急だったから、連れて来ちゃった」
「パン種は発酵が大切ですもの」
「いつ私が食べさせたいと言いました!?」
それ以前に、これはパンではない。
萌の象徴、ケット・シーだ。
「そうか、それは申し訳ないことをしたな」
「あっさり納得しないでください!」
あまりにも自然な対応をされ、思わず突っ込みを入れてしまった。
もしかしてこの男前、天然か?
私の突っ込みをスルーして、傭兵王はフリッツに笑う。
目尻に寄る皺が渋い。
そして、揺れる尻尾の毛並みが美しい。
「あれほど他人やものに執着のなかった、お前がな。とうとう年貢の納め時か」
「君もそう言うのか。エヴァにも所長にも指摘はされてはいるんだが、どうにも実感がなくてなあ」
「本当に悔しいですわ。旅の途中で出会ったあの子たちも、泣いて悔しがるでしょうね」
「式には呼べよ」
意味不明の会話を続ける元勇者ご一行。
疲れてきたから、そろそろ蓋を空けて癒されてもいいだろうか。
なんだか鍋が熱くなってきたし。
ミミィには本当に申し訳ない。
そもそも傭兵王ことアルブレヒトが、デモの中心人物となったのには理由がある。
傭兵団とは、そもそも村落や都市のあぶれ者が集まった軍団だ。
大昔は盗賊とほとんど変わらなかったらしい。
彼らの存在意義は、騎士団や徴兵の隊では足りないときに、金で雇う臨時戦力だ。
軍とはとかく、維持するのに金がかかる。
必要な時だけ契約して、戦闘終了の都度解雇できる彼らは、とにかく重宝された。
今までは魔族という固定化した敵がいた。
だから、巨大な傭兵団を率いることができた。
それゆえに終戦後は、大所帯を維持することが苦しくなる。
仕事がなくとも、人は毎日ただ過ごすだけでも金が掛かるのだ。
しかし情に厚いアルブレヒト兄貴が、みんなをクビにできるはずもない。
悩みに悩んでいたところに、王から救いの手が下りた。
大貴族との縁談が持ち上がったのだ。
マタイサ侯爵には、一人娘がいた。
跡継ぎの入り婿を探そうとしたが、親戚連中にはろくな奴がいない。
王に相談したところ、異種混合の大軍団を統率できるほどの男が、独身であると聞く。
マタイサ侯爵領は王都に近い、広い土地であった。
傭兵団全員を新しい住民として迎え入れられるほどの、豊かな土地も産業もあった。
しかも侯爵は、度量の深さでも有名だった。
獣人という、魔族と人間族の中間と言われ、身体的特徴から疎外されやすいものたちを色眼鏡で見ることはない。
アルブレヒトの男前に惚れ込んだ侯爵は、すぐに跡継ぎにと彼に娘との縁談を申し込む。
そして傭兵団の者たちは皆、マタイサ侯爵領で暮らすことになった。
一件落着かのように、見えた。
しかし、ここで問題が起こる。
王都に近いこの土地に住む住民は、何かにつけて王都意識が強かった。
自分たちは他の地方の連中とは違う。
より一歩、洗練された人間である。
より一歩、都会人である。
だって、王都は隣り。
王都の住民は、更に上から彼らをあざ笑う。
「王都の隣人」と。
傭兵団の連中は、食えなくなって集まった田舎者が多かった。
戦争続きで言動が粗野なものが多い上に、魔族を初め様々な種族がいる。
癖のある外見や言語が不自由なものもいるせいで、コミュニケーションも厳しかった。
しかも、戦争は終わったばかり。
誰も彼もが、みな気が立っていた。
結果して住民との摩擦は増え、相互不信を深めていった。
農民は畑の分配で揉め。
職工はそれぞれの技術で揉め。
商人は商習慣のあり方で揉めた。
そして。
騎士に取り立てられたものは、既存の騎士たちの嫉妬の集中砲火を受け。
マタイサ領で、とうとう悲劇が起きてしまった。
取り立てられた騎士の家族が、彼らに重傷を負わされる。
くすぶっていた火は、一気に燃え広がった。
各々が、自分たちには傭兵家業しかないのだと言いだした。
元団長が止めるのも聞かず、武器を持って王都に抗議に出立してしまう。
すると再就職先で似たような目に遭っていた、他の元傭兵団員たちも呼応する。
噂が噂を呼び、数多くの傭兵団や元傭兵団員達が、全国から寄り集まってきた。
過去最大に膨れ上がった、物騒なデモ隊は、王都に進軍しだしたのだ。
すぐに王都に連絡をしたアルブレヒトは、彼らを追って説得に当たる。
しかし血が頭にのぼった荒くれ者たちは、人間の貴族社会に所属してしまった昔の上司に、簡単に心を許すことはなかった。
デモ隊を引率する、かつての副団長であった、狼の獣人は冷たく切り捨てる。
彼は獣人の中でも魔族に分類される一族だった。
狼の頭を持ち、爪も獣人の中でもより鋭い。
「傭兵団は昔のやり方に戻ればいいんですよ」
重傷を負ったのは、彼の家族だったのだ。
そして彼は、誰よりも心に傷を負った。
「税金や依頼料によって運営するのではなく、昔ながらの現地調達に戻せばいいんです」
そうすれば、土地に縛られることもない。
所詮根無し草の我々が、戦いから離れ、単一種族の多い土地に拘るからこうなったのだ。
アルブレヒトは瞑目した。
それでは過去の努力が無駄になる。
負の連鎖繰り返していた傭兵団に自ら飛び込み、時間を掛けて仕組みから変えていったのは、何のためだったというのだ。
人間族も魔族もない、互いに支え合う集団にしたかったからではないのか。
彼らの深い傷に触れたアルブレヒトは、一計を案じる。
過去の栄光である【傭兵王】の尊称を生かし、逆にデモの代表者になったのだ。
「まずは上と話ができる、代表者が必要だ。
そして、何かが起きてしまったら……責任をとる者が必要になる」
彼は処刑を覚悟していた。
王都から王の使者がやってきた。
たまたま王宮で仕事をしていた、マタイサ侯爵だった。
義理息子とは対照的な、でっぷりとした大きなお腹と寂しくなった頭が印象的な中年男性である。
「お義父さん。このような事態になり、申し訳ございません」
「いや、わしも迂闊だったわ。王都暮らしが長かったから、自分の領地の住民の気質をすっかり忘れておった」
頭を下げるアルブレヒト。
険悪な空気を醸す傭兵と元傭兵たちを、困り顔で見回す侯爵。
ただでさえ少なくなった侯爵の髪が、すべて儚くなりそうだ。
「勇者殿に小賢者殿。折角来てくださったのにすまぬ」
侯爵がこちらに向けても謝る。
「困りましたわね。事情は理解できましたけど。
私たち人材斡旋所でも、これほどの大きな案件は初めてですわ」
「それに、今は彼らが自主的に斡旋所に来る、という状態でもなさそうだしね」
女史が侯爵を見て首を傾げる。
「そもそも騎士様方はどこにいらっしゃるの?
デモの監視や暴徒鎮圧なんて、本来は王都の騎士団の仕事でなくて?」
「申し訳ない。戦後の軍縮の一環で、騎士団の数を減らしているのだ。
中央騎士団は大臣とともに魔国との折衝に派遣されている。
しかも今は、近隣の重要な橋が落ちたという情報が入り、常駐兵は多くの人員を割いておる」
「なるほど。陽動を仕掛けられているのかもしれないな」
困ったと、フリッツとエヴァ女史が揃って悩む。
私も困る。
もう帰らせてくれ。
鍋を持った腕が疲れてきた。
いい加減ミミィも寝飽きただろうに。
手元の鍋を見下ろすが、なんとなく周囲の雰囲気で開けずらい。
アルブレヒトが真剣な表情で、侯爵に向き直した。
「つきましては、俺が彼らの行動の責任を取ります。どうかリラと離縁をさせてください。
これ以上お義父さん、いえ侯爵様に迷惑を掛ける訳にはいきませんから」
「そうか……。リラはお前に惚れている。それは分かっているな」
「ええ。俺みたいな男を愛してくれる、女神のような女です」
「ならば……」
「私は決して離縁なんていたしませんわ!」
突然うら若い女性が、飛び出してきた。
今まで全身を隠していた、銀色の鎧兜の兜を放り出す。
金色のさらさらな長い髪を振り乱して、アルブレヒトにすがりついた。
鎧同士がぶつかって、甲高い金属音が響く。
「リラ! お前どこに隠れていた!」
「お父様の移動に紛れてきたのよ! アルブレヒト様、どうか私を捨てないでくださいまし!」
「リラ」
「あなたがいなくなったら、私は誰をブラッシンクすればいいのです!」
ん?
「あなたの耳としっぽがモフれなくなったら、誰をモフれというのです!」
んん?
「……リラ。夫婦の会話は、人前ではちょっと恥ずかしいからその……」
「私の理想の男性であるあなたが死ぬというのなら、私も一緒に死にますわ!」
生温かい視線が集まる二人。
良い話だ。
どうやら、リラ嬢は私と同類のようだ。
そして、私の視線と同様に、手に持った鍋が温くなった。
ミミィもこの会話に感動しているのかもしれない。
そして。
とうとう一部のデモ隊が、暴徒と化した。
中心となったのは悪名高い、元エンヴィー傭兵団の連中だ。
やつらはアルブレヒトが統率していた集団の輪を壊し、王都の東門を破壊し始める。