<閑話>フリッツという友人について
「ちょっと待てよ! ドルテを連れていかれたら色々やばいだろうが!」
俺は牢屋の格子越しに、消えゆく猫又とドルテを見送るしかなかった。
ドラが「うなーお」と笑っている。
「おいドラ、何喜んでいるんだよ!
もしもこのままドルテが帰ってこなかったら、国がドルテを誘拐したってことになるだろう!?」
戦後ずっと穏やかだったフリッツがぶちきれるぞ!
俺の訴えを、ドラは嗤う。
召喚獣の契約をしたからだろうか。
なんとなく奴の考えが伝わってくる。
それこそが狙いよ。このタイミングがいいのだ。
サマランチ。そもそも我のこの世界での仕事を忘れていないか?
「はあ? 確か女を幸せにするってやつか。って、ぶちきれと女の幸せが繋がるんだよ」
どうせお前、今まで友人ばかりがモテていてムカついていただろう?
丁度良いから、そこから手をつけてみることにしたのだよ。
まあ見ているのだ。
そうドラは語り、目の前から消えていったのだ。
◇◇◇◇
俺はサマランチ。独身で嫁さん募集中の好男子だ。
その辺の書籍では「勇者一行」に名前が表記されるが、世間では「勇者一行の荷物持ち」と言われることの方が多い。
魔力は多いが異空間魔法に特化型だ。他の魔法は覚えられない。
戦争時には兵站の仕事が多かった。
勇者の一行に参加できたのも、最前線の戦死者が増え、勇者を支えられる人間が減ったから。
魔族との戦争は百年近くに及び、膨大な数の魔法使いが亡くなっていた。
だから異空間魔法特化とはいえ、穴埋めとして選ばれたわけだ。
あいつに初めて会った時の印象?
そうだな。
寂しそうなガキ、かな。
初めて合流した時、一行の雰囲気は殺伐としていた。
裏切った内通者を殺した後だったらしい。
あいつは淡々と自分の仕事をこなす。
彼に国から下される指示は「強い魔族の抹殺」。
実に分かりやすい仕事だよな。
とはいえ俺は最初は一方的な親近感を抱いていた。
あいつは俺と同じ孤児出身で、戦線にて勝ち星を挙げ続ける男だったからだ。
孤児の星というやつだな。
俺はあいつとは違う町の孤児院出身だ。
親の虐待で死にかけたところを、魔力の才能があるということで助けられた。
その後は魔力量の多さを認められて、公務員になる。
だが、魔法使いの世界も世知辛いもんでな。
様々な魔法を高度に駆使できる魔法使いは賢者と呼ばれる。
一方で特化型は。特に攻撃魔法や治療魔法ではない一芸魔法使いには、出世の道はほぼない。
戦後、倉庫番に任じられている俺の状況がいい例だ。
戦線で食料を運ぶだけで手いっぱいだった俺は、所詮自分の才能じゃここまでだよなと斜めに構えていた。
そこに、フリッツの登場だ。
保護者はおらず、魔力すらない。
そんな最悪の条件の同い年の少年が、国の期待の勇者に選ばれた。
こんな成り上がりな話に、心踊らない少年などいない。
特に才能の壁に苦しんでいたやつには爽快な話題だった。
彼による敵の撃破のニュースは国を沸かし、戦意高揚効果は抜群だった覚えがある。
だが実際に会ってみると。
無表情、無感動。ついでに下ネタも言わない。全然面白くない。
少しは自分を誇ればいいのに。
ある日、野外キャンプの川で顔を洗っていた同い年の少年に、俺は言った。
まだ線が細く繊細な美少年だったあいつは、無表情だとまるで人形のようだった。
「なあ、フリッツ。お前って本当~に、つまんないやつだよな」
「そうだね」
「そこで同意するなよ。……あのさ。マリエちゃんがお前のこと好きだって言ってたぞ」
「ああ彼女ね。今朝告白されたよ」
「おお、それで!? それでどうしたんだ」
「ありがとうって言ったな」
「……また、回答はそれだけか」
「嬉しかったよ」
「で、何も返さないと」
「彼女たちは多分、返さない俺に言っただけで、満足なんだと思うよ」
「いや、そんなことはないだろう!?」
フリッツは顔を拭った布をしまうと、川の水を覗く。
そこに映る顔に見ほれているという感じではない。
ただ、自分の造形を確認している。
「だって、俺は顔はいいし、勇者だし、取りあえず強いじゃないか」
「そこまではっきり言うか」
「彼女たちの顔にさ、『もしかしたらつき合えるかもしれない。つき合えたら嬉しい』という期待が見えるんだ」
「めちゃくちゃ羨ましいわ」
「でもさ、それだけなんだ。何か返してほしいと言われても困るんだよ。
だってつき合ったって、俺には何もないから。喜ばれるようなものをあげられない」
なんというか、本当にこいつは自分のスペックはよく理解しているくせに、自信がない。
頭は良いはずなんだが、どこかおかしい。
「いや、そんな深い問題じゃなくてさ。
俺たち男なんだぞ。可愛い子とほら、あれこれしてみたいとか思わないのか」
「されたけど別に……楽しいものでもないかな」
「何それ初耳なんだけど!? 誰だよ!?」
「半年前に泊まった宿屋の女将さん。色々教えてくれるって言うから」
「っかー! あの色気むんむんの熟女かよ! 羨ましい! 妬ましい!
俺にはスープを大盛りにしてくれただけだぞ!?」
「彼女は何も要求しなかったんだ。それは楽だった」
そして、川に小石を放り込む。
波紋で水面の顔が崩れた。
「ただ側に居てくれたんだ」
なんというかさあ。
周りの連中はフリッツを崇拝しているか、距離を取っているかのどっちかなんだよ。
職場の連中もどっちかというと、勇者様の幸せを祈っております~という感じで気持ちが悪いわ。知り合いに祈られて喜ぶバカがいるか。
あいつを好きだって言う女たちも、いまいち踏み込めていない。
いっそシャラポワ。あいつくらい剣を振り回して襲いかかる奴がもっといればなあ。俺は全力で拒否するが。
あいつは単に人寂しいガキで、情緒が育ってないだけなんだよ。
◇◇◇◇
そんなあいつにとうとう初恋が来た。
チサ・ドルテというタヌキ顔の、まあまあのスタイルの、まあまあ可愛い女の子だ。
Ⅲ種公務員で、ぎりぎり合格したと聞いている。妙な肝の太さがあるとも。
しかし意外にも彼女は召喚師の才能があった。
猫又はここでは強力な幻獣となる。
このモンスターは本来、猫が年を経て猫又に変化するものなので、子猫という姿に曰くがありそうだ。
彼女は俺のメダルでうっかり召喚したと言う。
だがメダルはきっかけだ。俺は彼女の魔力が引き寄せたと考えている。
ヴェータラー召喚事件の検証によると、彼女の魔力が誘因のきっかけだった。
恐らく彼女には、天才召喚師ネロ・パトラッシュとは、少し方向の違う才能がある。
大物しか召喚できないというたぐいの。
よくもこんな人物が埋もれていたものだ。
知られていたら年齢関係なく、即戦争の最前線に送られたな。
彼女の性格を一言で言い表すと、頑固一徹だ。
動物を異常なほど愛しているからというのもあるだろう。
人にも、人と動物との間にも。
ここまで、ここから、というものがはっきりしている。
フリッツは少々メンタルがアレな以外は、ムカつくぐらいにスペックが高い。
ムカつくが【男】としては、割といい線いっていると思うんだがなあ。
俺には負けるけどな! ああ、もちろん負け惜しみだ。
しかし、ドルテはあいつを頑なに拒否している。
ということはきっと……。
想像したら、あいつが気の毒になってきた。
国としてはドルテをあてがって、勇者に落ち着いてもらいたいと思っているんだろうけどな。
エヴァも諦めきれないとしながらも、結局「勇者のため」。
なんというかなあ、国も賢者も僧侶もエヴァもみんな。
「勇者のため」ってなんだよ。
あいつは「勇者」なんてモノじゃないぞ。
フリッツ・ルードというしょうもない男なんだよ。
しょうもないから、仕方なく俺が友達になってやってるんだよ。
ドルテはフリッツを振るだろうな。それはもう、思いっきり。
でもいいじゃないか。良い恋をして失恋するだけだろう?
人間として当たり前の生き方じゃないか。
振られろよフリッツ。その後はせいぜい、一緒に飲みに行ってやるからさ。
◇◇◇◇
案の定、十四時すぎてもドルテは待ち合わせに現れなかったようだ。
そして十四時半。
気になって動物園に行く。そこにはさわやかな白いズボンと青いシャツを着たフリッツ。
ニコニコとした笑顔に後ろめたさを感じる。
「やあサマランチ。どうしたんだい」
「あ、ああ。まあちょっとお前等の様子を見にな」
「やだなあ。チサはまだ来ないみたいだけど、今日はこれからだから」
「そうだな……」
痛い。なんだろう、心が痛い。
何も言うことが出来ず、園の前に立って彼につき合うことにした。
動物園は今、山猫グループの民営動物園として、黒字経営をしているそうだ。
一時期は食肉問題で話題になった動物園だ。
だが、カナイ村で子が産まれた特別なカウカウが全国の牧場へ譲渡されはじめ、世間は落ち着いている。
賢者が元勇者の活躍を隠蔽し、ただ特殊個体が生まれたとだけ国では伝えている。
もうこれ以上、フリッツの名前が売れるのは本人のために良くないと考えたようだ。
だったら、もっともっと早く。それこそ勇者と活動を始めたことからやってくれれば良かったのに。
……国の威信ね。なんだったんだろうな、あの戦争は。
俺はのんびりと空を見ていたフリッツに聞いた。
「なあ、ルード」
「なんだい」
「もしかして、今日ドルテに告白する気か?」
「おや、よく分かったね」
「いい度胸だよな。あれだけ嫌がられて」
フリッツは苦笑しながら、時計を見る。
「サマランチ。昔俺は女の子に対して、付き合っても何もあげられないって言ったよね」
「そうだな」
「反省したよ。付き合いが先にあるんじゃないんだ。まず何かあげたい気持ちがあるんだ」
「当たり前じゃないか」
「でも、そんなことすら俺は分からなかった」
「そうか」
ドルテに惹かれたおかげで、フリッツは毎日生きている顔になっている。
恋ってすごいよな。
俺は初恋でここまで影響を受けたことなんてない。一瞬で散ったからな。
だから……、とフリッツが続けようとした時。
「フリッツ!」と聞き知った声がした。アリーだ。
可愛らしいショートパンツが目にまぶしい、オレンジ髪の知り合いだ。
あいつはちょっと思い込みが強くて苦手なんだよな。
ドルテのことを勝手に妄想して悪く言い、女性全体にチサの心象を悪くしたらしいし。
アリーがフリッツの腕にしがみつく。
「アリー、どうしたんだい」
「チサはどうせ来ないんでしょう? なら私とデートしてよ」
「うん? なんでだい?」
フリッツの声のトーンが変わる。
あ、まずい。俺は口の軽いアリーを止めようとする。
だがドルテを牢屋に放り込んだ国自身が、必死に捜索していることを知らない能天気なアリーの言葉で、事態は一気に悪化する。
「チサは王族への害を及ぼしたから、牢屋行きだもん。どうせ出てこれないよ」
だから今日は私と一緒に……とは、アリーは続けられなかった。
びくり、と震えて抱きしめていた腕を開放する。
「へえ。そうなんだ。国はそうやっちゃうんだ」
フリッツはとても穏やかな笑みを湛えていた。いい天気だねと、笑いながら。
だが俺らは知っている。
あの笑みは無表情の時よりも一つ進んだ、戦闘態勢に入ったという証だ。
◇◇◇◇
次にあいつがやった行動?
そんなの想像の通りだよ。
あいつはのんびり歩き出して、女史のところに行ったよ。
そして怯える女史に、にっこりと笑って王都まで移動させた。
こんな時になんで賢者がいないのかな!
確か猫不明事件とケット・シーの国の調査で、派遣されているとは聞いていたが。
そして牢屋のある騎士団本部を潰したんだ。本当にすさまじかった。
王族が居住している一角は慌てて異空間に入れたが、残りはきれいさっぱり更地にされた。
そして地下の牢屋を、枠ごと掘り返したんだ。
え、牢屋を破ったではなく掘り返した?
間違えじゃないぞ。言葉通りだよ。
枠ごと地上に出された犯罪者たちはそれはもうビビッて、二度と国と勇者には逆らいませんと誓っていたね。あれは怖い。
「チサがいないじゃないか」
「ケット・シーの世界に逃げたんだが……」
騎士団長が慌てて説明する。
「チサ・ドルテは本当に逃亡したんだ! 信じてくれ」
「それは信じてもいいのかな? ちょっと俺は、人を信用するのが苦手なんだ」
にっこりと笑うフリッツ。だめだ、全く信用していない。
近くの宿舎の壁にも手をやる。
近所の住民も避難を始めた。
あ、あれはこの辺の孤児院の連中だ。あの初老の男が引率かな?
そういや、孤児院って王立経営だよな。
院長職は弱小貴族の既得権益で、持ち回りでやることが多いって聞くな。
王都の孤児院なら出世頭か。
なぜかフリッツの姿を認めて、懸命に祈っている。
怒りが収まりますように? こちらに被害が来ませんように?
胸糞悪いな。
もしかしてフリッツの出身の孤児院の院長だったやつか?
俺のとこの院長もろくでもなかったが、やつはそれ以上だな。
今に見てろよ。
「また家がなくなったではないか」
近くでニルト王子が、王立郵政の制服を着て腕を組んでいた。
後ろでメガネちゃんが警護している。
国でも有名なニートだった王子だが、エロに特化することにより、仕事を覚えるようになったと聞いている。元々の図太い性格も込みで評価すれば、一番次代の王に近い。
最有力候補だった第二王女がボロボロだからな。
後ろで「なんで!」と叫ぶ第二王女がいた。
庶民と触れ合うようになって性格が丸くなったと評判の王妃と、あまり存在感がない第一王女になだめられている。
「なんでそこまでチサ・ドルテが大切なのです!?
私はこんなにも貴方を愛しているではないですか!
どうせあの方は欠片も貴方を大切にする気はないのでしょう!
なら、私に振り向いてくれてもいいではないですか!」
フリッツは王女を見ない。
そのまま宿舎の壁を一気に破壊した。
彼女の存在など、空気にしか感じていない。
あれはもう、ダメだな。完全に怒っている。
「強い魔族を殺す」以外で殺人は犯さないが、周辺に隠されているかもしれないドルテを探すために奴は周囲を破壊を続けるだろう。
泣き崩れる第二王女に、ニルト王子が言った。
「シリカ。お前の恋は終わったのだ。
現実を認めろ。私が外の世界を認めなかったことと同じになるぞ」
「お兄様はいいわよね! 本さえあれば幸せなんだから! 私はあの人しか欲しくないのよ!」
「じゃあこの機会にもっとよく奴を見ろ。
あれの近くにいるだけで、お前が幸せになれるのか。よく考えるのだ」
ニルト王子は成長したなあ。
前から、割と鋭いことは言い当てるタイプだったけど。
ジョブ・ホッパーとの配達競争や共同作業も、彼を育てているようだ。
多くの騎士たちに守られている王が、息子の成長に涙ぐんでいた。
いやあんた。その前に娘止めろよ。
猫によって縁づいたという、使えない婿養子王を、呆れた視線で眺めてしまう。
かくいう俺も、なんとかあいつを落とし穴に落とそうとしているのだけど。
本当~に、戦闘向けじゃないよなこの魔法。
ことごとく交わされてしまっている。
そこに、話を面倒にする男が、宿舎の向こうから現れた。
鎧姿の花屋の魔族だ。
「ルードを止めるように国に言われてきたんですが。あれを止めればいいんですか」
デュラハンのエス・ギプト・カイネミアがふらりと現れた。
あれはまずいぞ。「強い魔族」だ。
「ああ、頼む!」
騎士団のおっさん!
その方法は間違えてるぞ!
あいつは今、ただただキレている。
戦争時と同様、オートモードに入ったあいつが行うのは、破壊と「強い魔族」の抹殺。
案の定、フリッツはカイネミアを敵と認めて襲い掛かってきた。
鎧が壁に叩きつけられ、騎士団宿舎が半壊する。
両手同士で組み合い、両者は均衡を保つ。
「ルードさん、亡くなったものは帰らないのです。諦めましょう」
「いや、ドルテ死んでないから!」
俺の突っ込みは果たして届いたのだろうか。
フリッツは両腕に力を入れて、自分と同じ大きさのデュラハンを押し込める。
とんでもない怪力だ。
そしてカイネミアは剣の達人。格闘は不利だ。
そこに救いの声が届く。
「きゃああああ!」
強制転移魔法でケルベロスたちと放り込まれたドルテがやってきた。
「なんなんですかー!」
「……チサ!?」
あいつが振り向くとドルテがいててと立ち上がったところだった。
ワンピースは昨日と同じ。泥だらけの草まみれになっている。
そして赤い血がべっとりと、彼女の前身を汚していた。
プチンと、あいつの血管が切れた音が聞こえてしまった。
聞きたくなんてなかった。