ケット・シーと自由猫(5)
カラバの案内で、城の近くの大きな店舗に連れてこられた。
そしてたくさんのかまどがある店内で、改めて猫用チーズケーキを焼かされることになった。
クリームチーズたっぷりのケーキが焼けるいい香りが町中に流れる。
そして王城にも飛んでいった。
【カラバ王主催・チサ姫によるチーズケーキパフォーマンス】
と銘を打たれた看板が立てられる。
どこかで見たようなシチュエーションだ。
次々に集まる猫に、出来上がったチーズケーキが配られた。
大喜びで大きな葉っぱに乗せられたチーズケーキを食べる猫たち。
猫全般用に作ってあるので、豹やライオンたちも大喜びだ。
チーズの力はすごい。母親のお乳を思い出すのだろうか。
老猫騎士が宣言する。
『これはカラバ王が、王になって一周年のお祝いを兼ねたチーズケーキである!
世間では【自由主義カリカリ】というものがはびこっているが、みな騙されてはいけない!
こうして他種族と交流することこそが、おいしいご飯が手に入るのだ!
フリーマンの宣言するものは、自由主義ではなく孤立主義である!
生肉や生魚だけがごちそうにあらず!
皆で積極的に人と交流し、おいしいご飯を食べるのだ!』
チーズケーキに夢中であまり宣言を聞いていない国民。
カラバが交代した。
なぜか巨大なメガホンが用意されている。
『お城の皆さんも食べに来てください。もちろん、新しく来た猫さんも歓迎します。
皆チサ姫のチーズケーキを味わい、もう一度、共に人間と暮らす楽しさを思い出しましょう』
しばらく何も変化のない城だった。
だが猫騎士たちよって、大きな団扇でチーズの香りを送り込まれる。
すると、城門から一匹、また一匹とふらふら出てくる。
ぞろぞろやってくる猫たちの行列。チーズケーキを描いた白旗を持っている猫もいた。
猫分が多い獣人もいた。
そして行列の先頭に、門番猫がいたのには笑えた。
結局「自由」だの「王」なんだのにこだわるのは、頭が良い連中だけの話で。
庶民猫にとっては思想などどうでもいいのだ。
おいしいご飯を楽しく食べる。
食べたい時に食べる。眠りたい時に寝て、遊びたい時に遊ぶ。
そして好きな人や猫と一緒にいる。
そもそも猫とは自由なのだ。
好きなことを好きにしているだけなのだ。
「みぃ!」
だから僕は一緒にいるの! と言ってくれる。
どんどん集まる猫、必死に焼く私とシャラポワ。一部はフライパンも使って作業する。
一部の子猫たちが私たちに絡みつき、作業を妨害される。たまらん。
道端でリンタローが、チーズケーキに食らいついているところを発見された。
リンクスに首根っこを噛みつかれ、怒られ、仲直りする。
自分ばっかり苦労するという不満をリンクスは聞き入れ、平等に接することを約束していた。
チーズケーキを食べた家猫たちは、家庭の愛情ご飯を思い出し、それぞれ家に帰り始める。
ノラも思ったよりもケット・シーの国の暮らしに馴染んでいなかったようだ。
そりゃあそうだ。
いくら天敵のいない世界とはいえ、彼らは元々の縄張りがある。
敵はいなくとも、縄張りを取り合う猫がたくさんいる国は、窮屈に違いない。
カラバはうんうんとうなずいている。
『これで国民の心は完全に私たちに流れました。今こそ城に突入しましょう』
カラバさん。でもこれって、ワイロって言いませんか?
国民に対するワイロ。
自由主義カリカリと全く変わらないのでは。
流石に王になれるだけあって、カラバは政治家だった。
ふにゃー!! と城から悲鳴のような猫の鳴き声がする。
『ふざけるなカラバ! こんな汚い手を使うとは許さんぞ!』
「うなー」
城の上から灰色猫と赤の猫が飛び降りてきた。
地面に軽やかに下りる二匹。
「ドラ、あんた覚悟していなさいよ!」
「なー」
私の罵声に素知らぬ顔をするドラ。
『おのれカラバ! 人間などと図るは……!』
もう一匹のスリムな灰色猫が近づいてくる。
ブルーかかった灰色の毛皮。金色の目。
頭には白抜きでAと書かれた黒いベレー帽。
二本足で歩いているが、分かる。あれは……。
「ラブリーちゃん……」
胸元から出した「うちのケット・シー知りませんか」。
そこに書かれていた猫だった。
絵を覗き込んだシャラポワがびっくりする。
「ラブリー? 自由主義の運動猫がラブリー? すごいネーミングだね」
『その名を呼ぶな!』
「うな」
一時でも飼われていたお前の傷だなと、ドラがせせら笑う。
『うるさいうるさい! 人間など猫には不要!
たまたま気を失っていたところを拾われてしまったにすぎん!』
「でもリラ様が貴方を探しているんですよ! あなたがいなくて悲しくて泣いているんです! 戻ってあげてください!」
『知るか! 人間にとって猫など可愛がる玩具にしか思っていない!
所詮消費されるモノでしかない!』
私にチラシを見せられて動揺するフリーマン。
必死に否定するために鳴いていた。
横でドラは嗤う。
これほど自由とは縁が遠く、人を信じたかった猫もいないからのと。
フリーマンの過去が垣間見えた。
「いいえ! リラ様にとっては貴方は子供も同然なんです!
先住猫のアルブレヒトさんも反省しています! ちゃんと家族として扱うと約束してくださいました!」
『信じられるか! 人間は自分の都合しか考えていない!』
どうせ飽きたら捨てちゃうんだろう!?
彼の心の声が聞こえる。
捨てられた子供の悲鳴が、私の心に届く。
あと一歩、彼の心のそばに行きたい。だが、それはきっとリラ様の役割だ。
私は考える。
「帰る帰らないはともかく、まずはチーズケーキです。
所詮人間の作ったものではありますが、カリカリばかりでは飽きたのではないですか?」
シャラポワからそっと、大きな葉に乗せられたチーズケーキを渡される。
老猫騎士に手渡しをお願いする。
フリーマンは、ふんこんなものと言いながら一口食べる。
だがその瞬間。雷に当たったかのように硬直した。
ゆっくり噛みしめて、味わいなおす。
ぼそりとつぶやいた。
『リラのご飯に似ている……』
ゆっくり、ゆっくりと食べ続ける灰色の猫。
誰も彼に声を掛けない。
食べ終わった後に、改めて彼に向き合った。
「猫は自由です。別に人を信じなくてもいいんです。マイペースでいいんです。
ただ、ちょっと寂しいときは、堂々と寂しいと鳴いてください」
寂しくてもいい。悲しくてもいい。
でも、それを我慢されることが、何よりも辛い。
「リラ様は何よりも、貴方が寂しいと鳴いてくれないことが、辛かったんです」
『……』
『少し、話をしようかフリーマン』
カラバがフリーマンに話し合いを提案する。
灰色猫は、私をちらりと見て、頷いた。
自由猫騒動に終わりが見えてきたところで、シャラポワが腰の時計を確認する。
「チサ。そういえばフリッツとデートじゃなかったのかい。
もう十四時は過ぎてるよ」
「ちゃんと中止になっていればいいんですが……」
「いや、そうはいかないだろう。誤魔化せても十五時までだ。それでも行ったほうが良い」
「でも、ミミィに無理はさせられませんし」
ミミィはまだ完全に魔力が戻っていない。
私の移譲が下手なせいだ。もう無理はさせたくない。
首を振る私に、シャラポワがため息をつく。
「散々あんたを苦しめた女の一人がいうことじゃないかもしれないけどね。
振るなら振る。付き合うなら付き合う。はっきりさせてあげてくれないか。
フリッツの幸せを思ってくれるなら」
……その言葉は何度も聞いた。
彼のためを思うなら、できれば付き合ってやってとも。
賢者にも、女史にも、レムにも、職場の仲間にも。祖母や村の人にも。
この国を掛けて用意された恋愛劇を。
みな裏方で準備しながらも、舞台裏でハラハラしているのを感じる。
だから私は、自分の考えをはっきりと言う。
「シャラポワさん。たぶん皆さんその辺を間違っているのではないでしょうか。
どんなに周りが、人を幸せにして「やろう」と思っても無駄ですよ。
本人を幸せにできるのは本人だけです。幸福かどうかなんて、本人にしか分かりません。
人が評価できるものではないんです。
だから彼は彼なりに頑張るでしょうし、私は私なりに頑張るだけです」
シャラポワは呆けた顔をする。
そんな回答がくるとは思わなかったのだろう。
理解はされないかもしれない。
だがこれが私の考える、幸せの在り方なのだ。
そうはいっても、サマランチがちゃんとデートが国の都合で中止になったと、フリッツに伝えているのかは不安だった。
流石に無断でデートを破棄するのはだめだ。
どうしようかと悩んでいると、遠くから聞きなれた声が飛んでくる。
「チサさーん! 迎えに来ましたー!」
ネロ少年とケルベロスだ!
ケルベロスに騎乗したネロ少年が、知らないケット・シーと共にやってきたのだ。
『『犬だー!!!』』
ケット・シーや猫たちがちりぢりに逃げだした。
私の前に巨体のケルベロスが止まる。
ネロ少年が真っ黒いケット・シーを胸に抱いて下りてきた。
「再召喚させていただいた、前ケット・シー・キングのベレトさんです。
国から緊急でチサさんを探せと依頼されまして、この国に繋がせていただきました」
『全く! 久々に何か用かと思ったら女探しとな! 私は理想のメスケット・シーを探す旅で忙しいのだ! 人間の女など話にならぬ!』
「……すみません、彼は短気なんです」
プンプン怒るケット・シーの頭上で、ケルベロスがそれぞれに口を開く。
「チサ、勇者は寂しい犬なのだ。とりあえず待たせたままではいけない」
「せっかく懐いてるのだから飼ってやればいいものを」
「というか、しつけをしてやれ」
「……すみません。商品の荷運び中に国に召集されたもので、彼らも機嫌が悪いんです」
「それは仕方ないよね……」
とりあえずケルベロスに乗って、動物園に向かうことになった。
リンクス、シャラポワは、フリーマンの騒ぎとチーズケーキの追加要求に答えるために現地に残る。
私が帰ると聞いた様々な猫たちが集まってきた。
「チサ姫、行っちゃうの?」
「ごめんね、また来るからね」
『チサ、行かないで』
「今日は行かなきゃいけないだ。ごめんね」
『チサ姫が女王様になってくれればいいんだよ。そして毎日チーズケーキ焼いてよ』
「それはお断りかな」
「チサ大好き。ずっといて」
「ご、ごめんね。嬉しいよ、また来るから」
白・茶・黒・三毛・トラ・キジトラ・灰・縞・赤・まだら。
山のような猫が私にまとわりついた。虎や豹やライオンも懐いてくれる。
ミミィが「ちょっと! チサは僕のだよ!」と怒るが、彼らは構わない。
全身にふわふわもふもふな猫たちがしがみつく。
しっぽが、耳が、肉球の感触が全身に……!
心臓と脳みそ、全身が沸騰していくのが分かる。
そして。
一瞬で世界が赤く染まった。
「みー!!!」
『チサ姫!?』
「あんた、すごい鼻血だよ!」
「チサさん服が真っ赤ですよ!?」
「チサは萌死んだか」「流石だな」「ぶれない人間だ」
頭がガンガンする。
目の奥がチカチカして鮮烈に見える青空に、私は思った。
「いい人生でした……」
「みー!!!」
「「チサ(さん)ー!!」」
私の幸せな(周りからみたら悲惨な)現状に、老猫騎士は立ち上がった。
国民にお願いをする。
『皆さん、甘えるのはいつでもできます。
だから全猫よ団結してください! 今はチサ姫を無事に勇者の元に送ってあげましょう!』
「「「にゃー」」」
紺碧の鮮やかな空に、たくさんの猫の鳴き声が響く。
ケルベロスに乗せられながら、私は人生の最後のファンファーレを聞いている気持ちだった。
そうして、ケルベロスの脚力と、ベレトの協力により。
あっという間に国に着いた。
時間は十五時。
とにかくこの悲惨な服を着替えたい。シャワーも浴びたいし。
そのつもりでアパートの前に下してもらうと、女史が階段下で待ち構えていた。
真っ青な顔をして、いつもはきれいにまとめてある髪も、あちこちはみ出ている。
「チサ・ドルテ! 早く私と同行してくださる!?」
「え、でも私この恰好」
「いいから!」
突如足元に魔法陣が輝く。
ケルベロスごと瞬間移動だ。
またこの展開ですか!
そして一瞬で移された場所は動物園ではなく、騎士団本部……だったはずの空き地。
跡形もなくなくなっていた。
地下にあった牢屋もみな抉りだされている。
ボコボコになった地面の真ん中で、カイネさんと組み合う人物。
白いズボンと青いシャツの、フリッツ・ルードがそこにいた。




