ケット・シーと自由猫(4)
私がハンカチを口に当てていると、カラバは信頼がおける猫たちの場所へ案内してくれた。
林の中に入っていくと、そこは木と白石の家ではなく、巨大な段ボールの家。
『特注の離宮です』とカラバは言うが、どうみても巨大な段ボールにしか見えない。
窓枠の下には、ツガルリンゴの商標印刷の消し忘れがあった。
しかし、ミミィとリンクスの目が輝いている。そうだろうそうだろうとカラバがうなずく。
いまいちその辺のツボが分からない私とシャラポワ。
中からケット・シーの声が聞こえてくる。
『カラバ様!』
『王様!』
『人間!?』
『よくぞ御無事で!』
わらわらと集まるケット・シーに、カラバが後ろの人間は害がないと説明する。
すると二本足歩行のケット・シーたちは、集まって整列し始めた。
黒いブーツを履いた猫、ベレー帽をかぶった猫、腰のサーベルを引きずった猫。勲章をネックレスにした猫もいる。
総勢数十匹。ケット・シー王国の猫騎士らしいが、なんという壮観な光景……。
「おいチサ。目を覚ませ」
「は」
ずっと呆れているシャラポワに頭を叩かれ、目が覚める。
カラバが嬉しそうに猫騎士たちに語った。
『皆さん。よくぞこの場を守ってくれました。
後ろにいるのは人間ですが、我々の会話が分かるチサ姫です。今後人との通訳が必要な時のために来てもらいました。
隣にいる巨人はチサ姫の人間の護衛です。よじ登りたい子はちゃんとおねだりをしましょう。
そしてチサ姫の真の騎士でおられるミミィ殿と、協力者のリンクス殿です』
『は!』
「み!」
「にゃ!」
猫騎士たちは敬礼をする。
これはやばい。先ほどから興奮しすぎて心臓の調子もやばい。
「ちょっなんだこいつら」と、シャラポワはちっちゃいケットシーたちによじ登られて大変そうだが、それどころではない。
『では状況をお教えください』
『は! 元々フリーマンの勢力は多くありませんでしたが、謎の赤い猫により、新しい猫が次々のこの国に連れられています』
『王城は新猫が増えすぎて、猫大臣たちの自室にまで侵入!
新猫と先住猫の間で互いにマーキングをし直すので、王城はとても臭いことになっております!』
急激な多頭飼いの弊害だ。
『事態はとても深刻になっていますね……』
『はい! さらに赤い猫は、食料品を持ってきておりました。
【自由主義カリカリ】と銘打った商品をばらまき、自由と謳えばカリカリがもらえると、純粋な子猫たちにもみーみー謳わせております!』
『なんと子猫まで買収するとは!』
「み!」「にゃ!」
三匹の子猫に登頂されてしまい、身動きが取れないシャラポワが、私の腕をつつく。
「おいチサ。一体何に対してにゃーにゃー討論しているんだこいつら」
「『自由と謳えばカリカリもらえる』と子猫が洗脳されているそうです。早く元凶に対応しないと」
「なんだそりゃ! フリーマンとドラとやらは許せねえな」
すっかり子猫に洗脳されたシャラポワが、憤慨する。
彼女は肩乗り子猫たちにほっぺたスリスリされ、愛猫派になったようだ。
腕の中の一匹が、ゴロゴロと鳴いている。
やはり、猫は平和の象徴だ。
彼らに萌えれば心は一つ。可愛いの前に戦いなんて無意味なのだ。
彼女の眉間の皺はすっかりなくなっている。
「カリカリとやらはないけどよ。こっちは携帯食があるぜ」
シャラポワがごそごそと取り出したのは、お湯で戻すタイプの携帯食だ。
三分で出来上がるのが魅力だが、まずはお湯が必要だ。
「台所があればいいんですけどね……」
『チサ姫、ありますよ。案内しましょう』
カラバが元気に提案する。そのお腹からはいい音がした。
そろそろお昼か。
この国の建造物は元々ケット・シーが作ったものではないらしい。
古代の民が作り上げ、なんらかの理由で放棄した巨大な町に、ケット・シーたちが集まって建国したとか。
ダンボール離宮の近くの石造りの建物。その中には殆ど使われていない台所があった。
確認すると十分に使える。保存魔法でも聞かせているのだろうか。
聞くと、化けオオヤマネコの中には人化できる猫もいて、漁や建物のメンテナンスなどを行うそうだ。
外部の協力者はごくまれに呼び、生活の循環を保っているのだとか。
とりあえず手元にある食材で簡単なご飯を作る。
その間にミミィやリンクスは、カラバたちと城潜入の作戦を相談しあっている。
野戦の食事に慣れているシャラポワも手伝ってくれた。
作業をしながら、私に声を掛けてきた。
「チサ、悪かったな。いきなり殺しにかかって」
「……私は戦場を知りませんけど、流石にあれはまずいと思います」
「悪かった! なんだろうな……アリーにあれこれ【悪女】について聞いているうちに、頭がすっかりカーっとしちまってよう。あたしは自分がひどい短絡的だと自覚があるんだが、我ながらひどかった」
「もういいですよ。でもフリッツさんを好きな方って、みんなそういう感じなんですか?」
「うーん、そうでもないかもな。
結局フリッツに振り向いてもらえない……想いは返されないと、半分あきらめていたのが大部分だ。
小賢者はひたすら見守る姿勢に変えたし、キルオブザデッドもダンジョンで妄想小説を書くことにふけっている。聖女は祈り続けることで忘れようとしている」
あの人は空っぽの空洞だ。
だから私たちの想いはあの黒い瞳に吸い込まれるだけで、何も返してもらえない。
「ただ、勇者が色々なものを返し始めたと聞いて、再び希望を抱いてしまったんだろうな」
でも結果が菓子折り。
「自分たちの想いはこれくらいしか評価されていなかったのかと、改めて突きつけられてショックだったってことかな。少なくともあたしはそうだった」
火をかけて米を炊いている横で、魚の身をほぐす。
おやつ用のチーズケーキもいい匂いがしてきた。
近くで様子を見ていた三毛猫の猫騎士の鼻と耳が、ぴくぴくしている。
「……なんでしょうね。皆さんはフリッツさんと距離を置きすぎな気がします。
崇拝というか、腫れ物というか……。
もっと普段から交流していれば、こんなに煮詰まることもないとないのではないでしょうか。
————はっきり言いますけど、怒らないでくださいね。
あの人はまだ成長しきれていない、ただのダメ男だと思います」
シャラポワは、怒らなかった。
ただ、普通に育った感覚ってそういうもんなのかなあと、肉をほぐしていた。
「はい、完成しましたよ」
地面にシートを敷いて並べたのは、数々の猫まんま。
ケット・シーは炭水化物も大丈夫だが、どうやら普通の猫ちゃんもちらほら集まってくる。
そこで魚・小魚・肉各種の薄味おかずをお粥に混ぜ込んだのだ。
塩を入れたものは人間用だ。
猫たちの目が変わった。
「「「にゃあー!」」」と猫まっしぐらに皿に顔を突っ込む。
器用に前足を使えるはずのケット・シーたちも、思わず子猫たちと同様に顔を突っ込んでしまう。
カラバが感動している。
『チサ姫! なんですかこの素晴らしいご飯は! 王城のご飯より美味しいです!』
「え、ただの猫まんまだから。ミミィは毎日食べているよねえ」
「み!」
『なんと贅沢な暮らしをしているのですか! ケット・シーの宮廷では、高級小魚や高級ささみがメインなのです!』
人化できる化けオオヤマネコの数は少ない。
かつ、料理が得意な個体はほとんどいない。
自然と猫しかいない所帯では、素材をかじるばかりになるわけだ。
ちなみにカラバは王の猫だが、実質世話は侍女がやっている。
ただ担当の侍女は騎士団の男、特に高位貴族の男が目当てで入っていただけの女だった。
なのでまともにご飯をくれたことがないらしい。
花嫁修業で来ているなら、なおさら仕事くらいはちゃんとすればいいのにと思う。
猫騎士たちも涙を流しながら喜んで食べている。
彼らはそもそも各国の騎士団の飼い猫らしく、男所帯が多いためにあまり手の込んだエサがもらえないそうだ。
『チサ姫様って、料理うまいよなー』
『安いカリカリってのどがイガイガするんだよなー』
『飲み会のジャーキーの残りをもらったけどさあ、あれってマジで猫虐待だよな。塩抜いて来いよ。ケット・シーでなければやばかったわ』
『『早くご主人様が結婚してくれればいいのに!』』
魔国出身の猫騎士も喜んでいた。
『俺魔王様のお孫様の猫なんだけどさー。
この前お孫様が城の中を乗獣車で乗り回して貴重な壺割ったんだ。
それを、俺が潜り込んだせいにしたんだぜ?
もちろん俺のことをケット・シーと知っている魔王様にチクったけどな!
お礼のササミジャーキーを食べながら、お仕置きされる様子を見るのは楽しかったなあ』
一匹の老猫騎士がつぶやく。
『ご主人のご飯と同じ、愛情の味がします』
彼はうちの国の騎士団長の猫だった。
騎士団長は奥さんと娘さんたちから見放され、家庭で居場所がないらしい。
唯一懐いてくれる飼い猫に、自ら猫まんまを作って癒されているとか。
いつも苦労している騎士団長。
彼の真っ白い髪に交じる悲哀をまた一つ、知ってしまった。
シャラポワに伝えると、微妙な顔をされた。
猫から見える人間の世界は、なんともユーモラスだ。
みんなが満足したところで。そして、最後にチーズケーキを出した。
「はい、チーズケーキはたくさん焼きましたよ。
おやつと携帯食を兼ねていますの大事に食べてくださいね」
カラバがくんくんと匂いを嗅ぎ、一口食べて、硬直した。
『こ、これは……使えますよ!』
「使える?」
『これで王城の攻略計画は容易になります!』
「へ、なんで?」
――――その効果はすぐに証明された。
あまりにも劇的過ぎて、猫というもの本質を考え直したほどだった。