ケット・シーと自由猫(1)
カラバは優雅に空を見る。
『ここは避難に最適ですね。中にいるとお腹が空かないのが助かります』
黒猫のケット・シー・キング。
カラバは、なぜミミィの空間にいるのか。
彼は帽子をかぶり直して説明してくれた。
草の上に腰を下ろして聞くところによると、なかなか難儀な背景があるらしい。
・ケット・シーの世界は王政。カラバはケット・シーの王座争奪戦で勝利した。
・しかし、二番手との僅差で勝ったためにいまいち立場が弱い。
・しかも彼はそもそも王の飼い猫だった。その立場がノラ・ケット・シーにはマイナスに評価されている。
・二番手のケット・シーはフリーマンといい、ノラ・ケット・シーの星で、筋金入りの無政府主義者。
・「猫とは自由の象徴だ」とモットーに、ケット・シーの国の王政を崩し、ケット・シーから各種猫系種族に至るまで、猫を開放する世界を目指している。
・カラバは最近フリーマンの信猫に襲われた。
・ミミィ、リンクス、ドラとは元々猫の集会で知り合いだったため、彼らに助けられた。
・とりあえず傷を治すために、ミミィの世界で静養していた。
全然知らないところで激動していた、ケット・シーの世界。
というか、猫にアナーキストってなんだ。
片手を上げて質問をする。
「ええと、そもそもフリーマンさんは猫系種族を開放してどうするんですか?
それに、カラバさんはどうするんですか?」
良い質問ですね、と黒ケット・シー・キングが頷く。
フリーマンは猫の野性を愛しているという。
『彼は全ての猫が自由猫になれと言っています。人に飼いならされるな、と。
猫に責務などいらない。愛を待つ関係などまっぴらだ。
飼い猫は野良猫になり、野良猫は人から物を貰わない。むしろ奪うくらいでちょうどよい、とも』
「大迷惑ですね」
ええ。とカラバは憂う。
そして私は次の言葉に、ケット・シー・キングという存在の深淵さを思い知った。
『ケット・シーからすれば、人間も魔族も皆同じ。我々が傍に居てやらねばならぬか弱き存在です。
それを『猫を自由にする』といって愛される責務を放棄すれば、この世に癒しは消え、世界は混乱を引き起こされるでしょう。
私は猫と人、互い方向は違っていても、愛し愛される関係を守っていきたいのです』
いつもは、もふもふしたものには、条件反射でときめいてしまう私だが。
ケット・シー・キングの彼には、全然ときめけない。
むしろ敬礼したくなる。
その知性と思想に「可愛い」という表現は似つかわしくない。
ただただ、すごいと思った。
彼は今後、仲間を募り王座に返り咲くと言う。
『今ケット・シーの国では、フリーマンが幅を利かせております。
しかし、彼は王はいらないと言った手前、王とは名乗れません。
猫臨時議会の書記長を名乗り、世界の猫に自由運動の輪を広げているのです』
キリっとした緑の瞳を、前に向ける。
『私は、フリーマンを説得するつもりです。
いくら自由という言葉が魅力的に見え、現実の辛さを忘れさせてくれるものだとしても。
その後に続くのは次の世代を育てる責任です。
それは食べ物が用意できればいいというものではありません。
他の生き物との信頼関係を作り上げることこそが、次世代の生きる土壌となるのです』
どうしよう。
ケット・シー・キングがまぶし過ぎて、目が開けられない。
つやつやの黒い毛皮に感動している場合じゃない。
ミミィも「みゃ」と賛同している。
彼はカラバに強く共感し、同士として戦うつもりらしい。
猫と人の絆を壊すようなやつは許せないと。
飼い主の知らないところで、リンクスやドラも参加するとか。
……ん? ドラも?
あいつのいやらしそうな笑い声を思い出す。
やめた方が良くない? あいつ元邪神ですよ?
カラバは動機はともあれ戦力になってくれそうな猫は大歓迎と言うが。
不安は拭えない。
フリーマンの考えは、よくよく思い返せばおかしい。
自由と責任は表裏一体だ。
ただ苦しみから開放されるだけが、自由ではないはず。
転職しても、新しい職場のルールに従わなければならないように。
新しい場所で生きていくためには、新しいルールに飛び込まなければならないのだ。
だが。
「自由」という言葉それ自体に、思考を停止させる強烈な魔力がある。
しかもこの世は、家猫よりもノラ猫の方が数が多い。
お腹が空いているところに「自由になればご飯が食える」とでも言われたら。
ぐらつく猫は多いはず。
家猫だって、家族にのけ者にされていると感じてしまう子もいる。
寂しいところに「家族から自由になれ」とでも言われたら。
これは由々しき事態なのだ。
「にゃ~ん」と世界に音がする。この声はリンクスだ。
ミミィが地面に降りて、返答をすると、空が割れて山猫が落ちてきた。
クルクルと回転し、柔らかく草原に立つ。
「にゃー」
「みゃ!?」
『なんですと!』
カラバがいきり立つ。
私も思わず立ち上がる。
フリーマンの扇動が成功して、世界中の猫が消えていっているだって?
原因は、ドラがフリーマンに力を与えてしまったからだってー!?
ドラお前、一体どちらの味方なんだよ!?
ミミィは慌てて、出口を作る。全力でドラを止める気らしい。
リンクスもレムに事情を伝えて、魔国の猫種の様子を見に行くと言っている。
カラバはミミィと共に行動し、ドラと一緒居るはずのフリーマンにあたるつもりのようだ。
「私も行くわ!」
「み!?」
『チサ姫!? 何をおっしゃいます。チサ姫は現在人間の世界で大変な状況。
ここに避難されていてください』
「猫の苦境を知って手伝わないなんて、猫好きを名乗る資格なんてないわ!」
「みっ」とミミィが私の足元に駆け寄り、前足でかりかりとつま先を引っ掻く。
一瞬異空間を形成されそうになったが、すんでで避ける。
まさか避けられるとは思わなかったのだろう、可愛い目を見開いたミミィの両脇を再度持ち上げる。
「みゃ!?」
「ミミィ。私はいつでもあなたに助けられているわ。だからこそ、今度はあなたを助ける番よ」
「み……」
「私思ったの。
今まで誰も守ってくれないと嘆いていたけれど。
結局守られても逃げても、肝心なことは解決しないんだって。
今大切なことは、貴方を助けることよ。
国や女の柵がどんなに窮屈でも、王女のやけくそで面倒くさいことになっていても。
自分が出来ることをしなければ、私は死刑になったも同じだって」
今の私なら、人間と猫との通訳ができる。
召喚魔法もまだ使ったことがないけれど、ミミィと一緒にやれば、消えた猫を連れ戻せるかも。
「仕事だって首になったっていい。早く猫と人間の不和を取り除きましょう」
「みぃ……」
カラバが帽子を下ろしている。
『流石は巫女姫様……。
人には解読できないというケット・シー語を普通に会話できるところといい。
猫神様との友情といい。
まさに人と猫のために生まれてきてくださったような方ですな』
「にゃ」
ぼくのご主人様も、チサのいざという時の根性は気に入ってるんだ。
リンクスは言う。
ミミィは目をウルウルさせて、チサが好きと鳴いた。
「私もミミィが大好きだよ。だから、一緒に頑張ろうね」
目の前に、白い光が走り、外の世界が現れる。
リンクスが最初に飛び込んだ。
『行きますよ、お二方!』
カラバの掛け声に、私とミミィは駆けだした。
ドラめ、ぶん殴ってやる!