ブラジャーの犯人
人生で初めて牢屋に入っております。
思ったよりは清潔で、ベッドのスプリングも悪くありません。
少々照明を絞りすぎた雰囲気は、ムーディー。
壁越しのおっさんの独り言は、バックミュージック。
石壁はしっとりとしており、時折鉄錆臭い香りが心ざわつくアロマとして……。
いや、もう前向きな逃避はやめよう。
看守のお兄さん曰く、ここは政治犯向けの監房だそうだ。
「私、政治犯ですか……」
「[国家的危険物を操って、第二王女を害そうとした疑い]だとよ。
つくづくお前って大変だなドルテ」
「大変だと思うなら、何とかしてくださいよサマランチさん」
「まあまあ。女たちの苛立ちが落ち着いたら出られるから。しばらく居ろよ。むしろこの世で一番安全なのは塀の中だって言うし」
「どこのギャングの抗争ですか……」
私の逮捕の件を、ドラに面白がって教えられたサマランチが、元勇者の仲間権限で見舞いに来てくれていた。
彼はエヴァ女史をフォローする。
「お前を直接ここに放り込んだのは、一応身を気遣ってのことなんだ。
他の女が暴走してアリーみたいのが増えたらまずいからな。
あれでも、エヴァは奴に本当に幸せになってもらいたいんだよ。
だからライバルと言えど、ドルテに危害を加える訳がないさ」
「副所長……」
私は感動した。
やはり副所長は、就職時に受けた印象の通り。本当の良い女だ。
「だからエヴァの為にも、とっととルードを受け入れてやれ。むしろとっとと結婚しろ。そうすればもう揉めない」
「なんでそうなるんですか!」
どうやらアリーを筆頭に、奴に思いを寄せていた彼女らにとって、今回の謝罪付菓子折事件は本当にやばかったらしい。
脳の血管が切れかけた女性もいたとか。
自分たちをズタボロに切り捨てて付き合う女は、どれだけのものなんだ。
せめてそれなりの女でかつ、フリッツを心底愛している女でないと、気が収まらない。
だが肝心の女とは、凡庸でかつフリッツをぞんざいに扱う私。
ゆえに、フリッツに縋りながらも弄ぶやつと判断されたらしい。
ふざけんな。
「だったらシリカ様が乗り込んできた時のように、全員優雅に振れば良かったのに」
私のグチに、サマランチは微妙な顔をする。
あの振り技は、女性をヒロインチックに振れるけれど、再発もさせやすいらしい。
身近に見てきた仲間の言だ。
「あいつなりに、いつものようなその場しのぎの振り方はいけないと反省したんだろう。
ド真面目に考えてやった結果が、あんなに頭の悪い方法とはびっくりしたけどな」
あいつは本当は、不器用なやつだったんだな。
今まで悪たれてばかりで悪かったと思うよ。
そうしみじみするサマランチに、私は怒る。
「それどころじゃありませんよ! そもそもなんで私が悪者にならなければいけないんですか!」
「……もしかして、明日のデートであいつを振る予定だったか?」
「当たり前じゃないですか。これできっぱり、ただの先輩後輩の関係にしたいんです」
「いや、マジでやめとけ! 火に油を注ぐぞ!?」
「じゃあどうすればいいんですか!」
「非モテの俺に聞かれても困るわ!」
「私はもっと困っているんです!」
なんなんだ!
もうめちゃくちゃだ!
涙が決壊し、止めどなく出てくる。
ぐずぐずになる私に、サマランチが慌てだした。
「いや、だからな。とりあえずここに避難をな」
「うなー」
女の涙で動揺するなんぞ愚かとしかいえぬなサマランチ、とドラの声がした。
涙でボヤける視界に、赤い毛むくじゃらの塊。
そして横に、私の愛しい、ちっちゃな白い塊が見えた。
「みゃあー!」
「ミミィ!」
「み~み~み~み~!」
チサ! と必死に鳴いて、ミミィが檻の間をすり抜け私の胸元に飛び込んだ。
すりすりと必死に頭をすりつけ、私を慰めようとする。
ああこれだ。
このぬくもりが私の癒しだ。
この理不尽な世間で、今はこの子だけが私の味方なんだ!!
しきりに私に鳴くミミィに、私も顔を擦りつける。
「うえ、ミミィ~。ぐす、世界にミミィだけが居ればいいのに」
「うな」
言ったな? 女。
ドラがニヤリと笑った。
胸元のミミィがちっちゃな口を大きく開けて、突然長く鳴き出した。
ぴんと張る二本のしっぽ。
普段とは違う決意が見える。
「みゃ~~~ん」
自分の周りが白く光り始めた。
これはもしかして。
牢の周囲がざわめき始める。
「ちょっと待て。ドルテをどこに連れて行くんだ!?」
「おい、どうしたんだ」
「あの監房がおかしいぞ」
「誰だよ野良猫を入れた奴は」
「うなー」
これで面白くなるの。女。
ドラの笑いが、消えゆく景色の中溶けていった。
目を開けると、ミミィの作った世界。
爽やかな青空と、草原が花々が広がる、美しい世界だ。
「みゃん」
私の胸の中で可愛らしく鳴き、涙を舐めてくれるミミィ。
ボロボロだった私を、避難させてくれたのだろう。
ああ温い。心も手の中も暖かくなる。
ミミィの存在と優しさには、いつも心が救われる。
風にたんぽぽが揺れる。白い綿毛になったものは、一気に青い空に飛び立ち始める。流れゆく雲。
その光景を眺めていると、ほんの少し前まで居た世界が色褪せていく。
デート?
牢屋?
勇者?
なんだそれ。
……うん忘れた。
忘れたことにしよう。
もういいや。疲れた。
だから、ここでふて寝してしまうことにする。
虫もいないから、構わないだろう。
両手両足を放り出して、女らしさも全て放り出して、ミミィの大地で仰向けに倒れこむ。
そしてミミィが顔の横で、頬に寄り添い丸くなってくれた。
ああちっちゃい白い体が温いなあ、可愛いなあ。
空が青くて広いなあ。
世界はとても広いはずなんだよなあ。
なのに、なんで世間は狭いのかなあ。
そのまま意識が、フェードアウトしていったのだ。
目が覚めると、相変わらずの青空。
そして空いっぱいのミミィ。
心配そうにのぞき込んでくれていた。
あー可愛い。
起きあがると、元気いっぱいに二本のしっぽをフリフリして胸元に飛び込むミミィ。
耳ごと毛並みをわしわしするだけで、こちらも元気になる。
しばらくそうやって過ごしていた。
やがて、ミミィは地面におり、私についてきてという。
その先はかつて通った森。
「ミミィ。ここは祠でしょう? 何を見せてくれるの?」
「みぃ」
森を丸く切り取ったような空間。
そこには以前見た、小さな祠があった。
チサに、宝ものを見せてあげる。
ミミィは私をすぐそばまで連れて行って、祠を開けるように鳴いた。
小さな取っ手を開けるとそこには思わぬものがあった。
ピンクのブラジャーだ。
以前なくなって、ずっとフリッツを疑っていたブラだ!
「ちょっと、ミミィが犯人だったの!?」
「みゃー」
ブラの奥も見てよ、というので取りあえず怒るのは保留にして、ブラを取り出す。
そこには。
誰かの頭蓋骨が入っていた。
「ぎゃあああああああ!」
「みぃ! みぃ!」
パニックを起こす私の胸元で、爪を立てて正気を戻そうとするミミィ。
僕の昔の巫女だよ! ずっと僕の側に居てくれたんだ!
ようやく息が整うと、ミミィの言葉が頭の奥に入ってきた。
視線の先にはブラジャーが引っかかった頭蓋骨。
手前には愛の塊。可愛い。
ようやく目の前の光景の全体が見えてくる。
「巫女?」
「みゃ」
なにやら以前いた世界では、ミミィは祀られるレベルの存在だったらしい。
巫女とは代を重ねて彼に仕える人間。
特に最後の巫女はミミィの言葉が分かる、特別な女性だったとか。
彼女はミミィが廃れ神となり消える寸前まで、側で生き死んでいった。
ミミィは彼女の亡骸の側で消えようとしていたところを、私に召還されたという。
召還の際に消えかけていた体を、私から得た力で再構築したら、子猫にしかなれなかったと。
「あれ? となると、サマランチさんが言っていたようにミミィって本当は子猫じゃなくて「み」」
ミミィが肩をよじ登って、私のほっぺたを舐める。
うん。別に気にするところじゃないよね!
むしろ気にするべき所はそこではない。
私のピンクのブラジャーだ。
ここで心を鬼にして叱らなければならない。
決死の気持ちでミミィを剥がし、両手でミミィの両脇を持った。
「ミミィ。ところで私のブラジャーを無断で持って行ったのはなぜ?」
「みぃ……」
後ろめたい気持ちはあるのだろう。耳が下がり気味だ。
だがそんなことでは絆されない。絆され……ないよね? 私。
「みゃあ」
ミミィは召還されてしばらくは、幸運を感謝して引き出しの中に世界を再構築し、巫女の骨を安置する場所をせっせと作っていたそうだ。
だけどある日。
私が椅子の下に濡れたブラを袋に入れて放置していた時。
隣の席のサっちゃんが掃除に忙しかった隙に、好奇心で袋を覗き込んだ。
すると、とても懐かしい匂いがした。
それは巫女の一族と同じ香り。
「雨に濡れていたから匂いが強かったって……ちょっと嫌なんですけど。普通に臭いって言わない!?」
「み!」
人間基準と僕らの基準は違うんです! と怒られてしまった。
思わずブラジャーを祠にしまい込んだミミィ。
自分を召還した人間が、巫女たちと同じ種類だと気がつく。
それは祟り神とも言われる存在たちを、優しく受け入れてくれる人間の一族。
心から安心してからは、ずっと私と一緒にいることにしたという。
そしてもう一つ。
ミミィは私の幸せのために、ふらふら近づく余計な虫を排除すると決めた。
「八百屋の息子さんの息子さんをヤったのもまさか」
「み!」
すごいでしょ!
と胸を張るミミィ。
可愛い。可愛いけど、だめだよそれは!
八百屋の息子さんのリップサービスを真に受けちゃだめだから!
「み~」
「でもあのデカ犬だけは、どんなに異空間に隠れて攻撃しても簡単に避けられたって。
そんなことしていたのミミィ!? というかあれは人間だから!」
「み!」
「手強い犬だったって。いや人間だから。
そりゃあそうだよあの人、この国の最終破壊兵器らしいし。
中身は単なる借りパク野郎だけど……あれ?」
ふと、彼の照れた笑顔が思い浮かぶ。
返されたピンクのハサミ。
最近は勝手に借りることもなくなった。
ブラも出てきたから、彼を疑う要素もなくなった。
あれ?
するともう、彼を「借りパク野郎」って言ってはいけないのかな。
じゃあ、なんて言ったらいいの?
職場の隣の席の人? 職場の先輩? 職場で仕事ができる人?
私のこと好きそうだけど、直接の告白ができない人?
おばあちゃんに告白しやがって外堀だけは埋める人?
背が高くて、がたいがよくて、黒髪の短髪に鋭い瞳。
言い方だけは丁寧で、人の評価は的確だけど、自身の評価が適当な人。
私の手作りのご飯やお菓子をつけ狙い、挙動不審を起こす人。
フリッツ・ルード。
改めて考えてみれば。
彼はどういう人なのだろう?
考え込む私の前で、ぶらんと吊されていたミミィがじたばたする。
祠の上に降ろしてあげると「みゃー!」と言い募った。
あの世界は、どこまでもチサをいじめるよ!
世界のどこに居たって、あの犬は面倒を背負ってやってくるよ!
ここなら安全だよ!
ずっとここに居ようよチサ!
『それは私も賛成でございます』
祠の後ろから、一匹の黒猫が大きな臙脂の帽子をかぶり、臙脂のショートブーツを履いて二本足で歩いてくる。
黒毛の体に、胸だけ白い毛。立派な猫ヒゲに、大きく輝く緑の瞳。
あれは絵本でよく読んだ姿。
黒猫がここにたどり着くと、恭しく帽子を外して礼を取った。
『初めましてチサ姫様。私は現ケット・シーの王、カラバと申します』
本物のケット・シーが、目の前にいた。