<閑話>昔最底辺の仕事に就いていた男の話(前編)
フリッツ視点です
「どうしたらチサに嫌われないのかな」
「フリッツ。そりゃあお前、借りパクをやめればいいじゃねえか」
実にシンプルなアドバイスだ。
だが、助言というものは。
シンプルなものほど、難しい。
リストラ騒ぎがきっかけで、彼女に誠意というものを見せようと思い立った。
過去の色々を返し初めてもう半年。
ようやく異空間保管庫に入れていた在庫が、半分を切った。世界を一体何周しただろうか。
最後に保管庫をサマランチに返せば、この作業は終わりになる。
しかし本当の誠意ね。
昔は受け取る人が胸先三寸で変えてしまう、脅迫の一種だと思っていた。今も大抵はそうだと疑ってはいないけれど。
そもそも借りパク、借りパクと周りは言うけど、どうにもピンと来なかったんだ。
でも、彼女の怒りの在処がよく分からないから。
まずはものを返すところから始めている。
片わき腹が少しへこんだのは、対価を払ったから。初めての試みだ。
自分の臓器一個くらいで、チサの悲しみが癒えるのならば。
十二分に意味はあったと思う。
大昔は誰も自分にくれなかった。
一方で少し前までは、寄ってたかって何でもくれた。
自分の人間関係は、極端から極端に振れてばかりだな。
人間関係、借りるくらいで丁度良いのかなと思っていたけど……。
どうも次元の違う問題のようだ。
それに俺が気付いてきたのも、ごく最近のこと。
今日は魔王様に、お風呂ひよこを返した。
彼女はなぜか苦笑していた。
そして侍従に申しつけて、ひ孫用に取っておいたという、大きなドロップ缶をくれた。
なんでだろう。
魔王宮の庭の東屋で、ボリボリと飴をカジる。
マーがその横で、しなやかな体を傾け、報告書を読み込んでいた。
「報告書によると、開拓団は順調のようですね」
「(ごくり)アルブレヒトからも連絡が来てたよ。良かったよ、あれって結構思いつきだったからね」
「それで実現できるのだから凄いですよね」
缶を傾け、手の平に飴を取り出す。
今度は青か。
「別にさ、難しいことじゃないんだよ。
誰かが話していたことを全部覚えておいて。
その時の状況に合わせて優先事項を整理して。
ある程度実現の青写真が頭にできたら、必要とする人に事前に具体的に連絡して準備してもらう。
そして最後は実行するタイミング。
順番さえ間違えなければ、できると思うよ」
黄色に、オレンジと続けて出てきた飴を、マーにお裾分けする。
彼女は苦笑しながら受け取って、大切そうに紙に包んだ。
「一般の人には、そう簡単にはできませんよ」
「そうか。でも、今更だけど、そもそも俺がやるべきことだったのかな」
「たぶんフリッツがやらなくても、時間を掛ければいつかは成ったと思います」
「だよねえ。ちょっと見栄張ったのはまずかったかもね」
残り少なくなったドロップ缶を振ると、ピンクの宝石のような飴が転がり出た。
テーブルの上でプルプルしている、ピンクのスライムにあげた。
薄いピンクが濃い桃色に色づく。
少し前から、スライムを返却の旅にも連れて行くようになった。
与えた名前を呼ばれて、嬉しそうに震える姿を見て、同行させる気になったのだ。
自分には魔力はないので契約自体にはならないけれど、これはこれで満足らしい。
今じゃ洗濯と掃除は、これの担当だ。
マーはその様子に微笑んだ。
「ただ。貴方は戦争で結果を出してきてしまった。
今後難しいことが起きても、自分でやらずに「できそう」な人に押しつける世界の風潮は、変わらないでしょうね」
決裁書にサインを入れて、勇者のスライムにも菓子皿をと侍従に指示を出す。
「魔王様もマーも大変だね。カイネやレム以外の四天王も、あちこち回っているんだろう?」
「私たちは好きでやっていますから」
マーはにこにこ笑いながら、次の書類を取り上げた。
◇◇◇◇
俺は孤児だった。
生後すぐに孤児院の門前に捨てられていたらしい。
そして十三歳になるまで、ずっとそこで暮らしていた。
そして物心付いた頃から、頭の回転の良い子と言われることが多かった。
神童と呼ばれることもあった。
天才と呼ばれることもあった。
たまたま顔も良かったので、女の子や女性職員の対応は優しかった。
けれど、果たして。
人として扱ってもらえたのかどうか。
自分には、この世界で人が最低限持つ力がない。
魔力が全くないのだから。
五歳になり、検査結果で魔力がゼロだと判明した日。
俺を慰めようと抱きしめてくれた院長先生の腕が、強ばっていた。
子供は、大人の後ろめたい行動からまねをするものだ。
大人が自分を遠巻きにする様は、あっという間に孤児院全体に波及する。
自分だけが違う。
それが耐えられない。
慰問にくる僧侶は「その代わりに、神は君に別の才能を与えたもうたのだろう」と言う。
そんなものはいらない。
みんなと同じがいいんだ。
「ふつうになりたいんです」
僧侶は困ったように微笑んで、帰って行った。
誰に訴えても、誰にも訴えられなくて泣いても、日々は過ぎ去る。
将来どうしたいのか。
十二歳なって、同年代を集めて院長先生が職業について考えろと言い出した。
孤児院もすでに定員いっぱいだ。
戦争が続く中、子供は次々に運ばれてくる。
早く出て行かなければならないが、孤児院出身者がなれる仕事なんて高が知れていた。
運が良くて、職人や商人の徒弟。
鍛冶屋や大工のような人気の職種には、ちゃんと親のいる身元確かな子供が選ばれる。
火や土の魔法に適性のある者が有利で、そもそも自分にはやりようがない。
後は探索者。ダンジョンや未知の開拓候補地を探す仕事だ。
ただ、これも意外に人気職種で、募集があるのは中途者ばかり。
まず専門技術を手に入れるのにも、学校に通わなければならい。
そんな金と時間はない。
最後は、おそらく確実に自分が進む道。
それは戦争に兵として志願することだ。
魔力も後ろ盾もないやつなんて、前線の壁くらいにしか使われない。
運が良ければ、生き延びる。
運が良ければ、負けても捕虜になれる。ご飯が食べられる。
運が良ければ、戦線の後ろに置いてもらえるかもしれない。
そんな鬱々とした未来を想像していた時に、思わぬ話を耳にする。
きっかけは院長の戯れ言だった。
「フリッツ。おまえは本当に勉強はできる。
だから、魔力はなくともⅡ種公務員になれるかもしれん」
まあ、可能性はほぼないけどなと続ける院長の言葉は、もう聞こえなかった。
わずかな期待を胸に役場へと赴く。
具体的な公務員試験の内容を確認すると、そこにはチャンスがあった。
Ⅲ種の試験の場合、魔力測定が必要になる。だが、そこまで学力は求められない。
しかし一方で、Ⅰ種Ⅱ種の公務員の場合は本気でエリートを求めている。
場合によっては、魔力よりも実行力が求められる世界。
応募要項を必死に読む。
【知力・体力の試験で首席がとれる実力のあるものには、それ以上の能力は求めない】
【それ以上の能力は求めない】
つまり魔力が関係ないのだ。
これだ!
俺はそこから必死に自分を鍛えた。
それはもう、他人がしたら死ぬようなことをたくさん試みた。
なぜか死なずに、上手くいった。
僧侶の言っていた「別の力」とは、頭脳でも体力でもなく、もしかしたらこの生命力のことなのかもしれない。
だが、何がどう優れていようが、関係ない。
俺は公務員になって、皆と同じような、ふつうになるのだ。
結果は、残酷なものだった。
今まで考えていた中で、最悪の仕事に就くことになったのだ。
一番なりたくなかった、戦争の。
最前線の。
その更に先頭の。
真っ先に人が殺される現場だ。
その頃には公務員仕様となり、何かを超越していた俺は、殺されることはなかった。
だが逆に。
俺が人を殺していった。
俺が殺したあいつらは、自分がなるはずだった立場。
あっさりと殺されるために、屠殺現場に引き出されていく俺が、たくさん見える。
ああ。
自分と他人の境目がなくなっていく。
戦争中、旅の仲間が水筒を借してくれた。
本部から持ってくるのを忘れたと気が付いたと同時に、あきらめていた。
誰も自分に気を止めやしないし、してくれるわけがない。
だけど、あいつは俺が休憩中になにも飲まない様子に、にっこりと後で返してくれればいいと言った。
そして次の戦闘で死んだ。
返しようがない、水筒。
宙ぶらりんなままの水筒は、奥深くしまい込んだ。
滅多にない人から好意に、ちょっと嬉しかった。
次に村を救ったときに、村娘が俺を好きだ言ってくれた。
嬉しかった。
嬉しいけれど、どうせ気まぐれかもしれない。
いつまで好きでいてくれるかなんて、分からない。
そもそも俺は、人に好意を持ち続けてもらえる、自信もない。
自信がないから、彼女に同じだけ好意を返せる気もしない。
でもその居心地の良さは、捨てがたかった。
このままでいい。このままの関係で居られれば。
そうして村を去り、二度と村に訪れたことはない。
やがて、戦争が激化した。
一部のゲリラ戦が総力戦に発展すると、戦士アルブレヒトが離脱した。
バラバラだった世界の傭兵団を統一し、最後の決戦に備えるというのだ。
若く、なにを考えているか分からないと評価される俺は、人望のある彼に本当に頼っていた。
彼によって何とかまとまっていた旅の仲間を、統率できる自信はない。
最初は賢者に助けられていたが、やがて行き詰まった。
国に支援を要請することにした。
やってきたのは、リーチという男。
Ⅰ種の公務員試験を受け、王の補佐をしていた生粋のエリート戦士だった。
アルブレヒトのようにリーダー力にすぐれ、人を励ますのが上手く、誰よりも積極的に前線に出て戦える男だった。そして公務員。
自分は初めて、憧れの大人というものに出会ったのだ。
俺の仕事の基本は難局を力で切り開くことだ。
頭も使うが、力業で押し切ることが多かった。当然一番被害も多い。
敵陣に放り出されては大けがを負ってくる俺に、自分を大切にしろと叱ってくれた。
もちろん賢者も拳骨をくれるが、彼のように格好良くはない。
孤児院の院長先生のように、優しい人だった。
備品の丁寧な扱い方も教えてくれたし、けがや病気の治療について学ばせてくれた。
彼は俺を心から心配してくれる。
そんな自分が、少し好きになれた。
自分の境界線というものが曖昧になりかけていた自分は、彼を真似ることで英雄というものを学ぶ。
彼に依存していたとも言える。
とにかく自分ではない、彼のように素晴らしい「何か」になりたかったのだ。
しかし、リーチはあっさりと俺たちを裏切った。
彼は魔王軍に通じていた。報酬と引き替えに、俺に毒を盛ったのだ。
そしてどうしたって?
殺したよ。
懇願する男の顔が、どこまでも醜く見えた。
たぶん、血に染まった自分の顔も見れたものではなかったと思う。
ああ、所詮。
自分は自分でしかない。
他の「何か」になろうなんて、できないのだ。