ヒモの祖父に、会いに行く(3)
半透明で、まだ完全に顕現していないヴェータラーは、私に冷たい視線をやった。
『お前か。女が我を呼びだすとは生意気な』
「え!?」
「み!?」
「違う、俺だ!」
祖父がヴェータラーの前に飛び出る。横にはグリちゃんと小さいモンスターたちが並んだ。
豪風のような威圧感に前かがみになりかけるが、修羅離れしている。彼らはじっと鬼神を見上げ続けた。
『ふん、なかなか肝の座ったじじいぞな。そして、我を呼び出したのは如何』
「余興でみんなをびっくりさせるような方を、呼んでみたかったのだ」
「おじいちゃん……」
「異界の生物には、嘘をつく方がやばいからな。あっさりと命を取られるぞ」
ヴェータラーはふははと笑って、見上げたじじいだと褒めた。
だが、と鬼面の口がにたりと裂ける。
『この世界は、知り合いの女神が、ネロという子供に呼び出されたゆえ知っておるぞ。
だが、見回してみると戦争はとうに終わっている。つまらぬ』
「ではおやつを食べて帰ってくれんかな」
『否』
けむくじゃらの前足で地面を叩く。
すると農地に点在している墓地から、白骨化した死体が次々に飛び出てくる。
『少しくらいは、この世を死で満たして遊んでみたいの』
確かにやばい邪神のようだ。
「ばあちゃんの骨が!」
「かあちゃんの骸骨が!」
「ひいじいちゃんの腰の骨が!」
最後の人よく分かるなと思いながら、村人を避難させる。
とにかく実家に、祖母と一緒に移動してもらう。
祖母は慣れたもので「いつもおじいさんがごめんね~。骨はちゃんと戻しておくから許してね」と謝りながら誘導している。
村の人たちもマイペースだ。
「まったくトラジローさんは相変わらずやんちゃだねえ」と、変わらぬ表情でご飯とお酒を持って入っていく。
サマランチが骸骨を異空間に落としながら、慌てて私のそばに来た。
「おい、ドルテ。この状況下でなんでそんなに冷静なんだ」
「おじいちゃんの召喚癖は日常茶飯事でしたから。ちょっとまずいモンスターや精霊もよく召喚していました。だから変わったものを見るのは慣れているんです」
「お前……。ああ、分かったわ。お前が 【超太型新人】 だったのか」
「は? なにそれ!? 私は標準体型ですよ!」
今年の公務員試験合格者には、戦場を経験していない一般人のくせに、妙に動じないやつがいる。
公務員の最終試験といえば、非常事態を想定した訓練である。
確かその年の課題は、【異世界から怪物たちが襲ってくる】だった。
慣れたシチュエーションだったので、筆記はギリギリだったけど問題なく受かったのだ。
「一時期話題なったんだよ。どこまで肝が太いんだって」
「それで太型ってなんですか。普通に大型新人って褒めればいいじゃないですか!」
「だって筆記も体力テストもギリギリだったらしいし」
「う、それを言われると……」
「だから、病み上がりの元勇者の隣に配置されたんだな。あいつの横で、一般人でかつ動じない人間なんて少ないし」
「そんな理由で!?」
原因はこの環境か!?
サマランチは同情する視線で私を見下ろす。
「まあ、思わぬ効果もあったから、国はもうお前を手放さないだろうな」
「ひどいです!」
「でもまあ、ちょっとは奴の努力も認めてやって「みゃー!」」
祖父とメンチを切り合っていたはずのヴェータラーが、その前に躍り出たミミィと向かい合っている。
突然の小さな参戦に、祖父は驚いていた。
なんてことだ! 助けに行かなきゃ!
「ミミィ!」
「おいちょっと待てっ」
走り出す私の足元を、異空間魔法で止めようとするが、軽くジャンプして避ける。
「何で避けられるんだよっ」
「ミミィで慣れましたから!」
そんなんで慣れられてたまるかという叫びを背に、私はミミィに駆け寄ろうとした。
ヴェータラーが私を見てにやりと笑う。
『おいぼれ召喚師と珍しい構成をした猫又よ。契約がなっていない状態での時間切れを狙っていたようだがの。
ちょうどいいところに、契約の贄がやってきた』
「孫には手を出すな!」
「みゃ!」
足元から突然白骨化した恐ろしい竜の頭が現れる。
ふくらはぎを噛みつかれて地面に転んだ。
「みぃー!」
「チサ!」
『骨なぞ地中にはいくらでもあるゆえ』
なんとか立ち上がろうとするが、恐ろしい竜(恐らくティラノちゃん14歳の親戚)の顎が外せない。
しかもだんだん力が強くなって……いてててて。
ミミィが毛を逆立てて「みゃ~~~~~ん!」と鳴いた。
竜の骨が一瞬でバラバラになる。
『ほう、ただの猫又かと思えば、我に近い力も持っている者のようだの。
だが、その再構成された体では十分に力は使えまい。子の体など、やめればいいものを』
「みゃー!」
お前なんて、これで十分だもん! とミミィは言っているが意味は分からない。
『さて我の顕現のために、その娘の魔力をもらうとするぞ。
女なぞ雑念が多くて美味くはないだろうが、この中で一番いい匂いがするのでの』
「ならば少し隔離されてもらおうか!」
サマランチがヴェータラーの周りに黒い輪を巡らせた。
一気に異空間に沈ませようとするが、反応は鈍い。
「まだ顕現しきっていない神には厳しいな……」
「グリ、奴の集中を乱すぞ!」
「キュイ!」
おじいちゃんがグリちゃんに乗って、ヴェータラーの上の旋回する。
しかし、顕現していないはずのしっぽで軽く薙ぎ払われてしまった。
墜落し、地面に叩き付けられるところを、小さなモンスターたちが地上で受け止める。
「おじいちゃん! グリちゃん!」
『さてその魔力、頂くぞ!』
「きゃあ!」
竜巻に巻き込まれたように全身が引き寄せられ、体中の力が吸い取られていく!
ミミィが必死になって、鬼神に猫パンチを繰り広げるが、何かが半透明な体を突き抜けていくだけで効果がない。
骨たちがカタカタと笑いながら、周囲を囲んでいった。
ヴェータラーが愉悦を浮かべる。
『おお、これは女のくせに極上の魔力だ。贄としては最高の供物なり。ありがたくいただいておくぞ』
「それは困るな。まだ告白も出来ていないんだ」
どこかで聞いたような飄々とした声。
突然、吸引が止まる。
サマランチが愕然とした顔で口を開けた。
「まじか。今まで化け物じみた奴だとは思っていたんだが、まさかそこから出てくるのかよ」
「……え? どこ? どこですか?」
そこだよ、とサマランチが指さした先は、ヴェータラーが出てきた魔法陣。
まさか、と凝視すると、次第に輪郭を現す黒髪の短髪に切れ長の鋭い目。
鍛え上げられた体躯を、探索者御用達のカーキの繋ぎで包んでいた。
背中には大きなカウカウらしき何かを、おぶいヒモで背負っている。
借りパク勇者、フリッツ・ルードだった。
「なんで!? どうやって!?」
「話すと長くなるんだけどね」
「端的に話せ」
サマランチの要請にえーっと言いながら、カウカウらしき何かを降ろす。
カウカウと違って縦じま模様のそれは「ウモウモウモ」と言いながら、のんびり足元の草を食み始めた。
「借りものを返しに行っていたんだ」
彼が返しに行ったのは、ヴェータラーと同じ世界の女神、サバトと官能を司るダーキニーの腰巻だったという。
なんてもの借りてるんですか。
しかも、女神さまからも借りていたんですか。
半端なさすぎる借りパクの範囲に、もう言葉が出ない。
戦争中に借りてそれっきりだったので、ネロ少年に場所の特定をお願いして、その世界に繋がりやすいミステリーゾーンを探索していたとか。
「『次に借りる時は体と命で払ってね』と言われていたんだけど、誠心誠意謝ったら許してくれたよ。ちょっと戦ったけど」
『あの恐ろしい女神に気に入られて無事とは、なんと悪運の強い奴よ』
あえて具体的に聞くまい。
そして、妙に男尊女卑な鬼神といえども、怖い女神は畏れるのか。
そして、ついでに女神に頼んで、繁殖力のとても強い品種のカウカウを、貰ってきたらしい。
このメスカウカウはとにかく子だくさんで、生まれた子供もみんな子だくさんになるという。
神の庭に遊ぶ、聖なる動物だった。
「今度は借りてないよ。ちゃんと、対価を払った」
フリッツは左の脇を抑える。
少しえぐれているように見えた。
「なんて危険なことをするんですか!」
「だって、肉が足りれば問題ないんだろう?」
「へ?」
思わぬ答えに、あっけに取られる。
「悪の肉屋問題。チサが悲しんでいたから、何とかすることにしたんだ」
ヴェータラーが呆れた。
『ところで、痴話げんかはもういいか』
「全然そんな話じゃないですから!」
「えー? まだだめかあ」
奴の不満の声は無視して、ヴェータラーに向き合った。
ミミィが私に駆け寄って、鬼神にうなり続ける。
「私の魔力を強引に吸い取るのは止めてください」
『それでは私が顕現できぬ』
「この世界で誰かを死に追いやったり、苦しめたりしないならいいです」
『女の感傷なぞ自己陶酔の手段にすぎぬ。とにかくまずは喰わせてもらう』
あくまで暴れたいと、鬼の仮面を歪めて主張する鬼神。
フリッツがそこに提案をした。
「鬼神ヴェータラー。俺はダーキニーにここまで送ってもらったんだけどね。ことづけがあるよ」
スボンのポケットから出したのは、小さな粘土板。びっしりと書かれたそれは、不思議な象形文字だ。
空中に粘土板を浮かび上がらせ、その文字を読んだヴェータラーは動揺し始める。
『な、そ、まさか』
「過去の契約書だね。昔恋仲であった時にダーキニーに『君は最高だ』と言いながら、隠れて周囲に『女は悪だ』『生まれもっての下等生物だ』と触れ回ったとか」
やだそれ男として最低! 借りパク並みに最低!
信用を失う行動をしている男って本当に最低!
私の心の憤りが聞こえない奴は、続けて説明する。
「以前ダーキニーを激怒させて、下等生物の死骸にさせられたってね?
目の前にあるのは、その際に二度と女性を貶めないと契約した文書だ」
粘土板が薄く広がり、ヴェータラーを一瞬で包み込む。卵のような形になった。
「さて、君はダーキニーとの契約を破ったね。だから封印だ。
彼女の機嫌が直るように、せいぜいたくさんの女性を幸せにするといいよ」
『ぐあああああぁあぁ……にゃぁ……』
やがて、なにやら気になる語尾を付けて、声が聞こえなくなる。
実家の窓から見たいた村のみんなや、祖母とグリちゃんたちに介抱される祖父。
縦じまカウカウと牧場のカウカウがのんびりと草を食み、空はいつも通りの青空だ。
関係者全員が、息をついた。
フリッツが卵の粘土を背に説明する。
「ちょうど帰ろうとした時に、ダーキニーが騒ぎを聞いてね。
カウカウにちゃんと対価を払ったおまけにもらったんだ。
昔の証文だからもう使えないかも、と言われていたけど。
ちゃんと役に立ったようだね」
「鬼神はどうなるんですか?」
「しばらくは女性を幸せにするために善行を積んだら、自然と向こうの世界に戻れるみたいだよ。
ただ、力を安定させるためにも、誰かが契約してやる必要はあるのだけどね」
ぴしり。粘土板が割れる。
中からこぼれ落ちてきたのは、赤い毛むくじゃらの塊。
太くてふさふさのしっぽ。片耳に切れ目が入った大きな耳。
頭は大きくて、目つきは悪くて、顔はふてぶてしくてとってもぶちゃいく。
「……うなーお」
とても素敵な赤毛長毛種のドラ猫が、そこにいた。
「「何これ!」」
ときめく私と祖父の声がハモる。
祖母のため息と、フリッツの呆れた声が聞こえる。
「ダーキニー……。君の嫌がらせか」