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消えた算盤

 職場に着くと、私の机で奴が寝ていた。


 私のピンクハートの座布団を乗せた椅子に、無駄に筋肉質な尻を置き、私の机にうつ伏せで朝寝をしている。

 だらしなく開いた口から、机上に広がる涎。

 膨れ上がる殺意。


 そっとミミィを右下の引き出しに入れる。

 そして、隣の椅子を持ち上げて、奴の頭の上に振り下ろした。

 しかし、軽く片手で止められてしまう。

 くそう勇者め。ムカつくくらいに隙がない。


「やあチサ、おはよう。俺にじゃれつきたいのなら、直接来てくれた方が嬉しいんだけど」

「おとなしく頭かち割られてくれませんか」

「えー? それはイヤかな」

「というか、そこは私の机です! なに堂々と寝ているんですか!?」

「昨日所長からヘルプが入ってさあ、眠かったんだよね」

「そんなのどうでもいいです! 私の机で寝ないでください!」

「だって俺の机汚いんだもん」

「自分で掃除くらいしてくださいよ! しかも涎なんて最低です!」

「気にするなって」


 きー! と私がどんなにキレても、のれんに腕押し。全く通じない。

 周りの同僚は気にせずに仕事の準備を始めていた。


 ……誰か一人くらい味方になってくれてもいいじゃないか!


 いつもまあまあとしか言わない上司が出勤してきた。

 しかたなく、諦めて机を雑巾で念入りに拭き、仕事を開始したのだ。


 集中集中、と怒りを飲み込み、手前の引き出しからいつも使っている算盤を……あれ?


「フリッツさん、私の算盤返してください」

「算盤? いや借りてないよ」

「うそ言わないでください」

「いやいや、本当。俺、計算は全部暗算だし。そんなもの使わなくても書類くらいできるよね」


 さらりと嫌みにしか聞こえないことをほざくフリッツ。

 だが、確かにこいつは計算道具なんて使わなくても、10桁くらいの加減乗除ならミスしない頭を持っている。

 実に腹立たしい。


「それに、俺は引き出しは開けないよ?」


 確かに。

 借りパクは犯罪まがい。ギリギリの行為だ。

 だが人が仕舞っているものを開けてしまったら、正真正銘、ただの窃盗になる。


 それに、奴が引き出しの中にまで手を出していたら、ミミィの存在がばれてしまう。

 ただでさえ腹立たしい上に、愛しいケット・シーまで持って行こうなら……本気でるしかない。


「ちょっちょっと! チサ信じてよ! ひどい殺気だから!」

「本当に信用がないですわね」


 慌てるフリッツのところに、カツカツとヒールの音を立て、エヴァ女史がやってきた。






 本名エヴァンジェリン・ジュリオス。

 この斡旋所の副所長を勤めている才媛である。

 パンツスーツをびしっと着こなした完璧でるとこでているな体。

 褐色の肌に纏めた銀髪のほつれ毛。

 ハンパなく色っぽい女性だ。


 元々は賢者の助手で、勇者の旅にも同行していたらしい。

 そして勇者がようやく就職げんせにふっきした頃に、副所長に就任したそうだ。

 この斡旋所でも「美人なのにサバサバ系」の姉御として、老若男女(主に若い女性)にモテている。


 彼女はノンフレームのメガネを知的に光らせる。

 そして、書類と一緒に持っていた算盤を私にくれた。

 これって今流行のラインストーンでデコったやつだ!

 町のショーウィンドウで見かけたけれど、高くて手が出なかったのだ!


「去年入った新人のチサ・ドルテね。算盤くらいなら私のを差し上げますわ」

「いいんですか!? これ結構なやつですよね……」

「いいのよ、私新しいのを買ったから。遠慮しないで使いなさい」

「嬉しいです! ありがとうございます!」

「借りパク勇者の隣なんて大変でしょうけど、頑張りなさいね。応援しているわ」

「副所長……」


 神様女神様エヴァ様!

 拝みながらいただいたキラキラ算盤を、なでてうっとりとする。

 私に同情してくださるエヴァ女史は、本当に素晴らしい方だ。

 クールなまなざしがたまに氷点下になることもあるが、新人の私のこともよく見ていてくれる。


 女の趣味ってよく分からんなあと呆れているフリッツを、エヴァ女史は王都から緊急の仕事の相談だと別室に連れて行く。


 さっそく素敵算盤を弾いて急ぎの書類を片づけていると、右の引き出しから「みー」と鳴き声が聞こえてきた。

 慌てて引き出しを開ける。


「しー! ばれちゃうわよミミィ」

「みゃう~みゃう~」


 いつもは静かに、私が開けるまで大人しくしている子なのに、なんだかそわそわしている。

 どうしたのだろうと、算盤を持ったまま顔を近づけると、ピンクのお鼻でふんふんと周囲をしきりに嗅ぎ始めた。

 可愛い。


 上司も席を外しているのを確認して、小さなふわふわのあったかい毛玉を持ち上げる。

 両手にちょこんと座る手乗りサイズのケット・シーは、首をのばしてきょろきょろしはじめた。

 可愛い。


 しかし、ミミィの次の行動は予測できなかった。

 脇に挟んでいた算盤に、突然カプリとかみついたのだ。

 へっと驚く間もないまま、ラインストーンが何個か欠けてしまう。


「な、なんてことを! これ、副所長からもらったばかりなのよ!」

「み?」


 なんで怒ってるの? とコテンと首を傾げるケット・シー。

 可愛い。


 どうにも算盤をおもちゃとして認識しているようだが……。

 一体どうやって、この可愛い子にしつけをすればいいのだ。


 逡巡の末、私は「めっ」っとミミィの鼻を押した。

 ケット・シーのピンクの鼻は、ちっちゃくてしっとりとして、萌える。

 さらにこの子は、私の指先をじっと見て、ペロリと舐めた。


 あきらめた。


「しばらく貸すだけよ。計算する玉と軸とわくだけは壊さないでね。お昼過ぎたら使うからね」

「みゃ」


 違う仕事を片づけてから、算盤を返してもらったときには、ラインストーンの半分が剥げていた。

 がっくりしながら、取り返せた分のデコパーツだけは糊で貼り直した。

 しかし、自分にセンスがないせいで、ずいぶんと個性的な外見になってしまった。

 午後に隣の席に戻ってきたフリッツが眉を上げる。


「あれ。ずいぶんと改造したねチサ」

「ええ、諸事情ありまして」


 心の中で泣いた。






 今日は本当に色々なものがなくなっていた。

 算盤に始まって、ハンカチ、ペン先、雑巾。


 ハンカチとペン先は、借りパク勇者の机で発見された。

 ピンクのスライムが申し訳なさそうに、体を伸ばして在処を教えてくれる。

 なんて良い子なんだ。またキュンとした。


 この子はミミィの存在を知っているのに、フリッツに教えないでくれている。

 机の怪しげな物体たちの管理もやっているようで、たまに隣の机の汚れを掃除している姿も見かける。


 本当に良い子だ。

 奴にはもったいない存在だ。


 実は一度ミミィを抱きながら、うちの子になる? と声お掛けたことがある。

 しかしスライムは焦るように、ぶるんぶるんと横に揺れて断ってきた。

 だから、それでもそばにいたいのならと、引いたのだ。

 物好きな子だと思う。




 あとは雑巾。

 今朝奴の涎を拭いた汚ねえボロ布は、外のポンプ井戸で他の雑務に使った布類と一緒に洗って、干しておいたはず。

 なぜか、あの雑巾だけがなくなっていた。

 うーん、これだけは、誰かが何かで急いで持って行ったのだと思いたいのだが……。


 すでにブラジャーを始め、借りパク勇者の周辺にも見あたらない紛失物がだいぶ増えていた。

 何事にも、私はフリッツをまず疑う。

 しかし、奴は信用ならなくともスライム君は信じられる。

 スライム君が奴が持って行っていないと示すのなら、とりあえず信じることにする


 早く見つからないかなあ。

 特にブラジャー。

 とてもお気に入りの、ピンクのフリルのブラジャーだったのだ。




 誰が、私のブラジャーや算盤を、持って行ったというのだろう?




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